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Episode.94 暗愚なる怖死者

 (かつ)て旧文明を破壊し尽くし、人類を滅亡寸前にまで追い込んだネメシスは、リヒトの犠牲を切欠(きっかけ)とした反転攻勢によって一時的に沈黙した。

 そのネメシスを封印状態にする為に、当時辛うじて生き延びた文明の残滓(ざんし)の粋を尽くして『五大遺跡』というシステムを構築し、更にいつかネメシスを完全に破壊する為に人材を導くべく各地に衛星となる『遺跡』をも作り上げたのは、一人の天才にしてリヒトの実弟・ビヒトであった。


 その顛末(てんまつ)を見て、当時のダーク・リッチことイッチは何を思ったのか。

 壊物(かいぶつ)と成れ果てた今の彼には負の想念、怨念しか残されていない。

 それは人間として生きた彼の、記憶の絞り(かす)の様なものだった。

 故に、ミーナ達との最後の戦い、その直前まで、(そもそ)も自分が何者だったのかすら忘れてしまっていた。


 そうだ、あの刀が語るまで、(われ)は自らのルーツである『帝国』の事すらも思い出せなかった。

 ただ、只管(ひたすら)に自らが人間よりも優れた存在である事に固執し続けた。

 壊物(かいぶつ)として、何者よりも優れた永遠なる存在となる事に……。――ダーク・リッチは走馬灯の様に記憶を呼び戻す中で、自身の意識にずっと(もや)が掛かっていた事に気が付いた。


 今、彼は自身が人間だった頃の真実を思い起こしていた。

 それは、最早誰にも顧みられる事は無いであろう、ダーク・リッチに身を堕とした男の、本当の記憶。




***




 逸智(イッチ)という男が居た。

 その男は(かつ)て世界に存在した『超時空の帝国』の皇族が世界に残した傍流の末裔であり、そして一つの悲劇を巻き起こした元凶でもあった。


 彼は元々極めて優秀な男で、大学に進学して初めて自分と対等に語り合える友に出会った。

 その友、美仁(ビヒト)逸智(イッチ)は互いに認め合い、切磋琢磨する健全なライバルとしても交流を続けていた。


 だが、蜜月の時は長く続かなかった。

 一年足らずの間に、二人の差は歴然として開いてしまった。

 逸智(イッチ)は所詮秀才の域を出ず、美仁(ビヒト)は正真正銘の天才だった。


 自身を特別だと信じて疑わなかった彼にとって、唯一対等に渡り合えると思った友がその実自身よりも遥かに上の存在だった、というのは生まれて初めて経験する挫折で、挫折とは深刻なアイデンティティ・クライシスであった。


 自暴自棄になった友に対して、美仁(ビヒト)は大いに失望したのだろう。

 だが逸智(イッチ)に対して向けられた心無い言葉は彼の中で何かを決定的に壊した。


 逸智(イッチ)は自らのルーツとなる、『超時空の帝国』の幻影を追い求める様になった。

 折しも、一部の現実に嫌気が差したセレブリティの中で時空間移動が度々行われていた事が不幸だった。

 彼にとって最悪だったことに、素人の生兵法が原初の壊物(かいぶつ)『ネメシス』に人類を見付けられる切欠(きっかけ)を与えてしまったのだ。


 結果、招いたのは人類文明の滅亡、美仁(ビヒト)の兄・理仁(リヒト)の犠牲、そして美仁(ビヒト)自身のネメシス封印に尽した末の過労死だった。


 (ぼく)のせい……なのか……?――逸智(イッチ)はその時、確かに激しく後悔していた。

 自らの弱さと安易な愚行で人類を、友を殺してしまった事に途方も無い罪の意識を抱いていた。


「どうやって……償えば良いというんだ……。」


 思い悩む逸智(イッチ)に光明を与えたのは、二つの事実だった。

 一つは、理仁(リヒト)美仁(ビヒト)が思念体としてこの世に留まり続けているという事実。

 そして研究によって、ネメシスとの戦いで剥がれ落ちて生まれた壊物(かいぶつ)という存在が不死者であると判っていた事だった。


「ネメシスは確か……この世界に満ちていた怨念を核として取り込んでいた……。それは即ち、思念体の様な物ではないか? ならば発想を変えれば、自らを思念体と化し壊物(かいぶつ)に取り込ませる事で、人間は壊物(かいぶつ)として新たな生を受け、(かつ)ての文明が夢を見て実現できなかった不死の存在に己を変えることが出来るのではないか?」


 逸智(イッチ)はそうして、再び研究者としての意欲を取り戻した。


(ぼく)が引き起こした事件を切欠(きっかけ)に、人類が滅亡する事などあってはならない。(むし)ろ、これを人類が更なる上位存在に飛躍する為の機会として生かすべきだ。更に、壊物(かいぶつ)の共食いの性質を利用すれば、ネメシスを逆に取り込んでしまう事によって、人類は滅亡の危機を永久に回避できる。」


 彼の中で思考が禁断の接続を繰り返す。


「そうだ! 美仁(ビヒト)が彼の兄と二人で着手し、成し遂げることが出来なかった大事業を、この(ぼく)が終わらせるのだ‼ それも、二人が想像もしなかった形で超越した結果を(もっ)て‼ (ぼく)は彼等を超え、人類は救われ、そして完璧な形で贖罪が出来る‼ いやいや、その先には(ぼく)が作り上げた、『永遠の帝国』さえも待っているだろう‼」


 挫折する前の対抗意識、挫折して追い求めた夢、夢の代償として背負った業、その全てを一纏めに解決する、余りにも甘美な目標が見出されてしまった。

 一人の男の狂気が開花した瞬間だった。

 そして彼は自分自身を実験台に人間を壊物(かいぶつ)と変える研究を続け、(やが)てそれは成就する事になる。


 だが、彼には一つ誤算があった。

 壊物(かいぶつ)が取り込み、核とする『負の想念』は正の思念体と比べて非常に不安定()つ不完全な物だという事だ。

 逸智(イッチ)は己の身を初めて壊物(かいぶつ)に変えた時、図らずも多くの人間性を失ってしまった。


 その後、より大きな力を求めて時に壊物(かいぶつ)の肉体を乗っ取り、時に人工の肉体を作り、多くの歳月を過ごす事で、彼は人間だった頃の人格を殆ど失ってしまった。


 (われ)は何者ぞ……?

 朧気な記憶から、(われ)(かつ)て人間であった事は解る。

 そして、力と永遠を求め、知恵によってそれを為さんとしている事も。


 (われ)と同じ様な存在は、確か人間だった頃の伝承、架空の物語の中に在ったような気がする。

 (われ)はそれか?


 嗚呼(われ)は、(われ)こそは『闇の不死賢者(ダーク・リッチ)』なのだ……。――今、一人の男の哀れな成れ果てに断罪の刃が叩き込まれようとしていた。




***




 壊物(かいぶつ)『ダーク・リッチ』に身を堕とし、本来の目的も忘れ果てて妄念の赴く(まま)にネメシスと同化し、人類を完全な滅亡に追い込もうとした今、最早イッチに温情をかける者など存在しなかった。

 ミーナの妖刀とシャチの戦斧(ハルバード)がダーク・リッチを十字に斬り裂き、一点集中の衝撃をぶつける。


「グギャアアアアアアアアアアッッ‼」


 同じ攻撃で(たお)された『ネメシスの心臓』と同じ様に、ダーク・リッチは穴の開いた風船の如く吹き飛びながら(しぼ)んでいく。

 彼は自身を壊物(かいぶつ)と化す際に、ネメシス以上に純度の高い負の想念の塊となっている。

 つまり、ダーク・リッチには心臓の様に金魚程の肉も残る事すら無いだろう。


「わ、(われ)は消えるのか……⁉ このまま……‼ 最期まで何も成し遂げられず……‼」


 叶う筈の無い無念を吐く。

 成し遂げるべき事を忘れ果てていたのだから当然だろう。


「嫌だ……‼ 死にたくない‼ 消えたくない‼ (おわ)りたくないぃぃぃっっ‼」


 どうしてこんな事になってしまったのか。

 壊物(かいぶつ)になろうとしたのがいけなかったのか。

 ならばどうすれば良かったのいうのだ。――そう思いを巡らせ、ダーク・リッチ、いやイッチは(ようや)く気が付いた。


 自分は人間としての責任から逃げたのだ。

 その前は自分を取り巻く現実から失われたルーツへと逃げたのだ。

 逃げて逃げて、ずっと逃げ続けてここまで自分を追い込んでしまったのだ。

 挫折を覚えてからの彼の人生は、敗北というよりも(むし)ろ逃亡だった。


「最後に……踏み止まるべきだった……。」


 今更になって、彼は自分の取るべきだった道に気が付いた。

 彼はビヒトと和解すべきだったのだ。

 そして彼やリヒトと共に、人類再建に尽力すべきだった。

 それこそが、本当の贖罪の道だった。


 愚かな過ちに満ちた肉体がビヒトの足下に落ち、ビクビクと震えながら尚も(しぼ)んでいく。

 その最期を、(かつ)ての友は憐れみに満ちた眼で見降ろしていた。


「ビ……美仁(ビヒト)……。(ぼく)が……愚かだった……。」

『ああ……。』


 逸智(イッチ)という愚かな男の成れの果てが消えていく。

 ミーナとシャチもビヒトと共に彼を囲んで見届けようとしていた。

 消えかかった彼は、最後にゾンビの様な人間の顔を髑髏(どくろ)に浮き上がらせた。

 何処(どこ)かシャチと似た面影を持った、しかし彼と異なり青白い痩せた顔だ。

 その乾いた口から、末期の言葉を漏らす。


「済まなかった……。本当に……。た、頼む……。」


 蟻のように小さくなったイッチはよたよたと地べたを這い、ビヒトに縋り付こうと藻掻いていた。


「人類を……救って……。(ぼく)の罪を……終わらせて……。」

『勿論。』


 ビヒトの答えを聞き、イッチは安心した様に目を閉じ、そのまま消えて行った。

 人間でありながら壊物(かいぶつ)に身を堕とし、死から逃げ続けた愚かな男の命が百年以上の時を経て(ようや)く終わった瞬間だった。


(わたし)にはお前を余り責められないかも知れんな……。血を分けた兄とも長年啀み合い続けた……。お前と手を取り合う道を閉ざし続けたのは(わたし)の方だったのかも知れん……。それに、今の(わたし)にはお前の願いに応える術は無い……。』

「応えるよ。」


 ビヒトの感傷に満ちた述懐に、ミーナは迷うことなく断言した。


(わたし)達が代わりに応える。その為に(わたし)達は此処まで来た。それで良いじゃない。」

『済まんな。だが、(わたし)からも頼んだぞ。』


 ミーナとシャチは互いに顔を見合わせ、そしてビヒトの方へ向いて力強く頷いた。

 通路を抜けた先には『ネメシスの脳髄』が待ち構えている。

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