ep.1『最長の片道とは』
この日、家に弁当を忘れた事に気づいたのは、昼のチャイムが鳴った後だった。
高校生になって約一ヶ月。
学校生活に慣れてきた頃に、弁当を忘れるという事件を起こした。
ことの発端は、睡眠にある。深い意味はないが、昨夜、少し色々していたため、就寝時間がどんどん遅くなっていった。そのため今朝は、寝ぼけた状態で身支度をしていた、ここまでが理由という名の言い訳だ。
仕方なく、購買に行ってみるも、全ての商品が売り切れ。「そんなこともあるのか」と思いつつ、購買を去る。
廊下を歩いていると、簡単に作られた長方形の姿見が、壁に貼ってあった。
近づくと、ギリギリ肩につかない真っ黒の髪に、鋭い目つき、高一(女子)の平均的な身長で、華奢とは逆の体型をした人物が映る。それは紛れもなく、『黒崎つばめ』本人だった。
情けなどなさそうな顔をしているが、そんなことはない。一分ほど止まった後、また一歩一歩と足を動かす。
一分ほど歩き続け、見えてきたのは『一のA』と書かれた表札、つばめの教室。
帰ってくると、窓際の最後列の席に、なにやら真剣に悩んでいる顔をした娘が居た。
開いたノートの上に頬杖を付いて、目線は天井に向いている。白髪で、襟足がきゅっとくびれたショートヘア。ボーイッシュな雰囲気を醸し出していた。
名前は『汐留那波』中学で知り合った友達だ。
「どうしたんだ?」
つばめは那波の下に行き、声を掛ける。
天井に向いていた目線が、つばめの方に移動する。
「どうしたんだい? ご飯を買いに行ったんじゃないのかい?」
「え、なんで知ってんの……」
誰にも『ご飯買ってくる』と言わずに教室を出たのに、何故か那波は知っていた。
「それでさ〜聞いてよつばめ」
人の話は聞かずに話を進める那波に、思わず「え、無視?」と声を漏らす。
「私さ〜趣味で小説書いてみよっかなって思って」
「へぇ〜いいんじゃない?」
「でもさぁ、どういうジャンルで書こうかな〜って悩んでてさ」
「うん」
「だから一緒にアイディア、探しに行こ!」
那波が両手で机を強く叩きつけ、立ち上がる。それには流石に少し驚いた。
「どこに……?」
アイディアとは、どこに行けば転がっているのだろうか。
「ん〜じゃあ、まずは外に行こうか」
「え、外……?」
「うん。外」
「な、なんで……?」
めんどくさがりのつばめは、不要不急の外出は避けたいタイプ。校庭に出るのも相違ない。
「なんとなく。ほら行くよ!」
那波がつばめの手を掴み、教室から連れ出す。
つばめと那波は昼休みが終わるまで、校庭を探索したり、校舎内をうろちょろとアイディアを探し回った。
しかし、那波はピンと来るアイディアが浮かばなかったようだ。
それから、午後の授業を終え、下校の時刻がやってきた。
他の生徒が次々と下校していく中、二人はまだ教室に残っていた。
「そもそも、那波はどういうのが書きたいんだ?」
机に座っている那波に問う。
こんなジャンルが書きたいとかあってもいいはず。
「そだね〜……なんか、他に誰も書かなさそうな、実話を元にしたようなこと……?」
首を傾げながら考えた結果、これまた難しい。
「実話……か。例えば、ホラーとか、恋愛とか、旅とかか?」
今ぱっと浮かんだ単語を並べる。実際、ホラー作品などの小説はかなりの数がこの世には存在するだろう。
ただ適当に例を上げると、那波の座る席の一個前から、元気な声を上げる者がいる。この教室に残っているのは二人だけではなかった。
「いいですね! それ!」
そう言って立ち上がり、こちらに移動してきた。
茶色の髪に、おさげな三つ編み。彗星のような形のヘアピンを付けている。
身長はつばめより僅かに高い、元気ハツラツな娘。
「……だれ?」
二人して同じことを声にした。
「だれって……三条ですよ! 三条銀河! もう一ヶ月以上も一緒にいるんですから覚えててくださいよ」
「ソウイワレテモシラナイヨー」
感情を込めずに、那波は返事をする。
「あー、君が『三条銀河』か」
それに比べ、つばめは、まるで知っていたかのように言う。
「君がって……?」
「福池高校で一番カッコイイ名前で有名だぞ。名前は」
校内を歩いていると『カッコイイ福池つばさ高校生徒名ランキング』というものを目にする。
プライバシーという言葉を、この高校は知らないかのように書かれたものが、掲示板などに貼られている。
そのランキングに、銀河はなんと一位だった。
「えぇ!? そんなのあるんですか!?」
どうやら、一位の本人は初耳のようだ。
「あ、それ私も知ってる。三位まで書いてあって、二位が『津和野水都』って人で、そして三位がこの私『汐留那波』なのです!」
二位は覚えているのに、一位の銀河のことは覚えてなかったようだ。
「おぉ、自慢げだな。一位の前で」
トップよりも、三位が自慢げなのが滑稽に思えてくる。しかもそのトップを前にして。
「いや、僕知らなかったんですけど……。まあいいです、僕の名前は覚えてさえくれれば別にいいんです。というか、『名前は』ってなんですか『名前は』って。」
銀河のツッコミは、なんというか普通よりは良い、そうつばめは思った。
「はいはい、それで? いいってなにが?」
銀河が最初に言った「いい」とはなんなのだろうか。
「そうです、それですよそれ。僕が言いたいのはそれですよ」
待ってましたと言わんばかりに、声量を上げてくる。
「単刀直入に言います、旅をしましょう!」
「……旅?」
最初に反応したのは那波だった。首を傾げて謎めいている。
「あぁ、さっきあたしが上げた例な。実話を元にした小説とか本って、こういうのだよなぁって思って。
てか、もしかして聞いてなかった?」
先ほどつばめが上げた例を、那波はしっかり聞いていたのか不安になる。
「旅って、どういうの? キャンプとか?」
つばめの言い分は無視して、那波は銀河に話しかけた。
「ノンノンノン……違います、全然違いますよ。僕が言っているのは『最長片道切符の旅』のことですよ……!」
聞き慣れない単語に、つばめと那波は言葉を詰まらせる。一体、この女子高生はなにを言っているのだろうか。
「よし、帰るか」
「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ!?」
教室を出ようとするつばめのバッグを、銀河が必死に引っ張って阻止する。
「だって、なに言ってんのかわかんねぇんだもん! それに、あたしは別にそんな長旅したくないし!」
名前に『最長』が付いているわけだから、ものすごく長い旅に決まってる。そんなもの、とてもできたものじゃない。
「なに言ってるんですか、そんな簡単にできるわけ無いじゃないですか」
「だから嫌なんだけど!?」
「簡単にできない」の意味を、つばめと銀河で解釈が違っていた。どちらにせよ、つばめは嫌がったが。
「まあまあ、せめて説明だけでも聞いて下さいよ」
「そうだよ、説明だけでも聞こうよ〜」
那波も一緒になって、帰ろうとするつばめを説得する。
「……ったく、わかったよ。説明だけだぞ」
『仕方なく聞いてやる』という感じで、説明を聞く。実は、全く気にならないわけじゃなかった。
つばめは再度、席に戻った。
そしてすぐに、つばめと那波の席の方を向いて、立ったまま銀河が『旅』について説明を開始する。
「……ごほん。改めまして、『最長片道切符の旅』について、今日は軽く説明します。本当はA〜Zまで喋りたいのですが、時間と僕もあまり知識がないので今日は軽く」
後半は早口で、つばめと那波は上手く聞き取れなかったが、聞き返さずに黙って説明を聞くことにした。
「『最長片道切符の旅』とは、それはつまり……」
「つまり……?」
「鉄道の旅です」
「うん、だろうね」
流石に『切符』と言われれば大体の人が『鉄道』のことだろうと思うはず。つばめと那波もそのうちに一人。いや、二人……?
「そして、スタートは北海道の稚内駅。ゴールは長崎県の新大村駅です」
「なんだ、ただの日本縦断じゃんか。どうやって縦断するかくらいあたしでもわかるぞ?」
中二の頃、ふと気になり調べたことがある。普通に『日本縦断 やり方』と検索しても、自転車や車などが目立ち、鉄道は見当たらない。なので『新幹線 最北の駅から最南の駅』と入力して知った。
「稚内駅から特急で新函館北斗駅に行って、そこから大部分を新幹線で縦断するんだろ?」
自信満々にして言おうとしていたことを、すべて那波に盗られてしまった。
「残念、一割もあってません。」
「いや、そんなことないだろ」
「ん〜、今ここでルートを説明したいのですが、生憎、僕も丸暗記しているわけではないので。また今度ご説明します」
時間的にも、これ以上学校にいるわけにもいかない。本日はここまでだ。
「わかったわ、首を長くして待ってるから! 東北新幹線くらい!」
「おお! いいですね! それじゃあ僕はのぞみくらい速く暗記しています!」
「そんじゃ、あたし先帰るわ」
『東北新幹線なら、はやぶさだろ』というツッコミは置いといて、那波と銀河の言っていることは無視をして、この日は帰ることにする。