Episode.64 心臓撃滅戦
白い燈に照らされた広大な部屋、その中央に位置していた水槽を割り出て来たそれは纏わり着く細い血管を脚代わりに、そして自身から生える太い血管の先を尖らせて槍頭の備わった鞭のように振り回していた。
どす黒い気配が対峙するミーナ達に苦戦を予感させる。
「まさか心臓だけの状態で襲い掛かってくるなんて……!」
ミーナは呼吸を整え、敵の攻撃にいつでも応戦すべくと気を張る。
「予想出来たことだ。イッチの奴が他の臓器を取り込むのに苦労したと仄めかしていたからな。」
シャチは久々に大胆不敵な笑みを浮かべて戦斧を振り被り、逆に先制攻撃の準備に入っている。
「どうやら今回僕は役に立たなそうですね……。このクロスボウではダメージが通らない……。」
フリヒトは力になれない無力さを悔やむように幼い顔を顰める。
「ああっ‼ そう言えば私、あの時ナイフ全部捨てちゃったんだ‼」
エリは事此処に至り初めて自分が丸腰のままついて来るという大ポカをやらかしていたことを思い出したらしい。
どうやらこの場で戦力はミーナとシャチの二人だけ。
但しそれは、全力のゴモラすらも撃ち滅ぼした人類最強の二人である。
完全に復活したネメシスならばいざ知らず、臓器一つだけならば十分に破壊できる期待はある。
まずは一撃、シャチの戦斧が巨大な心臓目掛けて降り下ろされる。
巨大な大動脈の先端に備わった槍頭の様な突起がシャチの攻撃を弾いた。
「ぬぅッ⁉ かなりの硬度と反応速度、そして強靭さを備えた血管だな……! こいつで攻撃してくるとなると……厄介だぞ!」
シャチが警戒を強めた通り、心臓は大動脈を凄まじい速度で振るいミーナに四方八方から攻撃を仕掛けてきた。
ミーナは辛うじてこの連撃を凌ぎ切ったが、血管には傷一つ付けられなかった。
「うぅっ……‼」
『ミーナ、大丈夫か?』
「ちょっと腕が痺れちゃった……。一々攻撃を受け続けたら拙いかも……。」
『成程、流石に強敵のようじゃ。フリヒト様とエリにはここから避難して貰った方が良いかも知れんの。』
この妖刀の提案にはミーナとシャチも賛成だった。
狙われたら庇わざるを得ず、足手纏いになる公算が高い。
「フリヒト、エリ、悪いんだけど、ちょっと離れていてくれない?」
「戻った先にはソドムとダーク・リッチの内勝った方か、両方が残っているだろう。撤退は途中までにしておけ。」
フリヒトとエリはミーナとシャチの要求に無言で頷き、この場を二人に託して部屋を後にした。
これで残る二人は心臓相手に集中できる。
問題は物凄い速度で縦横無尽に振り回され、即座に攻撃と防御を切り替えられる血管をどのようにして掻い潜るか、である。
ミーナとシャチ、何れも独りだけでは難しいであろう。
しかし、二人には今まで数々の戦いを共にしたコンビネーションがある。
二人は共に肉体の驚異的な強さを備えた人類の特異点であると同時に、戦いのセンスに於いても優れた天稟の持ち主だ。
『お前達二人ならば出来る‼ 人類に厄災を齎す輩を撃滅することが出来ると、儂は信じて疑わん! さあ、お前達の力を儂等の敵に見せてやれ‼』
妖刀の掛け声と共に、先ずはミーナが先陣を切って飛び出した。
ネメシスの心臓の大動脈が矢継ぎ早に襲い掛かる。
ミーナは素早く細かい動きで攻撃を回避しつつ、必要最低限の受けで自らの間合いへと体を寄せていく。
そして一太刀。
ミーナの渾身の力を込めた一撃は確かな手ごたえを彼女に感じさせた。
しかし、決定打にはならず。
大動脈もさることながら心臓本体の肉壁は尚の事強靭らしい。
心臓という臓器は言うまでも無く体中に血液を巡らせるポンプの役割を担っており、その構造とは分厚い筋肉によって覆われた物だ。
我々の時代に焼肉として食される際にはハートと呼ばれ他の臓器同様ホルモンに分類されることが多かったが、実体としてはタンなどと同じ純然たる肉の塊である。
文字通り、その防壁は正に一筋縄ではいかないと言った様相だ。
「ミーナ、下がっていろ‼」
今度はシャチが戦斧を振り上げる。
ミーナの退避を確認すると、まずは牽制に旋風を放ち邪魔な動脈を弾こうとする。
しかし防御網に空いた風穴は極僅かだった。
それだけあれば充分だった。
シャチは図体によらず、素早い接近戦もそう苦手ではない。
何よりミーナの一太刀を受けて鮮血が噴き出ない肉壁に対しては直接攻撃を叩き込む必要がある。
シャチの戦斧がネメシスの心臓目掛けて降り下ろされた。
しかし心臓の肉壁は護謨鞠のように撥ねてシャチの攻撃を弾いてしまった。
「くっ……思ったよりも骨が折れる……! これは俺達以外には無理だな。」
「でもこのままじゃ、いつまで経っても斃せないよ?」
「ああ、解ってる。二人それぞれが単発バラバラに攻撃していては駄目だ。」
突破口は連携攻撃しかない。――それがミーナとシャチの共通理解だった。
二人が息を合わせ、同じ箇所に息も吐かせぬ連撃を叩き込み続ける。
衝撃の積み重ねに耐えかねて、この巨大な肉のポンプが爆ぜる、その時まで……。――二人は互いの目を合わせ、同時に無言で頷いた。
今度はシャチが先に動いた。
ネメシスの心臓の強靭な大動脈による攻防に対して効率良く隙を生みだせるのは彼の旋風の方だからだ。
再び、激しい風の塊が大動脈を一瞬怯ませる。
ミーナが狙うのはその僅かな隙だ。
しかし、ここで予想もしないことが起きた。
ネメシスの心臓は一気に収縮し、赤黒い霧を周囲に散布したのだ。
瞬間、ミーナとシャチは煙幕に覆われ視界を奪われる。
そして、逆に生まれたその隙が大きな命取りだった。
二人は鞭のように撓る大動脈の先端、槍頭に激しく打ち据えられ、宙を舞った。
「ああああああっっ‼」
「ぐわああああっっ‼」
更に、空中で無防備になった二人へ容赦なく心臓は追撃を見舞おうとする。
「っ……‼ 舐めるなぁッ‼」
シャチは咄嗟に戦斧を振るい、二人の身体を風に乗せてどうにか難を逃れた。
しかし着地際を尚も大動脈の鞭が狙い打って来る。
二人はそれぞれの武器で先端の槍頭を弾き飛ばし、一連のピンチを凌ぎ切って体勢を立て直した。
「はぁ……、はぁ……。」
「つくづく……予想を超えて思ったよりも骨が折れる……!」
思わぬ隠し玉にミーナもシャチも肩で息をしながらうんざりしたという表情を浮かべていた。
しかし、その四つの眼から戦意は消えていない。
この程度の厄介さなど絶望には程遠い。
『搦め手も持っておるようじゃが、お前さんらにも手の打ちようはあるじゃろう。そう難しい問題ではないわい。』
妖刀が言いたい事は二人もまた承知していた。
どうという事は無い、手数を少し増やせば簡単に解決できる問題だ。
「やはりこの俺こそが人類の救世主という訳だな‼ 真の強者の前では雑魚の小細工など赤子の手を捻るが如く潰され霧散するものなのだ! 思い知るが良い‼」
気勢と共にシャチは戦斧を振り上げた。
そしてゴモラ戦の時に見せた、長く激しく渦巻く刃旋風をネメシスの心臓にぶつけた。
唸る風が心臓に纏わり着く毛細血管を容赦無く引き千切り、敵のバランスを崩す。
空かさず、ミーナがタイミングを見計らったかのように飛び込み再び鋭い人達を浴びせようとする。
ネメシスの心臓は再び赤い霧で抵抗を試みるが、先程シャチが高らかに宣言した通り渦巻く風が全てを霧散、消し飛ばしてしまう。
そして、そのシャチもまた次の攻撃に転じるべく戦斧を既に振り上げていた。
ミーナとシャチ、人類最強の二人による同時斬撃が人類種の怨敵に対して今正に叩き込まれようとしていた。
『行けッッ‼ ミーナ‼ シャチ‼』
二人の斬撃は縦と横、十字の軌道を描きネメシスの心臓を大きく凹ませた。
丁度交差した一点に小さな穴が開き、巨大な心臓は激しく揺動しながら鮮血を撒き散らす。
そして遂には真空引きされた圧縮袋の様に小さく萎んでいった。
「やったか⁉」
心臓の噴血は次第に大きくなっていき、バラバラの脈動は収まっていく。
心臓の動きが止まる。――生命にとって象徴的な死の現象が直接視認できる形で二人の前に曝されていた。
疎らに生えていた毛は抜け落ち、そして最終的にそのサイズは人間大どころか小さな子供が一口に頬張れる程度にまで小さな小さな姿となりピチピチと金魚のように床を跳ねていた。
ネメシスは本来、物理攻撃が通らない程に負の想念の純度が高い。
つまり裏を返せば、世界中の人間から吸収して己の核とした負の想念が全て抜けてしまえば、自前の肉として残るのは滓の様な物でしかないという事だ。
「フン、やれやれ……。」
シャチはそれを無慈悲に踏み潰し、念入りに足で揉み潰して確実に止めを刺した。
斯くして、嘗て人類を絶滅寸前にまで追い込んだ原初の壊物の心臓はこの世から完全に失われた。
それはリヒトが言う、人類文明再興の為の極めて大きな一歩であった。
※お知らせ。
今作品の更新は12/1のChapter.2最終話、Episode.71を以て一旦お休みします。
更新再開は2/2を予定しております。
何卒御容赦の程、宜しく御願い致します。




