贈り物の嵐
ラングレン家に絶縁状を叩きつけたリディは、バークレー家にて生活を始めた。
明るい部屋で朝を迎え、暖かい食事を食べる。
午後のティータイムはサンルームで燦燦と日差しを浴びながら紅茶を楽しみ、夜はたっぷりのお湯でお風呂に入ることができる。
リディにとっては夢のような毎日を送ることができている。
(夢のようだけど……こんなに恵まれてて私死ぬんじゃないの? ……また十七歳とかで死ぬとか?)
思わずそう考えてしまう。
そんな日々を送っているのだが、現在リディは目の前に広がる光景に唖然としていた。
部屋中に数々の宝飾品やドレスが所狭しと並んでいるのだ。
大ぶりのダイヤを中心に小さなダイヤがいくつも散りばめられているネックレスや、チェーン部分にルビーと金が交互に嵌められているネックレス、涙型のサファイアとダイヤモンドのイヤリング……
ドレスも最近流行のデザインや、クラシックデザインながら上質な布地で作られているものなど……
一目見ても超高級品ばかりである。
「い、いくら何でも多すぎです!!」
次々に運び込まれるこれらの品々にリディは思わず悲鳴に近い声を上げた。
「これって……もうお店まるごと買ったのでは……?」
思わず唖然としてしまう。
最後にメイドがメッセージカードを渡してきたのでそれを受け取ればルシアンの繊細で丁寧な文字で「ささやかながらプレゼントだ」と書かれていた。
(いや、全然ささやかじゃないんですけど!)
ルシアンはリディがバークレー家に来てからというもの、何かにつけてプレゼントをくれる。
まず同じ屋敷に暮らしているというのに毎朝花束が届くところからリディの一日は始まる。
他にも、街で見かけたから買ってきたと言って美しいレースのハンカチをくれたり、評判のスイーツだと言って予約が半年も先の菓子を買ってきてくれたりする。
本人曰く「忙しくてなかなかゆっくり会えないからな」と言うが、毎日夕食は一緒に取っているし、ルシアンの両親も毎日帰宅が早くなったと喜んでいる。
「ルシアン様……どうしちゃったのかしら?」
いくら仲睦まじい恋人を演出するためとはいえ、いささか演技が過ぎるのではないかと思う。
首を捻っていると突然声を掛けられた。
「お兄様に貢がせるおつもりですか? こんなにドレスなんていらないのではないですこと?」
エリスは開いていたドアのところに立って、憮然とした顔でそう言った。
(エリス様ならルシアン様のこの凶行を止められるかもしれないわ!)
そう思ったリディは、半ば縋るようにしてエリスへ懇願した。
「そうなんですよ!! エリス様からも言ってください! ドレスなんて部屋着と普段着と外出用と夜会用の四枚あれば十分ですよね?! こんなに……こんなことされても困ります……」
「いえ、四枚は流石に少ないと思いますけど……」
「そんなことありません! 贅沢すぎです! 私にはこんなの分不相応すぎますよ……エリス様、後生ですからルシアン様を止めてくださいぃ!!」
「ちょ、ちょっと、そんな悲壮な顔しないでくださいまし! ……まったく、調子が狂ってしまうわ」
半泣きになっているリディを見ながら、はぁとエリスがため息をついて頭を抱えた。
だが、また意を決したようにエリスはきりりとした表情になり、両腕を組みながらリディに鼻息荒く尋ねてきた。
「そ、そんなこと言って! 騙されませんわよ! 貴女、お兄様と婚約したのなんて財産狙いなのではなくて?」
「財産狙い……?」
ふとリディは考えた。
確かに偽装婚約の条件に契約終了後には占いの店を購入してもらうことになっているが、それは財産狙いになるのだろうか?
むむむと考えた後に、リディは素直に疑問を投げかけた。
「財産狙い……の定義にもよるかと思うのですが、私が欲しいのはアパートの一室なんです。それが財産狙いって言われたらそうなっちゃいますけど」
「アパートの一室? 豪邸じゃなくて?」
「豪邸なんてお掃除大変ですし、光熱費とか維持費とか大変じゃないですか。私はアパートで十分なんです」
リディの言っている意味が通じていないのか、エリスは怪訝な顔をした。
「……アパートが欲しい? 隠れ家的な別宅が欲しいということかしら?」
「いえ、お店をするんですよ」
「み、店?」
「はい。やっぱり現代女性たるもの、自立した生活が必要だと思うのです。そのためには稼がなくてはならないですからね」
「……言っている意味が分かりませんわ。貴女はお兄様と結婚するのに稼ぐと言ってらっしゃるの?」
そう指摘されてハッとリディは気づいた。
確かに婚約者なのだから将来的には結婚ということになり、そうなると確かにお金を稼ぐ必要はないのだ。
とはいえ、変に嘘をつくのも気が引けるので、リディは自分の考えを端的に伝えることにした。
「ルシアン様と結婚した場合には確かに経済的には安定するとは思うのです。でも、私は誰かに依存するのではなくて自分の力で生きてけるようになりたいと思っているのです。自立して生きていく力は必要だと思います」
「自立……」
エリスの顔には理解不能と書いてあるようだった。
まぁ、この世界の、しかも貴族の女性には理解できないのかもしれない。
「えっと、まぁ。なので私は財産狙いというかアパート狙いと言いますか……」
「な、なら、そのような高価なドレスは不要なのではなくて?」
そう言われて振り返ればきらきらと光り輝く品々が目に入り、本題を思い出した。
「ああああ……エリス様、そうでした。お願いします! ルシアン様を止めてください!! こんな高価なもの受け取れません!」
「えっ!? あ……な、なら返したらいかがですの?」
「はい、もちろんですよ! あとで買い取れとか言われたら、私払えませんから! ……その場合は出世払いでお願いします……出世……できるのかしら……」
「いや、お兄様はお金を払えなんて仰らないと思いますけど」
「そうですか?……でも、申し訳なさすぎるので、エリス様からもプレゼントは控えるように言っていただけると嬉しいです……私が言ってもスルーされるので……」
「わ、分かったわ。お兄様にはわたしから言っておきますわ」
「お願いします……」
契約終了後、今までの分を精算すると言われたら無一文どころかマイナスになってしまう。
リディはエリスに深々と礼をしたのち、再度その手を取って力を込めて懇願した。
「本当に、くれぐれも、お願いします!」
「え、ええ……本当に財産狙いじゃないようね」
「何か仰いました?」
エリスがぼそぼそと独り言を言ったようだが聞き取れなかった。
というか、エリスと出会ってから小声で何か言われるので、聞き取れないことに申し訳なさが募った。
「すみません。いつも私聞き取れなくて」
「いいえ、こちらのことですの。な、なら、貴女はお兄様のどこが好きなのかしら?」
「は?え?す、好き?」
「ん?違うのかしら?」
突然の話題にリディは動揺を隠せず、反射的に顔を真っ赤にしてしまった。
確かに恋人なのだから好き合っているのだろうが、実のところ自分たちはそのような関係ではない。
「いえ、す、好き……ですけど」
なぜか赤面してしまう。
異性に対して、しかも顔面偏差値が通常より振り切れている人物に自分が好きだというのも烏滸がましいというか分不相応だ。
だが、ここは好きだと言うしかない。
「じゃあどこが?」
「そうですね……やっぱり芯が強いところでしょうか?自分の人生を自分で切り開いていらっしゃる。人って『もういいや』とか『仕方ない』と言いがちじゃないですか?だけどルシアン様は自分で選択して、自分の在り方を自分で決めていらっしゃる。そういう強いところが私は好きです」
リディは普段ルシアンに感じていることを素直に話した。
そう言うと、エリスがじっと自分を見つめていることに気づいた。
変に語ってしまったことが恥ずかしくなってリディは慌てた。
「私がルシアン様を語るなど……失礼しました……」
「それが好きなところ?」
「ええ。そうですね」
「顔は?王太子殿下付だというところは?」
「あ、確かにお顔も素晴らしいと思います! 私には本当にもったいないくらいで。あと、失礼ですがルシアン様って王太子殿下付でいらっしゃるんですか?」
「え?」
「え?」
そう言った後にリディは気づいた。
(あ、恋人の職業を知らないなんておかしい!?)
「あ、ちょっと忘れてたなぁと……」
「本当に財産とか肩書とか顔とかに興味がないのですのね……あ、べ、別に貴女を認めたわけじゃなくてよ!! 勝ったなんて思わないでちょうだい!」
「は、はぁ」
エリスはリディをびしぃと指差すと、ばたばたと去って行った。
嵐が去ったように部屋が静かになる。
(最後の勝ったと思わないでっていうのは分からないけど……婚約者として認められていないのは事実ね)
やっぱり美少女に嫌われるのは寂しい。
エリスの去った方を見てはぁと小さくため息をついて脱力した後、リディは振り返った。
そこにはムスカ大佐のごとく「目がぁ目がぁ」と言うほどの豪奢なプレゼントの山があり、今度は泣きそうになりながら「あぁ……」と脱力したのだった。
※ ※ ※
お水と盛り塩をしてパンパンと柏手を打つ。
そしてリディはいつものように祈った。
「妖精様、今日もいい一日になりますように。妖精様にも限りない力が備わりますように」
そうしてテーブルクロスをかけた丸テーブルにタロットを並べる。
集中してシャッフルし、カードを開く。
聖杯の9。
(やっぱり出会いのカードは出ているし、想いが通じて両想いになるっていうのも出ているのよね……)
このようにルシアンの想い人を探すための占いはほぼ日課になっていた。
占い結果は「既に出会っている」「身近にいる」といった結果がほとんどだ。
たまに「東方に出かけるといい」とか「緑のある所に行くといい」と出るので、リディはルシアンと共にそこまで行くのだが、会えずじまいである。
結果的にルシアンと二人で出かけるだけになっている。
むしろおしゃれなカフェやレストラン、博物館やコンサートなどに行くというデートのようなことになってしまっているのだ。
占いに絶対はないが、ここまで当たらないと自信がなくなってしまう。
リディは地味にショックを受けながら、ずーんとした面持ちでカードを片付けていると、ドアがノックされた。
「リディ様、贈り物でございます」
「あ、どうぞ」
リディ付きのメイドが声を掛けてきたのでそう答えると、メイドが一杯に花を生けこんだ花瓶を持ってきた。
「ルシアン様からでございます」
「あ、ありがとうございます」
メイドはいつものように窓際にその花瓶を置いたのち、さっとずれた花を整えると、小さく「よし」と呟いて部屋から出て行った。
窓際には花瓶がいくつも並べられ、花がいつものように美しく咲いている。
毎日ルシアンが届けてくれているため、部屋に花が途切れることはない。
率直な感想を言うと嬉しい。
今日の花はオリエンタルリリーで、いい芳香を放っているので気持ちも上向きになるというものだ。
その花を見てリディは考えていた。
(もしかして……偽装婚約を持ちかけたことを気に病んでらっしゃるのかしら……)
だからこうして花を毎日贈ってくれたり、事あるごとにプレゼントをくれるのかもしれない。
確かにルシアンの打診から始まった偽装婚約ではあるが、現在は対等な契約を結んでおり、リディにもメリットがあるのだ。
ルシアンが気に病む必要などない。
それに、もしリディがルシアンの探し人を見つけられていれば、ルシアンはこんな偽装婚約をする必要もないし、晴れてその好きな女性とお付き合いできるのだ。
むしろ、ルシアンの想い人を見つけられないリディの方に瑕疵があると思う。
(まずは占いの結果が出ないことを謝ってから、偽装婚約については問題ないってことを改めて話してみましょ)
リディは過度な贈り物を控えてもらうようルシアンに話そうと決め、朝食を取りに部屋を出た。
階段を降りてエントランスに行くとちょうど出かけるところのルシアンと会った。
「おはよう、リディ」
「おはようございます、ルシアン様。もうお仕事に行かれるのですか?」
「あぁ、今日はちょっと仕事が立て込んでてね。早めに行って取り掛かりたいと思っているんだ」
「そうですか。無理なさらないでくださいね。……あ、そうだ。お礼が遅くなってすみません。今日もお花、ありがとうございました。とても綺麗なユリですね。いい香りが部屋中にしてとてもいい気分になります」
「それはよかった。貴女が喜んでくれると嬉しい」
いつもは少し切れ長の涼やかな目で、クールな印象のあるルシアンであったが、少しだけ目元を和らげてそう答えてくれた。
だが本日のリディには伝えるべきことがある。
リディはこほんと一つ咳払いをして、ルシアンに一歩近づき、小声で話をした。
「その……ルシアン様。あのですね。私、偽装婚約については承知していますので、何も気に病まないでくださいね」
「どうしたんだ、突然」
「いえ、毎日贈り物をいただいてすっごく嬉しいんですけど、無理されなくて大丈夫ですよ。一応恋人同士っていう設定ですからプレゼントをしなくちゃとお思いなんでしょう?」
「……君はそう思うのか?」
「違うんですか?」
「俺が君にあげたくてプレゼントしているんだ」
占いが当たらないことを怒られることがあっても、プレゼントをもらう理由が分からない。
「でも……プレゼントをもらう理由が見当たらなくて」
「理由? そんなの俺が君をす……」
「す?」
「……すまないと思っているからだ」
そう言った後、ルシアンは盛大なため息をついた。
「危ない……言うところだった……」
「何をですか?」
「いや、こっちの話だ」
「だから偽装婚約の事は気にしないでください。むしろ私のタロットが当たらなくてご迷惑をおかけしてしまい……先日だって演奏会に行くといいって出たのに、”あの方”に会えずじまいで無駄足になってしまいました」
「それに関しては問題ない。俺はリディと出かけるのが楽しいしな。……それに案外外れでもない」
「外れでもない?」
ルシアンの言葉の意味が分からず首を捻るリディに、ルシアンは微笑んだ後に、そっと手を取り、軽く口づけて踵を返した。
「じゃあ、行ってくるよ」
「あ、はい。いってらっしゃいませ」
ルシアンの背を見送った後、リディは先ほどのルシアンの言葉の意味を考えた。
(外れじゃない? ということは想い人の方と会えたのかしら? でもそんな素振りないし、それならそうと言ってくださると思うし……うーん)
まぁ今考えても仕方ない。
想い人と会えているのにリディと偽装婚約を続けるメリットなどルシアンにはないのだ。
以前の占いの結果で「友人や身近な人が教えてくれる」とあったから、想い人の情報は入っているがまだ会えないとかなのかもしれない。
「リディ様、そんなところでいかがなさいました? 朝食のご用意ができておりますが」
「あ、はい。今行きます」
メイドが声を掛けてきたので、リディは考えを中断して朝食を取りにダイニングに向かうのだった。