そうして彼らは化かし合う
「だからさ、人間は自分に無いものを求めるんだよ!魚や虫とは違い自分と相手に差異があることを強く認識できるからこそ、恋ってものが成立するんだ。仮に男と女の体の構造が同じで互いの生殖機能を具えているとしたら、人類はここまで増えなかったし、発展しなかったはずだろ!?」
青年の言葉の熱量は、彼の右手が握るコップの水を沸騰させてしまうのではないかと思う程だった。だが、学生たちの喧噪が響きわたる食堂の中でも一際響いたその声の大きさに反して、興味を抱くものは一人もいなかった。むしろ嫌悪すら感じている者も居る。
それは青年の横に座る友人も例外ではなかった。
「……で、結局何が言いたいんだよ。僕さ、いま楽しくうどんを啜ってるんだよね。君の意味の分からない話より、麺が伸びないかの方が気になって仕方ないんだけど」
「そう言ってくれるな。つまり俺が言いたいのは、だな……」
熱弁ふるっていた青年は、目立つ金髪を軽く掻きながらそう言い淀んだ。すると友人には、彼の体が急に縮んだように見えた。いや、熱弁の力強さによって大きく見えていただけで、元々の小柄な体格が変わったわけではないのだろう。
「獣耳に恋したって、別に変じゃないよな……ってことだ」
「さっきまでの話はどこに行ったんだ?」
「人間にはケモミミや尻尾はないから……それを持った存在に恋をするのは当然ってことを言いたかったんだよ?」
「……いや、当然ではないよ?と言うか男女の構造がどうとか、人類の発展がどうとか、あれは何だったわけ?」
「あー!あー!皆、そう言うんだよ!"現実に戻れ""それより落としそうな単位に恋しろ""お前の変態は俺の変態じゃ抑えきれねぇ"……でも俺は見たんだ。間違いなく見たんだよ……」
小柄な青年は、二十歳前後の年齢の割に幼く見える中性的な顔を机の上に乗せて突っ伏した。そうして目を強く閉じると、瞼の裏に映るにはいつも同じ存在だ。華やかな和服を着こなし、ぴょこりと跳ねる獣の耳と尻尾を持つ女の子。春のような穏やかで温かな、けれど見た者をどこまでも甘い毒の中に漬す蕩ける笑顔を束の間浮かべ、そして木々の中へと消えて行く人ではないもの。それを自分が幼いころに見た幻想に、そして大きくなってなお美化し続ける恋の夢にしたくなくて、青年は中学二年までを過ごした故郷の大学に進学したのだ。
しかし青年が焦がれる恋慕の相手は、隣から聞こえてきた麺を啜る音によって、瞼の裏から掻き消された。
「と言うか、その話はもう何度も聞いているんだよね。獣耳の女の子だろ?君が女の子を見たって場所を一緒に探したし、その近くに住んでいる人に聞きこみにも行った。でも、何の手がかりもなかったじゃないか」
「それについては本当にありがとう。お前くらいだよ、俺の言葉を聞いて何度も協力してくれたのは。あの女の子のことがどうしても忘れられなくてここに戻って来たけど、今では同じくらいお前との友情も大事だもんな。本当に戻って来て良かったよ」
「……それは光栄だね。でもその女の子が本当に居て、今の言葉を聞いていたのなら、あんまりいい気がしないんじゃないかな?」
青年の友人は優男とも形容できる端正な顔立ちを顰めて、肩を竦めて見せた。それは軽い動作だったがそれでさえ優雅であり、目の前の友人が女性から人気があることを十二分に納得させられる。
もっとも同じ男である青年は、その動作に見惚れて言葉を詰まらせるようなことはなかった。
「あの女の子が本当に居たとしても、俺の事なんてきっと忘れているだろけどな……それにそんなにあの女の子にも、お前にも失礼な言葉だったか?俺にとってはどっちも大切ってだけなんだけどな」
「どっちもねぇ」青年の友人は意味ありげににやりと笑い。「じゃあ仮に、どっちか一つしか選べないとしたらどうする?その女の子か、僕か」
「えー……何か湿度の高い質問じゃね?でも、そうだな……」
青年が腕を組んで考えていた時間は、友人のうどんの麺が出汁を吸ってぐやぐやにふやける程ではなかった。それでもそろそろ昼休みが終わり、次の授業を選択している生徒たちが食堂から次々に去っていく中で、しばらく動きのない二人の空間はどこか近づきがたさを滲ませている。
「俺はさ」
そう切り出してから、青年は一度軽く息を吐き出してから続ける。
「話しただろうけど、中学の途中までこっちで暮らしてたんだけどさ。高校はもっと都会の方で、だから大学でここに戻って来るとき正直不安で仕方がなかったんだ。ほら俺、あんまり男らしいとは言えない容姿だろ。それをイジられたことも何度かあったしな。だから、一人でいた俺にお前が声を掛けてくれて、仲良くしてくれて本当に救われたんだ。けど、俺がこっちに戻って来たのはあの女の子のためだからな。子供の頃に一目ぼれして、それからずっと可能な限りあの子を探してきたんだ」
一気に捲し立てて、一度大きく息を吸う。
「つまりさ、俺は諦めが悪いんだよ。だから、どっちかなんて選ばねぇよ。どっちもだ」
「んんんんんんん……!!!」
「うわっ!いきなり何だよ!どういう反応なんだよ……」
顔を下げて拳をぎゅっと握りしめ、小刻みに体を揺らし始めた友人の反応に、青年は若干引き気味に驚いた。そのおかげで、先ほど言った青臭い言葉に羞恥する時間が短くて済んだのは彼にとって幸いだったが。
「……いや、変なことを聞いて悪かったな」
軽く首を振った青年の友人が、うどんの器を持って立ち上がる。それを食堂の返却口に返した後で、友人は床に置いていたバックを持ち上げて背負った。青年も同じようにバックを担ぎ上げると、少し傾斜のある大学内の道を共に進み始める。
「例えばさ」
しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは奇妙な反応などなかったように冷静な顔をした友人だった。
「その女の子の方も化かされていたとしたら、どうする?」
「は?どう言うこと?」
「君、言ってたよね。人間は自分に無いものを求めるんだって。自分と相手との差異を強く意識できるから、恋は生まれるって」
「……言ったような、言ってないような」
「えぇ……ケモミミや尻尾を持った存在に恋をするのは当然だ、という主張が出来ればそのために放った言葉はどうでもいいのか……」
「まぁ」
「まぁ!?少しは言い繕ってくれよ……今更か」
友人は長い長い溜息をつく。しかしそれは、どこか優し気な響きを持っていた。
「はぁ……もういいや。それで、今日はどうする?また女の子の手がかりを探しに行くかい?それとも、気晴らしに遊びに行く?」
「んー……今日はこう、手首を動かしたい気分だなぁ」
青年が右手首を何度か曲げて見せると、友人はそれに同意するように頷いた。そうして二人は、ゆっくりと並んで歩き始めるのだった。
昔々あるところ。
それはそれは大きな山に、一匹の狐の子供が暮らしていました。
狐はとても好奇心が強く、父や母が止めるのも聞かずにいつも山から下りて、人間の暮らす世界を観察していました。
そんなある日、狐は一人の少女と出くわしました。それは大層可憐な少女で、狐は自分にはない大きな瞳や形の違う耳を見て一目ぼれしてしまいました。そして、仲良くなりたくて人の姿に化けて笑いかけました。
けれど少女は、目を大きく丸くさせるばかりです。狐はそれを、自分が驚かせてしまったせいだと思ってしまい、逃げるように父と母の元へと帰っていってしまいました。
父と母の元へと帰った狐は二人に聞きました。
どうすれば人間と仲良くなれるの?どうすれば人間と愛し合えるの?
父と母は困ってしまいました。けれど自分たちの可愛い娘の真剣な問いに、彼らは誤魔化すことが出来ずにこう答えました。
「よっしゃ、今は多様化の時代らしいからな。最近ではこの里でも妖術よりWi-Fiの方が飛んでることだし、どうとでもなるさ。その子は女の子だったんだよな。だったら人の男に変身できるよう訓練して、人の男として過ごそう」
そうして狐は人の男に化けれる様になりました。人の世界で暮らし始め、彼らのことをより学び始めました。
けれどあの女の子は、どれだけ探しても見つかりませんでした。
「興信所にでも頼むか?」
そう父に聞かれた狐が頷くことはありませんでした。彼女は運命と言うものを信じていたのです。
何度も何度も太陽と月が昇って、ようやく狐は再び探し求めていた人間に出会いました。狐が信じていた通り、それは運命だったのです。
けれど人間は、女の子ではありませんでした。線が細くて、小柄で、顔立ちは中性的でしたが男の子だったのです。
こうして狐は化かされました。化かされた狐は、困ったことに上手く変化ができなくなりました。運命の相手に恋をしている限り、元の姿にも戻れず、人の女性の姿にもなれなくなってしまったのです。
狐は悩みました。何度か打ち明けようとしました。けれど、人の男の姿の自分と楽しそうにする運命の相手を見るたびに、この関係を壊しても良いのか悩みました。
そして今も、悩み続けているのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。