Episode.62 それぞれの道
突如広間へ乱入してきたダーク・リッチはにやついた半月型に眼窩を変形させ、部屋一体を見渡す。
警戒を強めるのは今を生きる人間四人、ミーナ、シャチ、フリヒト、エリ。
思念体となってこの世に残った兄弟、リヒトとビヒト、そして使い魔を通してこの場に参加しているソドムは場違いな者に対する冷ややかな視線を送っている。
「クックック、これ程態度が二分されるとはな……。我と因縁浅からぬ者達と、そうでない者達の差という事か。」
ダーク・リッチは警戒するミーナ達を甚振る様な、白けるリヒト達を嘲る様な、そんな嗜虐的な形相に髑髏の口角を歪める。
シャチ、フリヒト、そしてエリが各々の怒りを込めて彼を睨み返す中、ミーナには一つの疑問が浮かび上がった。
「ダーク・リッチ、いやイッチ……。」
ミーナに呼ばれた嘗ての名に、ダーク・リッチは眼窩の半月を逆さにして不快感を覗かせた。
そんな彼の変化に臆することなくミーナは続ける。
「貴方はどうして壊物になったの? どうして人間を捨てたの?」
ミーナが彼にこう尋ねたのは、リヒトの「人間」と種への拘りを聞いた後でそれとは対照の道を選んだ彼の考えが純粋に気になったからだ。
それを聞いたダーク・リッチは髑髏の口をぱっくりと開いて大笑いし始めた。
「ははははは‼ 『どうして壊物になったの?』『どうして人間を捨てたの?』と来たか‼ 糞餓鬼、その問いに対する答えはこうだ。『それが可能だったからだ。』『何故貴様等は人間のままでいる?』『貴様等にはそれが出来ないからだ。』根本的に違うのだよ我と貴様等では! 個としての器量が‼ 人間などという可能性の閉じた下らぬ種を捨て、無限の可能性に満ちた壊物という素晴らしき種に生まれ変わる事が我には出来たのだ! ただそれだけのことよ‼」
ダーク・リッチの顔に一片の他意も後悔も感じられないのは彼の髑髏の容貌故だろうか。
だとしてもそれは自らを壊物と化した成れの果てに、人間としての表情の機微を失ってしまった末路に他ならない。
ミーナはそれを想うとやるせなさに眉を顰めた。
そして縋る様に再び彼に問い掛ける。
「貴方は自分だけが生き延びられればそれでいいの? そんな思いで人間を壊物に変える研究を始めたの? 最初からそれだけしかなかったの?」
「しつこい小娘だ。そんなに我の答えが気に食わなかったか? 全く以て不毛な議論だ。抑々も、我は過去には拘らない性質でねぇ……。」
鰾膠も無い答えだった。
尚も納得の行かずダーク・リッチを睨むミーナの肩に、シャチがそっと手を乗せて言い聞かせる。
「ミーナ、こいつとそんな問答をしても無駄だ。同じ人間でも、この世には人間の風上にも置けぬ全く美点の無い屑のような性根の持ち主も存在するのだ。」
シャチはミーナを庇う様にダーク・リッチの、自らの創造主の前に立ちはだかった。
今度は彼に邪悪な髑髏の嘲笑が向けられた。
「随分偉そうなことを言うものだ、SH=Aよ。一体全体誰のお陰で貴様がこの世に生きていられると? 貴様は貴様が襤褸糞に貶してくれた男の写し身なのだぞ?」
「関係無いな。」
シャチは揺ぎ無い意志を示す様に即座に反論した。
「俺は俺だ。遺伝子が同じでも貴様と俺は別個体、別の人格、別の意思の持ち主だからな。」
『シャチの言う通りだよ。』
リヒトが彼の言葉を後押しした。
『彼は人間として生まれ、人間として生き、人間として死のうとしている。互いに異なる生き方を選び、倫理観も相容れない一卵性双生児など嘗ては腐るほど居た。そしてこれからも膨大な数がそれぞれの人生を歩むだろう。同じ遺伝子を持っていても壊物になる道を選んだ君と人間としての道を選んだ彼は根本的に違う。』
ダーク・リッチの顔に笑みが消え、髑髏はリヒトを真直ぐ睨みつける。
その眼窩の奥の闇には底知れぬ憤怒や憎悪、嫉妬や嫌悪といった負の感情が渦巻いている様に見える。
一方で、リヒトにはダーク・リッチの静かな情念に全く覚えが無いといった様子で首を傾げる。
両者が互いに向ける心には明らかに温度差があった。
「クク、クックックッ……!」
歯を閉じたままダーク・リッチが笑い始めた。
その気配がこれまでの「様子見」から「殲滅」のモードへと切り替わったことにミーナ達この場に居る生身の人間四人はすぐに気が付き、警戒を強める。
「貴様等は本当にお喋りが好きだな、ほとほと呆れるわ。そんな無駄な時間を過ごしている間にそこの狼の壊物と我に遺跡への侵入を許してしまった。愚かとしか言いようが無い。しかもご丁寧に、一箇所に固まってくれている! これは好都合‼」
ダーク・リッチは両腕を大きく振り上げた。
ミーナもよく知る、『破滅の青白光』の構えだ。
「今の我に『破滅の青白光』の溜めは必要無い‼ 後悔する間も無く焼き払ってくれる‼」
骸骨の両手の間に光が発生しようとした、その時だった。
三匹の黒狼は一瞬にして一体の大柄な人型に合体し、ダーク・リッチの両腕を抑え込んだ。
「なっ……! 貴様……‼」
そこに姿を顕したのは黒鷲の意匠を纏った『双極の魔王』の残された一角、ソドムだった。
この間の状況は一変し、二体の強大な壊物の対峙によって人間達にとって千載一遇のチャンスが生まれた。
『行け‼』
ビヒトがミーナ達に向けて叫ぶ。
その声が響くより前にほぼ同時に走り出したのはミーナとシャチ、そしてフリヒトとエリも追い掛ける形で二人に続いた。
「ま、待ってください!」
「置いて行かないで‼」
全員が全速力で走ると、当然進み方がばらける。
先程の広間から遠く離れ、一番足の速いシャチがどうしても奥へと進んでしまうと気付いた彼が最初に立ち止まった。
続いてミーナに追い付いたエリと二人が彼に追い付いてフリヒトを待つ。
子供で常人のフリヒトは息も絶え絶えにどうにか三人の許へ駆け寄ってきた。
「はぁ……はぁ……。何もこんないきなり……。」
「いや、寧ろあのタイミングしかなかっただろう。あのままソドムとダーク・リッチの戦いが始まってから動いたのでは、何方か優勢に立った方が俺達に牽制を仕掛けて行かせまいとするはずだ。」
「私もそう思うな。それにビヒトもああ言っていたし、多分エリが引っ掛かるような罠も既に切ってあるんだと思う。」
「うっ……。」
ビヒトに言われるまでも無く動いたミーナとシャチは流石の判断力だった。
そして二人はもう一つ、既に気付いている。
『この床に奔っている光の筋は何じゃ?』
「多分、ビヒトが迷わないように点けてくれたんだよ、妖刀さん。」
「だろうな。恐らくこれを辿って行けば……!」
シャチの予想通り、程無くして南の大遺跡で見かけたのと同じ光の玉の仕掛けが道行く四人の目に飛び込んで来た。
「あった! これを作動させれば……!」
ミーナは装置のスイッチを押し、四つ目の玉にやや緑がかった仄暗い光を点灯させた。
これで『古の都』の地下奥地にある壁の仕掛けを再び作動させれば『脳髄』の封印された扉が開くはずだ。
「光の筋、まだ続いているわね……。」
エリは床を指差して呟いた。
それが意味していることは明らかだ。
「案内はまだ続いている、という事ですね。恐らく、『ネメシスの心臓』の許へ……。」
ミーナ達の考えもフリヒトと同じだった。
そしてミーナの意思は既に決まっている。
「行こう!」
ミーナは我先にと光の指し示す更なる奥地へと歩み出した。
このまま『ネメシスの心臓』を破壊してしまえば、態々リヒトが自らを犠牲にせずに済む。
基よりその予定だったのだから、当初の計画通りに事を運ぶだけだ。
他の三人も彼女の後に続いた。
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突然目の前に立ち塞がり、剰え両腕を捕まえられ封じられた事態にダーク・リッチは激しく狼狽していた。
「糞っ‼ 突然どういう事だ⁉ 何故我の邪魔をする⁉」
「簡単な事よ。我等『双極の魔王』は抑もネメシスを除きこの時空では生態系の頂点に君臨しているのだ。ネメシスを取り込み、更なる力を手に入れるのが最良だが、破壊されるならされるでそれでも一向に構わない。己の力では頂点に手が届かぬ貴様の如き小物と余は違うのだ。」
剥き出しの歯を必死に食い縛り抵抗を試みるダーク・リッチだったが、片手で掴まれた両腕はびくともしない。
対照的に、ソドムの表情には余裕すら窺える。
とても深手を負い療養中とは思えない怪力である。
「心臓と脳髄を除き十あるネメシスの臓腑を全て吸収したと言っていたな。このまま貴様を取り込んでしまえば少しは回復するかも知れん。己の分を弁える覚悟をするのだな、元人間の同族よ!」
ソドムとダーク・リッチ、何方が勝っても人類にとって益無き戦いが古の兄弟の見守る目の前で起ころうとしていた。
※お知らせ。
今作品の更新は12/1のChapter.2最終話、Episode.71を以て一旦お休みします。
更新再開は2/2を予定しております。
何卒御容赦の程、宜しく御願い致します。




