Ext.25 誰(た)が為に
幾度めかの春が過ぎて五月のこと。
四月に夏怜も高校三年、受験予定の大学も決まった。
そんな矢先のこと。
「…はぁ」
色々忙しい事もあってか、ようやく落ち着きが出てくるこの頃、最近の俺は気だるさが増していた。
『疲れが抜けない。
歳のせいか、はたまた五月病なのか…』
強乃と璃杏も後を追う形で高校一年生、知子も小学六年。
めでたい事ばかりだが…。
『洗濯…しなきゃ…。
でも……やる気が出ない…』
ソファーに横たわりながら俺はぼーっとテレビを見ていた。
分かりやすい程の五月病なのだろう。
『買い物も行っとかないと食うものもないしな…。
風呂掃除も二日してないし、ゴミも後で出してこないと…』
それまで当たり前のようにやっていた日常茶飯事という言葉がひどく重く感じる。
「…はぁ…」
出るのはため息ばかり。
こんなんじゃダメなのはわかってる。
『ストレス発散にしても、もうこの歳じゃゲーセンは体力の消耗が激しすぎるし、今から習い事もしんどい。
…どうしたものか…』
悩みに悩んだ俺は気分を変えるという名目ついでに、行く予定だった買い物に半ば無理矢理めに行く事にした。
「…寒っ…」
五月といえど、前日の雨の影響か外の気温を低く肌寒さが全身にまとわりつく。
ちなみに今日は車では行かず、歩きでスーパーに行く事にしていた。
『運動した方が気持ちも変わるかもだし、ガソリンの節約にもなるしな』
一人でそんなことを考えながら俺はスーパーにたどり着いた。
『今日はどうしようかな…。
シチューは知子と璃杏が喜ぶが、夏怜と強乃が嫌うしな…』
今日の晩飯のことを考えていた時だった。
「こんにちは燈さん」
急に呼ばれた気がして振り返ると、割烹着姿にストールを纏ったリルドさんが立っていた。
「…リルドさん。
買い物ですか?」
「えぇ。
燈さんもお買い物ですか?
よろしければご一緒しませんか?」
「い、いいですよ」
特に邪な考えはなかったが、とりあえずリルドさんと歩く事にした。
「…リルドさんのとこの晩ご飯は何の予定で?」
「はい。
西浜さんがたまにはおでんも食べたいと仰っていたので、今日は静岡おでんにしようかと思っていました。
お酒もきらしていたので、熱燗用の日本酒も買っていこうかと思っていました」
「ほぉ…」
さすがはリルドさん。
おでんでは終わらず「静岡」にまでたどり着く所がプロフェッショナルと言ったところだろう。
…てか、ほんと何者なんだろ。
「燈さんのお家では何になさるんですか?」
「んー…。
まだ何にするか考えてまして…。
うちは人数が多いゆえ、子供たちの好みや意見が分かれるんで…」
「そうですか…。
では、お鍋はいかがですか?
お鍋なら種類も多いですし、5月は旬のお野菜も多いですよ。
お魚も煮付けとかもこの時期は美味しいですよ」
「なるほど…」
リルドさんの助言により、欠けていたピースがハマったように俺のやる気が少し出てきた。
「ありがとうございます。
なら、今日はキムチ鍋にでもします」
「いいですね。
私の方もそのうちしゃぶしゃぶでも作りましょう」
リルドさんの思考する横顔に少し羨ましいと思いつつ俺は豚のバラ肉を取った。
「…どうかなさいましたか?」
「ッ!?
…なっ、何がですか……?」
声をかけられ振り返ると、リルドさんは心配そうに俺を見つめていた。
「何やら元気がないように見えましたので…。
何か悩みでもあるんですか…?」
「ッ……」
正直、この人に勝てる気がしない。
…ゲスい意味じゃなくてね?
「……ここ最近やる気が出なくて…。
たぶん五月病だと思います。
みんな学年が上がったんで、今月は特に忙しくて…」
「そうでしたか…。
よろしければ、お買い物が終わってからうちに来ませんか?
今日は西浜さんはご友人とお出かけになっているので誰もいませんよ」
「…そうなんですか。
じゃあ、お言葉に甘えて…」
エロゲーのシチュエーションにも似た甘言……ゲフンゲフン、リルドさんのお誘いに俺は遠慮なくお邪魔することにした。
「どうぞ」
「ありがとうございます。
…温まるぅ…」
リルドさん家で俺は柚子レモンのホットをご馳走になっていた。
「おかわりあるんで、遠慮なく仰ってください」
「ありがとうございます…」
…少しだけ、リルドさんの優しさが疎ましく感じた。
それでも、ホットレモンで身体が温まったのもあってか、俺は自然と愚痴を吐き出いていた。
「……最近思うんです。
俺って、あの子たちの父親として、祈世樹の旦那として上手くやれてるのかなって。
もちろん家事や飯は毎日やってます。
けど……ここ最近は、何だかそれらに対する嫌悪感が強くなってきて…。
そりゃあ一家を支える大黒柱として頑張りたいとは思います。
けれど……歳をとるうちに、色んなことに対する興味や関心が薄れてきて…。
あの子たちの事であれば尽くせても、自分の事となるとめっきり力が入らなくて…。
まぁ、歳をとるってそういう事なんですけどね」
愛想笑いでその場を濁す俺をリルドさんは心配げに見つめていた。
「燈さん…。
……きっとお疲れなんですよ。
お子さんたちの進級など色んなことが同時に重なってしまって、タイミングが悪かっただけだと思いますよ。
ですから、あまり根詰めすぎても…」
「それだけじゃないんですよ」
思わず俺は声にドスを混ぜてしまっていた。
「…母が、半年前にリハビリの最中に転んで捻挫をしたんです。
先生は大事無いと言ってましたが、よりにもよって弱っていた方を痛めたもので……正直、すごく不安で仕方ないんですよ。
たまに顔を出しに行けば、強がってそんな素振りをひとつも見せず、何か欲しいものがあるかと聞いても何もないと言うし………何も出来ない自分が嫌になってきて……」
悔しさから思わず涙が溢れてくるも、腸が煮えくり返る感覚が俺の思考を支配していた。
「「お前は無力だ」「何も出来ない」「誰も救えない」って言われてる気がして……ようやく親孝行出来ると思った矢先にッ…!」
最近泣いてばかりな気がした。
きっとそれは俺が弱ってるからだろう。
そう思った矢先、俺の肩にリルドさんの手が触れた。
「……」
リルドさんは何も言わず、俺の肩を揉んでくれた。
その暖かさは、俺の中の苛立ちをスっと引っ込ませてくれた。
「…燈さんは頑張ってます。
祈世樹さんの為、お子さんたちの為、お母様の為に尽力しています。
燈さんは何も悪くありません。
ですから、決して自分を追い込まないでください。
…私でよければ、いくらでもお話を聞きますので」
…すごく安心出来た。
リルドさんの手から伝わる温もりは、俺が忘れかけていた何かを引き戻した。
「…もう大丈夫です。
少し、落ち着きました」
むくりと起き上がって背伸びをすると、背筋を血流が心地良く流れた。
「俺、帰ります。
お陰様でやる気が戻りました。
すいませんが、今日はこれで」
「そうですか。
でしたら、昨日漬けた浅漬けを持っていきませんか?
少々作りすぎてしまったのを、近々お裾分けしようと思ってましたので」
「はい。
遠慮なくいただきます」
スっと立ち上がり、リルドさんは笑顔で奥に消えていった。
「………はぁ…」
再び椅子に腰掛け天井を仰ぎ見ると、どこか懐かしい気分を感じた。
『そういえば、初めてここに来た時も、こうして教会内を見渡してたっけ…』
うっすらと覚えていた過去の記憶に思いを馳せていると、リルドさんが浅漬けを詰めたビニール袋を持ってきた。
「お待たせしました。
ご家族みなさんで召し上がってください」
「ありがとうございます」
そしてリルドさんの優しい笑顔に見送られ、俺は家に帰った。
「……ただいま…」
家に入り何気に挨拶をする。
返事をする相手などいないが、今はそれだけで救われる気がした。
「………よしっ!」
頬を叩き、俺は半端にしていた洗濯物をたたみ、フローリングに掃除機をかけた。
その日の夜。
「…いただきます」
「いただきますですわ」
「いっただきまーす♪」
「いただき……んまっ」
「ちゃーす」
ばらけた挨拶で全員が晩飯を頬張る。
その様子を俺は箸を止めて眺めていた。
「…どうしたの燈?
食欲ないの?」
「ッ!?
…い、いや……もちろん食うよ」
祈世樹に促され、がつがつとご飯をかき込む。
「ごちそうさま」
「…お父さん、もう食べちゃったの?」
いつもより少なめの白ご飯とおかずで食事を済ませ、そそくさと俺は食器を洗いに台所に向かう。
「気にしないで。
洗濯物がまだ残ってるから干しに行くだけだよ」
「そんなの、後でゆっくりやればいいんじゃねぇの?」
「強乃には分からんが、年寄りは時間が惜しいんだよ。
お前はゆっくり食べてろ」
そう言って俺は食器を片付けて洗濯物を干しに二階に向かった。
「…なんか、父さん急にやる気出てたな」
「ねー。
ここさいきんはだらだらしてたのにねー」
「悪ぃもんでも食ったんじゃねぇのか?」
「何かあったのかもですわね」
「…母さんは何か知ってる?」
「ううん。
何も知らないよ…」
正直、本人には内緒だが私自身は何となく心配だ。
何となく…無理をしてるようにしか見えない…。
『燈……』
その数時間後、夜中の二十四時のこと。
「ねぇ、燈」
「どした?」
美少女のプラモデルを組み立てながら燈は聞き耳を立てた。
「今日さ…何かあったの?」
おもむろに燈は手を止め、私の方を向いた。
「…なんでそう思った?」
何気ないその一言は、おそらく何かあったことを示していた気がした。
「…何となくね。
最近色々あって燈も疲れてたと思ったら、急に人が変わったかのようにやる気になってたからさ。
…無理してないかなって」
黙って私の話を聞いていた燈の目はいつも通りに見えたが、どこか違う雰囲気も感じた。
「……今日買い物に行った時にリルドさんに会ったんだよ」
手元に置いていたコーヒーを飲み、燈は静かに語り始めた。
「お前の言う通り、最近忙しかったよな。
ようやく落ち着いてきた頃に少し気だるさが出てきてな。
自分でもダメだとわかってたが、なかなか身体が言うことを聞かなくてな。
そんな時に気分転換に買い物に行ってリルドさんと顔を合わせて、向こうで少しお茶してな。
リルドさんにも俺が疲れてるように見えるってバレてたみたいでな。
それで色々話したらなんか気持ちが軽くなったんだよ。
それでさっぱりして…な」
「そう…」
何だか、少し胸がチクチクと痛む気がした。
「…祈世樹?」
「…ッ!?
なっ、何でもないよ…」
慌ててそう返すも、それでは何かあると言ってるのと変わりないものだった。
「…母さんのことでも気にしてるのか?」
「ち、違うよ。
そりゃお母さまのことも心配だけど……さっぱりしたというわりに、どこか抜けてない様にも見えたから…」
「ッ………」
図星だったらしい。
燈は時間が止まったように身動きすらしなくなった。
「……」
燈は黙って冷蔵庫から梅酒の小瓶を出し、氷の入ったグラスに静かに注いで一口で飲み干した。
「…何かあったのね」
燈は答えない。
まるで自分が満足するまで飲むぞと言わんばかりに飲み続けていた。
「…実はな……」
決心が着いたのか、燈はようやく重い口を開いた。
「…………「父」に会ったんだ…」
「えっ…」
燈のお父さんと言うと……燈が小さい時に離婚してそれっきりと聞いてはいた。
「それと今の燈が何の関係があるっていうの…」
アルコールが回ってきたのか、燈の顔は徐々に赤みを増していた。
「……少し長くなる」
「…いいよ」
燈は残っていた梅酒をグラスに注ぎ、私にそっと渡した。
コクっと一口飲むと、燈はタイミングを見計らって話し始めた。
リルドさん家を出てから俺は真っ直ぐ家に帰った。
家への細い通路を通り抜けた時だった。
『んっ…?』
家の前に、見知らぬ白髪頭の爺さんが家を眺めていてな。
どちら様ですかと声をかけようとした直後、俺に気付いたっぽい爺さんは俺に振り返ったんだ。
「………燈……か…?」
その一言に、俺の全身の血の気が引いた。
それから数秒経ってようやく俺は状況を察した。
「………父さん……なのか…?」
すっかり腰も曲がり、白髪しか残っていない頭に老眼鏡をかけたその顔は、何十年も前に記憶の片隅に置き去りにされていた父の姿だった。
場所を変え、俺と父は近くの喫茶店に入った。
「…飲まないのか?
ここのコーヒーは俺のお気に入りなんだが」
父の注文で来たコーヒーは二つ。
その一つが俺の目の前で香ばしい湯気を立ち昇らせていた。
「…父さん、なんで家に来たんだ?
あんたは本来、あそこに立つのも許されないんだぞ」
コーヒーには一切手を付けず、俺は父の返答を待った。
「分かってるとも。
ただな………これが最後だと思ったんだ」
「…最後?」
そう聞くと、父はそっと一枚の書類を差し出した。
それは父の診断票だった。
「………「肺気腫」って……。
これ…父さんの……」
「……あぁ…」
重たげな返事で父はコーヒーを飲んだ。
窓の外を見つめる視線は、どこか遠い何かを見つめているようにも見えた。
「原因はタバコだ。
一度、気胸を患って呼吸困難で倒れたんだ。
それで病院側から肺気腫の合併症も患ってると言われたんだ」
言葉が出なかった。
単純に言うなら、俺は受け入れ難いショックを受けていた。
「タバコ…吸ってたんだ…」
「お前と母さんと離れてからな。
仕事も辞めてからというもの、一気に何も出来なくなったよ……ゴホッ…ゴホッ…!」
ヘラヘラと笑ってるものの、時おり挟む咳払いはいかにも普通とは違う気配を感じた。
「俺を……恨んでないのか?」
「…なんでそんなことを聞く」
突然、父の目つきが変わった。
予想もしていなかったからだろう。
「あんたの浮気が発覚したのは、俺が原因だからだよ。
もしもあの時、俺が名刺を見つけてなかったら……きっと今でも…」
「…それは無いな。
いずれ表舞台に晒される事実だったさ」
「……どういう事だよ…」
再びコーヒーで喉を潤し、父は話を続けた。
「向こうの目かけ様が顔の広い人だと噂で聞いた。
口も上手いらしく、色んな事業の人と知り合いだそうでな。
…ある時、俺と目かけ様が一緒に歩いてる所を向こうの知り合いの男が見たそうなんだ。
そこからどう伝わったのか、俺が務めていた会社にまで伝わってな。
会社全体でこそないものの、一部の人間は俺がその人と不倫関係にある事を知っていたようだった。
仕事上、影響こそ出なかったから誰も俺たちのことに何も口出しする人はいなかった。
けれど、このままではいつか母さんにもバレるだろう。
それを承知の上で覚悟していた時に……お前が行動を起こしたんだ」
「お前が」と言うセリフに胸の奥がズキリと傷んだ。
やはり、この男はきっと………。
「…なんで不倫なんてしたんだ。
母さんはあんたに尽くしてくれていたのに…」
俺の棘の含んだ言葉に父は黙って聞くも、その目に反省の色は見えなかった。
「燈よ…。
お前はまだ子供だった。
子供であるが故に、知らないことも多かったんだ」
まるで置き去りにされたようなセリフに少し苛立ちを感じるも、俺は黙って続きを待った。
「俺はな……お前が生まれてから一生懸命働いたんだ。
母さんが腹を痛めて産んでくれた宝物。
それ故に、この子の為に頑張ろうってな。
そうしたが故に、日を追うごとに俺の気持ちに余裕が無くなっていき、やがて俺の疲れやストレスは母さんにも影響したんだ。
家に帰っても母さんと話すことはだんだん少なくなっていた。
それでも暖かな飯に、笑顔で俺の帰りを待っていてくれたお前のおかげで俺は頑張れた。
だが、そんな無理強いの努力によって俺の体力と精神面が脆くなったタイミングで、向こうの目かけ様と知り合ったんだ。
聞き上手な人で、美人で話も合う人でな。
…気が付けば、俺はその人の虜になっていた」
「…………」
ここでようやく俺は父から目線を外した。
『あぁ……。
俺は何も知らなかったんだ………』
そんな感情。
「だからな、母さんからお前が名刺を見つけたと聞かされた時、年貢の納め時が来たなって腹を括ったんだよ。
お前が俺の誤ちを見つけてくれたんだってな」
俺からすれば、それは俺の行為に感謝してるのか疎ましく思ってるのか理解出来なかった。
「燈よ。
お前は何も悪くない。
むしろ、俺はお前に感謝してるんだ」
「…皮肉か?」
「まさか。
こうしてお前が俺に再び顔を見せてくれて、嫌な顔ひとつ見せずこうして付き合ってくれてるんだ。
…これはきっと、神様が与えてくれた最後のチャンスだと思ってるさ」
「…最後ってどういう事だよ」
「……」
そこで父はようやく言葉をつまらせた。
そして重たげに言った。
「……明日から長期入院になるんだよ。
下手をすれば、もうシャバの空気を吸うことも出来なくなるかもしれないんだ」
どこか不安げな眼差しで父はコーヒーを見つめていた。
「正直、こうして外に出てられるのも、今日一日だけの特別な許可を貰えたからなんだ。
本来は今日から入院の予定だったんだが、先生に頼み込んで一日遅らせてもらったんだ。
せめて動けるうち、思い出の場所をこの目に焼き付けておこうと思ってな」
「……そうか…。
ちなみにその目かけさんとは?」
「離婚してからすぐに疎遠になったさ。
会社伝いか何かで向こうに俺が妻子持ちだと伝わったらしく、向こうから願い下げだと言われたさ」
「…だろうな」
そう言って俺はようやくコーヒーに口をつけた。
「…それから俺は仕事を辞め、小さなアパートの一室を借りてギリギリの生活を送っていた。
お前の養育費を振り込むためにも交通誘導のバイトや銭湯の早朝バイトもこなした。
…それもこれも、迷惑をかけたお前と母さんに償うためにな」
そこで父はようやくコーヒーを飲み干した。
「母さんは元気か?」
「…十数年前に脚を痛めて入院してる。
あの家には、嫁と子供たちで住んでる」
「…ッ!
……そうか…。
お前も結婚してたのか…」
どこか遠い目で父は俺の結婚指輪を見つめていた。
「悪いけど、俺はあんたと同じ道を歩むつもりは無い。
…あんたが悪い手本を見せてくれたからな」
そう言って俺もコーヒーを飲み干した。
そんな俺を父は疎ましそうに見つめていた。
「…お前はきっと優しい父親になっただろうに。
なら、あまり自分を殺しすぎず、言いたいことははっきり言える度胸を持て。
…俺からはそれだけだ」
「………」
そう言い切ると、父はおもむろに腕時計に視線を向けた。
「…そろそろ行くな。
もう外出時間も終わり頃だ」
そう言って父は小銭を置いて席を立った。
「ありがとな燈。
最後にお前の顔を見れて良かったよ。
出来ればお前の子供たちの顔も見たかったが………」
「ッ…!
父さッ………」
そして父……だった男は俺に言い放った。
「俺はもう………お前の父親じゃない」
チリンチリンと開閉を告げる鈴が鳴り、かつて父親だった男は立ち去った。
「…………」
そこに残されたのは、二人分のコーヒーの代金と、空になったコーヒーカップの前で惚ける俺一人だった。
「…そんな所だ。
つまらん話だろ?」
気が付くと、燈の顔は真っ赤になっていた。
私が聞き入ってる間に相当飲んでたのだろう。
「そんなの……ひどいよ…」
「…何がだ?」
佛々と私の中で悔しさに似た感情が込み上げていた。
「自分勝手に浮気して出ていって、突然顔を見せたかと思いきや、もう父親じゃないなんて……そんなの……勝手すぎるよ……」
まるで自分が言われたような気分に私は涙が止まらなかった。
燈は黙って私を見つめていた。
「…ありがとな祈世樹。
お前がそう思ってくれるだけで十分だよ」
「ッ…!?
燈は悔しくないのッ!?
せっかく何十年ぶりに会えたお父さんに急にそんなこと言われて……燈が……燈がどれだけ心配してたのか…分かりもしないでッ………!」
話の途中で燈はぎゅっと私を抱きしめてくれた。
「…もういいんだ祈世樹。
父は……あの男は………責任を感じてるからこそああ言ったんだと思う。
俺も、始めはショックだったけど、少し考えたらそういうことなのかなって思ったんだ。
でも………卑怯だよな…」
燈の手が私の背中をさすると、私の涙が促された気がした。
「燈ッ………どうしてあなたはそこまで優しくなれるの……。
私……あなたの優しすぎる所が時折…理解出来なくなるの…。
何で……」
震える手でしがみつくも、燈の様子は変わることは無かった。
「分からんさ。
ただ、あの男はあの男なりに考えてたってことだけ受け入れただけさ」
気持ちのやり場がない余裕の無さゆえに、私の精神はめちゃくちゃになっていた。
「…もう寝よう。
こんな話、続けるメリットはない」
そう言って燈は優しく私の背中を叩いて話を切り上げた。
泣きながらも導かれるように私は燈と寝室に入り、それぞれのベッドに入った。
「…燈。
……本当にこれでいいと思ってるの?」
「…良いも何も…俺には何も出来ないしな。
俺には俺の人生がある。
お前まで気に病むことは無い」
「私はッ……!
…ッ………何でもない……」
…苦しかった。
燈の優しさは、誰かを救える代わりに、自分の闇に干渉させない壁にもなる。
「………」
力になってあげられない。
自分を求めて貰えない。
何より……関わる事を許されない。
『本当に辛いのは……燈なのに…。
私だって………あなたに救われたから………なのにッ…』
優しさとは時に罪。
そう思わせられる一日だった。




