Episode.5 西の集落
ルカに連れられ、ミーナは彼の住む隠れ処へと向かった。
途中、石ころが敷き詰められた中を長い長い鉄の棒が伸びている珍しい光景が目に入った。
『線路か……。』
「センロ?」
妖刀が思わず漏らした名前は当然、ミーナにとって未知のものだった。
逆に彼が訳知りなのは、人間だった頃に見たことがあるのだろう。
『どうやら儂が生きていた時代からそう時間は経っていないと見える。だが、一体人類に何があった……?』
妖刀が独り言を呟いている内に、ルカとミーナは小石の川に掛けられた石の洗い越しを横切り始めた。
『踏み切りか……。ミーナよ、この場所をよく覚えておくんじゃ。後で役に立つかもしれんぞ。』
「そうなの? でも、ルカの所に受け入れて貰えれば関係ないと思うけど……。」
ミーナはルカの耳を特に気にすることなく妖刀と会話していた。
彼女には内緒話をするという習慣が今まで無かったのだ。
そして、自分の所に居た大人たちもミーナにそのような姿は見せなかった。
おそらく、良からぬ企みにはミーナの外出中や就寝中にいくらでも時間が取れたのだろう。
そんなわけで、ミーナの妖刀との会話はルカに丸聞こえである、筈だった。
しかし、振り向いたルカはミーナの言葉を不思議がって問い掛けてきた。
「君、さっきから変な独り言ばっかり。それとも誰かいるの?」
「え? あ、えっと……。」
ミーナは困った。
妖刀のことをどう話せば無難だろうか。
ただでさえルカは「人間に擬態したカイブツ」に頭を悩ませて疑心暗鬼になっている筈だ。
一方、妖刀は妖刀で発見があったらしい。
『若しや儂の声はミーナ以外に聞こえんのか……?』
とはいえ、ここはミーナにルカが納得行く答えを出させなければならない。
そこで妖刀はミーナにこう助言した。
『一人で過ごす時間が長くなると、独り言が増えるんじゃよ。そう言っとけ。』
一先ずこの場はこれでルカを納得させ、ミーナは引き続き彼に着いて行った。
**
ルカたちが身を潜めていたのはその「踏切」から歩いて程なくしたところに建っていた、周囲から抜きんでて大きな三階建ての建物だった。
『ここは……百貨店の跡地か……。』
妖刀はこの場所にも心当たりがあるようだった。
薄暗い内部には物を置く為と思しき棚が散乱している。
ルカとミーナは黒くやや急な階段を昇って上の階へと進んでいく。
ここを隠れ処としているルカたちのリーダーが待っていたのは三階だった。
「ルカ、収穫はあったのか? 何だその娘は?」
リーダーと思しき人物はゲンよりやや若い年頃の女だった。
他には、ルカよりやや年上の男が三人、あとは男女の子供が合計四人彼の帰りを待っていたらしい。
「……マリー姉ちゃんが……あいつの手下にされちまったよ……。」
「何と、マリーが……!」
辺りを重苦しい空気が包む。
ただでさえ薄暗い隠れ処が余計に陰を濃くしていくようだった。
「手下って……?」
『うむ、どうやらあの怪物、ただ死体の振りをしていただけではないらしい。』
妖刀の推理は当たっていると、すぐにルカの口から答えが出た。
「『闇の不死賢者』の手下のカイブツは人間の振りをしている。でも、その姿は一から作っているわけではなく、殺した人間のものを借りているらしい。あいつは手下に襲わせた人間の死体を持ち帰り、カイブツに組み込んで擬態の為に利用している。」
ルカは拳を握り締め、悔しさを滲ませる。
「さっき君に襲い掛かった、死体の振りをしたカイブツがいただろう? あれ、元は僕の姉なんだ。」
「酷い……‼」
ミーナは自分の心の内に怒りが湧き上がってくるのを感じた。
それは自分の両親がカイブツに殺された時や、仲間だった大人たちがカイブツの餌食になった時の「怨み」や「憎しみ」とは違う種類の感情だった。
『ミーナよ、今の想いに余り吞まれん方が良いぞ。』
妖刀はそんな持ち主の心の動きを察したのか、釘を刺す。
しかし、ミーナよりも寧ろ深刻にその感情を湧き立たせているのはこの隠れ処の住人たちだった。
「髑髏野郎め……許せん……!」
男の一人が怒りに震えながら声を漏らした。
リーダーを務める女、レナも頷く。
「あ奴は……『闇の不死賢者』は言っていた。『お前達は誰も彼も我が実験台だ。』と。つまり、あ奴は最初から我々に狙いを定めていた訳で、ただ隠れているだけでは脅威は永遠に去らん! 何より、戦わなければ仲間たちの尊厳は取り戻せない‼」
レナに同調し、若い男三人は気勢を上げる。
「そうだ、これ以上黙っていたらまた誰かやられてしまう!」
「これ以上こっちの頭数が減ったら、それこそ何も出来なくなる!」
「討伐だ! 『闇の不死賢者』を討伐しに行くんだ!」
三人の男は今すぐにでもここを飛び出して行きそうな勢いである。
ルカはそんな男たちをどうにか宥めようとしていた。
「みんな、落ち着いてくれ。何も考えずに戦って勝てる相手じゃない。せめて西に出した遣いの帰りを待って、それから話を決めよう。」
部外者のミーナは一人、話から置行堀にされていた。
彼女には全く着いて行けない。
「ねえ、ルカ……。」
「ああ、ごめん。君のことも紹介しないとね。」
ルカはミーナと出会った経緯を仲間たちに話した。
そしてミーナ自身も自分が辿って来た過去を彼らに語る。
身寄りがなく、仲間に入れてくれる集落を探していると、切実な要求を話した。
「成程……。」
リーダーのレナが静かに相槌を打った。
「だが我々も今難しい状況にある。」
「あの、それについてわからないことが沢山あるんだけど……。」
ミーナはこれまで感じた疑問をレナにぶつける。
「さっきから、まるでみんな『闇の不死賢者』が何を考えているのか知っている風に話しているけど、相手はカイブツなんでしょ? まるでそのカイブツが自分の意思を伝えてきたみたいに聞こえるんだけど。」
「伝えて来たんだよ。確かに、信じられないことだけど。」
ルカがミーナの疑問に答える。
「『闇の不死賢者』は普通のカイブツとは明らかに違う。あいつは人の言葉を喋るし、高い知能もあるらしい。『闇の不死賢者』という名前も自分で名乗っていた。そして、僕たち人間の死体を必要としているとも、自分で話していたんだ。」
「その話、誰が聞いたの?」
ミーナの質問に、ルカは黙ってレナの方へ目配せした。
どうやら簡単に答えて良い質問か判断に困り、許可を仰いだらしい。
答えは彼女の口から伝えられた。
「あ奴は我々に最初、取引を持ち掛けてきた。集落から半数を生贄に出せば、逆にこの辺りのカイブツを一掃して平穏を保証する、とな。我々はそれを蹴った。皮肉なことに、その選択が奴を怒らせ奴や配下の手で我々は半分どころではない数まで減らされてしまったがな。」
レナの言葉に、男たちが歯を食い縛り怒りを滲ませている。
ミーナは続けて質問する。
「西に遣いを出した、というのは?」
「我々は考えた。奴は我々に接触する前から人間に扮するカイブツの戦力を持っていた。つまりここへ来る前に何処か他の集落に接触したのではないか、とな。」
「でも『闇の不死賢者』はそれでは足りなかったんだ。だからこっちにも接触してきた。」
リーダーとルカの言葉を咀嚼し、ミーナは状況を整理しようとする。
「つまり他にも『闇の不死賢者』に苦しめられている人がいると考えて、協力し合ってやっつけようとしている、ということ?」
「西の方に此処とは比べ物にならない大勢の人間が済む場所があると聞いたことがある。そこに受け入れて貰い、援軍を出して貰って人類の脅威となる『闇の不死賢者』を討伐するんだ。」
「敵が何処に居るかは判っているの?」
ミーナの問いを受け、リーダーは男の一人に紙を拡げさせる。
『簡単な地図か……。』
「チズ?」
ミーナにはそこに描かれているものの意味が分からない。
妖刀が解説を入れる。
『この絵は今我々がいる場所を空から見た様子を簡単に描き表したものじゃ。今我々が潜んでいる建物がこの印のついたところ。さっき儂が覚えておけと言った踏切が此処の、二つの線が交わっとるところ。そして、反対側の西にずっと行ったところにあるバツ印が……。』
「ここが敵の……『闇の不死賢者』のいる場所……。」
ミーナはその絵、地図に記された場所を目に焼き付けている。
その横で、ルカはレナや男達と状況を確認し合っている。
「遣いはいつ戻る予定でしたっけ?」
「奴の棲み処を超えて、五日歩いても何も無いようなら戻ってくるように伝えてある。だからどちらにせよ、数日の内には戻って来る筈だ。」
「戻って来ないようなら、次の遣いに俺が行く。もし俺が戻らなかったらその時は……。」
彼らは何やら不穏な相談事をしている。
男たち、そしてルカの表情には悲壮な覚悟が浮かんでいた。
しかし、リーダーのレナはそんな彼等とは何か別の、もっと過酷な悩みを抱いているように見えた。
ミーナは何処となく、「人の上に立ち、取り纏める立場」の彼女に対して手放しに信じられないという直感を抱いていた。
「ねえ、妖刀さん。」
『どうした、ミーナ?』
「一つ考えがあるの。彼らのこと、このままにはしておけない。」
ミーナは密かにある決意を固めた。
そして、レナに話し掛ける。
「あの、とりあえず私のこと、ここに置いてくれませんか? もし戦う時になったら、屹度お役に立てると思うんです。」
「役に立つ? 見るからに華奢な女の子の君が?」
「こう見えて私、結構強いんですよ。疑うならルカに聞いてみて。」
ミーナに話を振られたルカは驚いて言葉を詰まらせる。
ただ証言してくれればいいのに、余計な躊躇いを見せるルカにミーナは少し苛立ちを覚えた。
「ルカも見たでしょ?」
「あ、ああ……。確かにミーナは強い。リーダー、彼女はマリー姉ちゃんに化けたカイブツを一瞬で斃しました。」
「本当か?」
「はい。戦いで役に立つのは……間違いないかと……。」
ルカは口籠りながらミーナの強さを証言する。
彼がミーナの戦闘における有用性を語りたがらない理由をミーナは解りかねていた。
しかし、彼女にとってそれは大した問題では無かった。
とりあえず、一晩ここに置いてもらえればそれでいいと考えていた。
「よし分かった。」
レナは決断を下す。
「ミーナ、今日から君は我々の仲間だ。時が来れば共に『闇の不死賢者』と戦うことになるが、その時の活躍、期待しているぞ。」
「はい、任せてください。」
ミーナはレナに愛想笑いで答える。
愛想笑い、つまり本心は別の所にある。
そんなミーナの顔をルカはじっと見ていた。
彼だけはミーナの態度に違和感を覚えていたのだろう。
何はともあれ、ミーナはルカと共に一晩ここで世話になることにした。
**
そして夜遅く、ミーナは一人目を覚まして妖刀と地図を握り締めて建物を出ようとしていた。
『本当にやる気か?』
「うん。『闇の不死賢者』がどんな相手か知らないけど、大勢で大袈裟に襲うよりは一人で隠れて近寄ってやっちゃった方が可能性が高いんじゃないかと思って。」
『大攻勢に討伐を仕掛けるのではなく、静かな暗殺でケリをつけるつもりか。果たしてそう上手く行くかの……。』
「というか、その討伐もどうなんだろう?」
ミーナは昼間感じた疑問を妖刀にぶつける。
「カイブツって、普通は大人数人がかりでも一匹斃せるかどうかってところなんだよ? そりゃその『闇の不死賢者』とかいうカイブツのやることはムカつくけど、普通は逃げる事を考える。それに他の集落があったとして、見ず知らずの人間の為に危険を冒す人がいるとは思えないんだよね。」
『……つまり此処の連中が言っている話は何かおかしいと?』
「そうそう。あと、気になるのが……。」
ミーナがそう言いかけた時、彼女は何者かに肩を掴まれた。
慌てて振り向くと、そこにはルカの姿があった。
「やっぱり一人で行く気だったのか。」
「ルカ⁉ どうしてわかったの⁉」
「別に気付いてたわけじゃない。ただなんとなく、君のことが気がかりで、中々寝付けなくて、そしたら君が動き出した。」
ミーナはルカが起きていることに気付かなかった自分の迂闊さを責めた。
そんな彼女の内心など露知らず、ルカは切り出した。
「ミーナ、少人数で密かに敵の本拠地に潜入してやっつけるというやり方、僕も賛成だ。僕も一応武器を持ってきた。一緒にやろう。」
ルカの手には昼間の鉄パイプが握られている。
ミーナは妖刀の方に目配せし、無言の内に対処を相談した。
尤も、妖刀は初めから知っていたかのように即答する。
おそらく、人間よりも視野の広い彼は既に気付いていたのだろう。
『ええんじゃないか? お前さん、敵のことを何にも知らんじゃろ? それに昨日今日初めて地図を見たようなお前さんがちゃんと目的地まで辿り着けるとは思えん。この青年に着いて来てもらうのは得策じゃと思うがの。』
ミーナとしてはルカを巻き込みたくは無かったが、妖刀の言うことも尤もだったので、渋々それに従った。
「わかった。でも、ヤバくなったら逃げてね。」
「こっちの台詞だよ。君は元々部外者だし、それに女の子なんだから……。」
こうしてミーナはルカと共にこの辺りを脅かす、知能あるカイブツ『闇の不死賢者』を暗殺しに出かけた。
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