悪役令嬢ソフィアナ①
現在、リディとルシアンは二人きりで談話室にいた。
だがその室内は静寂に包まれていた。
その場の勢いで会場を後にして談話室に来たものの、何からどう話せばいいのか……まずは混乱した頭を冷やそう。
そう思ってリディはテーブルの少しブランデーの入った紅茶に口をつけた。
目の前のソファにはルシアンが座っていたが肘掛けに崩れるようにもたれかかり、右手で顔を覆っていた。
(ルシアン様にとっても、さっきの事は想定外よね……キスもその場の勢いだったんだろうし、むしろ好きでもない女と口づけるって……気持ち悪いだろうなぁ……)
あの行為はリディをシャルロッテから守るためであり、そして社交界でリディを口さがなく言う人々への牽制でもあった。
あのパフォーマンスによりバークレー家の後ろ盾が明確になり、今後リディの名誉を傷つける人間はいなくなるはずだ。
(……あの瞬間にいろいろ計算して動かれるなんて、さすがルシアン様だわ)
だがリディはそこで感心している場合ではないのだ。
考えもまとまってきたので、リディは立ち上がると若干の落ち込みを見せるルシアンに思い切って声をかけた。
「あ、あの!! ルシアン様! ……いろいろと、申し訳ありませんでした!!!」
そして深々と頭を下げた。
五体投地したい気持ちではあるがこのドレスでは無理だ……せめてもの誠意ということで最敬礼した。
その行為にルシアンの目がまんまるに見開いた。
「はっ……? な、何のことだ? リディが謝る理由が分からないんだけど」
動揺のせいかルシアンが安里の口調になっている。
最近ルシアンはリディと二人きりだとこうして安里の口調になる。
だが人がいるとまたルシアンの口調になるのだ。
その切り替えに驚いていたリディであったが今はもう突っ込むのも止めた。
今回もその口調をスルーして、リディは謝罪を続けた。
「まず一つ目ですが、ラングレン家に融資いただいてたんですね。私、全然知らなくて。もうラングレン家とは縁が切れたとばかり……知らずに家族がご迷惑をおかけしました」
「それは俺が勝手に判断したことだ。半分は手切金みたいなものだしな。今後リディには近づかないということで融資してたんだけどさ……予想以上にあの親娘は強欲だったな。まさかリディの代わりにシャルロッテが侯爵家に入って金を出させるつもりだったなんてな」
「はい……あんな暴挙に出るなんて思ってもみなくて。それでルシアン様が私なんかと……その……キスすることになってしまい。何とお詫びしていいか……」
「いや、こちらこそ……その……悪かったな」
「いえ、申し訳ないのはこちらの方です! 不本意なキスなんてさせてしまいまして嫌だったですよね。あ! そうだ! アルコール消毒してください」
ちょうど紅茶に入れるためのブランデーが用意されているではないか。
リディは持っていたハンカチにブランデーをつけて渡そうとしたが慌てたルシアンにガチりと手を止められてしまった。
「何をしようとしてるんだ。あんたとのキスは問題ない。それより……その……、あんたは嫌じゃなかったか?」
そうルシアンに言われて考えた。
「そうですね、驚きはしましたが嫌ではなかったです」
そう言って確かに嫌ではなかったことにリディは気づいた。
(まぁ、私としてはイケメンとだから全然問題ないんだけど……)
むしろモブキャラとキスすることになったルシアンに同情を禁じ得ない。
「あ! もちろんこのことで責任取れとか言いません! 好きになっちゃいました、とかも無いですのでご安心くださいね」
キスをきっかけに恋に落ちる……なんて展開になり、契約違反をして婚約解消となるのをルシアンは危惧するだろう。
だからそうはならないときちんと伝えたのだが、当のルシアンは微妙そうな顔である。
「ルシアン様?」
「あ、いや、ちょっと複雑な心境で……」
ルシアンが少しだけしょんぼりしているように見えるのは気のせいだろうか?
「嫌じゃなかったなら良かった」
気を落ち着けるように優雅に紅茶を口にするルシアンを見て、リディはとりあえずこの話はここまでだと思った。
だが、リディにはもう一つ確認したいことがある。ソフィアナの件だ。
「実はルシアン様にもう一つお話がありまして。ソフィアナ様の件です」
「ソフィアナがどうした?」
「ルシアン様はソフィアナ様が『セレントキス』の悪役令嬢だって気づいてらっしゃいましたか?」
「はぁ……やっぱりか……」
やっぱりということはルシアンもソフィアナが悪役令嬢だと気づいていたのだ。
ルシアンは紅茶を一口飲み、何から話すべきかと言うように少しだけ思案する様子を見せた。
「以前俺が偽装婚約を持ちかけた時に話したこと覚えてる?」
「国王からルイス王子を支えるために、ルシアン様にも支えが必要だから婚約しろって話でしたっけ」
「そう、そこで相手として上がったのがソフィアナなんだ」
そういえばそんなことを言っていた。
突然の偽装婚約の打診だったからソフィアナの名前が出てもピンと来なかった。
(だからなんか聞いたことのある名前だと思ったんだわ)
「あいつが悪役令嬢ってことは攻略対象と婚約したら断罪ルートになる可能性があるだろ? 俺はそんな事はさせるつもりはないけど、何かゲーム強制力とかで断罪イベントが発生してしまうかもしれない……だから何としてでもソフィアナとは婚約したくなかったんだ」
「なるほど、そんな事情があったんですね」
「あんたと婚約したから俺のルートでの断罪は回避できたと思うけど」
「まぁあと二つのルートが発生するかはシャルロッテ次第ではありますけどね」
「そこはちゃんと気を配っておくつもりだ。ソフィアナは悪いヤツじゃないし、できたら幸せになって欲しいんだ」
そう言ってルシアンは少し苦笑混じりに切ない表情を浮かべた。
その様子からルシアンがソフィアナを大切に思っていることが察せられた。
「そんな風にソフィアナ様を思ってらっしゃるなら私もお手伝いできるところはやりますね!」
「そうか? それは頼もしいな」
とは言うものの今のところソフィアナとは接点はないが。
だがリディには前世で「セレントキス」をプレイした記憶もあるし占いもある。
今のところルシアンの想い人が見つからないことを考えると、汚名返上名誉挽回のためにできることはしたいと思う。
「さて、もう夜も遅いし、部屋に戻ろう。今日は疲れただろ? ゆっくり休んで」
「はい、ではルシアン様。おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
リディはそう言って部屋を出た。
(今日は本当に疲れたな……)
慣れないドレスと化粧に夜会。
いじわる三人組の撃退とシャルロッテの騒動。
だがあれだけ公衆の面前でシャルロッテとの関係を否定し、ラングレン家との絶縁を宣言したのだ。
これでシャルロッテもちょっかいをかけてこないだろう。
自室に帰る途中にそれらの事を振り返ってふと思った。
(あれ……私のファーストキスじゃない?)
リディとしても望美としてもファーストキスだ。
なんか事故的な感じなのでカウントしていいのかは微妙だ。
付き合ってもいないし好きあってもいない相手とのキスだと思うとちょっと寂しい。
(ま、事故だから……ノーカンよね)
次にキスする相手はどんな男性だろうか。
願わくば自分のことを好きな相手としたい。
そんなことを考えながら、リディは唇をそっと触った後、自室のドアを開けた。
※ ※ ※
その日、リディは街へ出掛けていた。
大家のアレットに今月の家賃の支払いと少しばかりお店を休むという話をするためだった。
アレットにその話をすると、「おめでとう」と祝福してくれ、「リディちゃんも結婚ね……うっうっ良かったねぇ……」などといたく感動してくれたが、結婚するところまでは契約外なのでそれはないなぁとは思いつつ、あえては言わなかった。
アレットは最初、貴族のリディに店を貸すのを渋っていたため、今回の件で店の賃貸契約もなくなるのではと危惧していたが、店はそのままにしてくれるというアレットの申し出に感謝した。
さらにいつも作ってくれているリンゴのパンケーキを貰い、リディはアレットの家を後にした。
「ふふふ、アレットさんのパンケーキ、ルシアン様もお好きだから喜んでくれるかしらね。レシピも教えてもらったし、今度作ってみようかな」
ルシアンからのリクエストでもあったが、最近はから揚げ弁当ばかりを渡してしまっているので少しは別レシピに挑戦しようと密かに思っていた。
だからルシアンの好きなアレットのパンケーキのレシピをもらえたのは嬉しい。
リディはうきうきとした気持ちのまま、街の中心街を歩いた。