Episode.7 闇の不死賢者
ミーナとルカは息を潜め、敵の親玉が部屋へやって来るのを待ち伏せする。
敵の親玉、『闇の不死賢者』について、ミーナは殆ど情報を持っていない。
せいぜいが、大型の髑髏のカイブツで、人語を話すという程度の理解だ。
その力については全くの未知数である。
これまでのカイブツの様に、一太刀の内に葬れればいいんだけど……。――ミーナは妖刀を強く握りしめた。
『気負うな。いつも以上の力を出そうとするな。強敵との戦いで何より肝要なのは、いつも通りに戦う事じゃ。得てして人は強敵と聞くと普段以上の力を発揮しようと力む。しかし、その心構えは却って筋肉に硬直や無駄な動きを生み、いつも以上どころか普段の力も出せなくなる。如何なる相手にも平常心、良いな?』
ミーナは妖刀の言葉に黙って頷いた。
この場で『闇の不死賢者』を待ち伏せするのは妖刀の提案だが、ミーナは『闇の不死賢者』がこの場に必ず現れるとした妖刀の洞察に納得していた。
根拠は、研究の成果と思しき瓶漬けの試験体を管理していたカイブツ達の言葉がたどたどしいものだった事だ。
即ち、並のカイブツより知性はあるが、人間程ではないという事。
そんな者達に研究観察を任せ切りに出来るとは思えず、必ず様子を見回りに来るはずだ。
そして妖刀の読みは的中し、部屋の入り口に巨大な影がぬっと顕れた。
不気味な事に足音も気配も一切出さず、その人間と比べ三倍近くある巨大な髑髏のカイブツはぬらりと姿を顕した。
あれが、とミーナは無言の内に隣に潜むルカに伝えるべく彼を小突いた。
ルカはミーナの問いに頷き、顕れたカイブツが紛れもない『闇の不死賢者』であると彼女に告げる。
カイブツの親玉は部屋の入り口から入って来ようとはせず、中の様子を見まわしてその眼窩を笑みの如く歪ませる。
「成程、来客の様だ……。」
今までの相手とは違い、このカイブツははっきりと言葉を発した。
そして、どうやらミーナ達が侵入したことも察したようだ。
だが、この敵の読みはそれに留まらなかった。
「まだこの部屋にいるな? 隠れて我を不意打ちしようという算段か……。」
ミーナの脳裏に焦燥が駆け抜ける。
流石は『闇の不死賢者』を名乗るだけあり、こちらの作戦を一瞬にして見抜く高い知能を持ち合わせているらしい。
しかし、妖刀はそんな彼女の逸りを抑えようと声をかける。
『焦ることはない。こちらだけが相手を認識している優位は揺らいでおらんのじゃ。相手が此方を見つける前に、隙を見せたら一気に仕掛けてケリを着けよ。お前さんにはその判断力がある。』
妖刀のアドバイスに従い、ミーナはそのまま息を殺す。
敵はゆっくりと入室し、こちらの居場所を探ろうと徘徊する。
髑髏の頭は明らかに人骨のそれとは異なり、目や口を巧みに動かして表情を作っている。
今、『闇の不死賢者』の骸骨顔は明らかに獲物を追い詰めるような嗜虐的な愉悦の笑みを浮かべていた。
敵はまずミーナ達から見て部屋の中央に備え付けられた机の向こう側をゆっくりと移動する。
そして手前側に来た時、ミーナははっと息を呑んだ。
初めて全貌を見せた『闇の不死賢者』は骸骨の下半身が無く宙に浮いていたのだ。
「さーて、どこに隠れているんだろうねえ……?」
敵の口振りは凡そ人間が隠れる場所を把握しており、目星を着けているかのように聞こえた。
おそらく相応に大きな脳味噌が詰まった髑髏は侵入者を見下すような目つきで追い詰めて愉しんでいるかのようだ。
そして突然物凄い速さで足下、と書くのはカイブツに足は無い為語弊があるが、とにかく下の戸棚を順々に開け始めた。
「此処か? それとも此処か? ほらほら、可哀想な山羊さん達、出ておいで? お望み通り、我が可愛い豚鼠にしてあげるよ?」
敵の巨体がミーナ達の眼前に迫る。
そしてとうとう、『闇の不死賢者』は最後の棚の扉に手を掛けた。
「今だっ‼」
ミーナは勢いよく隠れていた戸棚から飛び出した。
人間が隠れ易そうな下の戸棚に注目し屈んでいた『闇の不死賢者』の上空、背後という絶好の角度から妖刀を首の骨に向けて降り下ろす。
まさか上の戸棚に隠れていようとは思ってもいなかった『闇の不死賢者』は不覚を取った形になるが、この強敵は恐るべき反応速度でミーナの剣を裁いた。
骨の裏拳が妖刀の刀身を真横から打ち据え、ミーナの身体を弾き飛ばしてしまった。
「ぐぅっ⁉」
「ぬぅっ、小娘……⁉」
飛び出して来たのが少女だったことに敵は驚愕を隠せない様子だ。
しかし、それはそうと『闇の不死賢者』は倒れ込んだミーナに向かってくる。
「うぅ……!」
ミーナは背中を強く打ち、痛みに悶えていた。
気を取り直して体勢を立て直そうとすると、『闇の不死賢者』の姿は目の前に来ていた。
「ククク、まさかこんな幼気な小娘が生贄だとは、あの女も中々残酷な事をするものだ。さて、我にかかれば跡形も無く消し飛ばすことも容易いが、無力化する手段もいくらでもある。その後は予定通り、実験動物として我が研究の礎となって貰おうか。」
白骨の手がミーナの頭上に翳される。
何か危害を加えようとしていることは明らかだ。
と、その時ルカがミーナと同じように鉄パイプで攻撃しようと『闇の不死賢者』に飛び掛かった。
「莫迦め!」
威勢よく飛び出したルカだったが、『闇の不死賢者』はあっさりと彼の首を掴んだ。
「ぐはっ‼」
「我に二度同じ手が通用するとでも思ったか! 先ずは貴様から縊り殺してくれよう! そっちの小娘と違い、貴様は凡夫と見えるからな! ならば死体があれば事足りる!」
ルカの首に『闇の不死賢者』の骨の指が食い込む。
しかしその時、動けるようになったミーナが刀を再度振るった。
剣線は『闇の不死賢者』の腕を斬り落とし、ルカを窮地から脱出させた。
「小癪なっ……‼」
敵は斬り落とされた腕を拾い、切り口に宛がう。
すると斬った筈の腕は元通りに再生してしまった。
『なんと、あ奴は欠損を修復できるのか! 伊達に不死賢者を名乗ってはおらんようじゃの!』
「妖刀さん、どうしよう?」
『この狭い場所で刀を振るうのは如何にも不利。敵も巨体じゃが、浮遊できる分机の上など高所を取れる。河岸を変えた方が良さそうじゃ。』
妖刀は周囲の状況を分析し、ミーナに次の指示を出す。
彼の声がミーナにしか聞こえないという事が有利に働いていた。
次にミーナが出る行動を、『闇の不死賢者』は想像だに出来なかっただろう。
「虫螻蛄共が、死ねえッ‼」
何か大技を仕掛けようと両手を振り上げる『闇の不死賢者』だが、ミーナは構わず回避行動を取る。
『やれ‼』
妖刀の掛け声に合わせ、彼女は自分とルカの足場を切り裂いた。
どうやら下は空洞になっていたらしく、二人は崩れる床と共に下の階へと落ちて行った。
妖刀は二人が歩く様子から、真下に地下室がある事を見抜いていたのだ。
「下へ逃げられたか……。おのれ餓鬼ども……供物の分際でェッ……!」
一時はどうなる事かと思ったが、妖刀の機転で二人は一先ず難を逃れることが出来た。
二人が落ちた地下のエリアは開けた空間になっていた。
妖刀のアドバイスに従い、ミーナはルカと共に奥へと進む。
「なあミーナ、まさか逃げるのか?」
ルカがミーナに問い掛ける。
ミーナにそのつもりはなく、妖刀の意図も別の所にあると彼女は信じているが、彼女は答えあぐねていた。
『逃げるのも戦いの手の一つ。追って来ようが改めてこちらから攻めようが、一旦形成を白紙に戻せる。幸いこの地下は先程の部屋と違い広く、そして……。』
二人の足下にはカイブツや人間の死体がそこら中に転がっていた。
『尚且つ、戦いの邪魔にならない程度には隠れる場所も豊富じゃ。』
ミーナは妖刀に言われたことをそのままルカに伝えた。
「へえ、まるで熟練の戦士みたいな老獪な事を考えるんだなあ……。」
「うぐっ……。」
これではまるで自分がお爺ちゃんみたいだと言われたも同然である。
心なしか、伝える言葉も古めかしくなってしまった気がする。
暫く奥へ進むと、二人の眼前に一つの大きな死体が現れた。
横たわる姿は今までに見た度のカイブツよりも大きいが、人間と見紛う形をしている。
よく観察するとそれは、複数のカイブツの死体を繋ぎ慌てあるようだ。
「うげっ、気持悪ぃ……。『闇の不死賢者』の奴は何を考えてこんなイカレた真似を……?」
余りの不気味さにルカは思わず後退る。
対してミーナは後方に殺気を感じて振り向いた。
『いい勘じゃミーナ! 来とるぞ‼』
反応したのはミーナか妖刀そのものか、彼女は頭上を刀身で庇った。
その刹那、何処からともなく顕れた『闇の不死賢者』の降り下ろされた掌が刀身と衝突した。
「斬れないっ⁉」
「ぐはははは‼ 我を何者と心得る! 我は『闇の不死賢者』‼ 古の文明の力、その使い道を識る者ぞ! シールドを張る程度、容易き事‼」
巨大な骸骨の右腕ががら空きになったミーナの脇に向けて振るわれる。
「させるかぁッ‼」
ルカが渾身の力を込めて鉄パイプを振るい、『闇の不死賢者』の右腕と衝突させてミーナへの攻撃を防ごうとする。
しかし、ルカの攻撃はまるで霧に浮かぶ影を殴るかの如く『闇の不死賢者』の腕を擦り抜けてしまった。
そのまま腕はミーナの脇腹を打ち据え、彼女の身体を弾き飛ばした。
「ぐはっ‼」
「ミーナ‼ 糞っ、化物めよくも‼」
ルカは怒りに任せて鉄パイプを『闇の不死賢者』の巨体目掛けて降り下ろす。
しかし、やはりパイプは敵の身体をまるで手応え無く擦り抜けてしまう。
「無駄無駄。我には本来汎ゆる物理的な攻撃は通用せんのだ。しかし……。」
必死に鉄パイプを空振りさせるルカを尻目に、敵はその巨大な髑髏の眼窩を倒れ込むミーナの妖刀に向けた。
「あの小娘の持つ刀……。何故あれは我が能力をも擦り抜け腕を斬り落としたのだ? 今後の憂いを滅する為にも、あれだけは粉微塵に砕かねばならぬ……。」
巨大な骸骨のカイブツが猛然とミーナに突撃する。
と、その時倒れ伏していたミーナの眼に鋭い光が宿る。
真紅の双眸を赫焔の如く煌めかせ、少女の長い銀髪と華奢な白肌は一瞬の内に残像を置き去りにし、『闇の不死賢者』にその刃を振るった。
「ぐ、ぐはああアッッ‼ 何ィッ⁉ 何だこの力は⁉」
「ガアアアアッッ‼」
ミーナは人間の乙女とは思えぬ咆哮を挙げ、『闇の不死賢者』の身体を目にも留まらぬ速さで斬り刻む。
その姿、宛ら羅刹の如し。
敵はバラバラになった体の大部分を棄て、頭蓋と右腕のみの姿でどうにか剣線の嵐から逃れる。
「莫迦なっ‼ 想定外だ‼ こんな……あの女よくもこんな化物を寄越したな‼ 許せん……‼」
ミーナの刃が『闇の不死賢者』の頭蓋を斬り上げる。
「こ、こうなったら一か八かッッ‼ 我が最後の攻撃、『破滅の青白光』を受けるが良いッッ‼ ぐえええッッ‼」
敵は頭蓋を縦に割られながら巨大な死体の方へ吹き飛ばされた。
しかしそれと同時に、切断された面が不気味な青白い光を放ち始めた。
ミーナは瞬間、この光の危険性を本能的な感性で察知し、咄嗟にルカに跳び付いて彼を庇った。
今際の咆哮か、『闇の不死賢者』の身体は激しく発光した。
その青白い光を浴びたミーナは焼けるような熱さと痛みを覚えた。
『ミーナァァッッ‼』
妖刀の絶叫は何処か悲痛に広い地下を反響していた。
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