お披露目会②
最後の言葉はとりあえずの提案というよりリディとの外出を楽しみにしているようだった。
ただ、こんなにプレゼントをもらったり、優しく微笑まれたりしてしまったら、自分が特別だと勘違いする女性もいるのではないかと思ってしまう。
(私たちはあり得ないけどね)
お互いが転生者であることを知っている親友で秘密を共有する仲間でもある。
(今回はお言葉に甘えることにしよう。その代わりルシアン様にまた唐揚げ弁当作って差し上げよう)
自分にできるのはそのくらいだ。
リディはそう思ってバークレー兄妹との会話を楽しみながら屋敷へと戻った。
※ ※
柔らかな音楽が会場に流れている。
着飾った紳士淑女たちがグラス片手に談笑しているが、音楽はそれを邪魔することなく、むしろ場に花を添えている。
ピカピカに磨かれた大理石の床も、白い壁に施された銀細工の装飾も、シャンデリアの光に照らされてより一層会場に華やかさをもたらしている。
今日はバークレー侯爵家主催の夜会なのだがその目的はルシアンの婚約者となったリディを知ってもらうお披露目会の意味合いが強い。
顔よし、将来性よし、家柄よしで完全無欠と言われるルシアン侯爵の婚約者となれば、さぞかし美しいに違いないと噂されているのを知っている。
だから会場入りするハードルが非常に高くなり、会場への一歩がなかなか踏み出せないでいる。
(き、きんちょーする!!)
リディは伯爵令嬢ではあったが義母ラミネによって夜会に参加させてもらえなかった。
唯一記憶にあるのはデビュタントの時の夜会くらいだ。
そのため慣れない夜会の雰囲気にリディは完全に呑まれていた。
心臓がバクバクとし、口から出そうとはまさにこのことだろう。
前世で習っていたピアノの発表会でもステージのライトがやけに眩しくて別世界のように感じていたし、聴衆の目が自分を見るのでまあまあ緊張したものだが、今回はその比ではない。
「大丈夫だ。俺がいる」
そう言ってルシアンはリディに小声で話した後、その肩を抱いて自分の元へと引き寄せた。
オフショルダーで露出した肩からルシアンの胸の温かさが伝わる。
リディはルシアンのその言葉と暖かさになんとか気持ちを落ち着けた。
「とって食われやしないから安心するといい」
「でも、下手なことをしたらルシアン様の評価が下がってしまいます。ただでさえ冴えない私を婚約者として紹介するんですよ?」
「リディは冴えなくなんてない。そのドレスもリディの清楚が表れていて素敵だよ」
「本当に素敵なドレスですよね。私が着ると魅力半減しそうですけど……」
「いや、そういう意味で褒めたわけじゃないんだが……君に似合っていると褒めている」
ルシアンに真っすぐに見つめられて真面目に言われ、リディは少しだけドキリとしてしまった。
だがすぐにそれがリップサービスなのだと気づいた。
「ふふふ、おだてても何も出ませんよ」
「本当に、そう思っている」
その目が本心だと告げているようで思わず勘違いしそうになってしまう。
「さて、参りましょうか、婚約者殿」
リディはルシアンに連れられて会場に足を踏み入れた。
その途端ざわりとした音と共に正体客の視線がリディに集まる。
するとちらほら「えー? あれが?」「嘘でしょ、信じられない」と言った囁き声が聞こえた。
「ルシアン様、本当に私が婚約者役で良かったんでしょうか?」
「俺が選んだんだ。俺は君がいいんだ」
その言葉を聞いてリディは思った。
婚約者役を引き受けたのは自分の意思でもあるのだ。
それをいつまでもうじうじ自分のせいでと言って、まるでルシアンに責任を押し付ける言い方はずるいだろう。
(引き受けたからには逃げないわ。ルシアン様に相応しいと思われるような婚約者を演じなくちゃ!)
リディがそう気合を入れていると背後から声を掛けられ、リディはそちらを向いた。
「ルシアン様、ご婚約おめでとうございます」
見ればルシアンより少し年上と思われる男性が声を掛けてきた。
それに対し、ルシアンは端的に挨拶を返したのち、流れるように自然にリディを婚約者だと紹介してくれた。
これを皮切りにルシアンの元にはひっきりなしに貴族が挨拶に訪れる。
緊張して固くなるリディとは対照的に、ルシアンは落ち着いて対応していた。
仕事モードなのだろう。
ルシアンの声質は淡々としていて、クールな侯爵というゲーム設定そのものの雰囲気だった。
「こちらがご婚約者さまでいらっしゃいますか?」
「はい、リディ・ラングレン嬢です」
「リディ・ラングレンと申します。以後、お見知り置きを」
「いやー、可愛らしいお方ですなー」
挨拶すると大抵お世辞を言われ、そのあとルシアンと相手が少し世間話をし、「また後で」という流れを繰り返しているのだが、正直リディは顔の判別がついていない。
リディは前世の頃から人の名前と顔を覚えるのが苦手だ。
二回目に会っても「この人誰?!」となる。
高校時代、道でたまたま学校の教師に声をかけられて話をしたが、どのクラスのなんの担任だったか全く覚えておらず曖昧に会話をしていた。
だが最後になって言い逃れできない流れになり、思わず「どちらのクラスの先生ですか?」と尋ねたら自分のクラスの担任だったという経験がある。
その担任の教師には最後まで目を付けられてしまっていた苦い思い出だ。
(だってまだ四月で新しいクラスになって二週間よ?! 道端で会っても分からなくない?!)
だが、今回はそうも言っていられない。
二回目に会っても「どなたですか?」などと聞くことはできないのだ。
リディは必死に挨拶に来る貴族の顔と名前を脳内に叩き込んだ。
(えっと……このズラっぽい人がヤウィール伯爵、さっきの赤毛の人がミンチェス侯爵……だめだ……パンクしそう)
挨拶が一段落したところで、リディが疲労したのに気づいたルシアンが心配そうに声をかけてきた。
「リディ、大丈夫か? 少し疲れたようなら休むか?」
「え……でも、挨拶にご一緒しないとまずいですよね?」
「主だった方々とは挨拶が終わったから休んでいても大丈夫だ。……少し、風に当たってくるか?」
「じゃぁ、そうさせていただきますね」
「あぁ、じゃあ飲み物を持って行く。先に行っていてくれ」
リディはルシアンと別れると、ふらふらとした足取りでバルコニーに向かった。
その時だった。
どんと体に衝撃が来たと思った瞬間、人にぶつかっていた。
いや、誰かに体をぶつけられたのだ。
バシャンと音がしてドレスの色が変わったのが視界の端に映った。
足元にも水滴が飛び散り、足首が濡れている。
ボーイとぶつかり、彼の持っていたシャンパンがかかったことを認識するのに少し時間がかかった。
「あ、すみません! 服が濡れてしまいましたね!」
慌ててボーイに謝ったが、背後から声がかけられて、そちらを振り向いた。
「あら、ごめんなさい。存在感が薄いので気づかなかったですわ」
見れば三人の女がリディを嘲笑するように見ながらやって来た。
一人はそばかすに出っ歯という特徴の女性で、その脇にはこぶとりの令嬢が立っている。
パッションピンクのドレスだがそのウエストがはちきれそうで、思わず凝視してしまった。
最後の一人は金髪の縦巻きロールの女性だ。
優雅にレースの扇子を扇ぎつつリディを斜め上から見ている。
いずれもリディとそう年は変わらないように見えた。
この態度と言葉から彼女たちが故意にぶつかってきたのだと察せられた。
「まぁ! お召し物が汚れてらっしゃいますわね」
「でも、リディ様にはそのくらい汚れていたほうが落ち着かれるのではないですか?」
出っ歯の女がわざとらしく両手を上げながらそう言うと、おデブな女性がにやりと意地の悪い笑みを浮かべてそう言った。