幼馴染との再会①
「セレントキス」の悪役令嬢ソフィアナ・ロッテンハイムはとにかく高飛車な女性だ。
些細なミスも許さず叱責する。
嫌なことがあれば取り巻きに当たり散らし、傲慢な物言いで常に上から目線だ。
そしてヒロインのシャルロッテにも、陰湿ないじめを繰り返すのだ。
「はっ、この雌豚が!! ほら、豚なら豚らしくこの残飯でも食べればいいのよ」と言って、シャルロッテの目の前で彼女の食事を床に叩きつけると、を引っ張り床に零れたスープに顔を押し付ける、なんてシーンもあった。
だからリディが望美としてプレイしていた時の印象は「うわー性根腐ってるわ……」だった。
だが目の前にいる現実のソフィアナは、全くもって悪役令嬢の片鱗はない。
一言で言って「温厚なお嬢様」だ。
確かにキャラビジュアルはゲームのままだ。
少し切れ長の目に菫色の瞳。
セクシーさを出す泣きぼくろに、体形も出るところは出て引っ込むところは引っ込むというナイスバディ。
そしてサラサラの絹のような水色のストレートヘア。
一見キツく見えそうな容姿であるが、好奇心旺盛に輝く瞳は猫のようにチャーミングだし、纏っている雰囲気は上品で人を包み込むような優しさも持ち合わせている。
内面はキツイどころかおっとりしていて、「白馬の王子様と出会いたい」などと夢見がちな面もある。
(シャルロッテといいソフィアナといい……やっぱり中身はゲームと違うんだわ)
リディは改めてそう思った。
「リディ、この間言っていた本、持ってきたわ」
「ありがとう。私もソフィアナが食べたいって言っていたパンケーキ焼いてきたわ。お土産に持って帰ってね」
そう言ってソフィアナから本を受け取り、リディは自作パンケーキが入った包みを手渡した。
「楽しみだわ! リディの作るお菓子は美味しいものね」
今日は一週間ぶりにソフィアナと喫茶店でお茶をしていた。
あのカミングアウト後には、しょっちゅう会ってお茶をしているので、現在ソフィアナもリディもお互い呼び捨てにし合う仲になっていた。
最初は侯爵令嬢に対して無礼な態度は取れないと思ったが
「あら、リディはルシアンの婚約者で結婚したら侯爵家の女主人よ。身分なんて私と一緒でしょ? だからリディも私のこと呼び捨てにして気軽に話して頂戴」
と言われてしまった。そして、少しだけ寂しげな表情で言葉を続けた、
「私はお友達がいないの。ずっと侯爵令嬢としてしっかりしないとって思っていて、本音で話せる人がいないの。リディなら何でも話せるし……初めてできた親友だと思ってるのよ」
と、花が綻ぶように微笑みながら「ダメかしら?」などと言われた日には「無理です」なんて言えない。
(本当はルシアンと結婚しないから侯爵家の女主人なんてならないから……騙すみたいで申し訳ないなぁ)
リディは、少しだけ罪悪感を持っていたものの、本当のことは言えないのでなるべくそれを考えないようにした。
そんな葛藤があるものの、こうしてリディはソフィアナと交流している。
「リディ、そういえばこの間探していたお兄様のタイピンが見つかったの。リディが占ってくれた通り応接室のソファ下に落ちていたみたい」
「そう、良かったわ」
「本当、リディの占いって当たるのね。凄いわ!」
「ありがとう。ソフィアナも何でも相談してね。占いと妖精の加護でアドバイスできると思うから」
「じゃあ、私に好きな人ができたらその方と付き合う方法でも占ってもらおうかしら」
「もちろん、その時には喜んで占うわね。でもソフィアナなら占う必要はないと思うわ」
「え? どうしてかしら?」
「だってソフィアナくらい美人なら断る男なんていないでしょ?」
「えっ?! そんなことはないわよ。私くらいよ、今まで恋人がいないのは。夜会でも殿方に声をかけられることすら少ないのよ」
そう言って少しむくれた表情をするソフィアナだったが、それすらも素敵だ。
彼女を恋人にしたくない男などいるのだろうか。
多分ソフィアナが高嶺の花過ぎて声をかけられないのだろう。
それに加えソフィアナとルシアンが恋人同士であったため男性がソフィアナに声をかけなかったということは想像に難くない。
だが「恋人がいない」という発言にリディは驚きの声を上げた。
「恋人がいなかった? えっ、ルシアン様と付き合ってたんじゃないの?」
「なんでルシアンの名前が出るの?」
リディの言葉にソフィアナがキョトンとした。
「えーと、まぁ……噂を聞いたというか」
「あぁ、私たち幼馴染でよく一緒にいたからそんな噂も流れてたかしら。あまり気にしてなかったけど……。もしかして、リディは私とルシアンが付き合ってたって思って気に病んでたのかしら? お互い恋愛感情はないし、本当そういう関係じゃないから安心してね」
「それは気にしてないけど」
「それもそうね。あれだけ熱烈に愛されてるのだもの、そんなの気にもならないわよね。ふふ、ルシアンもあんな恋する男の目になるのびっくりしちゃったわ!」
「そうかな? 勘違いじゃない?」
ルシアンが自分に恋心を抱くはずもない。
契約の時も「親友だしそんなことは起こらないよな」と言っていたし、ルシアンには結婚したいほど焦がれる女性がいるのだ。
(ルシアン様は役者の素質があるからきっと咄嗟に演技したのだろうけど、周りの人にも恋人だって思わせる演技……本当に凄いわ)
ルシアンのご両親と会った時にも華麗に演じていたことを思い出してそう思った。
だが、リディの言葉にソフィアナは強く否定した。
「ううん! ルシアンは人当たりは悪くないけど、誰とも一線引いてる感じなのよ。どんなことがあっても冷静に対処するのにあんなに怒る姿、子供の頃から一緒にいて初めて見たわ」
「そうなの?」
「前もご令嬢同士がルシアンを巡ってバトルになっちゃったんだけど……」
ソフィアナ曰く、その喧嘩を止めたルシアンはゆっくりと落ち着いた口調でこう言ったらしい。
「気持ちは嬉しいです。ですがお互い家のことともあるでしょう。一時の感情に振り回されない方が得策でしょう。それに貴女ほどの方がそのような顔をしてはいけませんよ」
と淡々と嗜めたことがあったらしいのだ。
「あまり表情も変わらないし。何を考えているのかわからない時も多いわ」
ソフィアナの言葉にリディはルシアンを思い出して考えた。
リディといる時のルシアンは割と感情が顔に出る。
切なそうな顔だったり、近況を話す時も声を上げて笑ったり、かと思うと嬉しそうに微笑んだり……
だからおよそソフィアナの言っているルシアンとは異なっていた。
「私も恋してみたいわ。運命の出会い……出会ったらびびびっとくるってこの間読んだ恋愛小説にあったのよ。リディはやっぱりそういうのがあった?」
「ん? ……ど、どうだったかしら。それより、えーと、あ、ソフィアナのタイプの男性ってどんなの?」
「そうねえ……」
ソフィアナは頬に手を寄せ、首を少し傾けた。
「頼り甲斐があって優しい方がやっぱりいいわよね。背はお兄様くらいで……お茶目だといいわね」
「お茶目?」
「そう。私の兄弟って良い意味でも悪い意味でも真面目なのよ。だから気さくな感じの方に憧れるわ」
「なるほど。顔の趣味は? 目つきがシュッとしてるとかあるじゃない?」
「犬系……かしら? 笑顔が素敵だと良いわね。あと身長も高い方がいいわ。そういうリディはルシアンのどこが好きになったの?聞きたいわ!」
突然自分の話になってしまい、リディは狼狽えた。
エリスにも同様の質問をされた時には咄嗟に答えたが、今思うと気恥ずかしくなる。
そのセリフをもう一度言うのは照れくさく、リディは話を逸らした。
「えっ!? あ、えーと、そうそうもう時間だからお店出ましょ! マルシェが終わってしまうわ」
「あらもうこんな時間? じゃあ行きましょう」
アフタヌーンティーを楽しんでいたカフェを出ると人の往来が多くなっていた。
少し陽気が良いのと月に一度の大型マルシェが開催されているためだ。
「ふふ、私、マルシェは初めてなのよ」
箱入りのお嬢様であるソフィアナはマルシェに行ったことがないという。
リディにとっては占いの店の合間によく覗いており、馴染み深いが侯爵令嬢ともなるとふらりとそのような場所に行く機会が無いようで、ソフィアナはかなり楽しみにしているようだった。
つばが大きく羽飾りのついた帽子を被ると、ソフィアナは弾むような足取りでマルシェの方へと歩いて行った。
その時、びゅうと大きな風が吹いた。
少しだけ地面の土が舞い上がり、リディのスカートもふわりと揺れる。
「あ!」
ソフィアナが声を上げたと同時に、ソフィアナの白い帽子が風に乗って飛ばされていった。
くるくると地面を転げる帽子をリディは反射的に追いかけていた。
「あっ! っと、ちょっと待って!」
慌てて大通りを横切り、帽子を追いかけて走るが帽子はリディを弄ぶようにトントンと地面を跳ね回る。
それに何とか追いついて、子ウサギを捕まえるように帽子を捕えた。
「よっ……と……良かった。捕まえられた」
ようやく追いついてそれを拾うと、後ろから慌てたようにソフィアナが小走りにリディの元へと向かっていた。
「リディ!」
「あ!! ソフィアナ! 止まって!」
ソフィアナが通りを横切ろうとしたと同時に、向こうの方から馬車が走ってくるのが見えた。
だが馬車に気づかず大通りに足を踏み出すソフィアナ。
それを制止しようとするリディ。
そしてそれに気づかない馬車。
リディは息を呑んだ。
(ソフィアナが轢かれちゃう!)
すべては一瞬だった。