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ついてない一日

今日の一枚引きカードは「吊るされた男」の逆位置だった。


意味としては軽率、損失、無駄になった努力、思い通りに事が運ばない、捻挫に注意。


確かに今日の予定は狂ってばかりだった。

仕事に行こうとしたらドレスの裾がほつれてしまっていて、急遽着替えたり。

辻馬車を止めようとして財布を忘れたことに気づいたり。

そして、今は仕事場に向かう途中で、街中でシャルロッテと元婚約者のジルに偶然出会ってしまった。


実は先方からやって来る二人が見えたので、気づかないフリをしてそっと別の道を行こうとしたのだが、目ざとくリディを見つけたシャルロッテが声を掛けてきてのだ。


「あら、お義姉様! 奇遇ですわね」

「……リディ、久しぶりだな」


シャルロッテとジルは仲睦まじそうに腕を絡めてリディの元へとやって来た。

あまり会いたくない組み合わせだ。

思わずリディは心の中でため息をついた。


「お義姉様、そのような地味なドレスだったので気づきませんでした。お声を掛けてくだされば良かったのに」

「ごめんなさい。私も気づかなくて。えっと……ちょっと急いでいて」


もちろん前半は嘘である。だが後半は本当だ。

今は早く店に行かないと、予約の時間に間に合わない。


だが、シャルロッテはそれに気づかないのか、はたまた気づかないフリをしているのかは分からないが、リディの言葉に大げさに驚いた。

そして眉をハの字にして、痛ましいものを見るような顔をした。


「ご、ごめんなさい。ジル様といるところをお見せして、気分がお悪かったかしら」

「そんなことはないけど……」

「あっ!! い、いつもみたいに怒らないでください、お義姉様。ごめんなさい」


シャルロッテはワザとらしく声を震わせ泣くような素振りを見せた。

突然の反応にリディが返答に詰まると、追い打ちをかけるようにジルが怒気を含んだ声でリディを見下して言った。


「リディ……君は、またシャルロッテにそのような無体なことをしているのか? まったく呆れた女だな。……シャルロッテ、可哀想に。早く結婚して僕の家に来るといいのに」


「そんな……リディお義姉様を差し置いて、私だけ幸せになることなんてできないですわ」


「あぁ、シャルロッテ。君はリディに虐められているのにこんな女の事を気遣うなんて、なんて優しい女性なんだ」


そう言ってジルは慰めるようにシャルロッテの髪を撫でた。


(はぁ……茶番だわ)


リディは冷めた目で二人を見た。

ふとシャルロッテがリディのドレスをまじまじと見るので、リディは不思議に思って尋ねた。


「どうしたの?」

「やっぱり着てくださらないのね。この間のドレス、やはり私からの贈り物は受け取ってくださらないのね」

「ドレス? 贈り物?」


シャルロッテが何を言っているのか分からず、リディは記憶を辿るが、そのような記憶はない。

戸惑いながらリディはその事を確認した。


「貰った記憶がないのだけど」


「酷いです……私がプレゼントしたドレスを気に入らなかっただけではなく……贈ったことも忘れたフリをなさるなんて……。そんなに私の事がお嫌いなのね。うぅっ……うっ……」

「いや……え?」


驚き声を詰まらせているとジルがその確認をするようにシャルロッテに尋ねた。


「どういうことだい?」

「実は、お姉さまに水色のドレスを贈ったんです。でも……そんなこと記憶にないって。あんまりです」


「リディ、お前という奴は、本当に性根の腐った女だな。はぁ、見ているだけでも虫唾が走る。……行こうシャルロッテ。劇が始まってしまう」

「はい……」


涙を浮かべて悲壮な顔をしたシャルロッテをジルはその肩を抱き、リディに侮蔑の表情を向けた後に去って行った。

どうせ本当のことを言っても信じてもらえないし、もうどうでもいい。


(あんなのに騙されるなんて、ほんっとに馬鹿じゃないの?)


思わず鼻で笑ってしまう。

だが記憶を取り戻す前にはその虐めに耐えていたのだから、自分も相当な馬鹿だ。

今ならばシャルロッテを張り飛ばすくらいはしているかもしれない。

だが、もう家を出るつもりであるし、同レベルになったらアホが移るというものだ。


「あ、それより予約!! 急がなきゃ!」


そう、自分には仕事があるのだ。

あんなアホ相手にしている場合ではない。

リディは気を取り直すと急いで仕事へと走った。


(えっと確か今日は予約が三件か……。ルシアン様との待ち合わせに間に合うといいんだけど)


脳内で予約表を思い浮かべる。

実は今日、仕事終わりにルシアンとデート(仮)というものをすることになっている。

デート(仮)というのは正確にはデートではないからだ。


ルシアンと偽装婚約をすることになったものの、突然「婚約する!」というのは唐突すぎるし、お互いそれらしい雰囲気を出す訓練が必要ということになった。


よって、本日はデートというより訓練の意味合いが強いため、デート(仮)ということになった。

だが、今日の一枚引きカードで「吊るされた男」の逆位置が出たように、リディの予定はやはり狂うことになった。



※※※



(うわ! ぎりぎりかも!)


リディはまたも夕方の街を小走りに歩いていた。


本日最後の客が、切々と悩みを打ち明けるのでそれを慰めたり、アドバイスをしていたため、終了時間を大幅に超えてしまった。


そのため、リディはルシアンとの待ち合わせ時間に間に合うかどうかの瀬戸際となり、店の閉店準備もままならないままとりあえず待ち合わせ場所へと向かうことにしたのだ。


(あ……ウィッグ!)


リディは視界の隅に、黒髪が見えたことで、自分がウィッグに眼鏡という仕事スタイルのまま出てきてしまったことに気づいた。


だが、ここでウィッグを外すわけにもいかず、そのままの恰好で行くことにした。

それにいきなり普段の恰好で行っても、黒髪+眼鏡スタイルしか知らないルシアンも驚くだろう。


(ま、いいか。この格好の方が落ち着くし。そのうち話しましょ)


リディの地毛はプラチナブロンドだ。

シャルロッテのような華やかなピンクブロンドとは対照的にモブに相応しく、くすんで地味な色だと思う。

瞳もシャルロッテは鮮やかなピンクに近い赤なのに、リディはボルドーワインのように暗い色をしている。


そのため社交界でも一部の人間には「可愛い妹の劣化版」と揶揄されていた。

それもあってリディは自分の容姿があまり好きではない。

前世で黒髪であったのも影響してか、黒髪+眼鏡の方が落ち着くのだ。


「いた!」

「やあ」


待ち合わせのカフェの前に、ルシアンが立っていた。

ルシアンの出立はいつもより少しオシャレで、袖ぐりに刺繍がされた丈の長いスーツに真っ白なスラックスを身に着けていた。

少し青みがかった軽めのロングマフラーはルシアンの絹のように柔らかく白に近い水色の髪に合う。


つまり立っているだけで美しいのだ。


「うーん、さすが攻略対象……」

「ん? 何か言ったか?」

「あ、いいえ。それよりお待たせしてすみません。仕事が長引いてしまって」

「いや、気にしなくていい。予約時間までまだあるしな」

「予約?」

「あぁ、レストランを予約している。まぁデートの定番だろ?」

「そうですね。ありがとうございます」

「じゃあ行こうか」


ルシアンの口調がいつもより少し丁寧で、かつ落ち着いた雰囲気なのでリディは一瞬面食らってしまった。


「なんかルシアン様、雰囲気違いませんか?」

「……あぁ、まぁ、公共の場で流石に安里の言動は問題があるだろう?」

「ま、そうですね」


最初は攻略対象ルシアンとして出会い、その後に#小鳥遊安里__たかなしあんり__#として話した時には、そのギャップに驚いたものだが、最近は安里のルシアンと接していたので、逆に今が慣れない。


リディが今までの気弱性格を演じているように、ルシアンもルシアンを演じているのだろう。


「慣れてくれ」

「はい、分かりました」


そうして二人連れ立って歩き出した。

ここで腕を組んだりした方が恋人のような雰囲気を出せるだろうが、いきなりそれはハードルが高い。

ルシアンも同じことを考えているようで、少し仲の良い友達くらいの距離感で並んで歩く形になった。


「そういえば、君とこうして歩くのは初めてだな」

「そうですね。いつもはお店で紅茶を飲むだけでしたし」

「なかなか新鮮だ。君はお酒は飲めるのかい?」

「ほとんど飲んだことがないので……飲めるとは思いますが強いかは分かりません」

「なるほど。今日のレストランはワインがなかなか美味しいんだ。軽めのを飲んでみるといいかもしれないな」


そんなことを話しながら歩いていると、突然前方の年配の女性に男がぶつかった。

同時に女性がよろけ、叫んだ。


「ひ、ひったくりよ!! 誰か捕まえて!!」


リディの横をひったくり犯が通り過ぎていく。

それをリディは反射的に追いかけた。


「あ、待ちなさい! ……ノーム、お願い!」


リディがそう言うと、大地が一瞬光り、地面がぼこりと膨らんだ。

それに蹴つまずいた犯人は大きな音を立てて転んだ。


「ありがとう、ノーム!」


大地の妖精であるノームが犯人を転ばせてくれたのだ。

派手に転んだひったくり犯の側まで行くと、犯人は混乱しているようだ。


「あ?! なんだ? 何が起こったんだ?」

「その鞄を返しなさい!」


そう言ってリディは犯人からバッグを取り戻そうとした。だが犯人は暴れて抵抗する。


「くそ!離しやがれ!」

「ん!!」


少しの揉み合いになったが、相手は男である。

リディは男に振り切られ、思い切り飛ばされて地面へと倒れ込んだ。

その時、遠くから警官の笛の音がし、どたどたと足音が聞こえた。


「ちっ!サツかよ!!」

「あ!待ちなさい!」


リディがと止める間もなく犯人は去って行ったが、鞄は無事に取り返すことができた。

鞄が自分の手にあることを確認してほっとしていると、慌てた様子のルシアンが駆け寄ってきた。


「リディ、大丈夫か?」

「ああ、ルシアン様が警察を呼んでくださったのですね」

「怪我はないか? まったく無茶をする」

「反射的に体が動いてしまって」


ルシアンに謝罪していると少し時間を置いて、年配女性が走ってやってきた。


白髪交じりの頭は先ほど倒れたせいでぼさぼさだが、それも気にせず半泣きになっている。

そしてリディが鞄を持っていることに気づくと、胸を撫でおろしたようだ。


「ありがとうございます!この中には孫に渡すためのプレゼントがありまして……盗まれたらどうしようかと思ったのですよ」

「そうでしたか。無事に取り戻せてよかったです。はい、どうぞバッグです」


老婦人はそれを受け取ると、何度もリディに礼を言って去って行った。


そして一件落着となって、はたと気づけば自分が泥だらけになっていることに気づいた。


ちょうど昨日雨が降ったため、道にはいくつかの水溜まりができていたが、運悪くその水溜りへと倒れ込んでしまったようだ。


(あー、一枚引きカードの運勢通り、思い通りに行かなかったわ)


ほぼずぶ濡れでドレスもドロドロな状態ではレストランに行くことは不可能だ。

せっかくのデート(仮)だがここまでだろう。


「ルシアン様、ごめんなさい。こんな格好ではデート(仮)できませんよね。今日は帰ります」

「その格好で帰るのか?」

「まぁ、仕方ないですし。では失礼しますね。っ痛!」


歩き出そうと足を踏み出した瞬間、リディの足首にズキリと痛みが走り、その場で蹲った。

その様子を見たルシアンもリディの傍にしゃがみ、心配そうな表情で言った。


「捻挫してるじゃないのか? それにその格好で帰せない。まず着替えと手当が必要だな。ウチに来ると良い」

「ウチって……侯爵邸ですか?」

「あぁ、妹がいるからドレスを貸してもらえるだろう。ラングレン邸よりも近い」

「でも、ご迷惑では……」

「契約でも婚約者になる女性だ。気にすることはないさ」


このままドロドロの姿で街を歩き、乗合馬車に乗ってで帰るのもなかなか恥ずかしいものがあるし、実は支えがなければ歩けないくらい足首がずきずきと痛む。


「では、申し訳ないのですがお言葉に甘えさせてください」

「分かった」


そうしてリディは思いもかけずにバークレー侯爵家へと行くことになったのだった。


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