Episode.83 五臓六腑
地下遺跡内の大扉の向こうへと足を踏み入れたミーナ達四人は肉壁の道を更に奥へと突き進み、更なる下層へと続く階段の前へとやって来た。
今までの遺跡構造とは異なる、小さな降口が纏わり付いた肉と相俟って不気味さを醸し出している。
「今までの遺跡は、大事な場所に近付くとどんどん通路が大きくなっていったけど……。」
「中の物と外の物を接触させない事を意識した場合、『原子力遺跡』やここまで前半の地下遺跡の様に入り組んだ構造にする方法が一つ、それからもう一つは、単純に通行性を悪くしてしまう、という対策が考えられる。」
シャチの分析は、この先に眠っている存在『ネメシスの脳髄』に対してリヒトやビヒト、旧文明の人類はそれだけ別格の入念な脅威を覚え、封印を施していたと云う事を示唆している。
四人の緊張は否が応にも高まった。
「という事は、またフリヒトの力を借りる可能性があるね。」
「そう……ですね。」
「しかし、恐らくここから先はネメシスとダーク・リッチの放ってくる特に強力な敵が相手になるわ。守りながら戦うのには限界があるでしょうね。」
他の三人と比較して、フリヒトの戦闘能力が低い事は否めない。
しかし、彼は自分の身は自分で守る事をミーナ、シャチと旅立つ時には既に覚悟していた。
「行きましょう! 背後から肉の再生も迫って来ている!」
「よく言った‼」
シャチに背中を叩かれ、フリヒトは少し顔を顰めつつも照れ笑いを浮かべた。
ミーナとエリは二人の男の様子を見て、顔を見合わせて互いの心づかいの無用を確かめ合う様に頷き合う。
そして四人は、シャチを先頭に階段を降りて行った。
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その道は、今までとは比較にならない入り組んだ通路だった。
道自体は一本道だが、兎に角何度も何度も左右に曲がったり、急過ぎる坂を攀じ登ったり、滑り降りたりしなければならず、おまけに道自体人一人が頭から抜けてやっと通れるまでに狭くなっていたりと、面倒を強いられた。
「糞、大い俺が一番苦労するではないか……。」
シャチは先頭で滑り降りた坂の下、脚から小さな穴を通り抜けながら不平を垂れた。
シャチの胴体が抜けて通り易く広がった穴をミーナ、フリヒト、エリの順で潜り抜けていく。
『考えてみればシャチよ、お前さん以外は少年少女が一人ずつ、後一人はこれまた女。成人男子の体型はお前さんだけじゃったの。』
「まさかこんな理由で割を食うとは思わなかった。だが、それもここまでらしい。」
穴を潜り抜けた先には、円形の広間が待っていた。
奥に掌型の飾りが付いた扉が備わっており、そこを開けて更に進める様だ。
おそらく、またフリヒトの手を借りる事になるだろう。
「じゃあ、開けますよ。」
フリヒトが扉の前へ進み出て、飾りに手で触れようとする。
しかしその時、扉の枠から無数の触手が現れ、フリヒトを激しく打った。
「ぐぁッ‼」
「フリヒト‼」
『ファハハハハハ‼』
よろけたフリヒトの肩を支えるミーナは、響いてきた聞き覚えのある声に眉を顰め天井を睨み上げる。
シャチもエリも、概ね同じ反応を示しつつ各々の武器を構えて臨戦態勢に入った。
「その声は、ダーク・リッチだな?」
『我が息子SH=Aよ、憎たらしき刀の小娘よ、忌々しき狂人一族の末裔よ、思い上がった我が餌よ、そこまで辿り着いた事、取り敢えずは褒めておこう。』
扉が歪んで膨張し、吹き出物を搾り出す様に触手を纏ったタンクの様な球体の肉の塊が顕れた。
『だが、ここからは我の取り込んだ臓腑が貴様等を迎え撃つ! 後から迫る我が肉の再生と併せて、挟み撃ち! 果たして何時まで耐えられるかな?』
「ネメシスの『臓腑』……⁉」
体勢を立て直したフリヒトと支える必要が無くなったミーナがシャチとエリに遅れてそれぞれクロスボウと妖刀を構えた。
『先ずは小手調べ、六腑が一つ、〝膀胱〟が相手をしよう。まあ六腑といっても、今は大腸及び小腸、三焦を消費して半数しか残っていないがな。』
「大腸と小腸、だと?」
シャチが何かに気が付いた様にさも不愉快といった様子で顔を殊更に顰めた。
そんな自身のクローンの様子に、ダーク・リッチは嘲笑の声を響かせる。
『察しが良いな、流石我が息子。我は大腸と小腸、それから三焦を失った。その分の肉を、これまでの地下遺跡に纏わせる事で遺跡を制御していたのだ。つまり、そこを通ってきた貴様等は我等にとって糞滓同然という訳だ‼』
下品極まりない侮辱に、ミーナは思わず吐き気を覚えて舌を出した。
「最低! 最悪‼」
「まあ逆流している時点で譬えるならば治療行為の方が適切だろうし、治療されるべきはこの遺跡そのものでお前の方が取り除かれるべき対象だろうがな!」
シャチは戦斧を大きく振り被る。
「お望み通り、切除してやる‼」
『莫迦め! 心臓程ではないとはいえ〝ネメシスの臓腑〟が一つ、〝膀胱〟‼ 貴様等を三途の川まで押し流してくれるわ‼』
球形の肉の塊、『ネメシスの膀胱』が少しずつ真ん中から裂け始める。
しかし、酒着るよりも遥かに早くシャチの戦斧が肉の球を真二つに斬り裂いた。
『な、何いいィッッ⁉』
「莫迦が。所詮臓腑とは、人体の中でも守らねばならぬ脆弱な器官に過ぎん! 特別強い力を持つ脳髄と心臓ならばいざ知らず、それ以外が出張って来た所で俺達の相手にはならんわ‼」
真二つに割れた『ネメシスの膀胱』は肉をぬるぬると溶かす液体を溢しながら『ネメシスの心臓』と同じ様に縮んでいく。
実にあっけない決着だったが、四人の行く手を遮る第一の刺客は斃された。
フリヒトは『膀胱』が垂らした液を踏まないように気を付けながら再び扉に近付き、手形に掌を翳した。
部屋中の壁から阿弥陀上に走った光が扉に集まり、更なる奥へ続く昇り階段を侵入者たちに曝した。
「上へ行くんだ……。」
「まあ攀じ登らなくて済む分楽だがな。」
四人は再びシャチとミーナを前列に、後ろにフリヒトとエリが控える形で続き、階段を昇って行った。
『臓腑は纏めて襲ってくるかと思ったが、まさか一体一体差し向けるつもりなのか?』
妖刀は信じられないといった感想を漏らしたが、その理由はすぐに判明する。
四人が階段を上り切った時、今度は二つ対になっている棘の付いた肉の塊が襲い掛かって来た。
これも『ネメシスの臓腑』の一つだろう。
「膀胱と来たら、次は腎臓か……!」
シャチの推察通り、短い間隔で階段の頂上に現れたのは『ネメシスの腎臓』である。
前に陣取るミーナとシャチは奇襲を受ける形となったが、後列のフリヒトとエリが落ち着いて対処、それぞれの武器による射撃と投擲で対となっている肉の塊を貫いた。
そして、駄目押しにミーナとシャチによる斬撃。
二つ目の臓腑も出オチで片が付いてしまった。
更にミーナは、何かに気が付いた様に前へと跳んだ。
階段を上り切った先は大きな段差となっており、降りて先へ進むと見えたが、彼女は既にそこで待ち構えていた敵に気付いていた。
「はああああっっ‼」
ミーナの手にしていた妖刀が閃き、次なる臓腑を二つ斬り捨てた。
『ば、莫迦な……‼』
辺りに驚愕するダーク・リッチの声が響いた。
『波状攻撃を仕掛ける為に集めた四つの臓腑がこうもあっさり潰されるとは……‼』
『成程、そういう目論見じゃったか……。』
ダーク・リッチが返した反応に、妖刀の疑問は氷解した。
要するに、当初の予定では少なくとも臓腑四つを間断無くミーナ達にぶつけ、タイムリミット付きの守勢に追い込んで疲弊させて最後には背後から迫る肉の再生に飲み込ませるつもりだったのだろう。
同時に送り込まなかったのは、先は長いと思わせる事で心理的な圧力を狙ったのだ。
だが、そんな目論見は互いの力に対する評価を誤った事で脆く崩れ去った。
『何方にせよ、相変わらず戦術戦略面は近視眼的で大した事無いのう。』
『おのれ……。だが確かに、ここは立て直しの必要があるやも知れぬ。しかし覚えておれ人間共。ここから先の臓腑は何れも簡単にはいかぬぞ……。』
ダーク・リッチの捨て台詞を掻き消す様にシャチの戦斧が振るわれ、旋風が三つの臓腑の破片を粉々に消し飛ばした。
「恐らく形状から、ミーナが斬ったのは奴の『胆嚢』と『脾臓』だろう。という事は後残すは……。」
『五臓六腑という概念は実際の人間の臓物とは異なる物じゃ。ダーク・リッチが〝三焦〟と言う言葉を出したという事から、ネメシスの持つそれらは生物よりも原典に類似しているのじゃろう。即ち、五臓とは心臓、肺臓、肝臓、脾臓、そして腎臓の五つ。実際の人体に存在する膵臓は含まれておらんというか、脾臓に包括される。六腑とは胃、胆嚢、小腸、大腸、膀胱、そして三焦。奴の言葉を鵜呑みにすれば、大腸小腸、そして三焦は遺跡そのものの肉と制御に使われており、更に心臓、膀胱、腎臓、胆嚢、脾臓を撃破した。つまり残るは肺臓、肝臓、胃の三つ‼』
妖刀の講釈にシャチは訝し気に腕を組んでいた。
「……実際の医学と違うとなれば俺とて理解出来なかっただろう。爺、貴様一体何者なのだ?」
『うむ、実は肝心な所は記憶に靄が掛かっておって朧気であった。例えば、何故このような姿になったのか、未だにはっきりとは思い出せん。』
ミーナは妖刀を鞘に納め、思い出す。
初めて妖刀と出会った時、鞘に納める必要性も分からなかった。
一方で、妖刀は今尚あの時語った自分が今の形となった経緯が分からないと言う。
『じゃが、少しずつ思い出しつつある。先ずは皆、ネメシスを斃して此処から生きて帰るのじゃ。その時、思い出していたら知り得る限りの事を話そう。』
未だ謎に包まれている妖刀の素性だが、ミーナ達、そして人類にとって喫緊の課題はネメシスの討伐である。
妖刀が告げた約束は一旦胸に仕舞い込み、ミーナ達は段差をから更に奥へと遺跡を突き進む。




