Episode.93 帝国の妙薬
ダーク・リッチの最も恐るべき必殺技、『破滅の青白光』。
強力な中性子線ビームを放出するという物理的な攻撃であり、『双極の魔王』やネメシスの様な負の想念の純度が高い壊物への有効性は低いが、人体には深刻なダメージを与える。
負の想念による攻撃では無い分、それは妖刀の力を以てしても防ぎようが無く、一度発動を許してしまえば死を覚悟しなければならない絶望的な技なのだ。
勿論、その存在を最初から知っていたミーナ達が何の対策もしていなかった筈も無い。
幸いな事に、この戦いに備えて一夜の休息をとった『原子力遺跡』には薬品庫が備わっており、放射線の影響から人体を回復させる『秘薬』も安置されていた。
その為、万が一に備え、ミーナ達四人全員が四粒ずつ持参し、この戦いに挑んでいる。
だが、大幅に強化されたダーク・リッチが放ってきた『破滅の青白光』は誰もの想像を超えて邪悪で凶悪だった。
発動までのタイムラグ許りか、ほぼノーモーションで腕すら必要無く発する。
思えば、最初にミーナが喰らった時も罅割れた頭から発していた。
突然理不尽に襲い掛かった絶望に、ミーナ達四人は成す術無くその場に倒れ伏していた。
唯一、殆ど純然たるビヒトだけが全くの無傷で茫然としていたが、彼はミーナ達にも秘薬にも触れられない為、この場で出来る事は無い。
『だ……駄目だ……‼ あんな規模の放射線を真面に浴びては薬を飲むどころではない……‼ 助からん‼』
エリの身体は僅かに動き、フリヒトは倒れたまま吐血した。
二人はミーナとシャチと比べダーク・リッチから距離があり、二人の身体の陰に隠れる形となった為、曝露量も比較的少なく済んだのだ。
しかし、それでも真面に動ける状態ではなく、戦うどころではない。
最早二人も死を待つ許りだろう。
一瞬にして、ミーナ達だけでなく人類の望みも絶たれてしまった。――ビヒトはそう認めざるを得ず、膝を突いた。
「カカカカカッ‼ ビヒト、いや美仁よ! 貴様のその顔、その表情! これ程間近で見られるとはこの世の何よりも甘美なる愉悦よ‼ その通り! 最早誰も助からん‼ この場の四人だけではない‼ 貴様たち一族が存続させようとした人類という種も、これより我等が滅亡させる‼ 貴様等に完全敗北を与えられるこの日を待ち続けていたぞ‼」
ダーク・リッチはビヒトの目前へと飛来し、これでもか高らかに彼を煽る。
「序でに引導を渡してやろう。今や貴様は、唯この世に存在するだけで何一つ自ら為せない半端な存在に過ぎんからな。思念体の貴様を葬る手段も今の我にはある。」
ビヒトの目の前で髑髏の口が開く。
負の想念の熱線を浴びせ、ビヒトを焼き尽くすつもりらしい。
だが、ビヒトの眼はダーク・リッチを見ていなかった。
何かその背後に、信じられないものを見たかの如く瞠目していた。
『あ、有り得ん……‼』
「何がだ? 寧ろ、この結果は当然ではないか?」
『当然な物か……! 何故あれ程の中性子線を真面に浴びて……!』
「あん?」
ダーク・リッチは後ろへ振り向いた。
その瞬間、シャチの戦斧が脳天に振り下ろされた。
「ガッ⁉ 莫迦な‼ 何故だ⁉」
どういう訳か、顔色こそ悪いがシャチは戦線に復帰していた。
彼だけではない。
ミーナもまた活動を再開し、エリとフリヒトに秘薬を飲ませていた。
「み、ミーナ……さん……。」
「もう大丈夫だよ。でも、大人しく休んでいて。エリも……。」
事態を呑み込めないダーク・リッチは困惑しながらシャチにされるがままに攻撃を受け続ける。
ビヒトも一度は絶望したのだから、無理からぬ話である。
そしてその原因は、ミーナがエリとフリヒトに飲ませた秘薬にあった。
今の今まで誰も知らなかった事だが、この『遺跡の秘薬』と呼ばれるものは想像以上の代物だったのだ。
『儂も忘れておった……。皆が知らぬのも無理は無い……。』
唯一訳知りらしい妖刀が語り始めた。
『この秘薬こそ、〝超時空の帝国〟が強大な力を以てた時空を侵略し、制圧して覇権国家として君臨する礎となった脅威の妙薬なのじゃ。』
『何と⁉ 〝帝国〟の遺産は時空間転移の技術だけではなかったのか‼』
ビヒトは目を丸くしていたが、同時に口角も上がっていた。
人類の希望は思わぬ要因で希望が繋がれていた。
「ええい‼ 『秘薬』が何だというのだ‼ そんなものを飲む体力など残されていなかった筈だ‼ 現に、二人に比べ症状がまだマシだった女と小僧ですら、自分一人では飲めなかったではないか‼ 一体、何故その効力が小娘と莫迦息子に顕れたのだ‼」
『簡単な事じゃ。あの二人は飲んでおったからじゃよ。ここへ突入する前、〝原子力遺跡〟へ退避する前に、既にな。』
『そ、そうか……‼』
ビヒトは答えに行き着いた。
『確かに、心臓から受けた遅効性の毒の症状から回復する為に、二人にはエリが秘薬を飲ませている‼』
『然様で御座いますじゃ、ビヒト様。そしてこの妙薬の効能とは、服用した者にまず驚異的な生命力と耐久力を与える。更に、訓練を行えば驚異的な身体能力、それから超常的な特殊能力をも会得することが出来る。』
妖刀の解説の間に、シャチの戦斧が巻き起こした旋風がダーク・リッチの身体を切り刻む。
『嘗て、〝超時空の帝国〟はこの妙薬を用い、肉体一つで最新鋭の戦車、弾道弾、航空兵器を薙ぎ倒す超人による脅威の軍隊を運用し、常識では操縦者が負荷に耐えられない性能の兵器を要して世界を圧倒しておった。恐らく〝遺跡の秘薬〟と呼ばれるものはその名残。考えてもみれば、破損した遺伝子情報を修復して放射線の影響から回復する効能と体内から致死性の毒を除去して回復する効能を併せ持つ万能薬など考え難い。しかしそれが、肉体の生命力そのものを異常に増幅させる〝帝国の妙薬〟だとすれば辻褄は合う。尤も、その持続期間は二十八日もの間保った実物に比べ大幅に劣る様じゃがの。』
ダーク・リッチはどうにか体勢を立て直し、再び『破滅の青白光』を仕掛けようとする。
しかし、二度までもその様な隙を見せるシャチではなかった。
そして、エリとフリヒトを通路の脇に寝かせたミーナも戦線に復帰する。
「糞っ‼ 我の一族が支配した筈の『大帝国』が我に牙を剥くというのか‼ 何という理不尽‼ そうまでして我に勝たせまいとするか‼ そうまでして我から勝利を奪い取るか‼」
「何も解っちゃいないようだな、ダーク・リッチよ‼」
シャチの一撃が胸の心臓を斬り裂く。
「ぐぎゃあああッ‼」
「貴様はさっき、ビヒトの奴に対して『完全敗北を与える日を待ち続けた。』と言ったな! 自分の『完全勝利』ではなかった‼ つまり貴様はずっと精神的に負け犬であり続けたのだ‼ 人間であることから逃げ、壊物としても他者の力を当てにし、寄生しながらおこぼれで自意識を肥大化させることしか出来ない半端者の精神的敗北者が貴様だ‼」
今度はミーナがシャチの背中を踏み台にして跳び、妖刀の一撃をダーク・リッチの脳天に振り下ろした。
「があアアアッ⁉ 莫迦な! 莫迦な‼ 莫迦なあアアアアッッ⁉」
ダーク・リッチの回復は明らかに衰えていた。
このまま行けば、撃破は時間の問題である。
「拙い‼ ど、何処か‼ 何処か退避する死体は⁉」
「無駄だ‼ 生憎今の貴様は、既に『ネメシスの肉体』の中に入り込んでいる‼ 此処で消えれば死ぬしかない‼」
完全に退路を断たれた、否、自ら断ってしまったダーク・リッチに、無慈悲にもミーナとシャチの刃が同時に向けられる。
「はあああああっっ‼」
「覚悟しろ! イッチ‼」
絶体絶命のダーク・リッチの眼窩に充血した眼球が浮かび上がる。
その瞳にははっきりと迫り来る妖刀と戦斧を映し出していた。
その様はまるで臨死の中で瞠目し、世界をスローモーションに認めて記憶を走馬灯のように巡らせている様であった。




