Episode.66 都への帰還
ネメシスの脳髄を破壊する条件を整えて『古の都』へと戻ってきたミーナ達はまるで英雄の凱旋のように割れんばかりの歓声に迎えられた。
以前ダーク・リッチを撃退した時やソドムとゴモラを追い払った時は何れもそれどころではない事件が併発したため、彼女は慣れない状況に少し戸惑いを覚えていた。
「まだ全部終わったわけじゃないのに……。」
「そうだな。恐らくこれから、一番大変な作業が待っている。」
シャチの言葉で我に返ったミーナは心臓の時と同じように戦う事になるであろう『ネメシスの脳髄』の脅威について『古の都』の大通りを歩きながら考える。
「心臓の時に感じた事だが、もしあんな物が他の強力な壊物に盗り込まれでもしたら一大事だ。ダーク・リッチの奴はあの時点で十の臓腑を集めたと言っていたが、恐らく要の二個である脳髄と心臓は全くの別格なのだろう。」
「そうね。丁度他の壊物と『双極の魔王』の比較に近いかも知れないわ。」
心臓との戦いに参加しなかったエリがミーナとシャチの会話に割って入った。
この喩えにフリヒトはぞっとしたらしく、怯えた表情を浮かべていた。
四人とも『双極の魔王』の脅威は身を以て知っている。
ダーク・リッチがあの場から居なくなっていたことを考えると、ほぼ間違いなく壊物同士の戦いの軍配は順当にソドムに上がったのだろう。
「そういえば皆さん、あの時勝手に心臓が動き出しましたけど、もし、もしもですよ? 脳髄もまた同じように破壊を前に自ら封印を離れたとしたら……。」
「それは事実上、『奴』の復活と同じではないか、と言いたいのか?」
シャチが鋭くフリヒトの懸念を言い当てた。
確かに、彼の考えは尤もだろう。
と、その時一つの人影が四人に近寄ってきた。
「その心配は無用だよ。」
よく馴染んだ、聞く者をうっとりと陶酔させる様な響きを持った声だ。
ただ、この様な屋外で会うことは珍しい。
「リヒト、ただいま。」
「うん、お帰り。エリはようこそかな? 何にせよみんな、よく頑張ってくれた。あともう一息だ。」
ミーナからの挨拶を受けたリヒトは感無量といった様子で遠くの空を見ていた。
所々に空間の裂け目が遠く小さく見える、この時代にとっては当たり前の、しかし本来は異様な黄昏時の空である。
嘗ての澄み渡った綺麗な空を知るリヒトは、この光景に何を思うのであろうか。
「後少しで『奴』はこの世界から完全に消え去る。この世界に破滅と混乱を齎した『奴』は……。」
彼が人類の明るい未来の開拓、栄えた過去の復興を望んでいることに嘘偽りは何一つ無いのだろう。
ミーナとしてはやはり今や手放しに彼を信用することは出来ないし、彼に心酔してしまう心地良さも逆に恐ろしく思えてしまうが、それだけは間違いないと信じていた。
何より、親族として代々最も深刻に騙されていたフリヒトに尚もリヒトへの敵意が微塵も感じられない。
彼は変わらず、この『古の都』の主に敬意の眼差しを向けている。
「ところでリヒト様、先程の話なのですが……。」
「ああ、『奴の脳髄』が『心臓』の様に破壊する手前で動き出したらどうなるか、だったね。それについては、単独ですぐに嘗ての様な大惨事を齎すことは無いと断言できる。」
リヒトは確信を持った様子でフリヒトの質問に答える。
「『奴』は今、極度の飢餓状態にある筈だ。以前の人類による攻撃で生存する為に必要な最低限の『力』や『負の想念』を残して他はすべて出し尽くさせることに成功している。あれから百年以上経って、本来の力と比べれば雀の涙程のものしか残っていないからずっと封印され続けているのさ。」
「逆に言えば『脳髄』に『栄養』を与えてしまえば……。」
「うん、ミーナの言う通り。だから戦って敗けることは許されない。あと、抑も逆に『奴』を養分と出来る壊物に先を越されてもアウトだ。だが、こちらの危険性はあまり考えなくてもいい。何故なら君達が『脳髄』の破壊作業を行っている間、『古の都』は外からの侵入に最大級の警戒態勢を取らせるつもりだ。人類の為に戦うのは君達だけじゃない。『古の都』が一丸となって悲願の達成に尽力するのさ。」
ミーナは嘗てダーク・リッチや『双極の魔王』がこの『古の都』を襲撃して来た時の事を思い出していた。
あの時と同じ、最前線で戦う主力は自分達だが、それは決して己のみの戦いではない。
託された役割の重みに、ミーナは改めて気が引き締まる思いがした。
「じゃあリヒト、これからまた地下遺跡に案内して。」
「いや、これからじゃない。」
逸るミーナを制するリヒトの表情はとても優しく、今までで一番心安らぐ穏やかなものだった。
「『心臓』と戦闘するのは想定外だったからね。今日の内に連戦する事も無い。『北の大遺跡』からここまで一瞬で帰って来られただけで時間的な余裕はあるんだ。今日の所はゆっくり休みなさい。」
「え? でも……。」
「ミーナ。ここはリヒトの言う通りにしよう。」
リヒトの言葉に不可解な違和感を覚え、問い返そうとするミーナだったが、シャチがそれを遮る様にリヒトの厚意に与る提案をした。
彼とて、先程まであれだけ早急で効率的な破壊に拘っていたリヒトが態度を翻したことに何も感じないわけではないだろう。
だがその両眼は、何かを察した様に強い視線でリヒトを見詰めていた。
そしてその気付きを暗に肯定するようにリヒトは彼に小さく微笑み返した。
「ではみんな、明日は頼んだよ。」
そう言ってリヒトはミーナとシャチを笑顔で見送った。
唯一『古の都』の住民ではないエリは取り敢えず仮の住まいとしてクニヒトが使っていた部屋を貸し出されることになった為、彼女はフリヒトと共にリヒトの親族の住まいへと着いて行った。
ミーナにはその姿、そして彼の言葉を何故か限りなく遠くに感じていた。
何事もあろう筈が無いのに、まるでリヒトにもう会えないような、そんな気がしたのだ。
「妖刀さん。」
『何じゃ、ミーナ?』
ミーナはその根拠のない不安感を妖刀に相談しようと一瞬考えて声を掛けた。
しかし、すぐに思い直した。
「ううん、ごめん何でもない。」
『そうか……? まあお前さんが平気なら別に良いんじゃが……。』
そう、何でもない事の筈だ。
それはミーナが自分に言い聞かせる言葉でもあった。
「ミーナ、明日は漸く此処の地下遺跡の完全攻略だ。」
「そうだね。」
いつもなら冒険の期待に時めく筈なのに、どういう訳か心此処に在らずといった調子で何の感慨も湧いてこない。
そんな様子にシャチも怪訝そうな表情を浮かべる。
「おい、本当に大丈夫なんだろうな? エリみたいに不甲斐無い様を晒されては困るぞ。」
「それは大丈夫。多分……。」
何とも締まらないミーナの答えに、シャチは溜息を吐いた。
「……取り敢えずここで別れるが、明日迄にはその阿呆面を何とかしておけよ? 爺も確りフォローしてやれ。」
『うむ……そうじゃの……。』
ミーナとシャチはそれぞれの寝室へと戻って行った。
***
皆が寝静まった頃、エリが眠るクニヒトの寝室の隣の部屋、書斎に置かれた箱がカタカタと音を立てていた。
中には彼女の武器、ゴモラの骨から造られた短剣が仕舞われている。
彼女がこれを『古の都』に持ち帰ったのは『ネメシスの脳髄』戦で自分も役に立つ為だったが、これが非常に拙い行動だった。
何故なら、広く考えればこれはゴモラの死骸の一部であるとも言えるからだ。
どういうことかというと、ある壊物にとってそこは九死に一生を得る逃げ場所だった。
「莫迦な女だ! まんまと我を最後の遺跡の内部へと持ち込みおった‼」
箱からダーク・リッチが霧のように吹き出して来た。
そう、ソドムに止めを刺されそうになったその時、ダーク・リッチは辛うじてこのゴモラの骨から造られた短剣の中に逃げ込んでいたのだ。
「一時はどうなる事かと思った……。あの時……乱雑に打ち捨てられていたこの短剣から同族の死体の気配がしなかったら、我は確実に殺られていた……。」
両腕を力なくぶら下げたまま、ダーク・リッチはソドム戦の忌々しい記憶に髑髏の顔を歪ませた。
そして今度はその歪んだ容貌のまま邪悪な笑みを浮かべる。
「だが‼ 運命は最後にこの我に味方した‼ 人間どもは寝静まり、今や我の邪魔となる者は一人も居らん‼ そして我には物質透過能力がある‼ このまま地下に眠る『ネメシスの脳髄』を一気に我が物としてやろう‼」
ダーク・リッチは逆転大勝利を確信し、意気揚々と床下の遥か地下、『ネメシスの脳髄』に狙いを定め、一気に取りに行こうとしている。
今、彼の中にはソドム戦でかなり損耗したものの依然として多くの『臓腑』が取り込まれている。
それが彼の意識へと的確に『脳髄』の在処を示していた。
だが、そんな彼の許へ何者かが近寄ってくる足音がした。
ダーク・リッチはギョッとした表情で音の方へと目を遣った。
「嫌な予感がしていたが……やはりそんなところか。」
「なっ⁉ 貴様は……‼」
部屋の扉が開け放たれ、そこにはこの『古の都』の帝、リヒトが立っていた。
「エリの表情から、彼女も『奴』の『脳髄』の破壊に一役買うつもりだという事は察することが出来た。ならばその為の武器を彼女は持ち帰っている筈だと睨んだ。ひょっとするとその中にはダーク・リッチ、君が潜んでいるのではないかと、懸念していたが……。」
「何もかもお見通しという訳か‼ 腹立たしい‼ だが、気付いているのが貴様だけなら同じこと‼ たかが軟弱者の細面男一人に何が出来る?」
ダーク・リッチの侮蔑交じりの問い掛けに、リヒトはこれまで誰にも見せた事の無い恐ろしい笑みを浮かべた。
まるで腹の底に秘めた漆黒の闇を全て溢れさせるような、そんな破顔だった。
そしてダーク・リッチは思わずたじろいだすぐ後に気が付く。
「ま、まさか貴様⁉」
「何が出来ると問われれば、長く生き過ぎた命をやっと再び捨てられると答えよう。少し遅れただけで、元々やるつもりだった事だ。私自身が『命電砲』の閃光となり『奴』をこの世から消し去る為の一助となるというのは……!」
リヒトの身体が眩い光を放ち始める。
彼の言葉は脅しでも発足でも何でもなく、今この場で確実にダーク・リッチを道連れにするつもりだ。
「ま、待て‼ ここからエリという女が眠る寝室は壁一枚! あの女も巻き込むことになるぞ‼」
「悪いがそれも既に対策済みだ。私がクニヒトに預けていたこの一連の区画、特に最も無防備となる寝室には、いざという時に彼を脱出させる仕掛けが施されている。クニヒトは私の弟ビヒトの血脈を繋ぐ大事な大事な男だったからね。残念ながら君に殺されてしまったのだが……。」
エリが眠る隣の部屋から何かが割れるような物音がした。
それを聞き、リヒトは底知れぬ闇を抱えた笑みを更に邪悪に歪ませる。
普段はダーク・リッチにこそ似合いそうな、それでいて彼よりも何倍もどす黒い表情に、彼は怯え切った表情で懇願するように叫ぶしかなかった。
「や、止めろおおォォッッ‼」
「恨むなら人の身を捨てた我が身の愚かを恨むが良い‼ 『命電砲』発射‼」
少し前にダーク・リッチによりその命を奪われた、嘗てリヒトが弟と呼んだ男の書斎が眩い閃光に包まれた。
※お知らせ。
今作品の更新は12/1のChapter.2最終話、Episode.71を以て一旦お休みします。
更新再開は2/2を予定しております。
何卒御容赦の程、宜しく御願い致します。




