緊急会議
急遽、バークレー伯爵家家族会議が開かれた。
談話室には、困惑顔のレイモンと不安そうなカテリーヌ、眉間に皺を寄せるエリスと静かに憤慨しているルシアン、そして居心地が悪く身の置き場の無いようにしてリディが座っている。
会議の議題はもちろんナルサスの求婚についてだ。
皆の視線の先にはテーブルに置かれているナルサスからの贈り物である花束と辞書、金のバングル、そしてメッセージカードがある。
リディはもう何度も見たそのカードの文字をまじまじと見つめた。
どう読んでも「嫁にもらってやる」と書かれており、文字通り受け取ると求婚になる。
「……これはナルサス様の冗談だと思うのですが」
リディはおずおずと発言した。
どう考えても、攻略対象でかつ隣国の王子というハイスペック男性がモブキャラで一伯爵令嬢の自分に求婚するなどありえない。
だがその言葉をレイモンは否定した。
「ギルシースでは求婚に花束と金のバングルを贈るのが習わしだ。この蘭は非常に珍しい品種だし、バングルにも王家の家紋が入っている。冗談じゃないと思うよ」
「くそ! ふざけるな」
ルシアンが声を荒げたかと思うと、メッセージカードをぐしゃりと握りつぶした。
「ルシアン、落ち着くんだ。でもどうして急にプロポーズなんて。リディ、何か心当たりは?」
「実は……この間の夜会でお会いして」
レイモンの問いにリディはそこまで答えたものの、それ以上どう説明すればいいのかとルシアンを見た。
(夜会でエルボー決めて傷害罪で呼び出された上に一緒にお酒飲んで泥酔した……なんて言えない)
言えたとしても「男と会っていたなんてバークレー家の恥よ」とか責められてしまうかもしれない。
リディが責められるのは問題ないのだが、「婚約破棄だ!」とレイモンたちに反対されると、ルシアンの偽装計画に問題が出るであろう。
それを察したルシアンは苦虫をかみ潰したような表情で、リディの代わりに答えてくれた。
「リディを夜会で見かけてちょっかいを掛けてきたというところです。その後も外出先にまで付き纏ったようです」
「まぁ、隣国の王子様に見初められるなんて素敵だわ……! さすが我が未来のお嫁さんね」
「母上、確かにリディは素敵な女性ではありますが、感心するところはそこではありません」
「そうだったわね……」
カテリーヌが一瞬乙女の顔でそう言うのをルシアンが窘めた。
「こういう事態になってしまったんだ。他の貴族ならいざ知らず相手は隣国の王子。国際問題にもなるし、僕たちは一旦登城して陛下に報告したほうがいいね」
「分かりました。でも絶対にリディは渡しません。……本当に、どいつもこいつも! 王子なんて厄介な奴しかいないのか!」
「はは、本当に驚いたよ。お前がそんな風に感情を表すとはね」
「申し訳ありません。リディのことになると我慢が効かなくて」
「運命の相手なんだ、仕方ない。さて、そういうことで僕たちは城に行ってくるよ」
憤慨するルシアンを宥めつつ、二人は部屋を出て行った。
後に女性三人が残り、ルシアンとレイモンの足音が消えるまで沈黙が続いた。
二人の気配が消えた瞬間だった。
待ってましたとばかりにカテリーヌとエリスがリディに一気に詰め寄ってきた。
(ああ! 絶対怒られるわ!)
厄介者や恥知らずなどの罵声を覚悟したリディだったが、何故かカテリーヌとエリスの目が涙で潤んでいるように見えた。
そして二人は畳みかけるように怒涛の勢いで迫ってきた。
「リディさん! お願いよ! ルシアンを捨てないで!!」
「お姉様がこの屋敷からいなくなるのは嫌ですわ!」
(ルシアン様を捨てる!? 捨てられるのは私じゃなくて!?)
「わたくしも、リディさんがいなくなったら寂しくなってしまうわ。なにより、あのルシアンの態度。……このままリディさんに捨てられたらあの子、きっと闇落ちしてしまうわ!」
「あんな豹変するお兄様、私も初めて見ましたわ。きっとリディお姉様に捨てられたらお兄様は自殺してしまうと思いますわ」
(闇落ち!? 自殺!?)
「「お願い、捨てないで!」」
今度は母娘がリディに涙を流しながら懇願した。
リディは二人を宥めるように、両手で落ち着かせた。
「大丈夫です! 私はルシアン様の婚約者を辞退するつもりはありません」
「本当? ルシアンはそこそこイケてる息子ではあるけど、隣国の王子の方が条件はいいと思うわ。それでもいいの?」
「もちろんです! 私が好きなのはルシアン様ですから」
「信じてよろしくて?」
「はい!」
カテリーナにそう言ってからリディは自分の発言に気が付いた。
(今、私、ルシアン様が好きって言ってた?)
いくらカテリーナとエリスに迫られて慌てて言ったにしろ、あの何時間でも見てられるご尊顔のルシアンを好きというのは、身分違いも甚だしい大それた発言だ。
だけど何故かその言葉がすんなり出てきていた。
そのことにリディ自身が驚くと共に、戸惑ってしまった。
(いえ、……慌てて言ってしまっただけで……ルシアン様、気を悪くなさらないでください!)
心の中でルシアンに謝るリディをよそに、エリスとカテリーナは胸を撫で下ろしたようだ。
だが、今度は逆にテンションが上がったようで、二人が突然黄色い声を上げた。
「エリス、聞きました? ルシアンを好きですって!! やっぱりラブラブね」
「ええ、お母様! ふふふ……この様子でしたら安心ですわね」
「若いっていいわねぇ」
「お兄様にこのことご報告しなくちゃいけませんわね」
「ふふふ、『私が好きなのはルシアン様です!』なんて断言されたと知ったら、あの子はきっと喜ぶわ! 」
思い返しても自分の恥ずかしいセリフをルシアン本人に言われるなんて穴があったら入りたい。
だがここで否定するわけにもいかず、ルシアンにはちゃんと方便であることの説明をしようと思いつつ、隣国の王子VS息子の三角関係の恋愛シチュエーション作り上げながら盛り上がっている二人を、リディは眺めるしかなかった。
※ ※ ※
ルシアンたちが国王にナルサス求婚事件について話したところ、この件は一旦協議中になったようだ。
詳しい話は聞かされていないが、国と国の問題もあるので結論がすぐに出せないのと、肝心のナルサスがまだ正式にはヴァンドールに来訪していないことになっているからだ。
ギルシースからの使者がよこした求婚ではなく一個人の求婚だけに、国としてもどう対処すべきか検討しているらしい。
だが、それよりも直近の問題が発生しているらしい。なにやらルイス王子が遊び歩いて政務を放棄しているどころか、女性関係の遊びが激しくなり、色々と困ったことになっているそうだ。
「あのバカ王子が色々やらかしてて尻ぬぐいが大変だ」
とルシアンは愚痴をこぼしていた。
ということで、リディは暫く平穏な日々を過ごすことになった。
(あれからナルサス様のちょっかいとか呼び出しもないし……うーん、悪戯な線が強いと思うんだけどなぁ)
そんな事を思いながら、リディはヴァンドールの歴史についての本を読んでいた。
以前の読んだ本にも書いてあったが、この国は妖精の加護を受けた初代ヴァンドール王が統治することになったらしい。
(まぁ、よくある流れよね)
人間が国家元首になるには正当性が必要である。
そのため人知を超えた存在に縁があるのを示すのが一番である。
例えば日本の天皇のように神の血統を継いでいるとか、アーサー王のように聖剣を抜いたなんか代表的な例だろう。
このヴァンドールは妖精王オベロンが初代ヴァンドール王に「妖精の宝剣」という短刀を与え、この国の末永い繁栄を約束したことが、王家が統治する正当性になっている。
今回の本は、リディが以前読んだ『妖精王とヴァンドール』よりも歴史的考察が深く、興味深く読んでいたのだが、そろそろ体が凝り固まってきた。
一息つこうとしたところで、メイドが手紙を持ってきてリディへと手渡した。
「リディ様、お手紙が来ております。ですが……その、差出人が書いておりませんで」
その言葉にリディがドキリとした。
いや、正確にはぞくりかもしれない。
(もしかしてナルサス様……だったらどうしよう)
最近手紙というとナルサスを思い浮かべ、次はどんな脅迫文が来るのかと緊張してしまう。
しかも今回も先の二回と同様に名前が記載されていない。
だが開けないわけにはいかない。
リディは封筒を受け取るとドキドキしながら手紙を取り出した。
――リディ、助けてちょうだい! 今日十四時にカフェに来て――
(これって、ソフィアナ?)
簡潔にそれだけが書かれており、よほど慌てていたのか最後の署名もない。
だがどう見てもソフィアナの文字だ。
何か切羽詰まったことが起こったのかもしれない。
リディは急いでソフィアナに会いにカフェへと向かった。
※ ※ ※
リディ宛てに手紙が来たことで、カテリーヌとエリスにも緊張が走ったが、ソフィアナだと分かり、ただならぬ様子に心配しながらリディを送り出した。
(助けてって何なんだろう……もしかして体調が悪いとか? でもそうしたらカフェで待ち合わせなんてしないだろうし)
おっとりとしてお嬢様を絵に描いたようなソフィアナが、切羽詰詰まりあのような手紙をよこす状況というのはよほどのことだろう。
リディは様々な事態を考えながらカフェの入口を潜った。
いつものカフェの指定席とも言える窓際の席でソフィアナが待っていた。
さわそわと落ち着きがなく、何度となく目の前のアイスティーを口に含んでいる。かと思えばストローでくるくるとアイスティーをかき混ぜていた。
そんなソフィアナの様子を心配しながらリディは席に座った。
「ごめん。待った?」
「大丈夫。それよりごめんなさいね。急に呼び出してしまって。どうしても屋敷では話がしにくくて」
「それは良いんだけど……どうしたの? 何か緊急事態?」
「えっと……」
リディの言葉にソフィアナは言い淀む。
よほど言いづらいことなのだろうか。
ソフィアナは視線をテーブルに落としたかと思うと、再びリディを見てからアイスティーのストローを弄び始めた。
そんなソフィアナの言葉をリディは固唾を飲んで待った。
ようやく意を決したように、ソフィアナは二度ほど深呼吸した後、言った。
「実は、好きな人ができたの」
「え?」
突然の言葉にリディは瞬時に返答できなかった。
これだけ引き延ばして「好きな人ができた」と言う話で、どんな切羽詰まった内容かと心配していただけに少し肩透かしを食らった。
だがこれは喜ばしいことだ。
恋をしたいと言っていたソフィアナに好きな人ができたのだ。
「そう!! 良かったわね! はぁ……『助けて』って書いてあったからどんな緊急事態かと思ったけど、大事件が起こったとかじゃなくて良かった」
「私にとっては緊急事態なのよ」
きっとお嬢様で恋を知らなかったソフィアナにとっては好きな人ができるという感情はとてつもなく衝撃的なことで、よほど緊急事態だったのだろう。
「それでお相手は誰? 私の知っている人……って言うほど知り合いはいないけど。きっとソフィアナが好きになるくらいだからとっても素敵な人でしょうね!」
「ええと、その……リディの知っている方なの」
「え? 知っている人なの? 誰だろう……」
リディとソフィアナとの共通の知人というと限りなく少ない。
というか、ほどんどいない。
首を傾げていると、ソフィアナがトマトのような真っ赤な顔で俯いて、か細く言った。
「……ダンテ様なの」
「え? よく聞こえなかったんだけど」
リディの言葉にソフィアナは勢いよく顔を上げ、そして今度は大きな声ではっきりと言った。
「ダンテ様なの!」
「ダンテ? え? ええ!?」
あまりにも意外な人物の名前が出て、リディは思わず聞き返していた。
高嶺の花であるソフィアナが、同じモブに近い(モブよりもカッコいい部類ではあるが)ダンテを好きになるとは俄かに信じられない。
「ダンテって、私の幼馴染のダンテよね?」
リディの言葉にソフィアナはゆっくりと頷いた。
「だからね。私、どうしたらいいの? 助けてリディ」
こうしてソフィアナの恋愛対策緊急会議が行われることになった。