Episode.73 ミーナの原点
昼下がり、隠れ処の入口で集落の仲間達は息の上がったミーナの父ミハルと、肩に担がれた母ミオを出迎えた。
只事でない様子の夫婦に、兄ゲンは事情を尋ねる。
「何があった⁉ ミオ⁉ まさかやられたのか⁉」
「カイブツを斃したと思った直後だった……! 俺は背後から近付く奴等に気付かなかった。ミオが庇ってくれなきゃやられてたのは俺だ……!」
ミーナは漏れてきた声から母親が危機的な状況に陥ったことを知った。
居ても立ってもいられず、彼女はゲンの言い付けを破って両親の許へと駆けた。
「お父さん! お母さん‼」
「ミーナ! 待ってろって言っただろ!」
父に担がれた母は頭から血を流している。
決して傷は浅くないらしく、彼女の表情に力は無く、息も絶え絶えだった。
「兄さん、彼女を手当てしてくれ。」
「あ、ああ。」
「それと、此処を捨てる準備を。不意打ちを仕掛けてきたカイブツの事も斃したが、他のカイブツに目を付けられているかもしれない。」
「わかった。」
ゲンはミハルからミオの身柄を預かった。
しかしその時、入口の反対側から悲鳴が聞こえた。
壊物が隠れ処に侵入し、若い女を手に掛けていた。
「くっ! しくじった、やはり目を付けられていたのか‼」
「おいおいおい‼ どうすんだ⁉」
ゲンにミオを預けたミハルは電光石火の速度で仲間を襲う壊物の懐へと駆け込み手に持っていた鉄パイプで壊物の脚から頭にかけて七発の殴打を叩き込んだ。
壊物が怯んだ隙に、脳天目掛けて更にもう一発。
「凄え……。あれがあいつの、あのミハルの戦闘なのか……。」
ゲンは信じられない物を見る様に弟の奮戦に目を瞠っていた。
それは一発で華麗に壊物を仕留めるようなスマートで圧倒的な戦い方ではない。
だが、逆に何度も壊物の急所を殴打するその様には別の意味で壮絶な迫力があった。
ミハルの攻撃は壊物が完全に沈黙するまで繰り返され、巨体の壊物は最後に強酸を嘔吐して絶命した。
先程壊物の手に掛かった女の死体に吐瀉液が触れ、肉が溶ける嫌な音が鳴った。
「みんな、避難の準備を。」
壊物を仕留めたミハルはしかしなおも危機感を捨てず、仲間達に避難するよう促す。
考えてみれば当然で、彼の戦い方は凄まじい半面で精々壊物一帯を相手にするのが限界である。
立て続けに襲って来られたら一溜まりも無く、そして彼から見ればこの敵で三体目、つまりその危険は充分現実的なのだ。
しかし、その見立ても甘かった。
入り口近くに立っているのは妻を担ぐ兄ゲン、そして娘のミーナ。
その背後に更に一体、二足歩行の壊物が現れた。
「しまった!」
ミハルが気付いた時、壊物は既に攻撃の態勢に入っていた。
ゲンとミーナがそれを察知したのは更に一瞬遅かった。
間に合わない。――誰もがそう思った、その時だった。
「ミオ‼」
壊物の丸太の様な腕は何時の間にかゲンの肩から降りていたミオの細腕に止められていた。
ミオは怒りに満ちた表情で壊物を睨み上げている。
「汚い手で私の家族に触れないで……!」
ミオは腕を振り上げ、片腕で壊物の巨体を持ち上げて乱暴に頭から地面に叩き付けた。
その衝撃でコンクリートの床は罅割れ、壊物はぐったりと力なく倒れた。
だが剛腕を振るったミオの方も傷に障ったらしくその場にへたり込んでしまった。
「ミオ、大丈夫か⁉」
「義兄さん、向こうへ行って……。その娘を、安全な所へ……。」
心配して声を掛けたゲンに、ミオは振り向きもせず息絶え絶えに要求する。
夫のミハルも駆け寄って来たが、それを察したミオは掠れた声で制止する。
「待って……! 来ちゃ駄目……! まだ……!」
倒れていた壊物は寝転がったままミオに尚も鉤爪のついた腕の兇刃を振るう。
ミオは体力の限界からか、真面に顔を上げる事も出来ない様子だ。
万事休す、絶体絶命の危機がミオに襲い掛かっていた。
「ぐっ‼」
「貴方‼」
ミハルがミオと壊物の間に割って入り、体を張って妻を壊物の攻撃から守った。
鋭い鉤爪がミハルの肉を抉り、明らかな致命傷を与えていた。
「っ……おおおおッッ‼」
ミハルは最後の力を振り絞るように、壊物の脳天に鉄パイプを振り下ろした。
既にミオの攻撃によって弱っていた壊物はこの一発が止めとなり、絶命した。
「ごふっ……!」
「貴方……! ごめんなさい、私……‼」
「はぁ……はぁ……、ミーナは……無事か……?」
ミーナは目の前の凄惨な光景に凍り付いていた。
ゲンが彼女を庇い、両親の姿を彼女の眼から隠す。
「ええ……。傷一つ無いわ……。」
「なら……良い……。君と……ミーナが……無事なら……。良かった……。」
その言葉を最期に、ミハルは微笑みを浮かべて事切れた。
早過ぎるとも、この時代では普通とも言える、ミーナの父の死だった。
「とりあえず周囲を探ったが、後を着けて来たカイブツはもう居なさそうだ。」
「そうか。だがまだ隠れている可能性は無きにしも非ずだな。」
逃げる為のルートを探るべく、一足先に隠れ処の外へ出ていた仲間の大人の一人が戻ってきて、長である唯一の老人ジョーに報告した。
隠れ処を捨てるか否かは彼が彼の判断に委ねられた。
ゲンは弟ミハルの亡骸を茫然と見詰める義妹ミオに声を掛ける。
「ミオ、お前も無事じゃないんだろ? 早く手当てを……。」
「いいえ、義兄さん。もう良いの。」
「何が良いもんか! お前まで死なせる訳にはいかんだろ!」
「駄目なのよ。もう私は……助からないの……。」
死を悟った義妹の言葉に、ゲンは彼女の肩が傷口から変色している事に気が付いた。
「まさか……毒か……?」
「ええ……。ごめんなさい、義兄さん。死に損ないが最後の仕事を仕損じたせいであの人まで死なせてしまった……。一発でちゃんと仕留めるべきだったのに……。」
ミオの手が先立った夫ミハルの安らかな顔にそっと触れた。
そんな様子を見かねて、ゲンが彼女の体を担ごうとする。
「傷口に触れなきゃ、毒は移らんだろ?」
「無理よ、義兄さん。もう手遅れなの。」
「五月蠅い! 認めんぞ俺は‼ 娘がいる前で滅多な事を言うもんじゃない! 必ず助けてやる‼」
聞き分けの無い伯父が母を担ぎ、棲み処の奥へ引っ込もうとする。
ミーナはその時母と目が合った。
母は何処か申し訳なさそうな、しかし安堵した様な表情を浮かべていた。
「義兄さん、ありがとう……。ミーナ……、愛してる……。」
ミオはそう言い残し、ミーナを抱き締める様に暖かな視線を暫く送った後、眠るように目蓋を下した。
それがミオの、娘ミーナに送る最期の言葉になった。
***
時を現代に戻し、原子力遺跡は心臓封印の間。
まだ皆が寝静まっている中、ミーナは現実へと引き戻されて目を覚ました。
酷く悲しい夢を見た気がして、思わず彼女の目から涙が零れる。
『ミーナ、大丈夫か? 悪い夢でも見たのか?』
「悪い夢……。確かにそうかもしれない……。でも……。」
ミーナにとってそれは忘れていた、より正確には封印されていた記憶だった。
彼女は再び夢を見ることで、今漸く両親の死の詳細を思い出した。
凄惨な記憶だったので、彼女の無意識が回想にストップを掛けていたのだろう。
「でも、大切なことも思い出した。お父さんとお母さんの思い出……。まだ本当に優しかった頃の伯父さんや仲間達との思い出……。」
ミーナは夢の内容を忘れないように、消えてしまわないように意識的に反芻する。
「伯父さん達はお父さんとお母さん、あともう一人、犠牲になった女の人を葬った。多分それは私の為……。私がちゃんと二人にお別れ出来る様にっていう……。」
『ほぅ、あの男がの……。』
「あの頃の伯父さんはまだ本当に私の事を想っていたんだと思う。それが判ったから、私の事を任せられると思ったから、お母さんは安心したんだ……。」
『儂はあの男達にはあの一夜の印象しかないからの……。お前さんの記憶だけが彼らの人物像を知っており、それ以外は又聞きの部外者が知った風な口を挟むに過ぎん。』
ミーナは妖刀の言葉を吞み込む様に小さく頷いた。
もう彼女の旧い仲間達を知る者は、彼女自身しか居ない。
そして、彼女が見た原風景も。
「私がどうして外の世界を冒険したいと思ったのか、今思い出した。」
『ほう……。』
「私は……お父さんやお母さんと同じ景色が見たいと思ったんだ。同じ景色の中に、外の世界の空の向こうにお父さんとお母さんがいるような気がしたから……。一緒に冒険しているような気がしたから……。」
膝を抱えるミーナに言葉を失ったのか、妖刀は言葉を返さない。
ミーナはそのまま続ける。
「旅に出て、冒険の意味が変わっちゃった気がする。前は人類の事とか、世界の事とか、別にどうこうしようとは思わなかった。壊物の事も、ただ危険の一部で積極的に戦うつもりは無かった。」
確かに、遺跡探索もそこへ向かう為の旅も、ただ探索の為、旅の為というには重過ぎる使命が課せられたものだった。
そして失敗してしまった今、その責任が否応無しに彼女に襲い掛かっている。
それ以前でも、警邏としての壁外探索あくまで仕事だった。
思えば『古の都』に着いてから、正確にはダーク・リッチとの戦いから全く純粋な気持ちで冒険できていない。
「勿論、やりだした事だから最後まで投げ出したくはない。人類の未来が大事で、それがなきゃただ野垂れ死ぬまで冒険させられることになるっていうのも今では解る。それだって生きる必要性に駆られたもので、多分自由じゃない。」
今、ミーナの中に一つの新たな目標が見え始めていた。
顔を上げたミーナの眼にその光が宿っているのを確認したのか、妖刀は漸く言葉を投げかける。
『それで、お前さんはどうしたい?』
「皆で冒険の旅がしたい!」
ミーナは小さな声で、しかし決意を込めてはっきりと口にした。
「まずこの仕事を、ネメシスを斃す仕事をやり遂げて、平和になったら皆と広い世界を冒険したい。」
『良い答えじゃ。流石は儂の……。』
妖刀は思わず出掛かった言葉に詰まったように答えを止めた。
「私、妖刀さんの事ももっと知りたい。私の御先祖様かもってリヒトは言ってたけど、言葉で言われただけじゃ実感湧かないし……。」
『そうか、そうじゃろうな……。』
「でも、そうだったら嬉しいかな。妖刀さんと一緒にお父さんやお母さん、お爺ちゃん達も皆見守ってくれるような気がするから。」
ミーナは妖刀の方へ屈託のない笑顔を向けた。
『……兎に角、まだ朝までは時間がある。もう一眠りするなら今の内じゃぞ。くれぐれも明日、睡眠不足にならんようにな。』
妖刀が答えをはぐらかしたのは、ミーナの言葉に思うところが大いにあったからだろうか。
彼女が大切な原点を取り戻し、目標を見付けた安らぎの時も束の間、人類にとっての夜は無常にも黎明へと移ろい行く。