デートの定義にもよりますが②
前世だとデートの定番は映画を見に行ったり、遊園地に行ったり、夜景を見たり……だろうが、この世界には映画館も遊園地もない。夜景が見える場所など知る由もない。
強いて言うなら、ショッピングと公園デートくらいだろうか。
「じゃあ、ぶらぶら街を歩いて、公園にでも行きましょうか」
「それはデートなのか?」
「……デートです。はい、デートと言ったらデートです!」
納得がいかないという顔のナルサスの腕をリディは引っ張るようにして歩き始めた。
(というか……婚約者がいるのにデートしてもいいのか?)
ふと、リディの頭の中にそんな疑問が浮かんだ。
この間の夜会でもルシアンはダンテと会ったことに腹を立てていたようだ。
多分、偽装婚約とはいえ、婚約者が他の男性と会っているのは醜聞を招くからだろう。
なんとなく「デート」という定義が嫌で、リディははっきりと宣言することにした。
「あのですね、一応言っておくのですが、私婚約者がいるんです。だからデート(?)ということでいいでしょうか?」
「お前、婚約しているのか? 初対面の男にエルボー食らわせた挙句に回し蹴りする女が? どこの物好きだ?」
酷い言われようだが、事実でもあるのでぐうの音も出ない。
ただ偽装婚約とはいえ「物好き」扱いされているルシアンには申し訳ない。
「まぁ……それに関しては言い訳ができないのですが、色々事情があるんです。で、一応バレるとあれなので……そうだ。ちょっと寄って行っていいですか?」
「今日の案内人はお前だ。私はついて行くだけだ」
「じゃあ、こっちに来てください」
リディはそう言って下町の方へ歩き出した。
目的は自分の店だ。あそこにはウィッグと眼鏡がある。
それで変装しようと考えたからだ。
久しぶりに通る店の裏道はいつもながら薄暗く、通り人通りもまばらだ。
だが、裏通りには裏通りなりの隠れ家的な店がいくつかある。
最初はつまらなそうだったナルサスも、そう言った下町の店を覗きながら行くと、だんだん興味が出てきたのだろう。なかなかに楽しそうだ。
結局、リディの店に着くまでに数軒の店を覗き、ナルサスは家族への土産として、アロマキャンドルやいくつのかの雑貨を購入していた。
そして店に立ち寄り、変装したリディの恰好を見て、ナルサスが開口一番こう言った。
「……お前……ダサ!! こんな格好で歩くっていうのか?」
「すみません。我慢してください」
リディは半分涙目で懇願した。
侯爵家の婚約者が他の男性とデートしていたという醜聞は避けたい。
自分の評判が下がる分には問題ないが、バークレー家に……ひいてはルシアンの評価を落としたくない。
それに契約解消になるのも困る。
(困る? なんでだろう……)
ふと、そんなことを思った。
ソフィアナとルシアンの婚約話は完全に立ち消えになった。
だから契約を解消してもいいはずなのだ。
なのにこうしてまだルシアンの側にいる。
それに婚約している期間が長くなり始めたので、なんとなくルシアンと離れる実感が湧かない。
(……まだルシアン様の想い人が探せてないし。うん、だから今はまだ婚約解消できないのよね)
そう思うがなんとなく違和感を感じる。だが深く考えないようにその想いに蓋をした。
その想いに名前をつけてはいけないような気がしたから……。
「ははは、まぁいいだろう。私の前で着飾る女は多いがお前みたいな格好する女はいなかった。なかなか新鮮だな」
ナルサスの声にリディは現実に引き戻された。
愉快そうにからっと笑うナルサスは上機嫌で、むしろ先ほどよりも楽しそうだ。
「次はどうするんだ?」
「じゃあ、そろそろお昼ですし、公園に行きましょう。キッチンカーが出ているはずです」
「それも面白そうだな」
街の中央に位置する公園は緑豊かで散策路もある。
バラのアーチのあるゲートを潜ると、赤茶色のレンガ道が続いている。このルートは四季折々の花が咲いていて、ちょうど季節なのかジャスミンの甘い香りが風に乗って運ばれてくる。
その甘い香りに包まれながらナルサスと二人でのんびりと散策しながら歩くと、やがて噴水のある大きな広場に出た。
リディの予想通り、ソーセージやフライドポテトを売るキッチンカーや、ビールやジュースのドリンクを売る店、サンドウィッチなどの軽食を売る店など多種多様なキッチンカーがいくつも店を出していた。
今日は少し暑いこともありアイスを買い求める客も多く、更に賑やかだ。
「お好きなものありますか? 私のおススメはパニーニですね。あそこのお店のはパン生地が美味しいんです」
「じゃあそこにする」
そう決めたリディたちがキッチンカーへと向かおうとした時、前方に見慣れた髪色が見えた。
一般的には珍しいピンクブロンドの巻毛の少女。……シャルロッテだ。
(シャルロッテ?! なんでこんなところで?)
突然立ち止まったリディに、数歩先に進んだナルサスが振り返って不思議そうな顔をした。
「どうした?」
そのナルサスに突進するようにシャルロッテがぶつかってきた。
明らかに意図的にぶつかったように見えるシャルロッテは、「あっ」と小さく驚きの声を上げたが、リディからするとわざとらしく見える。
だがそれはリディがシャルロッテの本性を知っているからそう見えるだけで、普通の人には可憐な少女が誤って躓いてしまい、それをイケメン紳士が抱き留めて助けたと映るだろう。
「っと!」
「す、すみません……私、おっちょこちょいで……迷惑をおかけしました。どうお詫びしたらいいのか……」
シャルロッテは小動物が怯えるような態度で、少しだけ涙声でナルサスに謝罪した。
バランスを崩して立てない(ように見える)シャルロッテはナルサスの胸にしがみつき、うるうるとしたつぶらな瞳でナルサスを見上げている。
(これって……!)
その光景を見たリディの脳裏にデジャヴが起こった。
ゲームのナルサスルートでのイベントだとすぐに思い立つ。
ゲーム内ではナルサスは「よそ見をしていた自分も悪い」と言い、「貴女こそ怪我は無かったかい?」などと優しく言うのだが……
「いや、気にするな」
ナルサスはそれだけを簡潔に言った。
その反応にシャルロッテも意外だったようで、一拍置いてからまた気を取り直したように再び上目遣いでナルサスに尋ねた。
「それだけですか?」
「ああ、そうだが?では失礼」
ナルサスはシャルロッテを自分から引きはがすようにして立たせた後、再びキッチンカーの方へと歩き出した。
多分「お詫びにお茶でも……」という誘いを待っていたであろうシャルロッテは肩透かしを食らったようで、しばらくナルサスの後ろ姿を呆然と見ている。
幸いシャルロッテは変装しているリディには気づかなかったので、リディは慌ててナルサスを追いかけた。
シャルロッテの脇を足早に通り過ぎ、ナルサスに追いついて並んで歩こうとしたその時、背後でチャリンと金属音がした。
振り返ってみれば、シャルロッテの足元にネックレスが落ちている。
「ああ! さっきの衝撃でネックレスが壊れてしまったわ! お母様の形見なのにどうしましょう」
わざとらしく大声でシャルロッテはそう言い、ナルサスの注意を引こうとしたようだった。
シャルロッテは困った様子で眉をひそめ、悲壮な顔をしている。
ぶりっこポーズをしながら体をくねらせ、ちらちらとこちらを見ている。
ナルサスが戻ってくるのを期待しているのが明らかだった。
「なんなんだあれは。私に非があるのか?」
ナルサスは不審者を見るような目でシャルロッテを見ている。
だがこのままナルサスがシャルロッテの元に戻ってしまえばイベントが成功してしまう。
それは避けたい。
リディは慌ててナルサスの腕を引っ張り、先を急ぐよう促した。
「な、ナルサス様!! 早く行きましょう」
「いや、でもいくら怪しくても修理代くらいは出さねば」
「とにかくちょっとこっちに隠れてください」
そう言ってリディはナルサスの腕を引き、シャルロッテから隠れるように木陰へと身を寄せた。
そして、ちょうど隣を通った新聞売りの少年を呼び止めた。
「ねえ、ボク。お姉さんのお願い聞いてくれないかな?」
「なんだよ」
少年は貧しい暮らしのせいなのか、煤けたシャツでズボンにも穴が空いており、繕いをして何とか履いているという風貌だった。
その少年はリディに突然声をかけられたので、警戒しているようだ。
訝し気にこちらを見ている。
「あの女の人に私のことは言わずに『修理代あげる』ってお金渡して。そうしたら新聞買うから」
「じゃあそこの兄さんの分も合わせて二部買ってくれよ」
「分かったわ」
リディは少年に銀貨三枚を持たせてシャルロッテへと向かわせた。
少年が近づくと、シャルロッテの顔が不愉快そうに歪む。いかにも近寄りたくないという態度だ。
「ねーさん。修理代だ」
「は?」
「ほら、さっさと受け取れよ。仕事の邪魔なんだよ」
「な!!」
少年の態度にプライドが傷つき、腹が立ったのかシャルロッテは顔を赤らめた。
そして次の瞬間、蔑んだ表情で少年に言い放つ。
「小汚い子供が、私に近づかないで! あんたみたいな下賎な子供に同情されるほど落ちぶれてないわ。ったく、せっかくいい男だったのに」
シャルロッテはぶちぶちとそう言いながら落ちたネックレスを乱暴に取り上げると、ずかずかと腹立たし気に去って行った。
それを木陰から終始見ていたリディは、とりあえずナルサスルートのイベントフラグが折れたことに安堵した。
本来のイベントでは、ぶつかってしまったナルサスがシャルロッテを心配してベンチに座らせて少し交流を持つのだ。
その時にゲーム内のナルサスは可憐なシャルロッテに恋をする。
その後にシャルロッテのネックレスが壊れていることが判明し、「僕が預かって直すよ。だからまた会ってくれるかい?」みたいになるのだが……今回のリディの対応で二つのフラグを同時に折ることができた。
(これならもうナルサスルートには進まないはずだから、ナルサスルートのソフィアナの断罪も回避できたわね。ソフィアナとも婚約しないってナルサス様も言ってたし)
「あの女……ちょっと頭おかしくないか? あっちからぶつかってきた上に、器物損壊の罪を着せるつもりだったのか? 金目当てか何かか?」
「金目当てというか、ナルサス様狙いといいますか」
「あんな品のない女には興味がない。枝垂れかかってくる態度も気持ち悪いし、新聞屋と私との態度が違いすぎる。ああいう裏表のある女に騙される馬鹿な男がいるのか?」
「世の中にはいるんですよ」
思わずため息混じりに答えてしまった。
リディの元婚約者のジル伯爵などは、ナルサスの言うところの「馬鹿な男」なのだ。
そんな馬鹿な男とは婚約破棄をして良かったとつくづく思う。
「妙に実感のこもった感想だな」
「……それはノーコメントです」
「なんだ? お前の婚約者は『馬鹿な男』なのか?」
「今の婚約者は違います」
「ふーん」
ナルサスはにやりと笑った。
墓穴を掘ったことに気づいたリディは、これ以上話をしていたら更に墓穴を掘る可能性が高いと思った。
リディはナルサスの意味深な視線を無視し、気を取り直してキッチンカーへと向かうことにした。