Episode.80 汝は人狼也や
壊物に襲われる心配の無くなった『古の都』の住民達は落ち着いた様子で警邏達の誘導に従って正門の方へ人波を進めていた。
道の脇では警邏達が住居内に取り残された住民が居ないかと、外から声を掛けている。
この様な区画整理状況の中、一人の青年が住民達の流れに逆らって道の脇を走っていく。
「おい、何処へ行く!」
警邏は驚いて呼び止めようとするが、その青年は義足とは思えない程の速さで疾走していた。
それはまるで、己の総ての存在、その総力を走る力に変えているかのような、そんな鬼気迫る推進力だった。
「ミーナ達の足を止める訳にはいかない……! あの障害は、僕が取り除かなくては……‼」
青年は一つの懸念とそれに対する覚悟を胸に街を走り抜けていく。
そんな彼に、避難民の列に紛れた一人の男が声を掛けた。
「おい、ルカ‼」
この中年男は青年、ルカをよく知る人物だ。
聞き覚えのある声に、ルカは速度を落とした。
「ガイさん、無事だったか、良かった!」
「簡単に死って堪るかよ。仮令壊物に出くわしても、こいつで一発くらい眼に物見せてやったさ。尤も、その敵も消えちまって使う機会は無さそうだがな。」
ルカの足を止めたこの鉄パイプを携えた男、ガイは元々ルカと共に集落を作って生活していた人物の一人だ。
ミーナとルカの縁からシャチに集落ごと誘われ、『古の都』に移り住んでいた。
ここで彼に出会ったルカは、一つ気掛かりな事を思い出した。
「みんなはどうなった?」
「ああ、何人かは逃げる途中で会ったよ。ただ……。」
ガイは一瞬言葉を詰まらせた。
それはルカにとって悪い報せをもあるという事を察するには充分な反応だった。
「犠牲になった仲間も……居たんだな……?」
「ああ、残念ながらな。元の仲間に、壊物の餌食になったのが一人、夜に錯乱して光になって消えちまった奴等が二人……。」
ルカはガイの報告を沈痛な面持ちで受け止めていた。
元々彼の仲間達はリーダーになって間もなかったルカの判断で『古の都』に移住した。
ただでさえ三人の犠牲は元を糺せばその判断に辿り着いてしまう。
そして、ガイ曰く二人はネメシスの負の想念に当てられた結果錯乱状態に陥った為、ルカが起動した『古の都』のシステムによって全寿命と引き換えに『命電弾』となってネメシスへの先制攻撃をさせられたのだ。
「そうか……僕は昔からの仲間の事も……殺してしまったんだな……。」
顔を落とし、今にも泣き出しそうに表情を曇らせるルカの肩をガイは無言で叩いた。
ガイにはルカ達の元リーダーだった女レナをその裏切り行為から粛正した過去がある。
そして、それを理由に次期リーダーを辞退しルカを推挙したのもガイだ。
彼はルカが『命電弾』を発動させたことは知らないが、それでも自分の判断が元になって嘗ての仲間を死なせてしまった、殺してしまったと、自責の念を抱いているのだと理解したのだろう。
そして、自らの立場上ルカに対して慰めの言葉が見つからなかったのかもしれない。
「莫迦を言うな。」
ガイが言えたのはそれが精一杯だったのだろうが、それだけは言わねばならないという思いもあったのだろう。
ルカもまた、そんなガイの心情を思ってか涙を堪え切った。
そして顔を上げると、何処か精悍さの垣間見える微笑みをガイに向ける。
「ありがとう。ガイさん、僕にはこの『古の都』の長であったリヒト様から仰せつかった大役がある。それを果たしきる為に、どうしても行かなければいけない。」
「ルカ……。」
「ガイさん、どうか元気で。短い間だったけど、僕をリーダーに選んでくれてありがとう。皆にも伝えておいて欲しい。」
ルカはそう言い残すとガイから鉄パイプを引っ手繰り、振り切る様に再び駆け出した。
ガイに制止する暇を与えたくなかった。
ガイは怒って走り去るルカの背中をどやしつける。
「ふざけんな莫迦野郎‼ お前、そういうのは自分で言え‼」
ガイは察していた。
ルカが死地に赴こうとしている事。
彼が言った「ありがとう。」には、最後に会えたことへの感謝も意味している事を。
***
地下遺跡の入口、ミーナ達ネメシス討伐隊の四人は三度この場所へ辿り着いた。
しかし、今迄とは明らかにその佇まいが変貌している。
「何これ……? 気持ち悪……。」
ミーナは思わず嫌悪感を漏らした。
入口はブヨブヨとした弾力性の物質に覆われ、生き物の様にビクビクと痙攣していた。
「巨大な壊物の肉片にも見えるな。どうやらネメシスの奴、地下遺跡と同化する事で『古の都』の制御を乗っ取るつもりらしい。」
シャチは状況からネメシスの狙いを推察する。
「つまり、ここからの遺跡攻略はネメシスの体内に入る様な物、という事ね。」
普段なら我先にと不注意に立ち入ろうとしそうなエリもその場に立ち止まっている。
それには必然的な理由が有った。
「でもどうしましょう? 肉で入り口が塞がれちゃって、これじゃ入れませんよ?」
フリヒトが指摘した通り、地下遺跡の入口はネメシスの肉と同化している上に肉が肥大化して入り口を塞いでしまっているのだ。
当然、これはネメシスの、正確にはダーク・リッチの意思が意図的に作り出した状況だ。
これこそ、ダーク・リッチがミーナ達を妨害する為に張り巡らせた第一の防衛策である。
しかし、こういう時に一切怯まない男がいる事も忘れてはならない。
「関係無いな! どうせネメシスごとぶち殺すのだ! 肉の壁など崩し破ってしまえば済む事‼」
シャチが戦斧を大きく振り上げ、戦いに備えて磨き抜いた刃を肉壁に叩き付けた。
だが肉壁はまるで堪えず、傷一つ付かない。
これには流石のシャチも動揺する。
「な、何だと……⁉」
「シャチ、あの時の様に合わせ技を試してみようよ!」
ミーナはネメシスの心臓と戦った時の事を思い出した。
あの時も巨大な肉厚に思う様な攻撃が通らず、斃すのに散々苦労を強いられた。
そして、その時止めを刺したのがミーナとシャチ、二人の妖刀と戦斧による一点同時攻撃だった。
『確かに、心臓という強靭な肉の塊を突破したあの攻撃ならいけるかも知れんの!』
「良し! 合わせろ、ミーナ‼」
「うん、行くよ‼」
二人の刃が十字を描き、肉壁の一点に斬撃の力を集中させる。
効果はあった様で、彼等の周囲に肉片が飛び散った。
しかし、その結果四人は更なる絶望に叩き込まれる事になった。
『な、何ちゅう厚さじゃ⁉ これではいくらやっても切りが無いぞ‼』
妖刀が驚愕した通り、肉壁には確かに窪みが出来ていたが、奥まで貫通してはいなかった。
抉れた肉の分厚さが却って彼等の目の前に立ち塞がる壁の重厚さを気の遠くなる程予想させる。
「シャチ、後何発打てる?」
「そう連発出来るものではない。こんな事を続けていてはとても奥まで体力が保たんだろうな……。」
ミーナもシャチも肩で息をしていた。
それもその筈、今の技は二人にとって渾身の力を振り絞った一撃だった。
この先ネメシスの力を得て大幅に強化されたダーク・リッチやネメシスの脳髄との戦いを控えているというのに、そこまで辿り着く事すら出来ないだろう。
「方法は……『命電』を使うしかないでしょうね……。」
フリヒトが出した結論に他の三人は息を呑んだ。
今、四人が持つ武器は全て負の想念の純度が高い壊物に攻撃が通るよう、『命電』と呼ばれる正の思念を破壊力に変換したものを攻撃に載せる機能を持つ。
それはミーナの妖刀やシャチの戦斧は普段から使用しているものではあるが、それは寿命に影響の無い僅かな規模の力に過ぎない。
「……元々覚悟していた事だがな。」
シャチは再び戦斧を構えた。
彼は元々、負の想念の純度が極めて高いダーク・リッチを斃す為にこの武器をリヒトから授かった。
その時、仮令己の寿命に変えても自らを生み出した宿敵、イッチの成れの果てを斃すと心に決めていた。
しかし、そんな彼を手で制しエリが前に出る。
「いや、ここは私がやろう。」
「エリ……!」
彼女の眼は決意に満ちて燃えていた。
「これはどう考えても私の役目だ。ダーク・リッチを『古の都』に呼び込みこの危機を招いた元凶。加えてこの先はネメシスの体内とはいえ私の苦手とする遺跡内部。戦力の要となるミーナと、同党の力を持つ上遺跡攻略の要ともなるシャチ、そして一族にしか突破出来ない仕掛けを解く上で必要となるであろうフリヒト。となれば、もう私がやるしかないでしょう。」
エリは短剣を構える。
既に『命電』の使用方法はビヒトから学んでいる。
彼女は既に己の寿命を使い果たす覚悟を決めていた。
「エリ、待って‼」
ミーナが慌てて止めようとする。
むざむざエリを死なせる覚悟など彼女にはまだできていなかった。
しかし、エリが攻撃を振るおうとした瞬間、手に持った短刀に何かが投げ付けられ、弾き飛ばされた。
けたたましい金属音を鳴らして地面に転がったのは鉄パイプだった。
「なっ……⁉ 誰だ‼」
「エリ、貴女も強力な戦力だ。無駄死にすべきじゃない。」
パイプが飛んで来た方向、声のする方から歩いてきたのは四人の良く知る青年だった。
「ルカ……。」
「ミーナ、ここは僕に任せて貰う。」
ボロボロの義足を引き摺る様にルカは四人の許へゆっくりと近寄って来た。




