Ext.26 落ちる花
六月の初旬。
ジメジメと湿度が高く早めの梅雨の気配が漂い始めた始めたこの頃。
「ゲホッ…ゴホッ…!」
「…おいおい、大丈夫か?
やけに辛そうだな…」
「……ごめんね…。
平気だから気にしないで……ゲホッ…!」
この頃、祈世樹の体調が悪くなりつつあった。
梅雨による環境変化もあるのだろうが、どうも不安で仕方がなかった。
「お母さん大丈夫…?」
もちろん、みんなも心配している。
だが当の本人は「大丈夫」の一点張りだった。
「一度、病院行ってみろよ。
市販の薬でもあんま効いてないんだから」
「…平気だって。
それに、ここ最近お店も忙しいから……休んでられないのよ…」
そう言うも祈世樹の様子はどこかフラフラで不安だらけだった。
「おい、ほんとに無理すんなって。
仕事のことよりもまずは自分の心配を…」
「お願いだからほっといてッッ!!!!!」
思わず怒りが爆発した祈世樹が突然叫び、その場に居た全員が凍りついた。
「ッ……ごめん…。
仕事行ってくるね…」
そう言って祈世樹はフラフラと落ち着かない様子で家を出た。
『………』
残された俺たちは顔を見合わせるも、何も言うことは出来なかった。
その一週間後。
「ゴホッ…ゲホッ…ゲホッ…!」
祈世樹の体調は更に酷くなっていた。
「いい加減、病院に行けッ!!!
お前、フラフラどころか立つのもやっとじゃないか!
これ以上俺たちに心配かけんなよッ!!!」
思わず朝から怒鳴ってしまった。
だが、祈世樹は聞いてるのかどうかも分からない状態だった。
「大丈夫…大丈夫ッ…大丈夫ッ……」
ろくに飯も手をつけれず、仕事から帰って来れば、ほぼ寝たきり。
寝てる間も咳き込みが酷く収まらず、高熱が出る日もあった。
「ッ……ダメだ、今日は大人しく休んでもらうからなッ!!
…夏怜、母さんを引き止めてろ」
「…母さん。
お願いだから、これ以上無理しないで」
さすがにマズいと判断した俺は、半ば強制的に祈世樹を休ませる事にした。
「…もしもし、東屋さんですか?
そちらで働いてる碧乃祈世樹の夫です。
…はい、いつも妻がお世話になっております。
突然すみません…実はですね……」
その直後だった。
『ドサッ…』
何かが倒れる音と共に、知子が思わず叫んだ。
「お母さん…ッ!!!?」
心臓を飛び上がらせながら振り返ると、椅子に座っていた祈世樹は床に倒れていた。
「…祈世樹ッッ!!!!」
なりふり構っていられなかった俺は、店に祈世樹を休ませるとだけ伝え、すぐさま救急車を呼んだ。
「とりあえずこれで一安心ですね。
全身の免疫機能の低下とし貧血がみられますが、おそらく過労によるものでしょう。
一応、点滴をうって後ほどCTスキャンで容態を診ますので、旦那さんと娘さんは今日はこれでお帰りになられて大丈夫ですよ」
「良かった……。
ありがとうございます…」
「過労」という言葉に俺は深く全身の力が抜けた。
隣で一緒に居る夏怜もまた、軽く先生に一礼した。
「もうちょっとだけいます。
様子を見てから帰ります」
「分かりました。
であれば、明日以降来てくださった時にでも私を呼んで頂ければ、今日の検査結果をお伝えしますので」
「はい。
何卒、宜しくお願いします」
軽く頭を下げると、先生と付き添いの看護婦は静かに退室した。
「……」
祈世樹の意識は戻らないままだった。
「祈世樹…」
そっと手を握ると、ひどくその手から伝わる体温は低かった。
どれほど無理をしていたものか…。
『璃杏たちには真っすぐ学校に行くように言っといたけど……大丈夫だろうか…』
そう思ってると、夏怜が静かに祈世樹の髪に触れた。
「母さん…」
無理もない。
いつも疲れて帰ってくる祈世樹の愚痴を聞いたりしていた夏怜だからこそ、誰よりも心配なのだ。
ちなみに夏怜だけがここにいるのは、彼女たっての希望だったからである。
もちろん夏怜にも学校に行けとは言ったが「学校なんかより母さんの事が心配」と、テコでも動かんと言わんばかりに拒んだのである。
「母さん……死なないわよね…?」
「バカ。
まだ何も分かってないうちから死亡フラグを立てんな。
大丈夫、過労で倒れただけに過ぎないから」
納得がいかない夏怜は唇を噛みしめて悔しそうにしていた。
「ただこうして見ているだけなんて……無力なものね」
「何を言ってる。
俺たちは母さんの体調が戻ることだけを願うんだよ。
それ以上の事は何も出来ないけど、今はそうするしかあるまい」
「…分かった」
そう言って夏怜はそそくさと病室を出た。
トイレかもしれないと思った俺は夏怜が戻るまで待つ事にした。
『祈世樹ッ……』
安らかな顔で眠る祈世樹は一体何を考え、どうしたくているのか……少し気になった。
間もなくして夏怜がどこからともなく戻ってきた。
「…そろそろ帰るか。
洗濯とかも溜まってるし」
「分かったわ…」
そして夏怜は最後に祈世樹に囁いた。
「母さん……また来るから…」
少し不安げな声で夏怜は祈世樹に背中を向け、先を歩いてた俺の服の裾を握った。
その手はどことなく震えていた気がした。
二日後、病院には俺一人で向かった。
ナースステーションで先生を呼んでもらうと、直ぐに先生は顔を出した。
「どうも碧乃さん。
昨日は大丈夫でしたか?」
「はい。
突然の事で私もパニックになっちゃって……ほんとご迷惑をかけました」
「仕方ないですよ。
ささっ、こちらへどうぞ」
先生に導かれ、俺は診察室に入った。
「おかけになってください」
「はい」
先生は俺の対面側に座ると、軽く息を吸い込んでから重たげに語り出した。
「その〜ですねぇ………。
まず最初に見てほしいものがあるんですよ……」
そう言うと、先生はデスクからレントゲンの画像らしき写真を取り出した。
「先生。
これ、ヤバいやつですか…?」
「うーん………。
一応CTスキャンで全身の内部を撮らせてもらったんですけども……」
先生が出したのはどこかの部分を撮ったCTスキャン画像。
先が気になるも、俺自身も先生の返答がどこか怖かった俺は先生から語り出すのを緊張しながら待つことしか出来なかった。
やがて先生は重い口を開いた。
「奥さんはですね……………「急性リンパ性白血病」が見受けられました…」
「………………ッ?」
言葉が出なかった。
「白血病」というテレビでよく聞く病気の名前。
その言葉に、俺の全身の血の気が引いた。
「こちらは頚椎内のリンパ画像になります。
ここの…この白く見える所……これがリンパ性白血病です」
「ッ…?!!」
状況をようやく飲み込めた俺は、背筋から後頭部にかけて悪寒が走った。
「私どもの方でもまさかなとは思いつつ血液検査もしたのですが…………鑑定の結果、奥さんの白血球の異常な減少数を確認しました。
しかも今回のものは悪性の強い「急性型」ですので、進行速度は早いと思われます」
「………」
言葉すら出なくなっていた。
ただ俺の頭の中で「白血病」という単語だけが響き渡っていた。
「………治るんですか」
疑問形とも確定形とも言えぬ棘を含んだ俺の言葉は先生の表情を曇らせた。
「……私どもも患者の命を預かってる身の上、責任のない発言は出来ませんが……治らない事はありません」
それは俺を安心させる為の嘘か、真実混ざりの曖昧さか、先生の言葉は少し受け入れ難かった。
「私どもとしては早期入院をオススメします。
まだ小さいものなので、投薬治療で治せる可能性はあります。
ただ、白血病はガン細胞となんら変わらないものなので、転移していたり別の位置に潜伏してるということもお忘れないでいただきたいです」
「分かりました。
なるべく早めの治療をお願いします」
「もちろん、そうさせていただきます。
…では、こちらの方で入院手続きの準備をするので、碧乃さんは待合室でお待ちください」
「分かりました」
軽く会釈をして俺は診察室から出て、真っ直ぐ祈世樹の元へ向かった。
「…入るぞ」
四人部屋の片隅に祈世樹は眠っていた。
その顔つきは昨日に比べればだいぶ落ち着いていた。
『祈世樹…』
そっと祈世樹の手を握る。
低めの体温と小さな呼吸が安心感と不安さを伝えていた気がした。
そっと血色の薄い祈世樹の頬をなでるも彼女が起きることは無かった。
「………」
その寝顔にどことなくもどかしさを感じつつ、俺は病室を出て指示通り待合室で入院手続きをし、そのまま家に帰った。
家に着くと、神妙な面持ちで俺の帰りを夏怜たちが待っていた。
「父さん…」
いつになく重めのトーンで夏怜が口を開くも、それ以上の言葉はなかった。
「………」
どう切り出すべきか。
そんな事ばかり考えつつも俺は頭痛に似た痛みを感じつつありのまま話すことにした。
「皆、落ち着いて聞け。
…母さんはな…………「白血病」だそうだ」
空気がより一層強ばる。
そりゃ当然か。
「お父さん……「はっけつびょー」ってなおりにくいびょーき…?
お母さんしんじゃわないよね…?」
知子が不安げに聞くも誰も反応しなかった。
「…ステージレベルは?」
ある程度知識のある夏怜が質疑を投げかけた。
「詳しいことは分からない。
とりあえず今言えるのは、絶対安静という事だけだ。
明日には死ぬってことはまず無い。
…さっき入院手続きを済ませてきた」
そう補足するも事の重大さに全員が言葉を失う。
「……心配すんな!
母さんはそんな弱い人じゃない。
少し休めばすぐ戻ってこれるさ」
もちろんこれはただの強がり。
それを察してか知らずか…。
『ガタッ…』
突然、沈黙を守っていた璃杏が立ち上がり、すすり泣きながら自室へと籠ってしまった。
『………』
失言……としか言いようがなかったとは言え、残された俺がネガティブ発言をする訳にはいかない。
祈世樹が倒れた今、俺が家族を養っていかなければならない。
『…出来るだろうか。
仕事とかはともかく、一人でこの子たちを支えられるだろうか…』
そんな弱い自分の思想が一番の敵だということに気付くのはだいぶ後の話だった。
「…強乃、風呂掃除頼むよ。
知子はテーブルの上を片付け、夏怜と海麗は…」
「………」
「………」
二人して同時に俺を直視する。
「………璃杏のこと頼むよ。
飯支度はやっとくから」
「…分かった」
夏怜は返事をしてくれたものの、海麗は黙って俺を睨みつつ二階へと姿を消した。
「はぁ………」
これから長い闘病生活が始まる。
祈世樹はそれを一人で担うのだ。
それに比べたら俺たちなんて…。
『………深く考えるのはやめよう』
不安を紛らわすべく、俺は夕飯の支度をする事に専念した。
「さて、今日は何に…………ッ!?」
米を研ごうとした矢先、部屋の片隅に飾ってある椿の花が一輪、色濃いまま首を落とされたかのように床に落ちているのが見えた。
初めまして。
今回初めて投稿させていただきました鷹利です。
この作品は、10年ほど前から自分が実際に高校時代に出会ったヒロイン「海条祈世樹 (オリジナルネーム)」との恋愛を書かせていただきました。
ここまで読んでくださった読者様ならご理解いただけたかと思われますが、彼女はいわゆる「多重人格者」でした。
あまりに特殊で独特で特別性の高かった彼女との恋愛は自分の人生に大きな影響を与えてくれた為、自分がそれを忘れたくないという理由で小説にすることを決めました。
さて、なぜ今更後書きを書いたかに関しては、スタートからの世界観を壊さないために敢えて前書きを書けなかった、そしてあと7話でこの小説も終わりが来ることをお伝えするためでした。
どうでも良い日常から突然のシリアス展開、くだらない茶番から真面目な終わりに至ったりなどかなり紆余曲折続きな今作ですが、ようやく終わりも近づいて参りました。
初めてこちらに載せる時は、月に1人か2人見てくれたらいいなと思ってましたが、予想以上の方々が見てくださってることに正直、驚き感動しています。
宣伝も布教活動も全くしてない中で、1日100人に満たない程度とはいえ、多くの方々に見てもらえてることに感謝しかありません。
そして、勘の鋭い読者様ならお気づきかと思われますが、この作品には散り散りに「伏線」もちらばしてあります。
作品を読む上で「あれ、なんかこの表現前にも見た気が…」と思われた方、それは正解です。
自分が中学時代にドンハマりしたラノベ作品「ひぐらしのなく頃に」に上手すぎる伏線回収表現に感銘を受け、それを元に自分なりの「伏線」を散りばめてみました。
最終話までにもありますので、よろしければ探してみてください。
長くなりましたが「拝啓、空と世界へ」も残り7話となりました。
突然の白血病に倒れた祈世樹は無事に家族の元へ帰れるのか、そしてその先の未来がどうなるのか…どうぞたくさんの憶測を考えつつ投稿をお待ちください。
今作は残り7話で完結としますが、個人的にはあと2作品載せる予定です。
そちらは完全オリジナルなので、今回とは違った目線で楽しんでいただけたら幸いです。
ただし、後の2作品に関してはまだ構想が出来てるだけで執筆はまだ出来てないので、既に完成していた今作の投稿スピードとはかけ離れて遅くなることはご了承ください。
それでは完結も近くなった今作「拝啓、空と世界へ」の続投をお楽しみください。
ちなみに何故、今回の作品名がこの様なタイトルなのかは、最終話で分かりますのでそこも楽しみにお待ちいただけたら幸いです。
では、また最終話の後書きでコメントあげますので、宜しければ読んでいただけると嬉しいです。




