#11.戦慄
幾度、押し寄せる恐怖と高揚感を押し返したのだろう。血なまぐさい匂いにすっかり鼻が慣れたころ、辺りが静まり返った。
「ふぅ……」
「ようやく今ので最後ですね」
リコが額の汗を拭い、綺麗な青髪をふわりと持ち上げた。
「しかし、妙です」
「ん?」
彼女が訝しがるよう眉をひそめた。
「ハウンド達の動きが統率されすぎています。いくら群れで行動する魔物とはいえ、獣型にそこまでの知性があるとは考えにくいです」
「そういえば、本命がまだだったな……」
僕はゆっくりと息を吐き出し、軋む体と重い腰を持ち上げた。緩んだ指先をしっかりと握り直し、殲滅した軍勢がなだれ込んできた先を見据える。
「あの先に今回の襲撃を統率しているヤツがいるってことだな?」
「特に後半はこちらの動きを理解し、消耗させるような動きでした――……彼らにしては知性が高すぎます。
恐らく今一番出会いたくはない相手があの先にいますよ、気を引き締めてください! マスター!!」
「鬼が出るか蛇が出るか、だな―――」
硬い唾も飲み込めないほどに緊迫した空気の中、威嚇するような低い声が聞こえ始める。
先ほどまでの眼光達とは比べ物にならないほどの圧力を持った視線が僕達を捉えた。
森の奥から悠然と姿を現した銀色の獣達は怒りを含みながらも絶対強者然として余裕のある歩みで月光に照らされたその美しき銀毛の威圧を静かな草原に曝した。
「あれは、シルバーファング!? 固有数の少ない深き森の絶対王者―――…それがなぜ複数体もっ!?」
銀毛を逆立てたハウンド種ほどのサイズの狼達が僕らを標的と定めて悠然と歩み寄ってくるかと思いきや、まるで王の道を作るかのように彼らは左右に行儀良く整列していく。
「グルル……!!!!」
モンスターとは思えないほどにどこか気品のある顔立ちを讃えた彼らは、人間という愚かな種族を食い殺すが為、今にも喉元に食いかからんと猛っていた。
(獣型には恐怖心が無い分、ゴブリン達より殺気が鋭いな……)
ゴブリン達とは違い、言語までは読み取れずとも、彼らと同じ――……いや、それ以上の憎しみと怒りでその体躯を震わせ、その圧に飲まれかけた僕の脳裏に恐怖の二文字がよぎった。
「それはね、おねぇちゃんもよく知ってるでしょ?」
どこからか、少女のような高い声が聞こえる。
声の聞こえた方向をジッと睨んでいると、奥から他よりひと回り大きな銀狼が現れた。
「ガルァッ!!!」
大狼がひと吠えすると、圧倒的な覇気を纏ったその瞳が闇夜に消える。
―――ヒュンッ……!!
見失った僕は錯乱状態のまま硬直してしまい、パニック気味に目線をあちこちへと泳がせる。
「ど、どこだ!? クソッ!!」
黒い影が草原を所狭しと飛び回り、銀色の尾が流れ星のように視界の端に映る。ヤツが一瞬だけ動きを止め、金色の瞳と僕の視線が交わった。
「―――なっ!!?」
ヤツと目が合った数瞬、目に見えない速度で詰められた僕は喉元を引きちぎられ、為す術なく地面を転げた。
「が、はっ……!!?」
痛みよりも恐怖心が思考を支配して押し寄せる死の圧から逃げるように泥沼の中をもがく。膝を折り、息が出来ずに苦しんでいるとリコが背中を叩いた。
「しっかりしてください、マスター!!
戦闘はまだ始まっていません!!!!」
リコの発気で我に返り、全身から冷や汗が吹き出た。僕を飲み込む混じりっけのない死の予兆は、森の奥から覗く鈍くぼんやりとした双眸に宿り、その目を焦点の合わない目で見つめて奥歯が震える。
(なんなんだ、この化け物はっ!?
見ただけで殺されたと思ったぞ……なんだってんだ、一体……!?)
大狼の身体が月明かりに照らされると、その背に薄紅色の髪の少女を乗せていた。少女は年相応に無邪気な愛らしい笑顔をべったりと貼り付け、リコに顔を向ける。まるで、僕などこの場に居ないかのように歯牙にもかけず桃色の少女はリコに話しかけた。
「ダフネ、お久しぶりですね。ずいぶんと傾奇者になりましたね」
「久しぶりぃ〜、おねぇちゃん!」
少女は瞳孔の鋭い黄色い瞳を細めて恍惚そうに口元を歪める。
「誰なんだ、いったい……」
「五女のダフネです。神獣皇ククルカンと契約を結ぶ力を司る戦乙女ですね。
獣族のトップ2ってことですよ、いま相対すべき敵ではありません」
心なしか、リコの表情に嫌悪が滲む。ダフネと呼ばれる彼女そのものが嫌いなのか、はたまた虐殺行為を繰り返すケモノ共の行動を嫌ってなのかは分からない。
彼女に精神同調で呼びかける。
(どうする? 撤退するか?)
(どの道、ここで鉢合わせしてしまった以上は逃げるのは不可能でしょう。
背中を見せたところで狩られるだけですよ……)
(どうしたらいいっていうんだ!?)
(様子を見ましょう。あの子の目を見れば分かります、これはほんのちょっとした遊びのつもりです。
あー、忌々しいッ!!)
リコは死が確定したような状況でも怒りを燃やす。その視線の先にある黄色い眼を見据え、侮られた怒りを隠すこともなく睨め付ける。
「その男がおねぇちゃんのマスターなの? 弱っちそ〜、おねぇちゃん大変だね〜」
「本当にアナタは出来の悪い妹ですね。ダメな男とつるんでるから品性を欠落させてしまうんですよ、ダフネ?」
「あたしのマスターはそんなひょろひょろの日陰雑草とは違うしぃ〜?」
「ククルカンがそんなにいいんですか……男を見る目がないですね……相変わらず……」
「あ〜、そうやってあたしのマスターをバカにするの?
おねぇちゃん、自分の立場わかってないんじゃない?」
リコが呆れたように嘆息を吐き出した。
「で、ご用件は? まさか、久しぶりに姉妹で感動のご対面がしたかったワケじゃないでしょう?」
リコはなまくらを放るとレーヴァテインを携えて少女に剣先を向ける。鋭い刃先を向けられてもなお、ダフネが余裕を見せてニコニコと笑う。
「マスターにね、言われたの。人間の希望がどれほどのものか試してこいって」
「その口ぶり、だいぶ……まあ……よゆーぶっこいてくれますね?」
「ちょっと前に最後の原罪が目覚めたってのはあたしたち姉妹みんな知ってるよ、まさかそんな雑草ヤローだとは思わなかったけどぉ〜」
「アナタのとこの下品な筋肉バカと同じに考えられたら迷惑です!
あれは単細胞の筋肉バカでしょう? 人として恥ずかしいレベルのあほう者ですよ?」
「戦場でビビってるひょろひょろモヤシと抱き合わせにされたからって逆恨みするの〜?
おねぇちゃん、みっともなーい!!
負けず嫌いなとこ、ほーんと子供なんだからぁ!!」
「ダフネ? その減らず口は二度と叩けないように教育しなくてはいけませんね?
安心なさって下さい、きっちりと煉獄へ送って差し上げますよ!」
二人が姉妹ケンカのような口論を始めると、リコが珍しくイライラを滲ませる。感情を剥き出しにするリコが新鮮で、さっきまであった死のモヤは払われたようにスッキリとする。
戦う覚悟をしていると、ふわりと涼しい風がほほを撫でた。
「ケンカはダメだよぉ……お姉ちゃん、ダフネ……」
すると、空からもう1人女性が落ちてくる。どこから現れたのか、彼女はまるで羽毛のようにゆっくりと落ちてくると二人のあいだに立った。
「アネモネっ! アナタまで!」
リコの声色に若干の悲壮感が滲む。恐らく、この場で二人の戦乙女と相対することなど想定してはなかったのだろう。狼狽するリコの様子を見て白髪の少女は上目遣いをリコに向ける。
「久しぶり……お姉ちゃん……。
安心して、私はお姉ちゃんのことがだぁーい好きだから……戦うつもりはないよ……?」
そして、パタパタと手を振りながらリコに駆け寄っていく。リコの胸に埋まるとアネモネと呼ばれる少女が満足そうに口元を緩める。
「お姉ちゃん、いい匂い〜……好きぃ……」
「アネモネ。姉妹が3人揃って家族ごっこという歳でもないでしょう、お互い……」
アネモネは視線を突然こちらに向けると間伸びした眠たげな目をキツくさせて僕を睨んだ。
「その人がお姉ちゃんの恋人?」
「マスターですっ!」
「ふぅん……? じゃ、殺しちゃおっか?」
「アネモネ、ふざけたことを言っているとアナタを殺しますよ?」
「あはは……怖いな……お姉ちゃん……」
アネモネはボソボソとしながらも飄々とした口ぶりで笑う。
「……でも、……無理じゃない? いまの……お姉ちゃん……とっても……弱そう……すぐに死んじゃいそ……」
「アナタに後れを取るほど落ちぶれたつもりもありませんが?」
「悲しいね、リコお姉ちゃん……今のお姉ちゃん、本来の1/10も出力できないんじゃない……?」
「ねーえー! 私を無視して話すんの、やめてよ!」
とにかく状況が悪くなりつつあるのだけは確かなようだ。聞いているだけだと仲睦まじい姉妹の会話にも聞こえなくもないが、が所々で物騒な言葉が飛び交いピリつく空気を肌で感じ取ることが出来る。
「ダフネは……黙ってていいよ……? ロリコン筋肉バカに……私にお姉ちゃん取られて……半ベソかいてるの……慰めてもらえばいいよ……」
「あー!! 言ったなぁー! 根暗オタクコンビ!
私の方が上なんだよ!! ばかー!」
「ダフネのこと、嫌い……うるさい……」
「私もアネモネきらいっ! べー!!」
「あんまり……うるさいと……ダフネから殺しちゃうよ……?」
「アネモネさ、あたしと殴り合って勝てたことあったっけ? アンタ、弱っちぃんだから引っ込んでなよ?」
「これだから……脳筋バカコンビ……って言われるんだ……よ? 夜の時間は私達の時間なんだから……」
ダフネとアネモネの二人が剣呑な目付きでお互いを見合っているとそよそよと風がさざめく。アネモネと呼ばれる女性が不意に空を見上げた。
「……うん、わかった……」
彼女は独り言のように頷くと、やって来た時と同じようにふわふわと浮かび、リコを見て微笑んだ。
「マスターが……帰ってこい……って……じゃあね……」
突然のことに呆けながら彼女を見やっていると、花びらのようにフラフラと空をたゆたい、そのまま風に流れて夜空に中に消えていった。
「二度とくんなっ! しっしっ!!」
ダフネと呼ばれている少女が悪態をつきながら手払いする。リコがダフネを見ながら大きなため息を吐き出した。
「アナタも帰った方がいいんじゃないですか?」
「やだっ! おねぇちゃんと遊んでから帰るぅ!」
「ひじょーにイヤなんですが?」
リコの首すじに冷や汗が垂れるのが見えた。うすら寒い風に彼女の前髪がパタつき、寄せた眉のシワから焦っているのが見て取れる。
(そんなにヤバいのか?)
(ええ、とても不味い状況です)
(ダフネは戦乙女の中でも随一の戦闘特化型です。現界前ならば、私やアイリスとも並ぶ戦闘力を有してます。その戦闘能力は原罪と並んでも引けを取らないでしょうね)
(いきなり本格的な戦闘ってワケか。無理があるな、そいつは――……)
(ここで彼女を仕留めることが出来れば互いに力を共有し合ってるククルカンの弱体化になりますが、あまりにも分が悪すぎますね)
リコに精神同調で呼びかけると、彼女らしかぬ弱気な発言が返ってくる。
(あの子がマスターから離れることでどれくらい弱体化しているかが勝負ですね。
彼我の状態を鑑みれば、期待も出来ないことですが……)
(やるしかないってのか、クソッ!!)
(最善は尽くします。最悪の場合でもマスターは魔石の力で概念化してますので死ぬことはありません。原罪に取り込まれさえしなければ、期を見て私の仇を取って頂ければ……と思います)
(僕だってもうビビっちゃいないさ! 絶望的な戦力差だとしても僕達二人ならどうにか出来るさ!!)
(……ええ、そうですね)
僕達の覚悟はお見通し――とでも言いたいのか、ダフネは無邪気な笑顔を作り、黄色い瞳を細めながら僕達に言った。
「この子はね、森の王でも一番強くて賢い子なの……名前はベオたんって言うんだ。とっても強そーでしょ?」
彼女はシルバーファングから飛び降りて、その狼の頭を撫でて頬ずりをする。
「ふわふわ〜……」
「女児の遊びには付き合ってられませんね、まったく……」
「あたし、子どもじゃないし!」
「そーゆーとこがお子ちゃまなんですよ、アナタ」
ダフネが頬を膨らませて地団駄を踏む。緊張感のないその仕草に思わず気が緩んでしまう。
そんな気の緩みを感じ取ったのか、リコがダフネに問いかける。
「アナタはなぜ、村を襲撃しているのですか? これだけのシルバーファングを統率してるならあの程度の村を捻り潰すのは造作もないでしょう?
わざわざ弱者をいたぶる必要はないでしょう」
リコが問いかけると薄紅の頭をゆらゆらと揺らしながら彼女は答えた。
「理由は2つかな?」
「ふむ……」
「ひとつはおねぇちゃん達を待ってたから。まあ、こんなに早く会えるとは思わなかったけどね〜」
「もうひとつは?」
「おしえなーい!」
彼女は意地の悪い笑い方をしながらニコニコとする。
「それに、毎日恐怖に怯えながら必死に抵抗してるとこ見てるのすっごく面白かったの!」
「性格悪いですね、アナタ」
「兵隊さん達がちょっとずつあたしたちに食べられてぇー、ホントは怖くて怖くて逃げ出したいのに泣きながら頑張ってるとこを見てたら、おじさん達のことをおーえんしたくなっちゃった! キャハハっ!!」
「クズですね……呆れましたよ……堕ちるとこまで堕ちましたね、ダフネ……」
「人間だって同じことするよ! 狼を狩り、うさぎを毛皮にして、私たちを森の奥まで追い詰めて……それでもまだ焼き足りないってさ! だから、報復されたらかわいそーは違うくない?」
ダフネの人を人とも思わない言いようにボクは思わず声を荒らげた。
「なんの罪もない人達をたくさん殺しておいてなんでお前は笑っていられるんだ!!」
「人間はさ、生きてるだけで罪を背負ってるんだよぉー? 他種族を数で蹂躙して森を拓き、自分達の暮らしを楽にするっていう為だけに平気で沢山の生き物を殺してるしさ〜!」
「そんなことない! 生き物と共生して暮らしてる人達だっているぞ!!
一方的な物の見方して自分達の行為を正当化してるだけじゃないか! そんなの!!」
「それだけじゃないよ、人は人を平気で殺す。
関係ない他の生き物も巻き込んで自分達同士で殺し合いするじゃない?
だからさ、あたし達が殺したって殺さなくたって同じだよねぇ〜」
「アンタは一部の行動を全体の行いだと断罪できるほど偉いのかよ!!」
「青いのよ、アンタさぁ〜!
ウチのマスターがそう決めたんだからアンタ達は悪なのよ。
少なくともこれはあたし達、獣種の総意なんだよ。害獣であるアンタ達を根こそぎ駆逐する。
駆除が終われば家族は平和に暮らすことが出来る。だから、あたし達は家族の為に命を懸けて戦うことを選んだ。
人間にとってマスターは原罪かもしれないけど、あたし達にとっては原罪は英雄で、アンタが私達の邪魔をする悪なのよ!」
「戦乙女は英雄と共に世界を救済するのが使命じゃなかったのか?
どうして、お前は人を駆除するなんて言うんだよ!」
「あ゛っ!? ムカつくね、アンタなーんも知らないクセにさぁあ!!」
僕の言葉に過剰な反応を示した彼女は一瞬だけ凄むように僕を睨んだが、すぐに無邪気な笑顔を貼り付けて語り続ける。
「マスターはさ、英雄だよ? マスターを怪物にしたのはお前達だ。
だから、マスターがアンタ達を殺せというなら私はアンタ達をまとめてブチ殺す!
英雄だなんだ祭り上げておいて最後はマスターを裏切ったアンタ達をあたしは許さない!!」
「お互いが分かり合おうとは思わないのか?」
「ぬりぃのよ、そーゆー考え方ってさ。これ以上アンタと話してるとバカになりそ〜」
「無駄な争いを止められるなら僕は何度だって問いかけてやる!」
「お気楽ねぇー、アンタもいずれ思い知るんじゃない?」
「舐めるな! 人々のこの声が聞こえるようになってからそんなことは覚悟してんだよ!!」
「へぇ〜、魔石の力に目覚めたばかりだと思ってたけどすでに世界の声が聴こえるんだ?
その声が聴こえても理想を振りかざすなんて、最後の英雄サマは違うねぇ〜?」
「この願いの声は欲望や怨みだけじゃない! 平和を祈る声だってあるんだ!!」
「おめでたいのねぇ、最後にはきっとバケモノ扱いされて裏切られるんだよ〜?」
「そんなの、そうなってみなくちゃ分からないだろ?」
「ふぅ〜ん……?」
僕から目を逸らしたダフネは問答に飽きたかのようにあくびをしながらリコに笑いかける。
「おねぇちゃんはこの子たちと遊んでてね、私は雑草と遊ぶから……」
彼女がそう言うと、シルバーファングがリコを目掛けて飛びかかる。
「――くっ!!」
魔物達が目ではとても追えないような速度でリコに襲いかかり、彼女は咄嗟に大きく飛び退いて回避したが躱しきれずにリコの左腕から血が垂れる。
「リコっ!?」
「かすり傷です……」
その様子を見て、ダフネが破顔する。
「あれれー? おねぇちゃん、弱くなりすぎじゃない?」
「黙ってなさい、ちんちくりん! すぐにお仕置きしてあげますからっ!!」
「がんばれ〜、おねぇちゃん〜」
リコは魔物に囲まれ、なんとか躱すのに精一杯といった様子で防戦一方に押し込まれる。狼たちが彼女に飛びかかっては、いたぶるようにその身を切り裂く。
「くっ、この程度のことで!!」
「リコっ!!」
たまらず僕が彼女に加勢しようとすると、目の前に突然とダフネが現れる。
「だめだよー、雑草は私と遊ぶんだからぁー」
薄気味悪い笑みを浮かべて僕の行く手を塞ぐように両手を拡げる少女に、少し可哀想だが思いっきり拳を振り上げた。
「どけぇええ!!」
彼女の顔に拳が当たったかと思うやいなや、僕の体は宙を舞っていた。
ーーガンッ!!!
物凄い質量の何かと正面衝突したような衝撃が体を突き抜ける。何が起きたか分からず、浮かされた体が空を舞い、空と地面がひっくり返さになる。
「ガハっ!!?」
「よっわ〜、ざっこ〜」
吹き飛びながら彼女を見下ろすと、どうやら蹴りばされたらしい。そう時間を置かないで僕の体は地面を転げまわり、遅れて吹き飛ばされた衝撃と地面に叩きつけられた衝撃が痛覚に変わる。
「なんて蹴りだっ……どこからあんな力が……」
土の味と切った口びるから流れる血の味を噛み締めながら、一撃でたたらを踏んだ足をシバいて立ち上がる。ふらつく足元を支えるように握った剣を地面に突き刺して息を整えるように何度か深呼吸を繰り返す。
「へぇ〜、ちょっとは根性はあるみたいだね〜」
ダフネが少し感心したように目を丸くする。舐め切ったその瞳を睨み返して僕は強がるように言った。
「幼女に一撃で沈められてたらカッコ悪いじゃんか!」
「あー、アンタもわたしのことバカにするんだ?」
「あ、ごめん……つい……悪気はなかったんだ……」
「なによ、変に素直じゃない」
「見た目で人を判断しちゃいけないからね!」
「ちょーし狂っちゃうなぁ、もう!」
僕はヒザが笑うのが落ち着くと、もう一度大きく息を吐く。この場を乗り切る為に僕が出来ることは一つしかない―――、覚悟は出来ても恐怖は頭の上をチラつき心臓の跳ねる音が五月蝿い。
「こりゃ、勝ち目なさすぎるな……どうも……」
先ほどの一回で実力差があまりにも開いてることは痛切に感じた。
好戦的かつ上から目線のダフネを満足させるにはこれしかないだろう―――。
「なあ! ダフネ!」
僕が彼女に話を持ちかけるため剣をすっぽ投げて歩み寄ると、ダフネは少し面食らったような様子で肩を跳ね上げたがすぐにニコニコと笑う。
「なーに? もう降参〜?」
「いや、違う」
「気の済むまで僕のことは殴っていい、死んでしまっても恨まない。だから、これ以上リコをいたぶるのだけはやめてくれないか?」
「ふぅん……?」
「不甲斐ない僕自身のケジメは僕がつける、だから――……!!」
「みっともなぁーい、すぐに諦めて降参とかつまんなーい!」
「僕が悪あがきしたって勝てっこないのは今ので十分わかった。ただ、リコまで痛めつける必要はないだろ?」
ダフネはしばし考えるように視線をあちこちに移動させると、こう言った。のるかそるか、僕は彼女の目を見据えたまま、硬い唾を飲み込んだ。
「いーよ、わかった。雑草さんのお話に私も少し感動しちゃった!
だから、私が雑草さんのこと10回殴る間に雑草さんが一度も命乞いしなかったら私の負け!
その時は今後一切、この村には手出ししないよ! 大人しく引き上げてあげるねっ!!
だけどもし、痛いとか助けてとか言ったら雑草さんの負け……で勝負しよ?」
「僕が負けたら?」
「おねぇちゃんを殺しちゃいまーす! ついでにあの村も皆殺しにしまーす!」
「おまえ、僕が死ねない体なのを分かってて言ってるだろ?」
「ピンポンピンポンピンポーン!! 雑草さんも私たちと同じ概念の存在だもんね。死んでも死ねないからさ、雑草さんは殺しても意味ないじゃない?
私だって賭けるものあるんだからさ、雑草さんも賭けなきゃフェアじゃないじゃん?」
「わかった、その勝負に乗ろう!」
「あ、途中で死んだら生き返るまで待つからね? 気合い入れないと死んでるうちに生身のおねぇちゃんが先に死んじゃうから頑張ってね?」
「ほら、殴れよ!! アバズレ!」
僕がそう暴言を吐くと、彼女は物凄い形相で僕の頭を殴りつけた。大きなハンマーで叩かれたような痛みと衝撃が僕の体を走り、殴られた勢いのまま、地面に顔面が叩きつけられる。
「があっ!?」
「いーちっ! どんどん強くしていきマース!」
ダフネが僕の襟首を持ち上げると嬉しそうに笑った。幼い見た目からは想像も出来ない狂気じみた笑顔に僕は恐怖する。
「にっ!」
彼女の鋭い膝蹴りをモロに食らい、ボキボキと骨の折れる音が聞こえる。
「うぐっ……!!」
無抵抗に膝蹴りを受けた腹から血反吐が込み上げた。苦しくて吐き出すと鼻の奥に血の匂いと胃酸の酸っぱい匂いが充満する。
「ガハァ……ハァ……ハァ…………」
休む間もなく、続けざまに彼女は僕のことを地面に叩きつける。痛みと衝撃で息が止まって苦しいって思うことで生きてることを実感する。
―――バキッ!!
「さんっ! どお? 息できなくて苦しい?」
「ヒュー……ヒュー……」
息するのに精一杯で意識がすでに飛びそうだ。この数日間で一体何度死にかけたらいいんだろうか、英雄になることを選んだ自分を少しだけ恨みながら、滲む脂汗と一緒に吹き出そうな弱音をこらえるよう口びる噛み、身体中を強ばらせて耐える。
「反応が薄くてつまんないなぁっ!! ねえっ!!」
ダフネがジッと堪える僕を見てムッとしたように眉間にシワを作り、右足を振り下ろす。
―――ベキベキベキッ……!!
「―――があっ!!!!??」
踏みつけられた左腕が見たこともない方向に折れ曲がり、凄まじい痛みに声も出ない。遅れて頭が踏み潰れたことを理解すると今までに味わったことがない痛みに脳みそが焼けつくほどに熱くなる。
(いたい、いたいたいたいたいたいたいたいたいたい!!!!!!)
折られた左腕も引っ込めることが出来ないほどに体が重く、ただ歯を強く食いしばって喉元まで出てくる言葉を押し潰した。
ここに来てまだ半分以上も残っているなんて―――、気絶しそうな意識の中で自分の置かれた絶望的な状況に血の気が引いていきそうだ。
「あぁ……ぐぅぅ……!!」
「4回目も耐えちゃったね、えらいえらい!」
僕が苦痛に顔を歪めて情けない顔をすると、彼女は僕の頭を撫でて満足そうに笑う。
そんな彼女の顔面にツバを吐きかけて僕は言えるだけの精一杯の強がりを言った。
「じ、時間稼ぎしてないで……さっさと次をやれよ……ヒステリックロリババア……」
「あ゛っ!?」
――――――ガンっ!ガンっ!ガンっ!
「ぐああああああああああああああっっ!!!!?!?」
僕の顔面を3回ほど地面に叩きつけた彼女は慌てて手を離し、舌打ちをした。
「ヤバ、ついカッとなって3回もやっちゃった!?」
彼女の短気な性格を内心バカにしながら僕は絶え絶えの息で笑う。
「あ、あと3回だな……くくっ……」
朦朧とする意識の中で身体中のあちこちが痛すぎてもうどこが痛いのかすら分からなかったが、ダフネが悔しがるように顔を歪めるのが見えて少しだけ頭が冴える。
「おねぇちゃんもかわいそうだよね、こんな弱っちいマスターとペアにされてさ!
あんなにキレイで強くてかっこよかったおねぇちゃんが犬っころ相手に無様に逃げ回ってるんだから、ウケるぅ〜」
「いまは僕と勝負してるんだろ? それともネタ切れで降参か?」
「うっさいわね! はい、はちぃ〜!」
ダフネは右足を振り上げると僕のわき腹を思いっきりに蹴り込んだ。横っ腹に味わったことも無い衝撃が走る。
「ああっ!? があっ!!」
もはやどれだけ痛くても痛みに転げまわることも出来ず、ただひたすらに一秒一秒が長く感じる。土が口の中に入って気持ち悪い、吐き出したくても力が入らず無抵抗にダフネに胸ぐらを掴まれて首をだらけさせた。
「そろそろオチそうじゃない? しっかりしてよね〜」
そう言って彼女は持ち上げた僕の横顔をまたぶん殴る。もう殴れるくらいじゃ、何も感じないくらいに痛みで体が麻痺して殴れたまま、俯いた。
「ぐふっ……!!」
「ほーんと、しぶといわねぇ〜!
最弱種族のくせにぃ〜!! さっさと泣き言いったらどうなの?」
「言う訳ないだろ、お前なんかに負けるかよぉ……」
「死ねたら身体が再構築されて傷も痛みも無くなるのにね〜」
僕が目だけで彼女を睨み続けると、ダフネは呆れたように鼻を鳴らす。
「次でラストだぞ、派手なのやってみろよ……」
最後の最後、残った気力でそう言い返してやると、ダフネの黄色い目に色が灯った。
「おーけぃ! よく耐え切ったね、ぶっ殺してあげるっ!」
彼女は大きく息を吸い込むと、右足を大きく振りかぶって僕を蹴り上げる。ほんの数秒、視界が飛んで気が付いたらまた空を舞っていた。
「ぐあああああああ!!! があああああああ!!!?!!?」
体が物理法則を無視したように吹き飛ぶ。
「ひゅるるぅ〜……どぉおおんんっ!! キャハッ! とんだとんだぁ〜!!」
なすがまま地面に落下すると、その衝撃で意識が遠のき、霞む視界にリコの顔が写る。血の気のない憔悴した表情が感覚のない視界でも妙にハッキリとしていた。
「ま、マスターっ!!?」
「おねぇちゃん、愛しのマスターは私がボロボロにしちゃった! ごみーんに!」
「ダフネぇえええ!!!!!!!」
「ちょっとまってまって!! だめだめ! マスターちゃんと約束したのっ! 耐え切ったらおねぇちゃんに手を出さないって、だからおねぇちゃんも大人しくしててよ……じゃないと殺しちゃうじゃない!」
「そ、そうだ……だめだ……止めてくれ……」
「マスター! なんてことを……!?」
「えっ、うそ!? まだ生きてんの、やっば〜……」
「これしか思いつかなくてさ、ごめんよ……」
リコは目の端に涙を溜めながらダフネを睨む。睨まれた彼女はバツが悪そうにそそくさと狼の背に飛び乗った。
「それじゃ、私も帰るねぇ〜! まったねー!!」
そう言って、村を襲撃していた野獣共が森の奥深くまで消えていった。
アイツは短気で幼稚だが約束は守る―――、そんな根拠もないことを考えて僕は自分の選択に無理やり納得する。
ダフネ達が消えてしばらくすると、なにも出来なかった自分が悔しくて涙があふれる。
温い涙が乾いた血の後を這って頬から流れていくと何故だかとても安心して詰まってた息が自然に吐き出された。
「ごめん、リコ……ぜんぜん歯が立たなかった……」
「よく耐え切りました、身体中こんなボロボロにして……」
「リコだって傷だらけじゃないか、僕のせいで……アイツに言われたよ、リコが弱いのは僕のせいだって」
「そんなことありませんっ! アナタは強いです!」
「気休めはやめてくれよ、僕は勝てなかったんだ……」
彼女はボロボロの僕をそっと抱き上げてヨレヨレの足取りで村まで運ぶ。夜風が擦り傷に染みてヒリヒリと痛むと生きていることを実感する。
村の方角がやけに騒々しく、微かに声が聞こえて次第に足音が大きくなってくる。
「この傷はいったい!?」
僕達の姿を認めた自警団の人たちが慌てて近寄って来ると僕を診療所まで担ぎ込み、僕の意識はそこで途切れてしまった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
<今回 初登場のキャラ紹介>
ダフネちゃん
アネモネちゃん
ハジメマシテ な コンニチハっ!!
高原 律月ですっ!
竜の魔女11話になります〜 ノシ
新キャラ祭りですね((´∀`*))ヶラヶラ
それでは、また次回〜 ノシ