Episode.88 超時空の帝国
ゆっくりと下降する遺跡の床は、まだ次のフロアに到達するまで時間が掛かる様だ。
万が一の時の為に、地下遺跡の最奥はかなり深い底に拵えてあるらしい。
『旧文明の暦、西暦。あれで言うと、ネメシスが突如顕れたのは何年でしたかな、ビヒト様?』
『二二二二年です。あの時を境に西暦が終わってしまった。その節目の年として、ゾロ目は皮肉にも覚えやすかったので間違いありません。』
『然様で御座いますか……。儂はその辺り、元々曖昧で御座いました。何せ儂はその二百年以上前に人間としてはこの世を去ったのですから……。』
妖刀はリヒト達が見てきた世界よりも更に旧い時代を遥かな時を越えて語り始めた。
「ビヒト、確かリヒト曰く、ネメシスが顕れたのは今から百十数年前だったな。」
『兄から聞かされていたか、シャチ。正確には百十八年だ。』
「つまり妖刀さんは、三百年以上前の時代の人ってこと?」
即ち、妖刀が生きたのは長くとも二〇二〇年代初頭までという事になる。
これをミーナ達の感覚に合わせて妖刀が生きた時代を換算すると、現代と比較した場合一八世紀初頭、日本で言うと江戸時代、五代将軍綱吉の治世が終わり短命政権の後八代将軍吉宗の治世が始まらんとする時代の人間と出会った様な物である。
また欧州に譬えると、当時は大航海時代が終わり産業革命が起こる直前だった頃の人間に相当する。
『然様、当時の事は能く覚えておる。事が起きたのは丁度儂が息絶える数日前の事じゃったからな……。』
妖刀は何処か懐かしむ様な穏やかな声色で語る。
『その〝超時空の帝国〟はある晴れた日の昼下がり、突如として空から降ってきた。そして驚異の国力で瞬く間に世界の勢力図を塗り替えてしまったんじゃ。』
『それは妙な話ですな……。』
ビヒトが妖刀の話に口を挟み、疑問を呈する。
『私が生きた頃にその様な歴史を学んだ事はありません。世界の覇権がその様な突然湧いてきた国家に奪われたなどと、全く聞いたことが無い。それに、その様な無から湧いた国家が存続した形跡も無かった筈です。』
『そうでしょうとも。』
妖刀はビヒトの疑問に答える。
『儂が死した後も思念として残り続けた理由、それは単にその巨大な帝国が祖国に齎す運命を見届けなければならなかったからです。儂は当時の世界で唯一人、その帝国の襲来を予見出来る立場にあった。簡単に言えば個人としてその帝国の時空を超える力の影響下にあった為です。それ故に、その帝国が如何にしてこの世界から消え去ったのか、その経緯も又見届けました。』
「消え去った?」
シャチは妖刀の話に何か思い当たる所があるのか、俯いて考え込む仕草をしていた。
『案の定、超時空の帝国は世界に牙を剥いた。ネメシスの襲来より凡そ二百年前にも、人類はその存亡を賭けて強大なる敵と戦わなければならなかったのじゃ。』
「私達と同じように……。」
ミーナは遥か昔の話が他人事とは思えないような不思議なシンパシーを感じていた。
それは自らの置かれた立場とのシンクロ以上に密接に重なっていた。
そしてその理由もまた妖刀の口から語られる。
『強大な帝国に立ち向かったのは後に夫婦となる二人の英雄。その内一人は、儂の孫じゃった。即ちミーナよ、その二人はお前さんの先祖じゃ。』
妖刀の言葉に、ミーナは前日見た夢が強烈に呼び起こされた。
その子は、今は亡き俺の妻の孫だ。そして妻は、偉大なる血を引く強い女だった。――ミーナの祖父ギンの言葉だった。
当時ミーナは生まれたばかりだったのではっきりとした記憶には無かった筈だが、潜在意識の奥底から夢として掘り起こされたのだろう。
「ミーナも又……特別という事か……。」
シャチはほんの少し悔しそうな表情を浮かべていた。
先程『ネメシスの肺臓』で見せた大技を初め、今やミーナが自分に並び立つ以上の存在だと認めざるを得ない状態になっている。
彼女を対等の信頼できる仲間だと疑い無く思っているのだろうが、自身の特別性への自負が揺らぐ事にはどうしても抵抗があるらしい。
『超時空の帝国は滅んだわけでは無かったが、それでも二人の英雄の奮戦によって人類滅亡の脅威は削がれた。その後、帝国は百年以上に亘り覇権国家として君臨した後、この世界を去って別の時空へと消えたのじゃ。』
妖刀の声は懐旧に浸るように静かでありながら、後悔に悩む様に沈んでいた。
『しかし、百年もの間覇権国家として君臨したその帝国の影響力は最早世界にとって無くてはならないものになっておった。特に移動、輸送を大幅に短縮する〝時空間転移〟は世界流通の根幹を成しておったのじゃ。その完璧な技術は百年程度で模倣出来るものではなく、さりとて帝国去りぬ後も継承せねばならぬものじゃった。故に、帝国が行使していたそれと比べて余りにも稚拙な体たらくで〝時空間転移〟はこの世界に残されたのじゃ。』
「その末路がネメシスの襲来という訳か……。しかし、不可解な点がいくつか残るな。」
今度はシャチが妖刀に質問をぶつける。
「まず、抑も何故その『超時空の帝国』はこの世界に顕れ、そして去っていったのだ? この世界へ来る為に態々時空を超えるのも安全ではあるまい。それこそ、ネメシスを始めとした壊物に狙われる事になる。折角手に入れた覇権を棄ててまで個の世界を去ったのも不可解だ。」
『そうせざるを得なかった。帝国はそのままでは存続が危ぶまれておっての。時空を転移することで活路を見出しておったのじゃ。そしてこの世界に居られなくなった理由は、この世界に向けた暴威が余りにも度が過ぎていたが故に留まり続ける事を世界から許されなかったのじゃ。』
「しかし、帝国が居なくなって世界は困ったのだろう?」
『そこはまた複雑での。帝国の保持していた覇権を欲していた国も幾つかあった。特に帝国が現れるまで覇権国家の座に手が届きそうになっていた国々にとって、帝国はこの上無く邪魔な目の上の瘤、不倶戴天の敵であったのじゃ。』
主に妖刀とビヒト、そしてシャチによって話が進められているが、他の三人は時折ミーナが一言二言口を挟む程度で、フリヒトとエリは完全に蚊帳の外だった。
三人にとって、国家というのは未知のスケールであり、想像を超えていたので無理も無い。
『しかし、妖刀殿と敢えて呼ばせて頂こう。繰り返すが私達の知る歴史にその様な帝国は登場しない。』
『それはですな、ビヒト様。完璧な時空間転移によって去来した帝国はこの世界に存在している間は多大な影響を与えたものの、消え去ってからは歴史からその影響力ごと忽然と抹消されてしまったのです。残されたのは不完全なまま継承された技術のみ。故に、その存在そのものは語り継がれなかった。完璧な時空間転移とは、空間の歪みだけではなくその歴史にも殆ど傷跡を残さないものなのですじゃ。』
『ではこの世界から壊物が消えた場合、その影響は消えたりはしないのですか。』
『奴等の時空間転移もまた稚拙。その程度の力では帝国を襲ったとて返り討ちが関の山だったのでしょう。故に、ネメシスを斃したとしてもその復興は人類が自力で行わなくてはならぬでしょうな。』
と、ここで妖刀の声が大きな溜息を響かせた。
それは長年蓄積された未練の籠った、深い深い特大の溜息だった。
『そう、〝超時空の帝国〟の力は余りにも絶大。それと戦うのは本来儂の使命じゃった。しかし、儂はその役目を己が子孫に押し付ける事しか出来なかった。余りにも恥ずかしく、心残りじゃった。故に、帝国が遠因となって訪れた再びの人類滅亡の危機に儂もまた犠牲になる事を容認したのじゃ。しかし……。』
妖刀が仄かに光り、ミーナに熱を伝える。
明らかに彼女に向けて彼は何かを語ろうとしていた。
『しかし儂はこの様な姿となり、ミーナよ、お前さんの手に握られる事となった。儂の子孫であるお前さんの力、お前さんを守る為の道具となった。そのお前さんは運命の悪戯か、三度訪れた人類滅亡の危機に立ち向かっておる。ならば儂は……儂はお前さんと共に己が全てを賭して戦う武器に徹しよう。これは儂の未練を晴らす、最後の機会なのじゃ。』
「妖刀さん……。」
ミーナは妖刀の柄に義手を添え、小さく微笑みかける。
「貴方のお話はよく解らないことが多かったけど、想いは凄く伝わったよ。でも、最後だなんて言って欲しくはないかな。」
『勿論じゃ。可能な限り永く、儂はお前さんを守り続けたい。それが儂の、嘗て娘や息子、孫たちに対してした事への罪滅ぼしじゃと、そう信じて疑わん。』
ここへ来て漸く、妖刀が大昔の話をした意図が全員に伝わった。
これは謂わば、彼の決意宣言。
そうこうしていると、長話が出来るほどの時間を要したが、前方の壁に床の下から先へ進む道と思われる穴が見え始めた。
愈々、ミーナ達はダーク・リッチ、そしてネメシスとの最後の戦いに挑むべく、最奥へと踏み込もうとしていた。




