婚約者①
リディは壁の花になってホールの中央でワルツを踊る男女を見るともなしに眺めていた。
リズムに合わせてひらひらと舞うドレスが蝶のようで、室内のシャンデリアの輝きと相まって色とりどりの宝石が輝いているようにも見えた。
先程まではエリスやルシアンと一緒にいたが、今は二人とも挨拶回りに行ってしまった。
今日はソフィアナに招待されてロッテンハイム邸で開かれる夜会に出席しているのだが、リディは長年社交界から離れていたこともあり親しい友人もいない。
何人か前回の婚約パーティーで挨拶した人達が声を掛けてくれたが、正直顔と名前が一致していない……
よって、ひっそりと壁と同化して無用な接触は避けることにした。
リディは持っていたシャンパンを一口飲んで床を見れば、視界にはエメラルドグリーンのドレスが目に入る。
ラメ入りのそれは光の加減でキラキラ光り、どう考えてもモブキャラが着るには分不相応に感じられた。
エリスからは今日のファッションに太鼓判を押されたが……あまり自信はない。
そしてリディはドレスを見てため息をついた。
「はぁ……どうしようかしら……」
このため息は一つは夜会に居場所がなく、もう帰りたいがどうしようという意味でもあるし、もう一つ、これが結構重要なのだがソフィアナの件であった。
(ソフィアナが断罪されたらどうしよう……なんとかしなくちゃ……あぁ……でもアイデアなんて浮かばないし)
リディは非常に頭を悩ませていた。
そして数日前にルシアンに言われたことを思い出していた。
ちょっと話があると夕食後にルシアンの仕事部屋に呼ばれたのだ。
ルシアンの少し深刻な表情と、普段なら談話室で話すべきところを仕事部屋に呼ばれた辺りで、なにか良くないことが起こったのではと察せられた。
「実は、ソフィアナに縁談の話が持ち上がっている」
「……ソフィアナに縁談?」
「はぁ……そうなんだよ」
「その相手ってもしかして……ルイス王子とか?」
「ビンゴ」
その言葉にリディの心もずーんと重くなった。
ルイス・ヴァンドールは「セレントキス」の攻略対象であり、この国の王太子。
ゲーム内では王道イケメン王子キャラなはずなのだが、ルシアン曰く「アホ」。
彼のお目付け役の件もあってルシアンはリディと偽装婚約したわけだから、ある意味諸悪の根源である。
そして問題は、そのルイスとソフィアナが婚約してしまうと、悪役令嬢としてソフィアナが断罪される可能性が出てきてしまうことだ。
以前なら、攻略対象のメインストーリーにモブの自分が関与する話ではないと思っていたが、現在ソフィアナはリディの親友だ。
とても清廉潔白で努力家。
貴族としての矜持を持っているような彼女が、断罪されるような女性ではないことはリディも知っている。
だが万が一にもゲームの強制力で断罪されることは阻止したいのだ。
「それとナルサス・ギルシースも候補に挙がっている」
ナルサス・ギルシースも「セレントキス」の攻略対象である。
隣国の王子でゲーム内ポジションとしては妖艶な色男な感じだったはずだ。
ナルサスは現時点で隣国におり、登場していないので彼が婚約者候補として名前が挙がっていることは意外だった。
「候補に挙がっているっていうことは、まだどちらと婚約するのか確定はしてないってことですよね?」
「そうなるな」
「と言うことは、可能性としてはルイス王子とのルートが濃厚ってことでしょうか?」
「可能性としては、だけどな」
「何とか阻止する方法はないんでしょうか?」
「この婚約話はロッテンハイム侯爵と陛下が検討している内容だ。王子付きとはいえ一政務官に過ぎない俺が意見を言うのは難しいな」
沈黙が訪れる。
ルシアンもソフィアナが断罪されることは避けたいはずだ。
ソフィアナを守るために好きでもないリディと偽装婚約したのだ。
彼女を守りたいというルシアンの思いがリディには痛いほど伝わってきた。
だが今のところ二人とも妙案はなかった。
「まだ決定じゃありません。なんとか婚約させない方法を考えましょう!」
「分かった。俺は婚約の動向を探りながら、ルイスとの婚約をなるべく回避するようそれとなく進言してみようと思う」
と言うところでその日は解散となり、それから数日経ったが未だに策が思いつかない。
そんなこともあって、リディの心は晴れないまま夜会に出席することになった。
「うーん、どうしたものかしらねぇ」
「何がどうしたものなの?」
ぽつりと呟いた言葉に反応があったので慌てて顔を上げれば、そこにはオレンジベースにレモンイエローのコサージュをあしらったドレスに身を包んだソフィアナが立っていた。
「ソフィアナ! 今日はお招きありがとう」
「こちらこそ来てくれて嬉しいわ。でもこんな隅にいるから探しちゃったのよ」
「ごめんね。なんか落ち着かなくて……視線が痛い気もするし」
そうなのだ。
ルシアンと会場入りした段階から参加者の射るような視線が痛い。
特に女性の視線が……。
婚約パーティーでの宣言があるので表立って言わないのだろうが、「あのルシアン様のお相手があんなのなんて……」
などとひそひそと聞こえてくる。
(すみません!! 本当すみません!! でも事情があるのです!!)
思わず心の中で謝った。多分顔も引きつっていたかもしれない。
そんなこともあって壁の花に徹したわけだが、探し回ってくれたソフィアナには悪いことをしてしまった。
「今日のドレスも素敵ね。リディにとっても似合っているわ。ルシアンのセンス?」
「えっと……どうだろう? ルシアン様とエリスちゃんの折衷案?的な」
「どういうこと?」
婚約パーティーの時にもリディが着るドレスでルシアンとエリスは大喧嘩した。
エリスは最近の流行を取り入れてオフショルダーでマーメードラインのドレスを提案するが、「肩が出すぎ」「そんなに体のラインが出るのは駄目だ」などとルシアンが却下する。
逆にルシアンは首元がレースで覆われた、プリンセスタイプのドレスを提案するが「野暮ったい」「お姉様の良さが消えてしまう」とエリスが却下する。
その他にも色が合う合わない等散々検討してこのドレスに落ち着いたのだ。
それを話すとソフィアナが上品に笑った。
「ふふふ、そんなことがあったのね。エリスもリディに懐いているようで安心したわ。あの子ってばルシアンに近づく女性に対してチェックが厳しくて、彼女がルシアンに近づくための最初の難関なんて言われていたのよ」
そう言えば、リディが最初に会った時にかなり敵対心剥き出しだったのを思い出した。
「ソフィアナのドレスも素敵ね」
「そ、そう? おかしいところない? その……ダン……じゃなかったわ、男性から見ても綺麗に見えるかしら?」
「もちろん飛び切り美人に見えるわ! むしろソフィアナを綺麗に思わない男性っていないんじゃない?」
「そう言って貰えて嬉しいわ。それでね、えっと……リディは、ダンテ様と仲がいいわよね。その……彼の好みって……」
ソフィアナが何かを言おうとしたタイミングでリディ達に声を掛けてくる人物がいた。
「リディ、ソフィアナ様。こんばんは」
「あ、ダンテも来てたのね。連絡くれていたら探したのに……誰もいなくてちょっと寂しかったのよ」
「お、悪い悪い。ちょっと立て込んでてさ。ソフィアナ様、本日はお招きありがとうございます」
ダンテがソフィアナに視線を移すと、ソフィアナの肩が少しびくりと揺れた気がした。
「いえ、この間助けていただいたので、ささやかなお礼ですわ」
「ささやかだなんてとんでもない。オレは異国生活が長くて。こんな煌びやかな世界に滅多に来られないので十分すぎるくらいですよ。オレなんて場違いな気もします」
「迷惑でした?」
「とんでもないです」
「そうですか。良かったですわ」
ソフィアナが胸を撫で下ろしたようにほっとしているのが伝わってきた。
リディもこういう場に慣れていないが、異国にいたダンテも慣れていないのだろう。
おどけてそう言った後に、リディをまじまじと見た。
「どうしたの?」
「リディはこういう場は慣れてるのか?」
「……慣れているように見える?」
「いや、全然」
「だよね……」
「でもそのドレスを着るといっぱしの貴族令嬢に見えるな。そういう姿、初めて見たけど似合ってるな」
「ありがとう。馬子にも衣装よね」
「ははは、卑屈になるなよ。あ、もちろんソフィアナ様は流石侯爵令嬢ですね。ドレス姿もお綺麗です。誰かさんとは違いますね」
「誰かさんって……私よね」
「ま、着慣れてないのはお互い様だ」
そう言ってダンテとリディは笑った。
緊張していた夜会もダンテがいて少し気が楽になった。
これなら壁の花でも少しは楽しめるかもしれない。
「わ、私!! 失礼します!」
「あ、はい」
「リディもまたね」
「うん」
ソフィアナが突然そう強く言うと、逃げるようにその場を去ってしまった。
横顔が少し赤いような気がするのはアルコールのせいだろうか。
それを見たダンテがバツが悪そうな表情をした。
「あーなんかオレ失礼なこと言ったか?」
「どうだろう? 確かにちょっと砕けすぎな気もしたけど……」
「ギルシースだと王族だろうとなんだろうとバシバシ言ってたからなぁ……こっちだと侯爵様にはきちんとしないとダメなの忘れてたかもな」
「王族? バシバシ?」
「あ、こっちの話」
リディは隣国でダンテが何をしているかなど詳しくは知らない。
経営学のようなものを留学して学ぶとか聞いたことはあるが。
突然ソフィアナが去ってしまったので、なんとなくそれを見送っていると、ソフィアナがルシアンと談笑をしているのが見えた。
それを二人で見ているとダンテがぽつりと呟いた。