最後の夜会
古典派音楽のような壮大で華やかな曲が宮廷楽団によって奏でられている。
少しだけ茶を帯びた大理石の上を、招待客が代わる代わる踊っているのを横目で見ながら、リディは会場の一角にある飲食スペースで、舌鼓を打っていた。
(さすがは王宮料理人の料理だわ。めっちゃ美味しい!!)
皿の上の合鴨のスモークを食べ終えたリディは、次は何を食べようかとテーブルを眺めた。
その横でルシアンが笑いを堪えるようにしてリディを見ている。
「美味しいか?」
「はい! ルシアン様と色んな方の夜会に参加させていただきましたが、正直、夜会で食べた中では一番美味しいです」
「王太子の誕生日パーティーだからな。普段より手をかけた品が出ているような気がする」
(ふふふ……こんなに凄い食事なんてもう食べれないし、今のうちに食べておこう!)
リディはそう思うと、今度はホタテと人参のカクテルサラダのグラスを皿に乗せた。
白ワインビネガーのさっぱりとした味がホタテの少しねっとりした甘さと相まって、ほっぺたが落ちるという表現がぴったりな美味しさだ。
もう明日からはこのような上等な食事は口にできないので、心置きなく堪能しようと決めた。
明日、リディとルシアンは正式に婚約解消となる。
まだルシアンの家族には話していないので、この話を伝えた後に婚約解消という段取りだ。
もっと早くにと思ったが、ルシアンが夜会の後でとの要望があったので、リディはそれに合意したのだ。
(婚約解消するのに、言えないなんてエリスちゃん達を騙してるようで悪かったなぁ……)
事実、リディとルシアンが婚約解消するとは露ほども思っていないエリスは、今日もパーティーに出席するためのリディの準備を手伝ってくれ「お姉様、最高に素敵ですわ! 楽しんできてくださいね!」と満面の笑みで送り出してくれたのだ。
そんな顔を見て申し訳ない思いでいっぱいだったが、それも明日までだ。
寂しくないかと言われれば寂しくはあるが、明日からは気持ちを切り替えよう。
だから今日は最後までルシアンの婚約者として恥ずかしくない演技をしようと決めていた。
「リディ、踊らないか?」
食事に夢中になっていて気づかなかったが、聞こえてくる曲が初心者でも踊りやすいワルツになっていた。
これまでの夜会ではまともにダンスなどしなかったが最後くらいいいだろう。
父が愛人のラミネを迎えてから夜会に出られず、ダンスからは離れていたため、最初は上手く踊れなかった。
だが、カテリーヌの淑女教育を受け、今ではちゃんと踊れるようになっているのだ。
「はい、是非!」
ルシアンが少しだけ腰を下げ、マナー通りにリディの手を取り、甲にキスを落とす。
そして、リディをエスコートしてダンスの輪の中に入った。
「ふふふ、最後にいい思い出ができました。今日は連れてきてくださってありがとうございます」
「いや、こちらこそだよ。リディと踊れて幸せだ」
「今まで、ありがとうございました。今後お会いできないですけど、ルシアン様の幸せを祈っております。占いでは必ず想い人の方と結婚できるはずです。ですからすぐには会えないかもしれませんが、諦めないでくださいね」
「君がそれを言うなんて……皮肉だな」
「なんですかそれ。ほら諦めたら試合終了ですよって名言もありますし」
「あぁ、諦めるつもりはないよ」
「そうですか、それは良かったです!」
ゆっくりと踊り、囁き合うようにして会話を重ねた。
攻略対象のルシアンとモブキャラの自分の運命がなぜか交わり、こうして共にダンスをするなど、少し前のリディには想像もできなかった。
(まるで夢のようだわ)
そう、これは夢なのだ。
明日からはリディは現実に戻り、予定通り一人で自立した生活を送る。
最後に幸せな夢を見せてくれたルシアンに感謝しながら、リディはワルツを踊った。
やがて曲が終わり、リディとルシアンの体が離れる。
少し前まで感じていた熱が失われていくのがはっきりと分かり、リディは一瞬名残惜しいと思ってしまった。
(いえ、何を考えてるの、私! 名残惜しいとか……変態チックすぎる! ごめんなさい、ルシアン様!)
そんなことを考えながら、リディはルシアンと共に再び壁側へと向かった。その時、小さな騒めきが起こった。
皆が入り口を見ながらこそこそと何かを話している。
(誰か来たのかしら?)
注目を集める人物が誰なのかとリディが入り口を見れば、ピンクブロンドの髪を結い上げた女性が一人立っていた。
「……シャルロッテ?!」
「どういうことだ?」
シャルロッテを見たリディとルシアンは思わずそう言って顔を見合わせた。
今回のパーティーは普通のパーティーではない。
王太子ルイスの誕生パーティーであり、上位貴族しか参加が許されていないのだ。
伯爵家でさえ参加が難しい夜会なのに、没落貴族となったラングレン家の人間など、会場に入れるとは思えない。
だからなぜシャルロッテがここにいるのか分からなかった。
先にルシアンが漏らした言葉から、シャルロッテの参加はルシアンにとっても予想外だったようだ。
更に言えばこの会場の招待客全員が同じ考えであった。
だからヒソヒソと「あれ、ルシアン様に無礼を働いてバークレー家の怒りを買った女じゃない?」「母親は不倫して慰謝料請求されてなかったか?」「もう、没落したって聞いたぜ」と、いう声が聞こえてきた。
もちろんそれはシャルロッテの耳にも聞こえているだろうが、そんな事を意に介してもいないようで、むしろ堂々と会場に入ってきた。
まるで主演女優が舞台に上がるように、あるいはファッションモデルがランウェイを歩くように、薄く笑いを浮かべて歩いている。
不意に楽団の演奏が止まった。
ルイスが合図をしたためだ。
そしてルイスは壇上に上がり、招待客を見回して話を始めた。
「諸君、今日は余の誕生を祝うパーティーに来てくれ、感謝する。ここで皆にもう一つめでたい知らせがある。……シャルロッテ、これへ」
「はい」
ルイスはシャルロッテを呼び、壇上へと上がらせた。
そしてシャルロッテの肩をそっと抱いたかと思うと、高らかに宣言した。
「今日、余はここに、伯爵令嬢シャルロッテ・ラングレンとの婚約を発表する」
ルイスの突然の宣言に、会場がどよめいた。
王太子の婚約宣言だけではなく、それが没落伯爵家の令嬢であり、先ほどまで蔑みの目を向けていた女だったからだ。
あまりにも予想外の事で、その騒めきは先ほどの比ではない。
「どういうことだ? 俺は聞いてないぞ!」
隣でルシアンも驚きの声を上げた。
どうやらルシアンにとっても寝耳に水のようだ。
その表情は険しく、声も強張っている。
「陛下は……驚いてない……と言うことは知っていたのか?」
ルシアンは素早く同席していた国王を見るとそう言った。
確かに突然の婚約発表にも関わらず、誕生パーティーに出席していた国王も王妃も驚く様子はなく、この状況を静観していた。
(シャルロッテ? なんで?)
リディも理解が追い付かない。
ただ、思い当たったのは婚約破棄の話の前にルシアンが言っていた内容だ。
『ルイス王子にシャルロッテが接近している』と。
(でも大丈夫よね? だってソフィアナはシャルロッテと接点もないし、もうダンテと婚約したのだし)
一瞬ソフィアナの断罪が頭をよぎったが、リディはすぐに否定した。
ソフィアナの断罪が無ければシャルロッテが何をしてどうしようが関係ない。
しかし、多分そうはならないだろう。
(なんか絶対私に突っかかってくると思うなぁ……)
シャルロッテは何事に対しても一番になりたがる。
その自尊心を満たすのがリディという存在だ。リディを下に見ることでシャルロッテは優越感に浸れるからだ。
だがリディとしてはもう縁を切ったことだし、正直あまり関わりたくはない。
「そういうことだ! 今日はめでたい席が更にめでたくなった! さぁ、皆盛り上がってくれ!」
ルイスの言葉を受け、最初は戸惑っていた招待客も一斉に拍手をした。
会場は一気に祝賀ムードだ。
一方、ルシアンは少し納得がいかない様子で顔を強張らせていた。
そして、眉間に皺を寄せながら言った。
「陛下に確認してくる。あの女が本当に王太子妃でいいのか、甚だ疑問だ。何か良くない予感がする」
「分かりました」
「じゃあ、後でまた会おう」
ルシアンが足早に国王の元へと向かって行くのを見送っていると、それと入れ違いのようにしてシャルロッテとルイスがやって来た。
それに気づいたリディは心の中でげんなりした。
シャルロッテはルイスに腕を絡ませて、しな垂れかかるようにして歩いて来た。
そしてリディの前でピタリと止まる。
「殿下、シャルロッテ、ご婚約おめでとうございます」
家臣の礼として、リディはカテーシーをしてそう告げた。
「お義姉様。お久ぶりですわ」
「ええ、そうね」
「貴様か、シャルロッテの姉は」
「はい、リディ・ラングレンと申します」
「醜い心の持ち主の名など聞きたくもない。貴様がシャルロッテを虐めていたという話は聞いている。本来ならば侮辱罪で投獄したいくらいだ」
「まぁ、殿下。例えリディお義姉様が私を疎んでいたとしても姉です……そんなに怒らないであげてくださいな」
「ああ、本当にシャルロッテは優しいな」
よしよしとルイスはシャルロッテの頭を撫で、シャルロッテは頬を染めながらルイスの肩に寄り添った。
この展開は、今まで死ぬほど見てきた光景だ。
シャルロッテはいつものように、リディが如何に酷い女で自分が虐げれられているのかを吹き込んでいるのだろう。
乙女ゲームの強制力もあるせいか、可憐な顔でそう言われてしまえば皆イチコロだ。
「そういえば貴様はバークレーの婚約者だったか」
「……はい」
一瞬言葉に詰まり、一拍置いてリディはそう答えた。
明日婚約を解消するが、今はまだルシアンの婚約者だ。
それを聞いたルイスはふんと鼻を鳴らし、上からリディを見下しながら言った。
「全く、貴様といいバークレーといい、シャルロッテに恥をかかせて……! 侮辱罪でクビにしたいところだが、父上が止めるから大目に見てやってるんだ。感謝しろよ」
どうやらリディの婚約の夜会でのことを言っているのだろう。
それを聞いたシャルロッテは悲劇のヒロインのような顔をして、少し俯き加減で言った。
「でももう過ぎたことです。ルシアン様のために身を差し出しましたが、意に沿わぬ婚約をしなくて良かったですわ。結果的に殿下と婚約できたのですから」
「ああ。そうだな。まぁ、ならこの件は我慢してやるとするか」
「ふふふ、殿下こそお優しい方ですわ。そのような方と婚約できるなんて夢みたい……」
シャルロッテはルイスに微笑んだあと、リディに向き直ってパンと手を鳴らした。
そして素晴らしい考えを思いついたかのように目を輝かせて言った。
「そうだわ! リディお義姉様、こうしてお話できるのは最後の夜になるかもしれないし、ぜひお話しましょう? 殿下、お城の客室に部屋を用意してくださらない?」
「えっ?!」
突然の提案にリディは驚きの声を上げてしまう。
「うむ……貴様のような女に城で過ごされるのも腹が立つが、愛しいシャルロッテの願いだ。仕方ない」
「ありがとうございます! 私は王太子妃になって、一介の貴族に過ぎないお義姉さまとお会いする機会なんてないでしょうから。じゃあ、後で部屋に行きますわ」
シャルロッテはルイスしか見えないと言うように熱の籠った目を向け、ルイスもそれに応えるようにして顔を向けて笑った。
そして来た時と同じように腕を絡めて去って行った。
その後姿を見送ると、リディは深いため息をついた。
(なんか面倒なことになっちゃったな。あ、ルシアン様にこのこと伝えなきゃ)
明日バークレー家の皆と別れる。
だから最後の夜は一緒に過ごしたかった。
たが、王太子妃になるシャルロッテの誘いを断ることもできない。
リディはボーイを呼び止めて葡萄ジュースを貰うと、暗澹たる思いでそれを飲んだ。
こうしてルシアンとの最後の夜会を終えることになってしまった。