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Episode.77 肉一磅削ぐに際し血一滴溢す勿れ

 ミーナは思い出す。

 数日前、地下鉄の中でシャチの身の上話を聴いた時、彼の戦斧(ハルバード)が負の想念の純度が高い壊物(かいぶつ)に対しても攻撃能力を持つ事を知らされた。

 しかしその力は、行使すると使い手であるシャチ自身の寿命が縮まってしまうものらしい。

 丁度『命電弾(めいでんだん)』が弾丸として使用された者の寿命を削るのと似ていると思った。

 そしてシャチにはダーク・リッチや壊物(かいぶつ)(たお)す上でそれを覚悟していることも。


 今、ミーナは旅立ちの前に毎日足繁く通い、亡き師の教えを反芻していた道場にて強大な敵と同時に一つの大いなる暗雲と対峙していた。


『ミーナよ、(わし)の事なら気にするな。』


 ミーナの内心を察してか、妖刀は彼女に己の覚悟を説く。


『誰もが人類の未来の為に命を賭けておる。無論、お前さんもじゃ。そんな中で(わし)だけが高みの見物を決め込もう等とは端から考えておらん。(むし)ろ、リヒト様やビヒト様とも異なり何の役割も無く単なる遥か昔の死者の遺物である(わし)こそ、誰よりもその身を捧げるべきなのじゃ。』


 妖刀はこう言っているが、ミーナとしてはそう簡単に割り切れはしない。

 今の彼女にとって、妖刀は誰よりも長くともに時を過ごしてきた掛け替えのない仲間である。

 一方、妖刀に全く負担を掛けずにこれからの戦いを乗り越えられるとも思えない。


「ねえ、妖刀さん。」


 ミーナはどうしても確認したいことがあった。


「これからの戦い方に影響するから、正直に答えて欲しい。今妖刀さんはどういう状態なの? もう数える程、ソドムの剣に思念を吸われたら消えてしまいそう? それとも、全然平気?」


 彼女の疑問は私情を抜きにしても(もっと)もな物だった。

 冷徹な言い方をすれば、手持ちの弾数によって戦闘の中で如何(いか)に銃を使うべきかは大きく変わるだろう。

 勿論、それが解らない妖刀ではない。


何方(どちら)とも言えるの。それほど風前の灯火であるとはとても思えんが、さりとて無尽蔵に思念の力、〝命電(めいでん)〟なるものを消費出来るとも思えん。今はまだ遠慮する事は無いが、残数がある事は意識しておけ。』

「オッケー、そんな感じね! じゃあ行くよ‼」


 ミーナは考えが纏まったらしく、ソドムを射抜くような眼で捉え攻撃の隙を窺う。

 彼女は一つ、現在置かれている状況で自分に有利な要素を看破していた。

 その答えは、ソドムもまた自分の隙を窺っている硬直状態の理由に有った。


 この戦いでソドムが出した電撃技は前回の襲撃の時と比べ、明らかに弱い。

 あの時は『古の都』の装置により大幅に弱体化していたと、ゴモラは確かにそう言っていた。

 にも拘らず、ソドムが繰り出した『神撃(ダス・ゴトリ)(ッヒ)大電(ェンブリッツ)』は『古の都』の街中を焼け野原にした威力は無く、今回の程度で『原子力遺跡』に風穴を開けられるとも思えない。


 ソドムはミーナを即死させ兼ねない攻撃に関しては加減している、加減せざるを得ないのだ。――ミーナはそう結論付けていた。


 何故ならば、今この『古の都』で壊物(かいぶつ)に殺された人間は漏れなくネメシスの餌となってしまう。

 ネメシスを乗り越えるために栄養価の高いミーナ達の肉を欲しているソドムとしては、それは避けなければならない事態だ。

 故に、ソドムはミーナに対し、「戦闘不能に追い込んでから生きたまま血肉を食らう。」という方針しか取れない。


 ならば飛び道具であり、的中即死の大技である『神撃(ダス・ゴトリ)(ッヒ)大電(ェンブリッツ)』を本気で放つことは出来ない。

 精々が、威力を大幅に落として牽制技や止めに持っていく為の派生技として使用する程度である。


 つまり、勝負は接近戦‼――ミーナは息を整えた。


「良い眼をしている……。」


 不意に、ソドムがミーナに賛辞の言葉を投げ掛けた。

 その程度で戦闘中に揺らぐ彼女ではないが、意外な事は確かだった。


「何が?」

「恐らくは()の目論見も、勝負に()ける制約も読んでいるのだろう。人間という異なる種とはいえ、その精神はさぞ優秀な遺伝子に裏付けられたものなのだろうな。()にとって、良き糧となりそうだ。この出会いに対し、手放しに敬意と感謝を贈ろう。」


 ミーナは眉間に皺を寄せた。

 捕食者が被食者に対して抱く敬意と感謝、それは皿の上の命を頂く心持ちに似ている様な気がした。

 そして、自らの心を遺伝子という生まれ持ったもののみに紐付けるその考え方も気に入らなかった。


「同じ遺伝子を持っていても、全く考え方の違う人だっているよ。親子も、兄弟も、クローンでさえも。それに、時が経てば同じ人とは思えないくらい考え方ががらりと変わる事もある。」


 ミーナははっきりとソドムの手前勝手な賛辞を拒絶した。

 これまでの彼女の出会いがそうさせたのだ。


 ミーナは考える。

 確かに人それぞれの素養というものはその差異を否定し難く存在するのだろう。

 だが、自らを構成するものを顧みた時、それは極々小さなものの様な気がした。


 人を作るのは、境遇と選択であると今の彼女は考える。

 どの様な人と出会い、事件に遭い、影響を受けるか。

 そしてその影響の中から自らや他者に残すものとして何を選び取るか。


 それは良くも悪くも個体を超えて受け継がれて行くものである。

 その一点に於いて、限りある時の中で共同体を形成する人間と寿命無く一個体で完結する壊物(かいぶつ)の間には大いなる断絶が横たわっている。


「ならばその成れの果てが()である、とも言えよう。()もまた貴様ら人間が歴史に遺した負の想念を核としている。直接的な関りは無いが、()やネメシスもまたこの時空の知的生命体、人類によって生み出された存在なのだ。」

「だったら、今ここでこの刀と共に乗り越える‼」


 ミーナとソドムは共に腰を落とし、互いに衝突に備える。

 風が渦巻くのは二つの剣が甲乙を付けんとする闘気に当てられ酩酊しているのか。


 先に飛び出したのはミーナの方だった。

 これまで体格差で辛酸を()めてきた彼女にはソドムよりも機先を制さなければならないのだから、当然といえば当然である。

 しかし、いかにして黄金色と化したソドムの大剣の絶対的防御を掻い潜るか、問題はそこだ。


 ミーナは上段に刀を振り被り、大袈裟にソドムへと斬り掛かる。

 明らかに隙だらけの状態に、ソドムは彼女の体格に合わせて低い軌道で大剣を薙ぎ払おうとする。


『どういうつもりじゃ、ミーナ⁉』


 らしくないミーナのミスに妖刀が疑問を呈したのも束の間、彼女は明らかに届かない間合いで刀を振り下ろした。

 一見するとミスにミスを重ねた様だが、そうではない。

 妖刀は大剣と衝突する前に地面に突き刺さり、ミーナは勢い余って宙返りした。


「ヌッ⁉」


 ソドムも意表を突かれて思わず声を漏らした。

 次の瞬間にはミーナの小さな体がソドムの黒く太い腕を軽やかな足取りで駆け上がる。

 勿論地面から妖刀を引き抜くことも忘れない。


「密着した間合いで刃を突き立てる気か‼ 小賢しいわァッ‼」


 ソドムは腕を振り払いミーナを跳ね除ける。

 しかしその前に彼女はソドムの肩から背後へ跳び下りていた。

 思わぬ形で後ろを取られたソドムは猛禽(もうきん)類の様な目を(みは)り振り向き様に大剣を振り下ろそうとする。

 しかしミーナの姿が眼に映った瞬間にソドムは行動を変えなければならなかった。


此奴(こやつ)の狙いはッ‼」


 ミーナもまた、振り向き様の一太刀を狙っていた。

 その剣線はソドムの直後から下から上へと振り上げる軌道。

 互いのこの体勢、斬り合いでは明らかに小柄な彼女の刃が先に届く。


「甘いわッ‼」


 ソドムの大剣が黄金色に輝く。

 刹那、大剣が妖刀に吸い寄せられる様に体格差による距離を無効化する物凄い速度で動き、攻撃を遮る。

 だが、(しか)(しか)し、これこそがミーナの真の狙いだった。


 ミーナの剣線は彼女から見た下から上、即ち、低い位置から繰り出されている。

 必然、ソドムの剣はこれに引き寄せられ、地を這う様な軌道でカバーに入っている。

 ミーナから見ても、足元に。


「ぐあッ⁉」


 ミーナは待ち構えていた様に体験を持つソドムの手を踵で力一杯踏み付けた。

 跳んで駆け上がるのとは段違いの、軸足を付けて全体重を乗せた渾身の一撃が無理な態勢の脆い小手に炸裂したのだ。

 ソドムは堪らず大剣から手を放してしまっていた。


『そうか‼ ソドムの大剣は常時(わし)を吸い寄せる訳ではない‼ それでは向こうから攻撃する事も出来ん‼ 故に、己の意思を大剣に伝え、防御機能を発動する必要がある‼ ならば大剣を手放させてしまえば、奴に防御の手段は無くなる‼』


 ミーナは思い出す。

 師であるクニヒトとの数少ない手合わせの中で、彼は常に「固定観念に囚われず柔軟な発想を持て。」と言っていた。

 それこそが、基本的に弱者である人間が壊物(かいぶつ)と互角以上に戦う最大の切り札であると。


 教えられた通り出来ましたか、師匠?――ミーナは踏み込みの勢いで飛び上がりながら記憶の中の縁側に(すわ)るクニヒトに問い掛けた。

 妖刀の軌道が変わり、横向きになっていたソドムの胴部から胸部に掛けて刃が通る。


 涙が溢れそうになったが、彼女の眼は()()えていた。

 美しい弧を描く妖刀のその閃きはソドムの分厚い胸筋を削ぎ落していた。

 ミーナが地に足を付けると、ソドムの胸から大きな肉塊が体液の一滴も溢さず地面へと滑り落ちた。

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