Episode.90 因縁の集約
これはまだ旧文明が地上にその日を絶やしていなかった頃の話。
その家系にはひっそりと受け継がれた秘密があった。
『我々は嘗て世界を支配する大帝として君臨していた高貴なる血を受け継ぐ一族である。』
その男が産まれたのはごく普通のやや裕福な家庭に過ぎず、自身もまた優秀とはいえ秀才の域を出なかった。
しかしその歪んだ自負心だけは幼少期から何度も刷り込まれていた。
最早言伝えられる血統が真実かどうかも判別は付かなかったが、彼等は頑なにそれを信じ続けていた。
だが、男のプライドは大学に入って粉々に打ち砕かれる事になる。
彼の前に立ち塞がったのは、当時に於いて紛れも無く高貴とされていた血筋の、自分よりも遥かに優秀な男だった。
彼も最初は負けじと懸命に身を削ったものの、対抗しようとすればするほどその差を痛感するようになり、次第にやさぐれていった。
落魄れた彼の姿を見て、嘗て一方的にライバル視した男は冷たくこう言い放った。
「私はお前を買い被っていた。だが、とんだ半端者だった。半端な成果で満足し、半端に己の道を諦め、半端に朽ちて行くだけの、どうしようも無い男。もう私はお前の事など歯牙にも掛けんよ。まだやり直す気があるなら勝手にするが良い。無いならそのまま腐り果てるが良い。」
男は男で何やらコンプレックスを持っていたらしく、他者に対して非常に不愛想且つ辛辣だった。
まずこの時に言われた「半端者」というレッテルが彼の中の強烈な憎悪に火を点けた。
彼は気に食わなかった。
男の心底自分を見下した眼が気に食わなかった。
所詮一族の者が勝手に言伝えているだけの彼とは違い、男の家柄が現存する高貴な血筋であった事も気に食わなかった。
そして何より、男が引け目を感じている兄が能力的には男どころか自分とも比較に値しない、凡庸且つ脆弱な人間であったことが何よりも気に食わなかった。
何故、この男は自分の事は蔑むのにあの程度の兄の事は畏怖するのか。
どう見てもお前の兄の方が腐った出来損ないではないか。――その思いは日に日に男の一族への憎悪を募らせていった。
ネメシスの顕現、世界破滅の危機が引き起こされたのはそんな折であった。
人類が必死の抵抗を試みる中、彼はネメシスの圧倒的な力、凄まじい迄の怨念、そして後に判明した『壊物』という存在の不死性に魅了された。
この力を我が物と出来れば、あるべき我が天下が訪れるだろう。――そう強く念じて良からぬ研究に没頭した彼、逸智はやがて自らの負の想念体を壊物に変えることに成功し、物語に登場する不死の魔法使いから『闇の不死賢者』と名乗るようになった。
***
右の通路を突き進んでいたミーナ達の目の前に道を塞ぐ肉壁が現れた。
それは不規則ながら力強く脈打ち、そして中央に髑髏の顔貌を浮き上がらせていた。
「ダーク・リッチ……‼」
ミーナは妖刀を構えた。
シャチ達も後に続き、ビヒトを除く全員が臨戦態勢を取る。
そんなミーナ達を、髑髏は嘲笑う様に顔を歪めた。
「何処までもお目出度い奴等だ。本気で勝てると思っているのか? 究極の壊物となったこの我に。見るが良い、この姿を。そして感じるが良い。解るか? 以前の我とは最早比べるべくもない。我は無限の力を手に入れたのだ‼」
忘れる筈もない、それは紛れも無くダーク・リッチの声だった。
髑髏はミーナに視線を向ける。
「小娘、友と師を喪い、我に対して憎しみを募らせているであろうな。だが、よく思い出してみるが良い。我をこの遺跡へと案内したのは貴様だ! 貴様が余計な手出しをしなければ、我もネメシスを見つけ出すまでにもっと時間を要したであろう! この事態を招いた大本の原因は貴様自身なのだ小娘よ‼」
ミーナはダーク・リッチの目に向けて睨み返すが、髑髏の視線はシャチの方を向いていた。
「不肖の息子・SH=A。最早貴様は我の分身ではない。今の我は破滅を齎す怒りの神! しかし、此処に至る迄貴様には随分と助けられたのも事実。そんな貴様が人類の味方面している姿は実に滑稽! 所詮貴様など、用済みの不良品に過ぎず無力な凡夫であるという事を思い知らせてくれるわ‼」
今度はフリヒトに髑髏の白羽の矢が立つ。
「騙された気分はどうだ、小僧? あの男は父親を喪った貴様の心の隙間に付け込み、貴様を利用した。それで結果が出ればまだ良いが、結局あの男は我を殺し損ね、ネメシスの復活を許した。道化の傀儡にされた気分はどうなのだ? しかも貴様、仮に生き残ったとして、この後どうするつもりだ? 貴様如きに人類を纏め切れるのか? 結局誰かにおんぶにだっこで生きる事しか出来ぬ、軟弱で可哀想な小僧に過ぎんのだ貴様は。この場に居る事自体が場違いではないか。」
ミーナとシャチを挑発した時と異なり。フリヒトに向けた声は静かに、しかしねちっこく傷に触れる様な響きを持たされていた。
それは次のエリに対しても同じだった。
「女、貴様はSH=A以上に今更だな。嘗ての我に敗れ、『双極の魔王』の軍門に降り、人類の裏切り者に成り下がった貴様が今更人類の為に戦う資格など有ろう筈が無い。今、以前より遥かに力の増した我に対して何が出来るというのだ? 身の程を知るが良いぞ。」
最後に、ダーク・リッチはビヒトに対して憎しみの籠った視線を向けた。
歪んだ映像の姿となったビヒトを見てその表情を更なる狂気に歪める。
「何ともまあ情けない姿に落魄れたものだ。今や貴様は我にとって何の脅威にもならん。最早歯牙にも掛けん。他の思念体達は人類を存続させる為に命を捨ててまで戦ったというのに、貴様は未だにその体たらく、生き恥を晒し続けている。更に、人類の存続は願うが文明を復活させるつもりは無い等というどっちつかずの考え方……。実に、中途半端な男だという外あるまいなあっっ‼」
その言葉を聞き、ビヒトは目を見開いた。
『まさか貴様の正体は……‼』
「覚えていてくれて光栄だよ、学年主席君。しかし、貴様は我の事を侮り過ぎていたようだな。我が一族、貴様等と同じく高貴な血を引く一族の妄念を甘く見ていた。我等は巨大なる帝国の頂点、三千世界の大帝として全ての時空に君臨する筈だったのだ‼」
『な、何じゃと⁉』
妖刀が驚きの余り思わず声を上げた。
『ダーク・リッチ! 貴様はあの帝国の旧皇族だというのか‼』
「そうだ‼ そんな我が、高々平民の少し裕福な家庭程度の地位に満足出来ると思うか? こんな筈ではなかったと思うだろう? 特に、我等が支配していた筈の大帝国が何処かの時空には未だ存続しているのだ‼ 憧れ、恋焦がれ、探そうとする……‼ 当然の事だとは思わんか?」
『そういう事かッ‼ 貴様ぁあ‼』
ビヒトもまた、激しい怒りをダーク・リッチに向けた。
屹度心の何処かで所詮は小物であるという侮りがあったのだろう。
しかし、ダーク・リッチの言葉が真実であるとすれば、彼こそが旧文明滅亡の元凶である。
ビヒトにとって、兄との因縁、負わされた重責、その他様々の過酷な運命を思うと、到底許せる筈が無かっただろう。
だが、そんな彼の前にミーナの背中が立ち塞がり、妖刀を持った右腕で制する。
そして、ダーク・リッチに言葉を返した。
「言われなくたって、人類の行く末に大いなる責任が私にはあるよ! そしてそれは此処に居る全員が、『古の都』で生き続けた多くの人達が心に刻んでいる! 自分事として人類の未来を考えている人は沢山居る! 確かに道に迷った人たちもいるけど、でも今みんな懸命に戦ってる! 無責任なのは人間を棄てて人類を滅ぼそうとさえしてしまうお前だけだ、ダーク・リッチ‼」
ミーナに続き、今度はシャチが自身に向けられた挑発に答える。
「貴様が言う事はいつも下らん。俺は常に、俺に出来ることを全うするだけだ。それが特別な存在として生を受けた、この俺の責務だ!」
更に、フリヒトとエリも二人に続く。
「確かにリヒト様は狡い所も黒い所もあった。でも、あの方は何時だって真剣だった。その思いにみんな着いて来たんだ! 僕に出来ることは、他の皆と同じ! リヒト様やビヒト様、そして父上達が代々受け継いできた想いに応える‼ その為に、この場でネメシスを滅ぼすんだ‼」
「過去は変えられない。だが、生き方を変えることは出来る! それすら出来ないお前はここで滅ぼされるだけよ、ダーク・リッチ‼」
四人それぞれの啖呵を受け、ビヒトは静かにダーク・リッチを見上げる。
『確かに、私は半端者かも知れん。しかし、この者達はそうでは無いようだな。ならば同じく半端者のお前に勝利は無いと見る。お前は此処で亡びるのだ、凡庸なるイッチよ。』
ダーク・リッチの表情が原形を留めない程に歪み、そして肉壁が壁から千切れ始めた。
血管の様な管がのたうち、紅い液体を撒き散らす。
「良いだろう、お喋りは此処までだ‼ 全員、この場で我の餌としてくれよう‼ 絶望的なまでにパワーアップした我の力、とくと味わうが良い‼」
壁から分離し、肉の塊がダーク・リッチの姿を模る。
その圧力は、今までのどの敵よりも凄まじい勢いでミーナ達にぶつけられ、呑み込もうとする。
『ミーナ、来るぞ! 油断するな‼』
「解ってる‼」
四人は各々の武器を改めて構え直した。
最大の因縁に決着を付ける戦いが、今正に始まろうとしていた。




