39.もうひとつの卒業式
帰り道、俺は海条さんと共に彼女の家までの帰路を歩いていた。
一切会話などなく振り返ることもなく、海条さんは俺の二、三歩後ろを歩いていた。
やがて彼女の家の近くのスーパーの裏側までたどり着いた。
「ここまででいいよな?
あとは一人で行けるよな…?」
「はい…。
ありがとうございました「碧乃くん」…」
心臓がズキッと痛む。
久々に呼ばれたその名は、俺からけしかけたくせにものすごく他人行儀な気がしてストレスが半端なかった。
「じゃ…じゃあ俺はこれで……海条さんも頑張ってね!」
振り返らず逃げるように俺は歩き出す。
その時だった。
「…ッ!?」
立ち去ろうとした直後、俺は後ろから服の裾を引っ張られ、歩みを止められた。
「あっ……あの…。
…何か忘れ物でもしましたかね…?」
海条さんはうつむきながらも、裾を掴む手だけは離さなかった。
「………離れたく……ない…」
「…ッ!!」
海条さん………「祈世樹」は震えていた。
それは、今にも消えてしまいそうな儚いものだった。
あの日、俺は「答え」を選んだ。
それはあまりに過酷で残酷な…己の首を確実に締める行為。
それでも俺は選ぶしかなかった。
『フェイト』
それが俺の答えだった。
すると間もなくして突然「彼女」は起き上がった。
「…さぁ、この身体に「赤い命」を捧げて」
そして祈世樹ではない「誰か」は、何の躊躇いもなく持ってきていたカッターでリストカットをした。
「…ッ」
リストカットを見慣れていない俺は、リスカが終わるまで目を背けていた。
「…次は貴方の番よ」
彼女は遠慮なくカッターを手渡す。
差し出した彼女の右の手首に浅めの十字型の切り傷が見えた。
「ッ……」
その傷口に思わず吐き気をもよおす。
渡されたカッターの刃先には、わずかに彼女の血液が見えた。
「はぁ…はぁ…」
全身の毛穴から吹き出んと言わんばかりの脂汗が俺の緊張感を高ぶらせる。
左手首に突き立てられたカッターは、いつでもリストカットの準備は出来てると言わんばかりに鋭く牙を立てていた。
やがて、ようやく決心がついた俺はゆっくりとカッターを引く。
「…ッ!!」
少しだけ力を入れて引くと、紙で切ったような痛みが走った。
苦痛に耐えながら俺は十字の形にリストカットをする。
初見には見るに耐え難い傷口から血液が流れ出ていた。
俺はすぐさま祈世樹の傷口に自分の傷口を合わせた。
「…ッ!!」
突如、彼女は悶え始めた。
それは痛みによる苦痛か、血液から伝わる記憶の混濁かは分からなかったが、たしかに効果はあるみたいではあった。
しかも傷口を直接合わせてるのもあって、俺自身もだいぶ痛めていた。
『ぐっ…。
すっげぇ痛ぇけど……祈世樹が戻ってきてくれるなら…ッッ!!!!』
俺は必死に痛みに耐えながら彼女に言った。
「…思い出せ祈世樹ッ…。
俺が誰か……お前は誰なのか…。
そして………お前が愛した男は誰か……思い出せッッッ!!!!」
「…ッ!?」
その瞬間、彼女は目を見開き、すぐにうつむいた。
「…祈世樹…?
…………祈世樹、しっかりしろ!」
一度意識を失ったようにも見えたが「彼女」はすぐに顔を上げた。
「………空……?」
「…ッ?!
……祈世樹………戻ってきてくれたんだな…」
そう言うと祈世樹は俺の顔を見て自然と涙を流した。
たった数分前の別れでしかなかったが、祈世樹は数年ぶりに再会出来た恋人のような反応だった。
「……空………だよね…?
私……帰ってきたんだよね…?」
「あぁ…。
お前は………俺の大好きな海条祈世樹………世界だよ」
「…ッ!!
……うっ……空あぁぁぁぁ…!」
祈世樹は泣きながら俺に抱きついてきた。
俺はただ優しく抱きしめた。
「おかえり…世界」
泣きながら抱きついてくる祈世樹に声をかけると、祈世樹も泣きじゃくりながら返事をした。
「ぐすっ…。
……ただいま…空…!」
泣きながらも祈世樹は嬉しそうに笑ってくれた。
それは、俺にとってどんなフィギュアやゲーム、アニメよりも断然価値のある笑顔だった。
「私……ここに居てもいいんだよね…?
ずっと空の傍に居てもいいってことだよね…?」
期待と希望の眼差しで祈世樹は俺に問いかける。
だから俺は答えてやった。
「あぁ。
………「お別れ」だよ…」
「……えッ…?」
それは……自分で言っておきながら吐きそうになるセリフだった。
「…ははっ………。
冗談……だよね…?
だって、空は私にいてほしいからリスカしたんだよね…?
違うなら………なんでッ…」
再び祈世樹は泣き出す。
ようやく手にした幸せを、目の先で潰されたかのように。
「……ごめん…。
俺も苦しいけど……やっぱり空と世界は離れなきゃいけないんだと思う。
…二人にとって「最もちょうど良い距離」を探すためにもな」
その一言がきっかけか、祈世樹はようやく落ち着きを見せ始めた。
「………そう…だよね。
空は……いつだって私のこと考えてくれてるんだもんね…。
……分かったよ」
祈世樹は荒く涙を拭き取る。
「いいよ。
空がそう決めたなら、私はそれに従います。
私は……空を信じます」
目を真っ赤にさせながら祈世樹は笑う。
それはどう見ても強がっているだけだった。
「ごめん…。
俺じゃ……君を幸せにする自信なんてないから…」
「…そんな事ないよ」
祈世樹はそっと俺の手を取り自分の頬に当てる。
「…空はね、傍に居てくれるだけでもよかったの。
空を身近に感じられるだけでも私は幸せでした。
…でも……私も決心しました」
それは、あまりに悲しいほどに凛々しく見えた。
「……空のこと、ずっと忘れません。
私は……貴方への想いを胸に生きていきます。
だから………もう大丈夫」
こぼれ落とすように祈世樹は俺の手をそっと下ろす。
「俺も、世界を忘れたりなんかしない。
いつか……君と再び出会える日を勝ち取ってみせる。
二度と会えないのが運命ならば、俺はその運命を……「拒絶」する」
そう言って俺は「気」を見せつける。
それが祈世樹には見えていたか定かではないが、彼女は嬉しそうに笑ってくれた。
「はい…。
……信じています」
そして祈世樹は荷物を持って立ち上がる。
「………ありがとう……空。
私は……貴方を愛し続けます」
振り返りながら彼女は涙ながらに微笑む。
何故かその笑顔に思わず涙が溢れてきた。
「……せっ、せか…」
「さよなら…」
俺の言葉を聞くこともなく、祈世樹は部屋を出ていった。
「………ッ…」
俺はその場で声を殺して泣き伏せた。
醜いアニメオタクが、アニメグッズやフィギュアまみれの小部屋で泣くシーンなんて誰も見たくないだろう。
それでも……たった一人の愛した女のために流す涙を誰が見下せるだろうか。
『……絶対…いつか会えるよ………世界…』
涙ながらにそう口にする。
運命なんてクソ喰らえだ。
こんな悲しい運命……いつか……拒絶してやる。
希望にも似た願い……ではなく「野望」を胸に、俺は強い決心をした。
あれで全ては終わったはずなのに…。
「私、貴方から離れます。
けど……離れたく……ない…」
きっと彼女も自制心で堪えてるに違いない。
本当ならば泣きたいはずなのに……震える手で俺の服を掴むだけで留まっていた。
「世界……」
かける言葉など見つかるはずもない。
今回ばかりは俺もお手上げだった。
半ば無理やり離れようとすると、祈世樹は一瞬手を離すもののすぐに抱きついてきた。
「世界ッ……」
すすり泣く声は俺の歩みを自然と止めさせた。
そっと腹に回された祈世樹の手に触れる。
「…世界の手、冷たいな」
「…空の手、冷たいね…」
オウム返しのように祈世樹は返答をする。
「……俺だって辛いんだよ…。
本当ならば、お前と卒業しても一緒に居たい。
でも…今の俺じゃ君を守ることは出来ない。
……けど、いつの日かきっと会えるから」
握ったままの祈世樹の手に力が入る。
それでも祈世樹は口を開かなかった。
「絶対会える。
お互いを信じよう。
空と世界は……離れてても常にお互いを見つめ合っているから。
だから……」
そう言うと、ようやく祈世樹の手から力が抜けた。
離れてから俺はゆっくり振り返り、祈世樹の頭をなでる。
「…よく出来たな。
「ご主人様」がご褒美に頭なでなでをしてやる」
「……ふぇッ!?///」
突然の「ご主人様」発言に思わず祈世樹は顔を真っ赤にする。
「なっ……なんでご主人様……?///」
久しぶりに見れた祈世樹の慌てっぷりに俺は子供じみた嬉しさに浸っていた。
「さぁ?
何となくだよ。
以前、会った女の子が「祈世樹ちゃんはご主人様願望があるんだよ」って教えてくれたのは内緒だけどな……あっ///」
「…ッ!?
それって……もしかして…///」
何か把握したのか、祈世樹は途端に顔を真っ赤にさせた。
「うー…///
さてはいちごちゃんだね…///」
「さて、誰だろうな♪」
ニシシと笑うと、少し悔しげに祈世樹は顔をくしゃくしゃにするも、ボソリと呟く。
「……やっと笑ってくれた」
「…?」
途端に祈世樹はクスリと笑う。
「やっぱり、空は笑ってる方が素敵だよ。
私は……楽しそうに笑ってる空が好きだよ」
ようやく笑ってくれた祈世樹の笑顔もまた、俺の心に焼き付く……そんな笑顔だった。
「もう……大丈夫だな」
「……うん」
さっきまでの笑顔とは裏腹に、それは一瞬にして儚げな最後の笑顔だった。
「……もう…行くからな」
「………うん…」
決断を下した彼女を横切り、俺はその場を立ち去る。
「………ッ…」
今更になって涙が溢れてくる。
だが泣いてる顔を見せたくなかった俺は必死に涙をこらえる。
ゆっくりと歩みを進め、ある程度離れたところで祈世樹が叫んだ。
「空ぁぁぁーーー!!
ずっと………大好きだよーーーー!!!!!」
先程の慶太と同じように祈世樹もそう叫んだ。
よくもまぁそういうことを恥ずかしげもなく言えるものだ。
でも………ありがとう。
『俺も……ずっと大好きだよ』
心の中でそう囁く。
ちょっとだけ振り向くと、祈世樹はこちらに向かって大きく手を振っていた。
その光景に少しくすぐったい気分になるが、俺は祈世樹に見送られながら家に帰った。
「ただいま」
「おかえり。
卒業式ご苦労さま。
…ご飯食べる?」
「あぁ…」
家に帰ると、そこには当たり前の日常がある。
母さんの仕事が休みの日はいつも家で俺の帰りを待っていて、暖かなご飯を作ってくれている。
そんな昔から変わらぬ当たり前でも、俺はひどく気分が沈んでいた。
もちろん母さんには絶対喋ることなど出来ない。
「…いただきます」
今日のご飯はカレーと買ってきたフライドチキン。
『……美味しい…』
美味しい……はずなのに気持ちは上がらない。
それでもカレーを頬張るうちに自然と気持ちにゆとりが出てきた。
「…ごちそうさま。
風呂入るよ」
「あら、全然食べてないじゃん。
具合悪いの?」
「ううん、後で残り食うよ」
そう言い残し俺は着替えを取りに部屋に行く。
『そう言えば…』
ふとあることを思い出す。
それは祈世樹がプレゼントにくれたCD。
「まだ中身聞いてなかったな」
俺はいつの間にか母さんから借りパクしていたCDプレーヤーを探し出し、ディスクを挿入する。
何故か少しだけ緊張するものの、イヤホンを付けて再生ボタンを押す。
『…………たーん、たたーん、たんたんたーん…』
少し間を空けて聞こえてきたのは、間違いなく祈世樹本人の声だった。
聞き覚えのあるリズムは、かつて二人で歌ったシガロの曲を歌っていた。
「アカペラかよ…」
ツッコミどこはそこではないのだが、それでも俺は黙って祈世樹の歌声に耳を傾けた。
『夜 眠る時に
脳裏に想い馳せる
あなたの顔』
ついさっき聞いたばかりの声なのに、どこか別人のような懐かしさを感じさせた。
その声に俺は小さく歌声を重ねた。
『「気付いて欲しくて 髪留め(イメチェンをした)を変えた
「どうしたの?」って言われたくて…」』
気がつけば、俺の心に引っかかっていたしこりがスーッと抜けていく感じがした。
可愛らしくも優しげな祈世樹の歌声は、俺の中の恋心を刺激する。
『真っ赤な口紅…』
「シルバーの腕時計…」
重なる歌声は、俺の中の押さえ込んでいた「恋心」を彷彿とさせる。
『「身に着け走る…
今の アタシは(僕が)」』
俺には……君しか見えていなかった。
『「超絶可愛いのよ(最高にキマってる)!
ソリディ 溶かされる前に」』
懐かしく響く歌声は、あのクリスマスイブの夜を思い出させてくれる。
『「嫌いだなんて絶対に
言わせない…」』
その後も俺は歌が終わるまでイヤホン越しの祈世樹と歌い続けた。
最後のリズムが終わり、歌がようやく終わった。
「ふぅー……」
下に母さんがいることもあって、声を抑えながら歌ったことに少しだけ疲れを感じた。
すると間を開けてあるものが聞こえてきた。
『……空へ』
それは祈世樹から俺へのメッセージだった。
『私の想い……聞いていただけましたか?
まぁ…「歌」ですけどね』
それは、かつて俺も同じことを言った気がしたセリフだった。
『……私にとって、空とはどんな人物だったか!
…空は私にとって……頼れる「お兄ちゃん」だったり「ご主人様」だったり……貴方は、色んな顔を見せてくれました。
それでも、どんな顔をしていても…やっぱり……空は空でした。
私にとって……大切な「恋人」でした』
少し…いや、耳を澄まさずとも分かる。
彼女は……怯えていた。
見えるわけじゃない。
ただ何となく…そんな気がした。
『空は………覚えていますか?
あの日のクリスマスの夜を…』
「…あぁ。
よく覚えているよ」
思わず俺はプレーヤー越しに祈世樹に語りかけていた。
母さんが来たらびっくりしてしまうな。
『あの日の夜は…すごく寒かったけど…すごく………幸せでした』
「俺もだよ。
会話すらろくに出来ないほど寒かったけど……内心、すごく嬉しかった」
祈世樹は少し間を空け再び語り出す
『はぁー……。
空はどっちを選ぶのかなぁ…』
その声は期待と不安がちょうど良く混ざりあった、どっちつかずの声にも聞こえた。
『でもね……空がどっちを選んでも、私は貴方を恨みません。
答えは……空が決めてください』
自分に言い聞かせるようなその声は、無理やり不安を隠してでも導き出した結果だったのかもしれない。
『最後になりますが……私は、碧乃燈くんが大好きでした。
今まで出会った男の子の中で、最も魅力的で素敵な人でした。
辛いことも沢山あったけど、私は後悔していません』
「世界…ッ…」
『だから……空も……後悔しない道を選んでください。
…もし消える方を選んだとしても、貴方との思い出は忘れません。
どこかで消えても、きっと思い出せるはずです。
だから……心配しないで…。
……私は……貴方が…居たから……笑えていたのですから…』
涙混じりに祈世樹は語る。
俺はというと……だいぶ前から号泣しまくりだった。
『………さよなら……』
そしてCDは再生を終えた。
「……ッ…」
声にならない叫びが俺を苦しめる。
消えゆく少女の声に答えられない。
無音の時間がお前は無力なのだと言い聞かせる。
届かなかった想いが俺を押し潰す。
やり場のない無念が己の未熟さを見せつける。
「………」
ふいに俺は左手首のリスカの痕に目を向ける。
「……まだ、はっきりと残ってるな…」
十字に刻まれた約束の傷は、痛々しくも何故か俺の気持ちを落ち着かせてくれた。
「……そっか…。
祈世樹にも…同じ傷があるもんな」
彼女の左手首にも同じ十字のリスカはある。
たとえ傷が治りきっても、そこに込められた想いと記憶がある限り、それは無駄な努力ではなかったと教えてくれるはず。
そう考えると、少し気が楽になった。
「……大丈夫だよ世界。
いつか……その時が来たら……君に会いに行くよ…。
それまでは……さよならだけどね…」
震える手で俺はリスカの痕を抑える。
…大丈夫。
この傷に込められた想いは半端なものじゃない。
それを…いつか証明しようじゃないか。
「……待ってて世界。
いつか……君に見合う男になって、もう一度会いに行くから…」
そっとイヤホンを外し、俺は現実に戻る。
そこは変わらずフィギュアやアニメグッズが腐る数立ち並び、見る者を圧倒できるだろう。
「……俺……頑張るよ!」
孤独なアニメオタクは決心する。
…もう迷わない。
醜くてもドロ臭くても……たった一人の愛した女のために生きよう。
彼女は俺に「はじめて」を教えてくれた。
真っ黒だった俺の人生に色をくれた。
それはとてもカラフルで素敵な色。
「黒」しかなかった俺に「白」をくれた。
そのおかげで俺は多くの色を知ることが出来た。
だから……俺は彼女の為に生きよう。
いつか、この世界のどこかで素敵な夢を二人で見るために……。
――三月二十八日・午前十時――
俺はある場所に訪れていた。
「こんにちはリルドさん」
「…あら!
お久しぶりですね燈さん。
お元気でしたか?」
「はい。
リルドさんも元気そうで何よりです。
…西浜さんはいますか?」
「書斎で仕事の書類をまとめていますよ。
せっかくですから、顔を出していきませんか?
きっと喜んでくれますよ」
「そのつもりです。
じゃあ少しだけお邪魔します」
「どうぞ遠慮なさらずごゆっくりしていってください」
何も知らないリルドさんの許可を得て、俺は孤児院内の薄暗い廊下を歩いていく。
『…ここだっけかな』
ひと回り大きな扉の目上の位置に「書斎」と書かれていた部屋の前に立つ。
『コンコン…』
『…入りたまえ』
懐かしさを感じる野太い声が響く。
その声に少しだけテンションが上がった。
「失礼します。
……お久しぶりです西浜さん」
書類にサインをしていた西浜さんは、普段は聞けない俺の声に思わず顔を上げると、ぱあっとにこやかな笑顔になった。
「ん…?
……おぉ!
これはこれは燈くんではないか!
いやはや、本当に君と顔を合わせるのは久方ぶりだなぁ!」
「ご無沙汰してます。
西浜さんもお元気そうで何よりです」
「はっはっはっ。
いやぁどうせ来てくれるなら祈世樹くんに連絡を入れてくれれば、つまらん程度だがご馳走を振舞ったのになぁ」
「いえ、それは別にいいんです。
今日お邪魔させていただいたのは、祈世樹に関してのことなんです…」
「…?
なんだ、祈世樹くんと何かあったのかね?」
その何気ない一言に思わず喉が詰まる。
でも……言わなければ。
「その……この度、高校卒業を機に、祈世樹さんと一度………縁を切らせてもらおうかと思って……その報告に参りました」
予想通り……というのは失礼か、西浜さんは驚いた表情で俺を見つめる。
「なっ……何かあったのかね!?
まさか…喧嘩でもしたのか…?」
何故か怯えるように西浜さんは焦りを見せる。
顔に合わず考えが表に出るタイプか。
「いえ、そういうことではないんです。
その……悪い意味ではなく、今のままの関係では互いに甘えっぱなしで双方の為にならないと思うんです。
ですから、今しばらく祈世樹さんと離れ、一社会人としてまともに働けるようになるため、彼女との縁を切ろうかと思ってたんです。
もちろん期限などはありません。
もしあるとすれば……お互いに一人前の社会人になってから顔を合わせる時まで……ですかね」
長々と話す俺の話を西浜さんは手を止め、真剣に聞いていた。
そして不意にタバコを取り出す。
「一本いいかね?」
「…一本だけならどうぞ」
俺の了承を得て西浜さんはタバコに火をつける。
「ふぅー…。
……君の言いたいことは分かった。
だが、祈世樹くんの方は大丈夫なのかね?」
少し表情を強ばらせて西浜さんは言いよる。
それでも俺は臆面なく返事を返す。
「はい。
本人の了承も得てます。
お互い苦しいながらも、その方が良いと判断しました。
それに……あの子は、もう以前のようにか弱くありません」
「ほう。
何故そう言いきれる?」
煙を吐き出して俺の返答を待つ。
だから俺は言ってやった。
「だって、彼女を一番に見ていたのは他でもない……俺ですから!」
それは死亡フラグと言うには丁度よすぎるぐらいの返しだった。
一瞬、やっちまったと思ったが、西浜さんの反応は予想を上回った。
「……あっはっはっはっ!
親代わりの私を目の前に、そこまではっきり言われてしまったら何も言えんなぁ。
いやぁ、やはり君は私が見込んだ男だ!」
「い、いえ…。
ちょっと過剰な言い方をしてしまいました。
少し、見栄を張ってしまいました…」
「いやいや、君の言葉には確かに本物の意志を感じた!
ならば……私たちは君たちの再会を待とうではないか」
「西浜さん…」
はち切れんばかりの笑顔で西浜さんは応える。
その笑顔に、不思議と俺もつられて笑ってしまった。
「その時は……西浜さんのお酒を注がせてくださいね」
西浜さんは立ち上がって俺の方に寄ってくる。
「何を言っておる。
その時は私から祝いの酒を注がなければな。
いつになるかは分からんが、私もその頃にはいいジジイであろうからな!
はっはっはっ!」
「西浜さん…」
豪快に笑い飛ばし西浜さんは俺の背中をバンバンと叩く。
少し痛かったが、そこには西浜さんの暖かさを感じ取れた。
「……もう行きますね。
今まで本当にお世話になりました」
「ん?
もう帰るのかね?」
軽く会釈し俺はドアの前に立つ。
「はい。
今日は挨拶だけしに来たかったので。
これで失礼します」
「うーむ…。
良かったら少し待ちなさい。
祈世樹くんにも最後の挨拶をしていくといい」
「…祈世樹とはもうしましたので。
じゃあ西浜さん……色々と、お世話になりました!」
そして俺は深々と頭を下げる。
今はこれぐらいしかできないけど、きっといつか……形としての恩返しをします。
「そうか…。
ならば行くといい。
だが、君がよければいつでも来なさい。
リルドくんも私も、君が来てくれるならいつでも歓迎するぞ」
「はい。
ありがとうございます」
最後に握手をし、俺はドアを開ける。
「いつか、一人前の男として、御二方と祈世樹に会いに行きます。
どうか、それまでお元気で…」
「もちろんだとも!
さぁ若者よ、大志を抱いて行きたまえッ!!!!」
「…はいッ!!」
西浜さんのガッツポーズに俺は涙ながら笑顔で返し、静かにドアを閉めた。
「……ッ…!」
礼拝堂に戻ると、リルドさんが女神像の前で待っていた。
「…お話は聞きました。
もう、行ってしまわれるのですか?」
「…はい。
リルドさんも、今までありがとうございました」
話を聞いていたのか、女神像の前に立っていたリルドさんの手には小さな小包があった。
「これ、よろしければもらっていってください。
昨日、祈世樹さんと焼いたクッキーです」
「…ありがとうございます」
そっと小包を受け取るとリルドさんは一歩下がった。
「本当に……ありがとうございました 。
リルドさんには、いつも迷惑をかけてばかりで…」
「いえ…。
こちらこそ、燈さんにはいつも祈世樹さんがお世話になってたみたいで……。
あの子ったら、いつも燈さんのお話を聞かせてくれてたんですよ?」
クスクスと小さくリルドさんは笑う。
「そうだったんですね。
俺も祈世樹と出会ってからは毎日が楽しくて……幸せでした」
おもむろに俺は女神像に膝を着いて合掌し祈りを捧げた。
「……何をお願いしたんですか?」
「…もう一度、ここに帰ってくるまで……どうかそれまで、ここに居る人たちを守ってください……とです」
俺の答えにリルドさんは少しだけ目を見開き、すぐに優しい笑顔に表情を柔らかくした。
とはいえど、リルドさんの目は涙で覆われていた。
「非常に素敵なお願いです。
私も毎日お二人のお幸せをお祈りしてますよ」
「…ありがとうございます」
リルドさんと少しだけ見つめ合ってから俺は目線を下げた。
「それじゃ、これで失礼します。
リルドさんも、どうかお元気で…」
「はい。
燈さんも、お身体にはお気を付けて…」
ペコリと頭を下げてリルドさんは出入口のドアを開ける。
その行為に甘えて俺は無言で外へ出る。
隣を通った際に感じたリルドさんのほのかに甘い香りは、祈世樹の香りを連想させた。
『…さよなら……祈世樹…』
また会えると言ったくせに、何故かそう呟いてしまった。
でも、それは決して二度と会えぬものではないことを知っていながら。
外に出ると、燦々と太陽が外を照らしていた。
「……眩しッ…」
強すぎる太陽光は目線を上げることさえ出来ないほど明るく輝いていた。
『いつか、俺もあの太陽のように……本当の意味であの子を照らす太陽になりたいな…』
そう決心し、俺はゲーセンへと歩みを進めた。
人は生まれながらにして孤独だ。
母親の胎内から生まれたとこで、外へ出ればそれは「孤独」も変わらない。
だからこそ人は誰かを求める生き物。
誰かを拒絶するくせに、孤独を紛らわす為に誰かを求める。
そんな矛盾な生き方を繰り返し続けてきた人間は、愚かしくも「不平等」という言葉を作り出した。
それは生きながら誰かを拒絶し、誰かを欲する人間には、あまりにお似合いだと思えるほど。
人のあるべき生き方とは何か。
本当の幸せとは何か。
人間はこれからもずっと、その答えの見つけ方を知らずに生きていくであろう。
空と世界―学生編―
―完―




