#2.小さな森で
―――その日は何かが始まった気がしたんだ。
「て――――……」
まどろみの中でどこからか声がする。
「おきて――……」
眠くて不明瞭な頭の中で女の子の声がする。
薄く開けた視界に黄色い何かが写っていて、頭の両側にくっ付けたしっぽみたいな髪の毛がゆらゆらと揺れている。
「ねぇ、起きてっ! いつまで寝てるの!!」
寝ぼける僕の耳元でけたたましい声が響く。
目を覚まして、声の主に話しかけた。
「なんだ、アナか。
朝から元気ですね」
「なーに、寝ぼけてんの! もうすぐお昼になっちゃうわよ!」
「僕はもっかい寝る。
おやすみなさい!」
もう一度、布団の中に潜り込む。
「こらあああああ!!」
かぶった布団を無理やりにひっぺがされ、耳を引っ張られる。
「イテテテテ……わかった、起きるからぁ……」
僕は眠たい目を擦りながら抗議するように彼女を睨んだ。すると、勝気な青い瞳と目が合う。
向こうっ気の強い幼なじみは威圧するように片眉を上げた。
「なによ、その顔?」
「別に、なんでもないよ」
「なんで勝手に上がり込んでんだ?」とか言うだけ無駄だろうなと思いつつ、リビングの椅子に腰かける。
途端にお腹が鳴る音がした。
「ご飯の支度でもするかなぁー」
重い腰を上げると洗面所で顔を洗う。寝ぼけた目をスッキリさせたあと、かまどの中に薪を組み上げる。薪木の中に指先を向けると、小さな火が出て薪に引火する。
「……よし、点いたな」
小さな火を消さないように優しく息を吹きかけてやる。すると、小さな火はパチパチと音を立てて燃え広がり、大きな火となった。
その様子を確認したあと、火加減が落ち着くまでバケットやベーコンを切り分ける。
そうこうしているうちに落ち着いた火の上にフライパンを置き、ベーコンをそっと乗せた。
敷かれたベーコンはそう時間も置かずにフライパンの上で踊り出す。白い煙が運んだ匂いは鼻をくすぐり、空腹の胃を刺激する。
取り出した玉子を割ってその上に落とす。玉子もブクブク煮立つようにしてベーコンと踊り、白くなっていく。
僕は焦げ付かないように細心の注意を払いながら、少しの間フライパンを火から遠ざけたり近付けたりして玉子の白身が焼き固まるのを待つ。
「よっ……と!」
頃合いを見てフライパンをかまどから引き上げると、食欲を刺激する匂いが蒸気と共に漂った。
余熱で黄身に火を通すようフライパンに蓋をし、空いたかまどの上に水の入ったポッドを置いて棚からコーヒーの豆を取り出す。
ミルの中へコーヒーの豆を入れると豆達が金属を叩き、カラカラと子気味のいい音を立てる。
ミルで挽かれた豆達は、はらはらと受け皿に落ちていく。焙煎された豆の香りがふわりと巻き上がり、これまた僕の鼻先をくすぐった。
「目玉焼きの方もそろそろ頃合いかな?」
挽いた豆をフィルターに入れたところでフライパンの中を確認するよう少しだけ蓋を上げる。蒸し焼きにされた黄身が月のようにキラキラと輝いていた。
そいつを用意してあったバケットの上に乗せて僕は椅子に座る。
「いただきます!」
熱々の朝食を一口だけかじり、残った火で沸かしていたお湯でコーヒーを淹れると、やがて芳醇な香りが家の中に広がっていく。
コーヒーを口の中に流し込み、思わず感嘆の声を上げた。
「ん、おいしい!
今回の豆は当たりだなぁ〜」
「…………」
「ごちそうさまでした!」
その始終を無言で見ていた幼なじみを横目に食器を片付ける。
「ねぇ?」
食器を洗っているとアナが呼びかけた。気心の知れた僕は食器を洗いながら受け答える。
「どうしたの?」
「私のことは無視?」
「そんなことないよ、アナスタシア」
「ほんと、マイペースね」
彼女が嫌味ったらしく大きなため息を吐く。
食器を洗い終えた僕は手を拭き、そんなため息を聞き流しつつリビングに戻る。
「そういえば、今日はどうしたんだい?」
僕はふと尋ねてみた。
「用がなかったら来ちゃ悪い?」
「いや、別に?」
「意味なんてないわよ。やることもないから幼なじみの顔を見に来ただけよ」
「そっか、面白いことはなにもないけどいいの?」
「ほっといてちょーだい」
彼女が不貞腐れたように突っ伏し、足をバタつかせる。アナは人の家に転がり込んでは用もなしに居座るのが得意で気を使って相手しても疲れるだけだ。
「なんでいつも僕の家に居座るんだよ、まったく」
「そりゃ、パパとママの代わって様子を見にきてあげてんのよ。
ロイってば、ほっといたら野垂れ死にしそうじゃない?」
「死ぬわけないだろ、子供じゃないんだからさ」
「文句あるなら昔みたいにウチに住んだらいいじゃない! 意地なんて張ってないでさー!」
「どうして、そうなるんだよ」
「定期的に様子を見に来るのも手間なのよぉー?」
僕は暖炉に薪木を入れて残り火を移し替えながら幼少期の頃を思い出す。
僕に両親はいない。森に捨てられていた僕を村長であるアナの親父さんが引き取ってくれ、物心ついた時から彼女の家で家族同然に育ててもらった。アナのことは幼少期の頃からよく知っているし、昔は兄弟のように遊んだりもした。
いつからだろうか、彼女達とは本当の家族じゃないと思ってしまった僕は逃げるようにしてこの空き家に居を移した。
1人で生きていかなくちゃいけないって自分に言い聞かせるようにして逃げ出したんだ。
そんなことをぼんやりと思い出す。
(アナのことはもう妹って目で見れないしなぁ……一緒に住んでたからこっちがおかしくなりそうだよ、冗談じゃあない……)
焦点の合わない目で暖炉を見つめていると、白い煙の中から暖かな火が現れた。
火が落ち着き、手持ち無沙汰になったところで本を広げる。
紙がめくれる音と暖炉の音だけがリビングに響く。
少しすると足元に何が当たる感覚する。
「ガツ……ガツ……」
「いてっ……いててっ……」
「ガツンッ!」
「なんだよ、もう!」
暇を持て余した幼なじみが無言でスネを蹴りつける。イスの足が床を叩き、木造家屋らしい音が響く。
「別にぃー?」
彼女は横を向いたまま、ぷらぷらとさせた足を僕にぶつける。
たまらず僕は本を置いた。
「わかった、本を読むのは止めるから!」
「は? 別に相手してほしいわけじゃないんですけどぉー?」
幼なじみの黄色い頭を恨みがましくにらむ。
「じゃあ、いいよ。僕は村はずれの森で薪になりそうな枝でも探しに行ってくるよ」
そんな僕の視線に気が付いてないのか、彼女はだらけた姿勢のまま言った。
「いってらっしゃーい」
「適当になったら自分の家に帰れよな!」
そう言い残し、村の道を歩いた。
僕の生まれたこの村はそれほど大きくもなく、五分と歩かないうちに外れの森までやって来る。
「この辺はのどかでいいよなー。木の棒で追い払える程度の魔物くらいしか生息してないから」
ゼリー状の魔物ときのこの形をした魔物がこちらの様子を窺うようして茂みの影から頭をのぞかせる。
――ひょこ、ひょこ……。
茂みの中を小さい魔物たちがぴょこぴょこ移動するが気にも留めず、薪を拾い集める。
しばらくして異変に気が付く。
「おかしいな、魔物たちがまったく見当たらない」
不気味なほどに静まり返った森の異変に寒気が走る。
全身の肌が粟立ち、嫌な予感に心臓はどくどくと騒いだ。
―――ガサガサガサガサ……!!
耳をすませば、どこかで激しく動きまわる音がする。そう遠くない距離で何かが茂みを掻き分けて走っている音だった。
(この辺りに棲むモンスターの動くような音じゃない……動く音が早すぎるぞ――……)
危険だと感じつつ、なぜだか気分は高揚する。
そのうち恐怖心よりも好奇心が勝り、僕は知らずのうちに音のする方へ歩いていた。
ゆっくりと茂みから顔を出し、音の出処を覗き見る。
――わんっ! わんわんっ!! ガルル――……!
少し開けた場所で、この辺りでは見かけない攻撃性の高い魔物が何かに向かって吠えている。
「あれはハウンド種じゃないか。
なぜこんなところに?」
群れで狩りをするその魔物は、単体ならば棒で撃退が出来るレベルだが数が多くなれば話は別だ。
落ち着いて、その数を数える。
(ひぃ、ふぅ、みぃ……6体か)
低級モンスターであるハウンドとはいえ、この規模の群れになれば村の大人が数人で追い払うほどに危険だ。迂闊に刺激したくもないが、襲っているのは他の魔物か、それとも人間か……慎重に体を乗り出して硬い唾を飲み込んだ。
「うわっ! 最悪だ!!」
思わず声を荒げしまう。その口を慌てて抑えながら茂みに隠れる。
口から飛び出そうな心臓を抑えつけ、冷や汗が頬を伝う。
(ヤバいヤバいヤバいヤバいっ!!!!)
しばらく息を殺して目を閉じる。
幸い、こちらには気が付かなかったようで胸を撫で下ろした。
再度、ハウンド達の様子を窺う。
ハウンドの狙っていた獲物は薄青色の髪が綺麗な女の子でキリッとした赤い瞳がとても印象的だ。
彼女は手にした長い棒を構え、毅然とした態度で魔物達と睨み合っている。
「あちゃ〜、見捨てるわけにはいかないかぁ……」
僕は大きく息を吐き、早鐘のように鳴る心臓を落ち着かせた。
手持ちの武器といえば、木の棒が少々……どうやって追い払うか算段する。
手に取った太い棒の先をポケットから取り出したナイフで削りつつ、群れの中でも一際大きいハウンドを何とかすれば撃退出来そうだな。とか、皮算用もしてみる。
(たぶん、アイツがリーダーだな……)
とにかく時間がない。悠長にやっていては彼女が危険だ。
慎重に照準を合わせ、先の鋭い棒を構える。
「少しでもダメージになれば怯んで逃げてくれるかもしれないしな!」
投げる瞬間、赤の瞳と目が合った気がした。
彼女と目が合うと、自分でも何故かは分からないくらいに鼓動が跳ねる。
―――……ボッ!!
指先から放たれた棒がとても人間が投げたとは思えないような速度で空間を切り裂くように目標に向けて飛翔し、鋭い穂先が寸分違わず獲物に喰らいつく。
「キャワンッッ!!」
即席の投げ槍は大きなハウンドの横腹に深々と突き刺さり、ハウンドがその勢いのまま木に縫い止められて消えていく。
自分自身でも何が起きたかが分からず、呆然とその様を眺めた。
「……えっ?」
呆けていると残る五対の獰猛な瞳に睨まれ、僕は慌てて我に返る。
―――ガァアアアッッ!!
強襲されたハウンド達の一匹が仕返して来るか、こちらに向かって鋭敏な動きで飛びかかった。
「うわああ!!」
焦った僕は手元に転がる棒を掴み上げ、闇雲に振り回した。
――――――ブワァッッ!!
振り回した棒切れはとてつもない唸りを上げてハウンドの横っ面を叩く。
――――――メキメキメキッッ!! バキャッ――!!!
叩いた衝撃は凄まじく、手元を残して棒が砕ける。粉砕された木片が僕の目の先で止まって見えた。
常識外の力に、じんじんと指先が痺れる。
「キャン?! キャンッ!!」
はたかれたハウンドが吹き飛んでいき、ソイツは痛みにのたうち回って泡を吹き、ほどなくして光の粒子となって空に融ける。
残るハウンドがこちらを警戒するように少し怯んだ。しかし、武器になりそうなものが残ってない。
「まずいぞ、武器がない……」
じりじりと魔物の群れが距離を詰めてくる。
ハウンド達の怒りの眼差しから放たれる仲間をやられた恨みが肌をひりつかせる。思わずたじろぎ、後ずさった。
「思い出して! アナタは魔剣を持ってるはずよ!!」
青髪の女の子が叫んだ。
僕はとっさに言い返してしまう。
「なにを言っているんだ! そんなもの持ってる訳ないだろっ!!」
彼女の方をよそ見すると、ハウンド達がここぞとばかりに一斉に踊りかかってくる。
「――うわあああああっ!!??」
ハウンド達は獣型の魔物よろしく俊敏な動作で僕のすぐ近くまで詰め寄り、唾液でギラつく牙を剥き出して飛び跳ねる。
泥と汗の匂いの中に獣の臭いが入り交じり、不快な気分が込み上げた。
(ハウンドの群れに敵うわけなかったんだ、バカやっちまったな……クソッ……!!)
絶対絶命の状況に興奮しているのか、やけにスローに見えるその光景に自分のした選択を後悔する。
「願って! 思い出すの!!!!」
視界の端に写る少女は身を乗り出すように叫ぶ。
訳の分からない彼女の言葉で反射的に願った。
(なんでもいいから出てくれ! 頼むっ!!)
そう心の中で叫ぶと僕の足元から青い光が立ち上った。その光達は線上になって夏の空を昇っていく。
どこかで高温の火種が爆ぜた。
――――パキンッッッ!!
爆ぜる音が青い光を炎に変える。火線が束になっては重なり、美しい蒼炎は鱗粉を噴き上げると、収束した火が一気に燃え上がる。
焼けるくらいに熱い右肩が炎の揺らめきに呼応して爆ぜる衝動が僕の思考を灼いていく。
青い炎を払おうと振りかざした右手の中に蒼炎を纏った青白い剣身の剣が現れる。
いつか見たあの夢を思い出しながら、その剣を手に取った。
(ああ、そうだ! 僕は……!!)
青みを帯びる白銀の剣で襲いかかるハウンド達を横一文字に薙ぎ払う。
―――ヒュッ!!
白銀の刃が美しい音を立てながらハウンド達を撫で斬りにする。
「ギャッ……!?」
バターのように手応えもなく寸断された魔物の群れが青い焔に焼かれて昇華される。
火が爆ぜる音だけが静かな森に響いた。
荒い息を吐きながら辺りを見回し、他の魔物が居ないかをよくよく確認する。
ハウンドの群れが全滅したことが分かり、放心しながら地べたに座り込む。
「なんとかなってよかった……」
熱い息に生きている実感が込み上げる。
青い髪の少女は何を言うことも無く、僕は痺れた指先を何度か握り直して白くなった手のひらが赤くなっていくのをただ見つめた。
しばらくそんなことをして、生きてる感覚を思い出したところで彼女に話しかける。
「久しぶりだね、リコ。
思い出したよ、あの日の夢――……」
「アナタに会うため、私は翼を捨てました」
「そっか、会いに来てくれてありがとう」
目が合うと頬を赤く染めたリコが僕に抱きついた。
彼女の心音はあの夢と変わらず暖かく、それがなんだかとても懐かしい気がして安心する。
火の消えた剣は空に融け、吹いた風の中を舞っていった。
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<今回 初登場のキャラ紹介>
幼なじみのアナちゃん
・素直になれないちょっぴり直情型の女の子。ロイ君の前だと上手く言葉が出てこないんです。
リコさん(現界時)
・概念の存在から現世に舞い降りた状態。とある事情から戦乙女の時よりかなり若く見える(戦乙女のときは20代中盤、今は18歳前後)
ハジメマシテ な コンニチハ!
高原 律月です!
竜の魔女の第2話になります。
文字数が多いのかそうでもないのか、いまいち分かってないですがこのボリューム感でやっていければと思います!
この投稿ペースがいつまで続くのだろうか笑
それでは、また次回〜ノシ