Episode.78 弱者の証明
それは紛れも無い致命傷だった。
胸の肉を削ぎ取られ、心臓すらも抉られたソドムは損傷から一呼吸分の間を置いて噴血し始め、道場の中庭を紅く染め始めた。
体勢こそ崩れておらず、大剣を手から溢した状態を保っているものの、絶命は時間の問題だろう。
その時、ソドムの脳裏に強烈な怨嗟の言葉が瞬いた。
『一度ならず、二度までも……‼』
何かが死に体のソドムを激しく突き動かす。
その手に再び大剣を握り締め、鐵を今までに無く強烈な黄金の光に包む。
「嘘……⁉ こんな事って……‼」
異常事態に、ミーナは慌てて斬ったはずのソドムの方へ再び振り返る。
既にソドムは雷光を纏った大剣を振り上げ、両の眼を明後日の方へ向けて仁王立ちしていた。
そしておどろおどろしい地響きの様な声を漏らす。
「総テヲ……破壊セヨ……‼」
青褪めたミーナはソドムの攻撃の威力を顧みず再び斬り掛かった。
しかしそれは余りにも稚拙な攻勢だった。
ソドムの大剣の能力、思念を吸い寄せる力でミーナは妖刀を振り上げたまま胴をがら空きにしてしまう。
攻撃どころではない、と思われたが、ミーナはそれでも諦めない。
「壊されて堪るか! 師匠の道場をこれ以上‼」
ミーナの蹴りがソドムの抉れた胸に突き刺さる。
ソドムは激痛に甲高い叫び声を上げ、仰向けに倒れ込んでいく。
だがソドムの目の焦点がミーナに合わさり、最後の悪足掻きを試みんと歯を食い縛る。
まるで断末魔の叫びの様に、命が燃え尽きる間際に一際煌めく様に、大剣は眩い光を放ち、振るわれた。
「『神撃の金剛石柏葉黄金大電』‼」
人智を超越した自然界の巨大エネルギーにも比肩する凄まじい雷光の奔流が刹那にして轟音と共に天に昇り、ミーナの小さな体を呑み込んでしまった。
到底助かる筈の無い、瞬時にして消し炭と化して即死するのが当然、道理の強襲、痛恨撃である。
だがソドムは光の中に尚も揺ぎ無き生命力の陰を見出して瞠目した。
在り得ない、信じ難い奇跡であった。
「何……故……⁉」
雷光が収まると同時にミーナの健在な姿が現れ、妖刀をソドムの喉、人間でいう頸動脈の辺りに深く突き刺し貫いた。
そしてそのまま妖刀は真横に首を裂いた。
ミーナは再びソドムの抉れた胸を蹴り、倒れ込む敵を跳び越えて着地した。
「か……は……、莫迦……な……‼ 余は……亡びるのか……⁉ 『双極の魔王』とも……あろう我等が……‼」
最早ソドムには掠れた声で譫言を呟く事しか出来なかった。
そしてその負の想念が体験していない原風景を見せる。
夢見ていた理想の帝都、敵兵に蹂躙される街。
経済破綻により紙くずと化した紙幣が灰色の空に舞う冀望無き国家。
戦場を命懸けで奔走している間に、与り知れぬ所で突如敗戦を突き付けられた絶望。
だが、ソドムにとってそれは何度も見た幻影だった。
自らが取り込んだ亡国の怨念に飽きる程見せられた贋であると承知していた。
違う、これは余の記憶ではない。
何もかも、造られた偽物に過ぎない。
ソドム――何だそれは? そんな名前など露知らぬ。
双極の魔王――我等の事か? そんな称号など欠片も覚えが無い。
余は、本当の余は何者なのだ。――そう疑問が過った時、ソドムは幻の風景の遥か彼方、まるで蜃気楼の様に全く別の何かを見た。
『一度ならず、二度までも。』
ソドムは初め、その怨嗟の声を取り込んだ負の想念が唱える実体無き空虚な呪詛だと思った。
だが今、記憶の奥底から忌まわしき過去を、ソドムと名乗り壊物と呼ばれた個体がこの時空に顕現する以前から持っていた封印されし悪夢が呼び覚まされていた。
そうだ、思い出した。
余は、いや我等の同族は、原初の個体は、生まれた時空にて決定的に敗北していたのだ。
だから我等は知性を得なければならなかった。
一個体として完結する、知的生命体を超越した完全生物を目指さなければならなかった。
謂わばこの生体そのものが、敗北者の烙印、弱者の証明。
この壊物にとって、その耐え難き屈辱こそが先の明瞭な怨嗟の声だったのだ。
「貴様は……! 貴様は一体何者だ……‼」
「え?」
ソドムの無念など何も知らないミーナは突然自分の素性を尋ねられたと思ったのかキョトンとした表情を浮かべている。
だがソドムにはミーナの姿など最早見えていない。
その双眸が記憶から作り出した虚像に映すのは、人間の女性と似て非なる恐るべき存在。
「余は……余は何故幾度と無く敗れるのだ……?」
ソドムはミーナに重なったその「人に非ざる虚像」に手を伸ばし、問い掛ける。
「余は……余が悪だから亡びるのか……⁉」
今際の時。
壊物の最期とは、一個体で完結する脆い個性であるが故に、一個体の死が即ち種の絶滅を意味する。
ソドムとゴモラ、『双極の魔王』という一見すると同種に思える二体も、その実互いに対となったデュアルコアの端末同士、併せて一個体に過ぎない。
最早避けられぬその瞬間に浮かぶ「悪だから亡びるのか。」という疑問。
それを口走らせたのは取り込んだ人類国家の負の想念か、将又壊物としての性か。
「貴方の問いに対して私なりに思うところはある。」
ミーナはソドムの問いに対し、己の見解を述べる。
「人類に対して害を為す者は、人類にとって積極的に滅ぼそうとする動機を生むとは思う。その帰結として亡びるのなら、人類にとって悪と見做されたことが遠因ではあると思う。そして、貴方達は人類にとって悪であったとも思う。」
ソドムの顔が歪んだのは断末魔故か、それとも尽きぬ怨嗟が滲み出ているのか。
しかしミーナの言葉には続きがあった。
「でもそれらは全部別々だと思う。だって私が敗けたら私が死んでいた、滅んでいたから。死んでいった人達にも良い人は沢山居たから。人類と壊物、今はまだどちらも亡び得るから。」
ソドムの視界から幻影が消えて行く。
今、臨終を迎えようとしているこの壊物は再びミーナの姿、実像の世界を認めていた。
「では、余は何故亡びるのだ……?」
「敗けたから、としか言い様が無いよ。それ以上の事はわからない。私と貴方で貴方の方が弱かったとも思えないし、だからこそ私は勝つために手を尽くした。それが偶々上手く嵌った。譬えるならただ落ち葉が私の面を向いただけだと思う。」
答えにならない答えだったが、それが彼女の精一杯だった。
そしてソドムの表情からは歪み、強張りが消えていた。
まるで人間が眠りに就くように、穏やかな表情で両眼を閉じる。
*
戦いの風は凪いでいた。
ミーナにとっては何も終わりでは無いが、『双極の魔王』は今終焉を迎えようとしている。
その最後の言葉は何を語るのか。
ミーナは耳を傾けていた。
「小さき戦士よ……。我等の同族、眷属は一個体で完結する。故に、余とゴモラ以外の同族が生きようが滅びようが余には何の関係も無い話。人類と同族で、向ける心情に差は無い。己以外は全て餌か敵だ。」
もう何度も語られた壊物の生体だ。
ミーナにとって、今更と言えば今更である。
だが彼女は今、リヒトの評した言葉を思い出していた。
とても壊れ易く、脆い個性。
生き物に対し、壊れ物と呼ばれる存在。
そう考えた時、ミーナにとって目の前の恐ろしかった壊物が、酷くか弱い存在に思えた。
「人類は違う。多種多様な個性が存在し、一個体の死が即座に種の亡びを意味しない。ネメシスによって殆ど死滅させられて尚、種として息を吹き返そうとしている。余にはそれが羨ましい。我等には到底手に入らない強さだ。」
ふとミーナはソドムの身体が透けている事に気が付いた。
元々『双極の魔王』は取り込んだ負の想念の純度が高く、従ってその国家規模の怨念が浄化されてしまうと絞り粕の様な物しか残らない。
ミーナはソドムの憑き物が落ち、一個の単なる壊物に、弱く儚い存在に戻ろうとしているのだと察した。
「強き種の小さき戦士よ、余は余を打ち負かした貴様に生き延びて欲しいと願っている。そしてそれが可能だと確信している。何故ならネメシスも所詮は我等が同族。貴様等の怨念に縋らねば何も成せぬ、情けない程に弱い敗北者だ。貴様等が敗ける……道理など……。」
それ以上、ソドムの言葉は紡がれなかった。
そしてその壊物は人間が生み出した借り物の負の想念と共に薄れて朧に消え、ただ僅かな灰だけが遺されていた。
『ネメシスの相手に感けて忘れる訳にはいかん敵じゃった。出方を警戒しておったが、何はともあれ〝双極の魔王〟は討伐完了じゃな。』
「うん……。」
ミーナは静かに相槌を打った。
残すところはダーク・リッチとネメシスのみ。
二者は同化している為、目標は一つ。
ミーナは最後の戦いに向け、シャチ達が待っているであろう地下遺跡の入口へと急いだ。




