36.蝕罪
休み明けの月曜日。
卒業生である俺たちは、平日でもほとんどの授業は自習か先生たちとの雑談時間となっていた。
中学校の時のように卒業式での流れの予行演習はなく、芹澤先生から軽く伝えられた程度しか分からなかった。
がやがやといつもの授業よりもクラス内は騒がしくなるも、俺の目線は祈世樹の方ばかりに向いていた。
祈世樹はどこか暗い影をかもしつつも普段通りを演じていた。
それは見ていて苛立ってくるほど「いつも通り」の素顔。
それは普通すぎて苦しくなってくるほどの「当たり前」な日常。
不安から来るものなのか、俺は自然に自分の手首を見つめていた。
切ったら落ち着くのだろうか、この不安が取り除けるのだろうか……などと考えるも深呼吸をして落ち着かせる。
それでも、やっぱり神様は残酷だ。
どこにでもいるモブキャラを突然ギャルゲーの主人公に仕立てあげたかと思いきや、急激なまでの変化球で窮地に立たせる。
しかも、その崖っぷちは落ちても落ちなくても地獄だ。
痛みを選ぶか諦めを選ぶか決めたはずなのに……再び俺の中で判断が歪みつつあった。
『世界……俺はどうしたら…』
放課後、HRが終わると先生に呼び出しをくらった。
言われるがまま付いていくと、連れてこられたのは生徒指導室だった。
「入れ」
「…はい」
するりと中に入り俺は目先にあったイスに座る。
ドアを閉め、芹澤先生は対面側に座る。
「さて……お前を呼び出した理由だが……分かってるな?」
「……祈世樹が倒れた件…ですよね」
先生は指を組み合わせ、某司令官ばりの重い雰囲気で俺を睨みつけてきた。
「…後から聞いたが、海条は大事にしていた指輪を失くしたショックで倒れたと聞いた。
そしてそれは……碧乃。
お前との大事な指輪だと聞いた」
「…紫か慶太から聞いたんですか?」
「あぁ。
二人も当事者だったからな。
…だが、指輪はお前との大事なものだとなると、お前からも詳しいことを聞かねばならない」
ゴクリと息を飲み、俺は詳細を明かす。
「……一昨年のクリスマスに、お互いへのプレゼントとして祈世樹と二人で買ったんです。
それから二人で一緒にいる時とかに着けようって約束したんです。
まさか仕事してる最中にしてるとは思いませんでしたが…」
「…そうか」
イスの背もたれに寄りかかり先生は足を組む。
「……あまりこのタイミングで言いたくないが、本来学校にアクセサリー類を持ってくるのは校則違反だ。
まぁ無くしてしまったのであれば厳重注意しか出来ないがな」
「…申し訳ないです。
祈世樹に代わって謝罪します」
頭を下げるも先生の返事はなかった。
「別に私は指輪を持ってきていた事で怒りたいわけではない。
ただ…お前たちも卒業生だ。
あと五ヶ月足らずでここを去らねばならぬのだから、あまり面倒事だけは勘弁して欲しいということだ……という事をあの日言ったよな? 」
「はい。
すいませんでした…」
少し深めに頭を下げると、先生はようやくため息をついた。
「まぁ碧乃が唆したわけでは無さそうだから、あまり責めるつもりはない。
一応、卒業式までお前たちはここの生徒である故、もし指輪が見つかったらお前たちには返す。
だが見つからなかった場合は諦めろ」
「はい。
以後、気をつけます」
そう言うと先生は深く深呼吸をし、俺に頭をあげるように催促する。
「卒業式まであと四ヶ月だ。
少し長いかもだが、それまではこれ以上問題だけは起こさずに頼むぞ」
「…はい」
「……よし。
もう帰っていいぞ」
「はい。
……失礼します」
ガチャンと少し軋み気味の音を響かせつつ、俺はゆっくりとドアを閉める。
『…頭痛ぇ………』
ひどく重い頭痛を患いつつ、荷物を取りに教室へ戻る。
「…ようやく来たな」
「おかえりなさい」
てっきり帰ったと思っていた紫と祈世樹の姿がそこにあった。
「遅いぞ。
お前のことを待ってたんだぞ」
「…なんで俺を…?」
「紫ちゃんが話があるって。
…私と燈くんにだけね」
最後の一言で察しはついた。
「用事は済んだのか?」
「あぁ。
荷物取りに行って帰るつもりだったし」
「そうか。
…話は歩きながら説明する」
何もわかってない紫はそそくさと歩き出す。
紫が先を行ってから、ふと俺は祈世樹と目が合わさった。
「……」
「……」
会話などはせず、俺から目線を外しカバンを持って下駄箱に向かう。
『…はぁ………』
俺、紫、祈世樹の並びで歩く帰り道、いつもとは違う重い空気が漂う。
「…その…だな…」
最初に口を開いたのは紫だった。
「話しておきたい…事なんだが…」
「専門学校のことか?」
「…ッ!?
何故その事を…!」
正直、口が滑っただけなんだが俺は隠すことなく…少しだけ真実を濁した。
「実はさ…見ちまったんだよ。
お前のカバンからチラっと出ていた合格通知の紙を…」
「…!
それでか…」
「…怒らねぇのか?」
「まぁ事実だからな。
…だが、女子の荷物を漁るは、お前もデリカシーがないやつだな」
「…ちっ、違うよ!
たまたま合格通知って見えたから、見えてる部分だけ眺めてて気付いたというか…」
「…まぁいい。
実はそのことに関してなんだ」
「…二人とも、合格通知って何のこと…?
紫ちゃんはもう専門学校も決まったはずじゃ…」
「…すまない祈世樹。
実は、こっそり祈世樹たちには内緒で別の学校に受験に行ったんだ。
それで山形の農業大学に受かったんだよ」
紫の予想外の言葉に祈世樹は驚くも、すぐに落ち着きを見せる。
「…そうだったんだ。
でも、なんで内緒にしてたの?」
「確かに、それは俺も気になってた」
もちろん嘘である。
「それは……な…。
………慶太の母方の実家がりんご農園を営んでいてな。
いつか……慶太の代わりでもいいから、継ぎたいと思っていたんだ」
「…ッ!」
「……」
…慶太よ。
これがお前の言う「ちょうど良い距離」ってやつなのか?
「慶太は継ぐ気は無いと言っていたし、あそこの祖父母方には小さい頃から世話になった。
本来、廃棄となる型の小さなものや色味は悪いが中身は綺麗なリンゴもおやつ代わりにもらったりもした。
いつか、どんな形でもいいから恩返しがしたいと思っていたんだ。
…そんな時、山形に条件の良さげな農大があると聞いてな…」
「それで…受けたんだね…」
「あぁ。
慶太には内緒だぞ。
…特に燈。
お前を疑うつもりは無いが、慶太には絶対に口出しするなよ」
「あ、あぁ。
分かってるよ」
時すでに遅しですがね。
「でも、なんで専門学校諦めたの?
お世話になったからって、いくらなんでもそこまでして…」
「それは……その…だな…」
ここに来て紫は言葉を濁す。
まぁ答えは分かってるけど。
「私が……慶太のことを…………好きだから…だと思う…」
分かってたとはいえ、非常に重みのある言葉にも聞こえた。
祈世樹はその答えに動じることなく返す。
「…そっか。
やっぱりそうだったんだね」
「…ッ!?///」
「( ゜д゜)ッ!?」
意外な返答に思わず俺まで驚いてしまった。
「祈世樹っ………知ってたのか…。
私が…慶太のこと……すっ…好きだということを…」
祈世樹は「いつもの」優しい笑顔で答える。
「だって、紫ちゃんは気が抜けてるといつも慶太くんを見つめていたもん。
私と話してる時もそうだもん」
「…ッ!
そう…だったのか…」
それは知らなかった。
つか、祈世樹がそこまでの観察眼を持っていたことに少しだけ驚いた。
『普段どん臭いわりに、そういうとこはちゃんと見てるんだな』
分が悪そうに顔を背ける紫に、祈世樹は笑って励ます。
…どれ、俺からも少しだけ助太刀するか。
「…慶太はさ、たぶん紫の気持ちには気付いていないよ」
「…ッ!
……そう…だよな…。
あんな楽天的な男に、そんなこと気付くはずが…」
「けど、お前の事「好きかもしれない」って言ってたぜ?」
「えっ…」
紫は立ち止まり目を見開いて俺を見ていた。
「慶太が………私のことを…」
「あぁ。
いつもわがままを聞いてくれるから姉貴みたいだって。
そこからか好きなのかもしれないって言ってたよ」
「ッ……」
紫は黙り込んでうつむいた。
「まさか…………きっと、それは母性的なものを感じただけで、きっと恋愛感情とは違うさ!
ははっ、きっとそうだなッ!」
無理くり誤魔化すものの、言えば言うほど紫は墓穴を掘る一方だった。
「…すまん、私は用事があったんだ!
話は終わりだ!」
そう言って紫はあっという間に遠くまで走っていったと思うと、ある程度離れてからこちらに振り返った。
「燈ー!
ちゃんと祈世樹を家まで送っていけよ!」
それはきっと照れ隠しに違いない。
本当は真実を言われて嬉しいんだよな……紫?
「任しとけ!
紫も気を付けて帰れよ!」
「あぁ!
では二人とも、残り少ないが、また明日!」
「ばいばい、紫ちゃん!」
そして紫は去っていった。
「…帰るか」
「…うん」
夕暮れが進む中、闇がだんだんと空を覆い夜を迎えようとしていた。
ちらほらと街灯が灯り始め、俺と祈世樹は少しだけ距離を開けて歩いていた。
「……」
「……」
一切の会話などない。
祈世樹といられる時間はあとわずかしかない事を知っているのに、何を話せばいいのか分からなかった。
「…ねぇ空」
「…何?」
唐突に祈世樹が口を開く。
「…空はさ、私といて楽しかった?」
「なっ…ばっ……当たり前だろ!
俺はお前がいたから、今の俺がいるんだ。
でないと……紫とも仲良くもなれなかったし、こんなに女の子に対して積極的になれなかったよ…」
「…そっか」
祈世樹の質問の意図が分からない。
一体どうしたと言うのか…。
「…怖いか?」
「…?」
「……ここからいなくなるのが」
「……」
祈世樹は何も答えなかった。
それはあまりに単純で考える必要も無い答えなのに、愚かにも俺は聞いてしまった。
「……正直、すごく怖いよ。
今だってこうして普通にしてるけど、心のどこかで怖がってる自分がいるのが分かる。
けれど、やらなきゃいけないことに変わりはないから……」
「…世界…」
気が付くと、俺は道端で祈世樹をぎゅっと抱きしめていた。
祈世樹もまた、合わせるように俺の背中に手を伸ばし……泣いていた。
「……でもね、私は空のおかげで変われたの」
「…あぁ」
「…空がいたから、私も積極的になれた。
空がいたから、リスカもやめられた。
空がいたから……恋を知れた…」
鼻をすすりながら涙声で彼女は語る。
「だから……もう、怖くない…」
すっと俺から離れ、祈世樹はハンカチで涙を拭う。
「空は世界をいつでも見ていてくれている。
世界も空のことをずっと想っている。
それさえあれば……もう何も怖くない」
自身に満ち溢れた眼差しでしっかりと俺を見つめていた。
「だから……空も………後悔のない道を選んで。
…それだけが、私からのお願いだよ…」
「世界…」
紫のときとはまた違う笑顔で祈世樹は微笑む。
「…今日はもう帰るね。
ここからなら空もお家近いでしょ?」
「…あぁ。
もうこんな所まで歩いてたんだ…」
そこはいつも遊びに来てたゲーセンの近くだった。
「じゃあね空。
…あっ、日曜日お家行ってもいい?」
「かまわんが……なんでだ?」
俺の胸に頭をくっつけながら祈世樹は呟いた。
「…最後は…………空の隣で終わりたいから…」
「…ッ!?」
そう言い残し、祈世樹は俺から顔を背けながら走り去っていった。
「……世界ッ…」
すごく胸が苦しかった。
けど、答えは出さねば。




