罠
リディは何が何だか分からないまま、両手を縄で縛られて、玉座の前に引き摺り出された。
背後から衛兵にどんと押され、倒れ込む形だ。
玉座の間には既に多くの貴族が集まり、冷えた目でリディを見下ろしている。
緊張からごくりと唾を飲むが、その音がやけに耳についた。
(怖い……何が起こってるの)
体を強張らせているリディであったが、突然後ろにいた家臣たちが傅く。
王が玉座の間に入ってきたのだ。
リディも慌ててそのまま膝を折って座り直した。
「顔を上げよ」
凛とした王の声が玉座の間に響くと、ざっと言う音と共に家臣たちが顔を上げる。
リディもそれに倣って顔を上げると、壇上の玉座に座る壮年の男性が、静かにリディを見下ろしていた。
玉座の上から見下ろすその表情は険しく、リディの体が緊張で固くなる。
「そなた、どれだけの重い罪を犯したか、自覚はあるか」
王にそう厳しい声で問われたが、リディには心当たりがない。
混乱のまま連れてこられたし、衛兵たちにも「黙って歩け」と乱暴に引っ張られ、尋ねる機会もなかったのだ。
「恐れながら、何故私が捕らえられ、ここにいるのか理解できておりません」
「白々しい。この後に及んで白を切る気か。そなたが我が国の宝剣を盗んだのであろう?」
「宝剣を盗んだ……? そんな、身に覚えがありません」
「お前の部屋から宝剣が見つかっている」
「嘘……」
(なんで? どうして?)
リディは混乱した。だが、少し考えるとすぐに答えは出た。
何者かがリディの部屋に宝剣を隠したのだ。
「私ではありません。誰かが私の部屋に隠したんです」
その時、慌てた様子で玉座の間にやってきたのはルシアンだった。
リディの姿を見たルシアンが驚愕の表情を浮かべた。
「リディ?! ……どういう事だ? 陛下……何かの間違いです。リディがそんなことをするはずはありません」
「婚約者を庇う気持ちも分かるが、この者の犯行だとシャルロッテが証言している」
「証言……ですか?」
「シャルロッテは脅されて宝剣のありかを教えたという。そして、この者が城内を人目を忍ぶようにこそこそと歩いていたのを目撃している者がいるのだ。挙動不審だったとのことだ」
それはおそらく、シャルロッテにお湯を頼まれた時のことだ。
場所が分からずに城内を彷徨っていたため、そう見えたのだろう。
「私、とても怖かったのです……宝剣のありかを教えろと脅されて。そうじゃなければ殺すとまで言われました」
恐怖で体を震わせ、泣きながらシャルロッテはそう言った。
それに対しルイスは慰めるようにそっとシャルロッテの肩を抱く。
シャルロッテはその胸に顔を寄せてさめざめと泣いた。
ルイスは憎々しげにリディを見ると怒鳴り声を上げながら弾糾する。
「そういうことだ。貴様がシャルロッテを虐めていたのは分かっていたが、ここまで非道な行いをするなど許せん! 万死に値する。父上、沙汰を」
「お待ちください! リディはそのようなことはしません。何かの間違いです。それにこんな一方的な証言だけで判断されるのですか? せめてもう少し証言の精査をお願いします」
ルシアンが必死にそう願い出るも、国王は静かに首を振った。
「宝剣は妖精王の加護を受けているもの。無闇に触れれば妖精王の怒りを買い、加護を失うのだ。その前に早急にこの者を生贄にして捧げる必要がある」
「陛下!」
「ルシアン。そなたの能力は買っているし、そなたを失うのは国の損失である。だが、婚約者の不始末、そなたにも咎があるのを自覚せよ。その者を贄として差し出せば、この失態を不問にする」
「断れば……?」
「冷静なおぬしらしくない。この者を庇えばバークレー家にも相応の処罰を与える。賢いお前ならどうすべきか分かるな」
国王の言葉にルシアンは唇を噛んだ。
握った手が悔しさを表すように震えていた。
「以上だ」
国王が立ち上がると、再び広間にいる家臣たちが一斉に傅いた。
それに続くようにルイスとシャルロッテも部屋から退場した。
リディは国王の後ろ姿を呆然と見送った。
(贄……ということは死ぬということ? 嘘……そんな……)
膝をついて座っていたが、もうその力さえなく、リディはその場に力なく座り込んだ。
「リディ!」
「ルシアン様……」
駆け寄ってきたルシアンを見て、思わず縋るようにその名を呼んだ。
「私はこんな事してません」
「分かっている。あの女……シャルロッテの仕業だな」
「多分。昨日の夜、シャルロッテが部屋に来たんです。たぶん、その時に……」
「リディ、必ず助ける!」
ルシアンを信じたい気持ちはあるが、国王の判断を覆すことは容易ではない。
下手をすればルシアンもバークレー家に累が及んでしまう。
それだけは避けたかった。
(ルシアン様を巻き込んではダメだわ)
リディは少しだけ俯いて、息を整えるように深く空気を吸った。
そして、顔を上げてルシアンを見た。
なるべく明るく、心配をかけないように。
「ルシアン様、もう既に私とルシアン様は婚約者でもなんでもない他人です。だから無茶な行動はしないでください。皆を巻き込みたくないですから」
「リディ……そんな、君を見捨てろと?」
「そんな顔なさらないでください。私は大丈夫ですから!」
「大丈夫って……そんなわけないだろう?!」
ルシアンが悲壮な顔をする。
「私には占いと妖精様が付いてます。きっとなんとかなりますよ!」
そう言ってリディはニッコリと笑った。
だがそんなのは嘘だ。
タロットカードは手元にはないし、妖精の力を借りても死罪を回避することはできない。
だけど優しいルシアンの事だ。
リディが助けてと縋ったら、多分無茶をしてでもリディを助けようとするかもしれない。
でもそれでは先ほど国王がルシアンに釘を刺したように、彼の立場が無くなる上、処罰されてしまうのだ。
その時、衛兵がツカツカとリディたちの元にやって来ると、リディを無理やり立ち上がらせた。
手首を縛っていた縄がぎりりと食い込み、リディは少しだけ顔を顰めてしまった。
「ほら、行くぞ! さっさと歩け!」
「待て、まだリディと話が!」
「ルシアン様、お下がりください」
「しかし!」
「これ以上、罪人と話せば逃亡計画ありとみなし、ルシアン様も同罪となります。お引き取りを」
ルシアンがリディを追おうとするのを衛兵が行く手を阻む。
リディは振り返り、もう一度だけルシアンの顔を見た。
もう二度と見れない。数ヶ月間の仮初の婚約者。
その顔を焼き付けるようにして見たあと、リディは笑って言った。
「ルシアン様に妖精様の加護があるように、祈ってます。想い人とお幸せになってください。絶対に現れるはずですから! 私の占い、信じてくださいね」
リディはそう言った後、前を向いて歩き出した。
リディの名を呼ぶ声がしたがもう振り向かなかった。
※
牢は薄暗く、ジメジメとしていた。
わずかばかりの天窓があったが、もちろん鉄格子がはまっている。
ただそこから差し込む光の角度と色から、大体の時間が察せられた。
(贄ってことはぐさっと刺されるとか……ギロチンとか……? 人身御供みたいに生き埋めとかかしら……? 溺死という線も?)
そんなことをつらつらと思った。
まだ現実が受け入れられていないのかもしれない。
刑はすぐにでも執行されるらしい。
どうやら国の果てにある「黒い森」の中にある神殿というところに連れて行かれ、贄として捧げられるらしく、今日の夜にも出発するとのことだった。
先ほど、食事が運ばれてきたがカビたパンに水だけで、正直口にしようとも思えない。
(最後の晩餐になるわけだから少しは良いものくれてもいいじゃない!)
リディは心の中で毒づいた。
朝に捕縛されてから食事を摂っていない。空腹で限界だった。
空腹で頭も働かないし、特段することもない。
どう時間を使うかと思ったところで、誰かがやって来たようだ。
カツカツと靴音がする。
「ご機嫌いかが?」
「シャルロッテ……」
やって来たのはシャルロッテだった。
「ふふふ、やっぱりお義姉様にはこういう部屋がお似合いだわ。暗くてじめじめしていてカビ臭い。ドブネズミはやはりこういう部屋がしっくりきますわよ」
「私を嵌めたのね」
「嵌める? さぁ、なんのことかしら?」
とぼけるシャルロッテの態度に、リディはぎりりと歯を鳴らした。
睨みつけるようにシャルロッテを見ていたリディに、シャルロッテは突然不愉快そうに眉を顰めた。
「大人しく昔みたいにおどおどしながら大人しくしてればいいのに。でもそうやって汚いワンピースにぼさぼさの醜い姿を見ると、まぁ、許せないこともないわね」
「……なんで。どうして私にこんな事までするの?」
「醜い女のくせに、私より幸せになろうとしたことよ。お義姉様は私の引き立て役なのよ。なのにお義姉様がルシアン様と婚約? 冗談じゃないわ。お義姉様は汚い部屋で這いつくばって息を潜めて地味に生きるべき人間なのよ! 私より幸せになるなんて冗談じゃない!」
シャルロッテは不愉快さと怒りを声に滲ませながら、一気に捲し立てた。
そして、再びリディを見て薄く笑った。
「幸せになろうとした罰よ。いい気味だわ……さてと、では私はそろそろ行くわ。こんな汚い場所に長くいたらお腹の子に障りがあるもの。今度こそもう二度と会うことはないでしょう。では」
シャルロッテはそう言うと、鼻歌を口ずさみながら軽い足取りで牢から出て行った。
リディが反論したり言い返したりする間もなかった。
(は……はぁ?! なんなの? 信じられない!!)
シャルロッテが自分至上主義なのは知っていた。だがまさかそんな理由で殺されるとは思ってもみなかった。
というかそんな理由で死ぬのかと思うと腹が立って仕方がなかった。
だが、何もできない。為す術もない。
脱走するべきかとも思ったが、ルシアンに迷惑がかかる可能性もある。
(絶対祟ってやる!)
悔しいがリディができるのはそのくらいしかなかった。
そうこうしているうちに夜になった。
リディは黒い森へと向かうために、鉄格子がはめられた頑丈な馬車へと放り込まれ、こうして王都を離れたのだった。