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拝啓、空と世界へ  作者: 鷹利


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Ext.5 夏怜の初恋

ある初夏の事だった。

 

「父さん…」

 

「ん?

 どした?」


アニメのパズル作りに没頭していると、何やら夏怜が声をかけてきた。

 

「相談がある」

 

「ほぅ」

 

何やら改まって夏怜は俺の目の前で正座をした。


「実は………学校で告白されたの」

 

「ほぅ…告白ねぇ…。

 ………告白ッ!?」

 

コーヒーを口に含んでいたら間違いなく吹き出していたレベルの衝撃だった。

 

「げほっ…げほっ!

 おまッ……今なんつった…!?」

 

むせびながら聞き返すも、聞き入れてしまった現実は変わることは無かった。

 

「だから、学校で告白されたの」

 

無機質に返されるも、夏怜の発言に脳がパンクしかけていた。 

 

「えっと……分かった!

 女子に告白されたんだろ!

 お前けっこう女子人気も高いんだろ!?」

 

顎に手を当てて夏怜は考慮し始めた。

よしよし、夏怜が返答にすぐ応じないということは俺の勘違i…

 

「いえ、普通に男子生徒。

 三年のサッカー部のキャプテン」

 

『パリンッ…』 

 

一瞬で俺の妄想(イマジン)は打ち砕かれました。

 

「……待った。

 今、サッカー部のキャプテンって言ったか?」


「そう。

 サッカー部のエースとも言われてる三年の谷口翔平という男。

 イケメンであることから女子人気も高い」

 

あ、そっちだったか。

 

「でも、よくよく考えれば…それってすげー事じゃん!」

 

「…?」

 

「だってよ、サッカー部のキャプテンがお前にコクってきたんだろ?

 それってすげー事じゃん!」

 

「……」

 

そうは言ってみたものの、夏怜の表情は変わらなかった。

 

「私は……」

 

どこかもどかしそうに夏怜は口ごもっていた。

 

「…何か不満でもあるのか?

 タイプじゃないとか」

 

「それもあるけど……」

 

やはり夏怜はどこかもどかしそうにしていた。


「…ごめんなさい。

 こういう時、どういう顔をすればいいのか分からないわ」

 

「…ッ!

 …微笑んでみればいいと思………言わねぇよ!?」

 

「あら、残念」

 

夏怜は少し寂しげに目線を下げた。

 

「…冗談はさておき、本当にどう言ったらいいのか、正しい答えが見つからないの」

 

「…ッ!?」

 

碧乃夏怜という人間は今まで言葉遣いに関して悩んだ試しがない。

言いたいことははっきり言うし、多少の過剰発言も気にしない。

それが今、ここにきて悩むとは…。

 

「そんなに重大なことなのか…?」

 

「……分からない。

 私自身も、この動揺の理由を理解出来ていない」

 

「…それは困ったな…。

 ……告白はどんな感じにされたんだ?」

 

そう言うと夏怜は正座をやめて体育座りに座り直した。 

 

「…今日の昼休みに学校ですれ違った時に告白された。

 「あなたに一目惚れしました。

 今すぐじゃなくていいんで、返事を聞かせてください」…と」

 

「ほう。

 で、お前はなんと?」

 

「「分かりました。

 では、返事は明日の放課後に屋上で」…と」

 

「なるほど…」

 

何でだろう。

聞いてるだけで頭が痛くなってきた。

 

「それで……どうするかは決めたのか?」

 

「……」

 

あー、そこか…。

 

「……夏怜はさ、どうしたいと思ってるの?

 キャプテンだからとかそういうの無しで」

 

「……私は…」

 

再び夏怜は言葉を詰まらせる。

ようやく答えを見つけたのか、深く深呼吸をして静かに語り始めた。

 

「私は、出来ることなら断りたいと思う。

 けど……ただ一方的に断るのは、相手を無条件に傷つけかねない。

 だからといって、やんわり断れば相手にまだ希望はあると諦めない意志を持たせかねない。

 …どうしたらいいものかしら…」

 

珍しく夏怜は落ち込んでいた。

まぁ、たしかに好きでもない男からコクられたとこで素直に喜べるわけないか。

 

「………そうだっ!」

 

「…?」

 

俺はある事をひらめいた。

それはきっと夏怜の理想に沿ったものだった。

 

「ちょっと耳貸せ」

 

「…耳は貸せないわよ……いたっ」

 

「分かってて言っただろ。

 いいから言うことを聞け」

 

とぼける夏怜にチョップをし、俺はある事を耳打ちで教えた。

 

「………それでいいの?」

 

「あぁ。

 これならお前の意志に背くことなく断れるはずだ。

 きっと傷付けることなく諦めてくれるさ!」

 

「………分かった…」

 

とどのつまりを見せながらも、夏怜は目線を下げながら承諾した。

 

 


 

 

 

  

 

 

 

 

 

――翌日――

 

 

 

「行ってきます」

 

「行ってらっしゃい。

 頑張ってこいよ」

 

父さんに見送られ、私はいつも通り学校に向かう。

…今日の天気は快晴。

気温は現在二十五度を超え、基本的に低体温の私でさえ汗が滲むほどだった。

それでもいつもより気分は沈み、足取りは重りを付けたように重かった。

…こんな事は初めてだった。

成績は高校でも良く、教師たちからの信頼もある。

友達………勉強のことを語り合う程度。

 今どきの流行りなどは一切興味が無い故に、私はいつも教室内でも独りだった。

けど、それを苦しいと思ったことは一度もない。

クラスメイトたちが黒板の字を書き写してる時、私は二〜三頁先の問題を解いている。

何故ならば、黒板に書かれた字を書き写す行為は何の役にも立たないからだ。

書き写したとこで、それを理解できるかどうかは個人差が大きい。

それ故に、いつも私は独自で勉学を進めている。

…だが、今日は特別頭に情報が入ってこない。

いつもは要所しか聞いていない教師の声は、歪んだ音となって私の脳内に鈍く響く。

 昼休み、私は喧騒が絶えない教室を抜け、いつも通り屋上で昼食を済ます。

いつも父さんが作ってくれる弁当を食べるが、今日は食欲が沸かない。

おかずもご飯も美味しいはずなのに、身体が受け付けない。

 

「……はぁ…」

 

弁当の蓋を閉じ、気の紛らわしにと文学小説を読む。

いつもは作者の想いや感情がセリフからにじみ出てくるはずなのに…。

 

『……頭が…痛い…』

 

今日、ここで告白の返事を返さねばならない。

もちろん父さんの提案は使わせてもらう。

…信じてないわけではない。

ただ………頭が痛い。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

  

 

放課後、私は気だるい足取りで屋上へ向かう。

屋上へと続く階段を一歩一歩登り、ゆっくりとドアを開ける。


「………」 

 

幸い、まだ彼はいなかった。

気持ちは落ち着かないながらも、私は手すりに寄りかかり外観を眺めていた。

 赤々と顔色を変える夕焼けは、眩しくもどこか懐かしささえ感じさせる光で帰宅する生徒や、部活に身を投じる生徒たちを照らしていた。

 

「……碧乃さんッ!」

 

その時、背後から私を呼ぶ声が響いた。

振り返ると、谷口翔平がそこにいた。

 

「先に来てたんですね。

 答えは……聞かせてくれるんですよね」

 

「……はい」

 

ゆうに十センチほどの差がありそうな彼に私は見下ろされる。

ゆっくりと彼は私に近づいて来て、三歩手前のところで止まった。

 

「聞かせてください。

 …碧乃さんの返事を」

 

真剣な眼差しで谷口翔平は私を見つめる。

私もまた、その目を真っ直ぐ見返す。

 

「……私は………」

 

先程から全身にまとわりついていた緊張に加え、言葉がうまく出ない。

その時、父さんの言葉が脳裏をよぎった。

 



 

 

 

 

 

 

  

  

 

 

『大丈夫だ夏怜。

 お前なら出来る。

 父さんは、いつだって夏怜やみんなを見てるんだから』

 

 

 


 

 

 

 

 

 

  

 

 

「…ッ!」

 

何時ぞやに聞いた言葉だったか。

聞き慣れたその声は、不思議と私の全身を縛っていたものを解いてくれた。

 

「………ごめんなさい」

 

「…ッ!?」

 

谷口翔平は目を見開き、隠せない同様に戸惑っていた。

 

「…あっ…あれですかね…。

 もしかして、他に好きな人がいるとかですかね…?」

 

恐る恐る彼は問いてくる。

私は足元のカバンからある物を取り出した。

 

「……これよ」

 

「…えっと………それは…?」

 

取り出したのは一冊の本。

 

「本よ。

 見れば分かるでしょ?」

 

「そう…ですけど……。

 一体、どういう…」

 

状況を理解出来ていない彼に私ははっきり答える。

 

「…この本が、私の初恋の相手です」

 

見せたのは太宰治の「人間失格」。

間を開けて彼は再び口を開く。

 

「えっと……その本が……恋人…ってことスか……?」

 

「…はい」

 

ようやく理解したのか、彼はその場にへたりこんでしまった。

 

「…ははっ………。

 こりゃ……参りましたなぁ…」

 

ぎこちなく笑うも、彼はどこか安心した様子にも見えた。

 

「そんな事言われちゃあ………俺……なんにも言えないッすよ…」

 

困った顔で笑うも、彼は素直に受け入れてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

「実は俺………女の子が嫌になってたんすよ」

 

「…どういうこと?」

 

「碧乃さんは俺の事知ってますよね?

 自分で言うのもあれなんですけど……俺、ファンの子が多いんですよね。

 いつもプレゼントとかもらうんすけど……たまに家にまで押しかけられたり、使わないからって自分の私物をよこしてきたりする子もいたりで…正直困ってたんですよね」

 

「それで、私を彼女にすることでファンの子を諦めさせようとしたの?」

 

「それもあります。

 けど、碧乃さんには本当の意味で一目惚れしたんすよ」

 

「そう…」

 

隣で谷口翔平は缶コーヒーを飲みながら続けた。

 

「いつだったかな…。

 一ヶ月くらい前にファンの子から逃げてたんすよ」

 

「どうして?」

 

「いやぁね……。

 朝から俺の趣味や休日の過ごし方とかを知りたいって子がいて、休み時間の度に教室に来てすげぇ困ってたんすよ。

 それで授業始まる時間まで教室から遠ざかってた時……碧乃さんを見かけたんです」

 

正直、話の内容はともかく話し方が気に入らない。

聞いている限り、下心は見えないがどうも喋り方が気に入らない。

 

「廊下で教材を持って歩くあなたを見た時、この人ならと思ってあなたのこと聞いて回ったんですよ」

 

「…それでなのね」

 

その事には覚えがある。

ちょうどその辺りにクラスの女子から私のことを聞き回ってる人がいると言われた記憶があった。

 

「…貴方だったのね」

 

「すんませんッ!

 …でも……碧乃さんの姿を見て以来、この人ならきっとファンじゃないかなって思ったんすよ。

 それで一年のクラスの生徒に碧乃さんのことを聞いて回って……ようやくあなたを見つけました」

 

純粋に微笑む彼の目に偽りはない。


「けど……勢いで告白してしまったとこもあったんで、正直断られてもいいかなって思ってる部分もありました。

 だから……逆に断られてよかったっす」

 

…やはり彼の言動の意味がわからない。 

 

「何故…?

 普通、断られればショックを受けるものじゃないの?」

 

「まぁ…ちょっとはショックっすよ。

 けど……本が恋人なんて言われちゃ、なんか吹っ切れられました。

 これで男の恋人がいるなんて言われたら、むしろ諦めきれなかったかもですしね」

 

…父さんの言う通りだった。

どうやら私の理想に近い形で断ることは出来たらしい。

谷口翔平は一歩下がって頭を下げてきた。

  

「…今日は返事を聞かせてくれてありがとうございました。

 何だか気持ちが楽になりました。

 断られたのは残念でしたけど、同時に良かったと思います。

 …じゃあ、俺はこれで……」

 

そう言い残し、谷口翔平は私に背を向けた。

 

「……碧乃さん…」

 

「…何かしら」

 

足を止めて振り返りながら彼は言った。

 

「今は手を退きますが、碧乃さんのことを完全に諦めた訳ではありません。

 …いつか、社会に出てプロのサッカー選手になったら……もう一度あなたに会いに行きます。

 その時は………違った返事を聞けることを祈ります」

 

ニコッと笑って彼はその場を立ち去った。

 

「……」

 

私は思考が止まっていた。

結果は予定通りに終われたはずなのに。

何故だろう…。

 

『…胸の奥が……痛む……。

 なぜ……?』

  

体調不良とは違う痛みが胸の奥でズキズキ響く。

思わずその痛みに私はしゃがみこんでしまった。

 

「これは……一体なんなの…」

 

遠くでひぐらしの鳴き声が聞こえた気がした。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「…ただいま」

 

「おかえり。

 結果はどうだった?」

 

「…なんとか断れた…」

 

「おぉ!

 良かったじゃねぇか!

 これでもう悩む心配はねぇな」

 

「……そう…ね…」

 

「…どうした?

 元気ねぇな」

 

「…ッ…。

 ……何も…ない」

 

どうも夏怜の様子がおかしい。

何かあったのだろうか。

 

「なぁ夏怜。

 向こうは本当に諦めてくれたんだろ?

 何か脅されたとかじゃねぇんだろ?」

 

「…何もない。

 屋上で父さんの言ったとおりに進め、彼も承諾してくれた。

 プロのサッカー選手になったら、もう一度あなたに会いに行きますとだけ。

 ……それだけ」

 

「んー……。

 その心意気は大したもんだが、どうせ来ないだろうな」

 

「…どうして?」

 

「だってよ、もしプロのサッカー選手になったとして、その時に夏怜のことを覚えてるとは限らんだろ?

 そいつだって、そこまでに至るまでにたくさんの出会いと別れを繰り返す。

 その中で、本当に「この人となら」って思える奴にいつか出会わさるはずだ。

 そうなると、お前を本気で選ぶとは限らんだろ?

 …まぁ、これで本当に来たら俺も反論は出来んがな」

 

「……」

 

「お前の夢を壊すようで申し訳ないが、もし情が残ってるならそいつの事はもう忘れろ。

 谷口君も自分の意志をはっきり決めたんだろうからな。

 これですぐ戻ってこようものなら、俺がぶん殴り帰してやるよ」

 

「…それはダメッ…!」

 

珍しく夏怜は声を張り上げた。

その事に自身でも驚いてか、夏怜はすぐに謝罪した。

 

「…ごめんなさい。

 けれど、彼を傷つけるような言い方はやめて」

 

普段は私情に振り回されることの無い夏怜なのに、今日ばかりは珍しく憤っていた。

 

「はは〜ん…。

 さてはお前、谷口君に恋したな?」

 

「え……。

 …恋……?」

 

状況を理解出来んと言わんばかりに夏怜は無防備に口を開く。

 

「私が……。

 彼に……谷口翔平に……恋をしたの……?」

 

完全に夏怜は壊れかけていた。

プログラミングされた言語を繰り返すように、夏怜はただ惚けていた。


「…父さん……。

 …恋って……何…?」

 

こんなパニクり方をする夏怜は初めて見た。

 

「恋か……。

 そう言われると難しいな…」

 

誰かを好きになる事とか言ったとこで夏怜には通じないんだよな…。

 

「本でもよく男女が愛し合うことを意味することは調べがついてる。

 けれど、私は周りの女子生徒が思うような「恋心」や「愛情」といったものを理解出来ない。

 …母さんと愛し合った父さんなら何か分かるかしら?」

 

「……」

 

正直、万策は尽きていた。

それでも夏怜は俺の顔を覗き込んでくる。


「困ったな……。

 ………あっ!」

 

名案とも思えるアイデアが浮かんだ。

そして俺は覗き込んでくる夏怜の頭をなでる。

 

「んっ…。

 …何…?」

 

少し困り気味の表情で戸惑う夏怜に俺は聞いた。

 

「今さ、頭をなでられてどう

 思った?」

 

「………悪くない」

 

ボソッと呟く夏怜の回答はまさに核心をついていた。

 

「他に思ったことはないか?」

 

「………「暖かい」…かしら…」

 

その一言に俺は笑みを浮かべる。


「…おめでとう。

 ようやく答えを見つけたじゃないか」

 

「…!」

 

目を見開き、夏怜はようやく見つけた答えに思考を停止させていた。

 

「…暖かいものなのね。

 でも……私のは…「苦しい」。

 これも……恋なの…?」

 

未だ受け入れきれていない夏怜に俺はインスタントコーヒーをお湯で溶かし、少し多めのミルクに角砂糖を二個入れて混ぜる。

 

「そうだな。

 恋ってのは暖かくもあり、辛いものでもある。

 誰かを好きになるというのは、けっこう大変なんだぞ?」


ある程度混ぜたとこでカフェオレを夏怜に差し出す。

夏怜は黙ってカフェオレを一口飲んだ。

 

「……甘すぎるわ」

 

「疲れた身体には甘いものが一番からな。

 たまには甘さ強めのカフェオレも良いだろ」

 

「………そうね」

 

小さく深呼吸をし、夏怜は再びカフェオレを一口飲む。

心なしか、表情に落ち着きが出てきていた。

  

「父さんも母さんを好きになったとき……辛かった?」 

 

「そうだな。

 母さんを好きだと確信したのは、高校の修学旅行の時だったな。

 母さんとプレゼントを交換しあってな……その時好きなんだって確信したんだよ」

 

「そう…なのね…」

 

インスタントコーヒーをもう一杯分作りにかかる。

今度は俺用に角砂糖三つのミルクは少なめ。

 

「大変だったんだぞー?

 母さんとは同じクラスだったから、毎日気がつけば目線は母さんにいってたしな……あちちっ」

 

カフェオレをすすりながら夏怜に目を向けると、両手にカフェオレの入ったマグカップを持ちながら興味津々に俺を見つめていた。

 

「それで付き合ったの?」

 

カフェオレを飲むことを忘れてか、夏怜は俺をまじまじと黒猫のように見つめていた。

 

「いや、俺は母さんを幸せにさせられる……彼氏としての資格や自信がなかったから、付き合ってはいなかったんだ」

 

「でも、お互い好きだったのよね?」


「まぁな。

 でも、あくまでも「友達以上・恋人未満」って関係だったな。

 それを確立するために、俺と母さんには特別な呼び名があったんだよ」

 

「呼び名…?」

 

「あぁ。

 母さんの名前からもじって「世界」、俺の名前の類義語的に「空」って呼びあってたんだよ」

 

俺の一言に夏怜は心臓の鼓動が一瞬止まったかのように目を見開いて胸に手を当てていた。 

 

「……「空」……「世界」……。

 なんだか………どこか懐かしさを感じる…」

  

「…ッ!?」

 

その一言に思わず心臓が跳ね上がった。

 

「れっ……ッ…。

 …夏怜、どっかで聞いたことあるのか…?」

 

恐る恐る俺は聞いてみた。

 

「……分からない。

 けど、初めて聞いたはずなのに……不思議と…懐かしさを感じる…」

 

胸にマグカップを当て、夏怜は目を閉じる。

俺は黙ってその様子を見守っていた。

 

「……父さん」

 

「…なんだ?」

 

夏怜は飲み残したマグカップを置いて俺を見つめる。

 

「私………父さんと母さんの恋愛小説を書きたい」

 

「…ッ!

 なっ、なんで俺と母さんの…?」

 

夏怜は柔らかな笑顔で答える。

 

「…何か……父さんと母さんの恋愛小説を書きたくなったからよ。

 学校の勉強とは違う、個人的に「恋」というものを学んでみたくなった」

 

めったに笑うことの無い夏怜が珍しく笑みを浮かべていた。

 

「……そっか」

 

俺は応えるように夏怜の頭をわしわしとなでる。

表情は見えないが、彼女の口元はたしかに笑っていた。

 

「しかし……夏怜もそんな年頃になったんだな…」

 

「…?」

 

いつも通りのドールフェイスに戻り、人相の悪いロシアンブルーのような目つきで夏怜は俺を見つめる。

 

「夏怜もとうとう恋心を抱く年頃になったんだなってな。

 なんか、ちょっと寂しいな……あっち!」

 

カフェオレを冷ます俺に夏怜は笑顔で返す。

 

「…大丈夫よ父さん」

 

「フーッ……フーッ……。

 ……何が大丈夫なんだ…?」

 

何やら楽しそうに夏怜は笑う。

 

「だって、私の大好きな男性は父さんだけだもの」


屈託のないその笑顔は、親としてはちょっと複雑な……それでも安心感も与えてくれるものだった。

 

「父さん。

 カフェオレのおかわり、良いかしら?」

 

「まっ?

 ……はいはい、かしこまりましたよ」 

  

この初恋もまた、碧乃夏怜を一歩成長させてくれる良い経験となってくれるであろう。

 

「……てゆうか、そういう年頃の恋愛観は璃杏に相談すべきじゃないのか?」

 

「………璃杏のは、何となく宛にならない気がする」

 

「…それな(汗)」

 

…すまん璃杏。

帰ったら何か甘いもの作ってやるからな。

 

 

  

 

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