Episode.70 「此処」を「都」とした「理由」
ダーク・リッチは闇の中、意識の底より語り掛けてくる声を聞いていた。
『どうにか死骸の中に入り込めたようだな……。』
その壊物の死骸は丁度ミーナ達が開けようとしていた大扉の裏側に凭れ掛かる形で絶命していた。
エネルギーが尽きかけ、後もう少し発見が遅れれば命が無かったギリギリの綱渡りだった。
「ネメシスよ、貴様が我を導かなければ危うかった……いや、間違いなく我は死んでいただろう。」
彼が入り込んだ壊物の死体が持っていたエネルギーは莫大だった。
シャチの予想通り、ダーク・リッチはもう充分行動を再開できるエネルギーを回復していた。
だが、ここへ来て彼は慎重になっていた。
いや、疑いを持ったと言った方が正確かも知れない。
「ネメシス、貴様が我に協力するのは何故だ? 下手をすると我に体を乗っ取られるかもしれんのだぞ? いや、我はそれこそを狙っている。それが解らない貴様ではないだろう?」
『それで良いのだ、ダーク・リッチよ。基より私はこの時空における世界規模の負の想念の結晶。個人レベルの負の想念の結晶であるお前が私を手に入れる事、私を乗っ取る事、それは私とお前の想念が混ざり合う事を意味する。お前という個人が混ざったところで世界は世界。私の在り方に何の影響も無い。』
「我は貴様の中に溶けて消えると言うのか?」
『そうではない。お前の意識は確かに私と混ざる。だが中核となるのはお前の意思だ。丁度世界の首脳が交代するように、お前が中心となって私の存在は再構築される。私は世界そのものであり、その第一人者がお前になる。だが、世界は依然として存在し、私もまたお前の意識に影響を与える。見方によっては一人の為政者が世界を支配する、お前が主で私が従とも言えるし、為政者が変わっても根本的な世界の在り様はそのまま呑まざるを得ない、私が主でお前が従とも言える。そんな関係だ。』
「つまり、対等な両者の完全な融合という訳か?」
『そう捉えて貰って結構だ。』
ダーク・リッチは悩む。
そんな彼の心を見透かすように、意識の中のネメシスは尚も語り掛けてくる。
『何、お前にとって悪い結果にはならんよ。現にお前に取り込まれた私の臓腑がお前にそう伝えているのだ。お前がこれから味わうことになる感覚を実感した上で私はお前に語り掛けている。』
「成程、そういう事か……。逆に貴様にとってこういう感覚か。そして貴様が我に話しかけているこの状況がそのまま入れ替わる、と。」
ダーク・リッチは確かに感じていた。
ネメシスの臓腑を取り込んでから、自分の中にネメシスが溶け込んだような奇妙な感覚がある。
まるで自分がネメシスの臓腑そのものになったかのような、そんな錯覚すら覚える。
もしかすると、自分がネメシスを復活させようとしている事すら、臓腑の意思によるもののような、そんな気さえしていた。
「ならば躊躇わずとも良いな。もう充分、エネルギーは回復した! これから貴様と融合し、完璧な肉体を手に入れ全ての頂点に立とう‼」
ダーク・リッチは壊物の死骸から飛び出し、また負の想念体となり床を擦り抜けて更なる奥地を目指した。
『良いぞ、私の脳髄は近い。』
「うむ、融合して復活すれば心臓もまた新たに再生するのだな?」
『それにはかなりの時間を要する。その前に愁いを取り除いておくべきだろうな。』
「愁い?」
ダーク・リッチにはネメシスの言う事が良く解らなかった。
ネメシスは世界そのものの負の想念、それ以上の存在はあり得ず、愁いなど有ろう筈が無い。
「何を恐れる必要がある?」
『この時空にも特異点となる知的生命体の個体が現れている。』
「特異点? ミーナとSH=Aか? あんな二人がどうした? ネメシスの力の前では物の数では無いだろう?」
『そうではない。人間が私の復活を防がなければならなかったように、私にも断固阻止せねばならない事態があるのだ。それは正に、特異点の知的生物個体と大きな関りがある。』
尚も首を傾げるダーク・リッチ、無理も無い話である。
その事はネメシスの臓腑も解っている様だった。
『今は理解出来ずとも良い。私の脳髄と一つになれば私の記憶もお前と共有できる。もう目の前だ。』
「おおっ……‼」
ダーク・リッチは空の眼窩でその影を見て、感嘆の声を漏らした。
シルエットは正に巨大な人間の脳髄、ついに念願の時がやってきたのだ。
彼は迷うことなくそれの中に自身を入り込ませた。
今二つの邪悪は融合し、人類にとって最悪の絶望を蘇らせようとしていた。
「凄いぞ‼ 分かる‼ 我の存在そのものがネメシスと同等に膨れ上がっていく‼ 即ち個から世界へ、究極の存在へと昇り詰めようとしている‼ 今よりこの世界は我の天下だ‼」
『よくぞ私を蘇らせた。心臓以外の臓腑と再び一体にしてくれた。百年以上、封印され続けて私は飢餓状態にある。判るな?』
「うむ! 我はこれよりイッチでもダーク・リッチでもない! ネメシスそのものだ‼ この耐え難く餓えた不快感を埋めるべく、愚かにも我が頭上に居を構えし人間どもを全て糧としてくれよう‼」
地の奥底で脳髄は光を放ち、徐々に巨人の姿を模っていく。
『暫くは心臓の代用が要るな。』
「我の元の身体で埋めれば良かろう。」
『それは良い。では復活の時だ。私はネメシス‼ 人類よ、再び己が種の醜さ、罪深さ、そして滅ぶべきを思い知るが良い‼』
皮膚の無い巨人は体から黒い靄を出し、急速に地上へと溢れ出させる。
これは嘗て旧文明の時代に生きた人間を大量に自殺、或いは無差別殺人へと導いた怨念の塊である。
人類を滅亡へと向かわせる負の想念、人間の存在そのものへの耐え難い嫌悪が今、『古の都』に残された人々に襲い掛かる。
「ふはははは‼ 流れ込んでくる怨嗟の嘆き‼ 実に心地良い子守唄よ‼」
その時地上では、深夜に起きた事態に気付くことすらなく普段の生活を始めようとしている人々が黒い靄に包まれていた。
警邏達は間抜けにも、昨夜伝えられた予定であるミーナとシャチによる『脳髄』破壊の隙を突いた壊物の襲撃を警戒しようと、持ち場へ向かっている。
そんな何も知らない人々が黒い靄に包まれ、日常の生活を奪われて見失い、表情を死骸の様に曇らせる。
最悪の事態が今、再現されようとしていた。
しかし、発狂した人々が思い思いの手段で自分や他者を傷付けようと、ある者は手に持っていた刃物を、鈍器を、ある者は拳を振り上げた、正にその瞬間だった。
「何だ? 何が起こっている⁉」
『まさかあ奴め‼ こんな手を打って来るとは……‼ 何処まで……何処まで狂気の塊なのだ‼』
ネメシスが『古の都』の人々を殺そうとしたのは、自身が飢餓で弱り切っていたからである。
本来ならばそのエネルギー源として、負の想念で捕らえた『古の都』の住民数万人を取り込んでしまうところだ。
だが、『彼』はネメシスが復活する時にそういう行動に出ることを読んでいた。
そしてそれに対し、非情かつ狂気的な対策を打つことができる異常な執念が『彼』、リヒトにはあったのだ。
『私の脳髄を封印していた正にその地に、敢えて大勢の人間を住まわせたのはっ……! 最初からこれが……こんな狂気の沙汰が狙いだったのか‼ あの……悪魔めええええっっ‼』
まるで地表に溢れ出て人々に取り憑いた黒い靄を祓い除けるかのように、『古の都』の表面は全域に亘り発光した。
この時、ネメシスによって自殺や他殺を選ばされそうになっていたのは数万人の『古の都』の住人の内約七割。
その七割の『餌』はこの瞬間、『古の都』が発していた光に取り込まれるように光の粒子となって消えていく。
ネメシスが思わぬ御預けを食らった『餌』は『贄』となって逆に刃を向けてきたのだ。
数万人規模の、全寿命を消費した『命電弾』による一斉爆撃は地下深くのネメシスに甚大なダメージを与えた。
「『ウガアアアアアアッッ‼』」
ネメシスと、一体になったダーク・リッチは同時に悲鳴を上げた。
ただでさえ弱っていたネメシスにとって、餌にありつけると思っていた矢先に食らったこの攻撃は大きな痛手だった。
『だ、駄目だ‼ このままでは死ぬ‼』
「何だと⁉ 折角死線を潜り抜けて此処まで来たのに、冗談ではないぞ‼」
『に、人間の餌は駄目だ! 今のままでは……死なせいて喰らおうとすれば正の思念の攻撃エネルギーに強制変換される‼ 一先ずありったけの眷属共を喰らうしかない‼』
その時、頃合を同じくして世界中で壊物が一斉に消滅する奇妙な現象が起こった。
基よりネメシスの肉片から生まれ、基より負の想念と相性が良い壊物という存在はネメシスにとって人間よりも栄養価は低いが遥かにエネルギーに変換しやすい存在だった。
リヒトが何処まで意図したのかは、今となっては判らない。
だが、少なくとも『古の都』を態々『ネメシスの脳髄』が封印された『中央大遺跡』の表層部に築いたのは、万が一の時にネメシスの犠牲となる者を、掠め取られるより先に『命電弾』に変える為だった、という事はビヒトとルカも把握していた事である。
斯くして、人類と復活したネメシスの最終決戦は先ず人類の奇襲的な先制攻撃で幕を開けた。
※お知らせ。
今作品の更新は12/1のChapter.2最終話、Episode.71を以て一旦お休みします。
更新再開は2/2を予定しております。
何卒御容赦の程、宜しく御願い致します。