#101.天の涯て
天涯の女王が遺した白い指輪がロゼリアさんの胸元で僕を呼ぶように光る。
いつの間にか僕の生み出した神域は崩壊し、元の洞穴に戻っていた。
あれだけ幻想的に輝いていた不思議な光達は消えて、ランプの明かりだけが煌々と揺らめいている。
「ヴリドラ……結局、最後まで君のことは分からないままだったな……」
白の指輪に触れ、意識は暗転する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「王よ、我が王よ……」
視界の向こうにヴリドラの姿があった。
鮮やかな青の槍を携え、美しい横顔で真っ直ぐに世界を見渡すその白い瞳は何処か寂しげに揺れていた。
「どうしたのですか、マリー」
ヴリドラは栄える街並みを睥睨し、少しだけ目を細めて口の端を緩める。
「マスター、また時が刻む先に想いを馳せていらっしゃったのですか?」
「わたくしが寂寞に身を寄せるとでも?」
「いいえ。ただ、アナタは時おりとても寂しそうに笑うから……」
「わたくしにはわたくしの責務があります。父の名に恥じぬ生き方をせねばなりません。
母の遺したこの美しき世界を繋ぎ、守ること……民達の笑顔を曇らせては二人に合わせる顔がありません」
「そう、ですか……」
その受け答えは不興を買ったのか、天涯の女王は冷たい目をこちらに向けて眉根を寄せた。
「神の御子であるわたくしに欠たるものはありません。
父より贈られしこの紅き火と蒼き槍が描く未来に間違えはないのですから、わたくしも間違えのないように人々を導くだけです」
若い娘の肩に載せるには余りにも重いその責任が彼女の言葉に悲壮感を纏わせる。
彼女のまるで自分の行動は正しいと自身にでも言い聞かせてるかのような物言いにマリーは心の中で嘆いた。
(マスター……それはあまりにも拙く幼い思考ですよ……)
白き瞳の乙女が視る先を想い、戦乙女は吹き抜ける風のゆくえを追いかける。
「マスター、私はアナタのしたいことを叶える為にこの身を捧げます。
ですからアナタは為すべきことを必ず成して下さいね」
雲の向こう側を見るヴリドラの長いまつ毛がそよ風に揺られているようにも見えた。
――――――景色が変わる。
明瞭になった視界に写ったのは人の死体。足元に溜まる赤い水たまりから生温い臭いがする。
その向こう、紅く美しい羽を広げた女王は焼ける街から上がる黒煙を見上げた。
「どう……して……」
マリーは思わず言葉を漏らす。振り向いたヴリドラの顔に跳ねた返り血が地面に落ちる。
「どうして? 訊く必要はあるのですか?」
マリーの頭の中を酷い雑音が掻きむしる。
「マスター、なぜこんなことを……」
路地の奥で子供達が怯える。その目はヴリドラを写して瞳の中に赤黒い焔を浮かべる。
「未来が視えました。この者らは世界に不要の存在です。
腐敗を撒き散らすだけの腐った野菜です。
―――処分して然るべきでしょう?」
「そんな不確定な物の為にこれだけの人達をっ!!」
「言ったでしょう? わたくしが視る未来は絶対だと……」
「―――アナタって人はッッ!!」
声を荒げたマリーはヴリドラの胸ぐらを掴み、彼女の冷たい目を激情で睨む。
「変える手段を誤っていると!
私はそう言っているんですよ! ヴリドラ!」
「黙りなさい、泥人形……いま搾り出さなければならぬからこそ、そうしたまでのこと―――。
そんなことも分からない程度の浅はかさしか持ち合わせていないのならば今すぐその口を閉じなさいっ!!」
「そのチンケな槍に訊いてるんじゃないんですよ! ヴリドラ!!
アナタに何をしているんだと訊いてるんですよ、私はぁ!!」
「為すべきを成せ―――……、そう言ったのはアナタでしょう?
わたくしの心情などを慮るくらいなら、わたくしが為すべきことの為にアナタの力を使いなさい」
彼女の色の無い言葉にマリーは二の句を告げることもなく緩々と襟から指先を放す。
(ああ、私が彼女を孤独にしてしまったのですね―――……)
天涯の女王は詰まった襟を正しながら嘆息を零した。
「―――マリー、アナタはまるで何も分かっていないのですね」
そんな言葉がマリーを赤い水たまりの中に突き落としていく。力の抜けた膝が地面につくと、生温い何かが膝から心臓にまで込み上げてマリーは堪らず口元を押さえて泣いた。
「マスター、アナタの望むモノとは?
その先に何があるというのです?」
ヴリドラが血のりの染み付いたスカートをひらりと翻し、火の中を歩いていく。
「―――愚問ですね、それは。
人々に悠久の安息をもたらすこと。この美しい世界を不変とし、歯車に油を差し、淀みなく世界の営みを続けさせること。
その先にわたくしの望む永遠があるのです」
「その為ならば、自身が擦り切れていくことも厭わないと?」
「ええ、無用の心配です」
―――そして、景色は暗転していった。
景色が変わると、美しい大河が陽の光を反射し、その青色を舟に写す。
「ようやく世界の歯車が噛み合い始めましたね」
穏やかに微笑むヴリドラの向かいに座り、河の上を吹く風を受けながらマリーは答えた。
「ええ、マスター」
原罪達を全て祓い、穏やかになった日々に二人は思わず笑い合った。
川沿いを賑やかに彩らせる人々の喧騒が彼女達の耳をくすぐり、また笑う。
ヴリドラはそんな喧騒を眺めて言った。
「明日は久しぶりに二人でゆっくりと散策にでも出掛けませんか?」
「そうですね。もうずっと忙しかったですからねぇ、最後に二人で出掛けたのはいつだったのか、思い出せないくらいです」
ざわざわと僕の心が騒ぐ。
「マリーは何がしたいですか?」
ヴリドラが尋ねるようにこちらを見やる。
弾むような声色でマリーが答えた。
「そうですねぇ〜」
のどかな風景のハズなのに、ヒリつく予感に心臓が締め付けられたような気がした。
(聞こえてますか、最後の原罪―――…)
唐突な問いかけに思わず言葉を返す。
(なんだ、マリー?)
(アナタに私のマスターを託します。彼女を煉獄から救い上げて下さい、どうか必ず―――……)
(何を言っているんだ、キミは?)
僕の問いかけにマリーが答えることは無かった。
白昼の青い空、雲一つもない青いキャンパスが突然と赤色に濡れる。
マリーの抜き払った刃で跳ね飛んだ白く細い腕は血しぶきを舞い上げ、ヴリドラの美しい顔を歪ませる。
―――ザシュッ!!
驚いたように目を見開くヴリドラ、吹きかかる返り血―――。
赤い指輪が光るヴリドラの右手がカラドボルグを握ったまま、空を舞う。
涼しい風がマリーの頬を撫ぜた。
「―――なっ!?」
「ヴリドラ、アナタはやり過ぎました」
「わたくしの力が―――!?
父上から譲り受けし神性が―――!!」
「おやすみなさい、マスター……」
その言葉と共にマリーの凶刃が天涯の女王の胸を穿き、静かな川辺に湿った音が響く。
「―――がぁ、はっ!?」
火緋色の髪が風に踊り、綺麗な赤い血を吐き出したヴリドラがマリーにもたれ掛かる。
「な……ぜですか、マリー……?」
「―――圧政を敷く暴君の排除……これは民衆の総意です……ヴリドラ……」
「なるほど、わたくし自身が消えるからこの未来は視えなかったのですね……やられましたよ……」
「安心してください。アナタの罪は私が背負いますよ、マスター」
最後にもう一度、血を吐き出したヴリドラはマリーの胸に寄りかかり、その重みでマリーが舟の上に座り込む。
穏やかな川面が静かに波を立てて揺らいだ。
「ああっ―――……マスター―――…………」
マリーは最愛のマスターを抱きかかえ、しゃくり上げるように咽び泣く。
「―――うぅっ……―――くぅ……」
誰も居ない隔絶された場所で慟哭する彼女の悲しみに触れ、僕の胸も締め付けられる。
(―――最後の原罪、これが何なのか意味は分かりますか?)
また彼女の呼び掛けが聞こえる。
(こんな記憶を見せて何の意味があるっていうんだ、アナタは……)
また返事はない。
―――視界が暗くなっていく。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「マリー……キミは……」
結局、色々な謎を残して夜王ヴリドラは消えた。
指輪の記憶に答え合わせを期待したが、陰惨な記憶を見せられただけで鬱屈とした心持ちになる。
僕の顔がそんなに酷かったのか、仲間達が心配そうな顔で僕を見ていた。
ハジメマシテ な コンニチハ!
高原律月です。
竜の魔女、第三部に突入です!
ヴリドラさんの過去をマリーさんの視点で覗き見です|ω・*)
時系列としては、序盤が王になりたて(両親と前王を謀殺してちょっとくらい)、中間が原罪討伐の終盤、最後が全部終わって平和になった後ですね〜(`・ω・´)ノ
これにて、ヴリドラ・マリー編は終了になります。
今回はククルカンの時よりヴリドラの堕ちた背景を掘り下げられたのかな?そうでもなかったのかな?といった感じになります。
いつだかマリーはどのタイミングで出そうかと言及しましたが、実は割と早いタイミングからストーリー上では絡んでたりもします!(明言させてないのでどこでさせようかと様子を見ているうちにストーリーが終わってしまいましたが笑)
ちなみにオマケとして、剣聖ちゃんは復活をしてますがこちら通常ではこの世界は死者の復活は出来ませんが、とあるギミックによって生き返っております。
勢いで死亡まで追い込んどいて言うのもアレですが、剣聖ちゃんは復活可能だったので容赦なく死亡させてしまった訳です(笑)
それでは、また次回〜 ノシ