Episode.55 奴の名は
ミーナ達の激闘から遠く離れた『古の都』で、亡きアリスの器に宿ったビヒトは小さく微笑んだ。
「どうした?」
「兄さん、子孫達が強大な壊物の一体、ゴモラを打ち斃した様だ!」
リヒトの問いにビヒトはやや興奮気味に答えた。
二人の対話の場に居合わせているルカが気掛かりなのはミーナ達の安否だ。
「みんなは無事なのですか?」
「ああ、全員疲労困憊といった様子だが命に別状はない。特にミーナという少女、それとシャチという男は一時危ない所だったが、信じられん生命力で復活した。」
「『特異点』、目覚めたようだね。良かった。」
リヒトは口角を上げると、更に弟へ問い掛ける。
「もう一つ気がかりなのだが、ゴモラが斃される直前に乱入者は無かったかい?」
「乱入者? いや、壊物側には勿論、人間側にも加勢は無かったが……。そう言えばあのゴモラとかいう壊物は何者かを呼んでいる様だったな。だが、特にそれらしき救援者も現れなかった。」
「成程、こちらにも今の所攻撃が無い所を見ると、彼女は上手くやってくれたようだね……。」
ルカはリヒトの言う存在がソドムである事、そしてあくまでゴモラは単体で斃されたのだという事を理解した。
同時に頭の切れる彼はリヒトがソドムに対して何らかの手を打ったことも察した。
リヒトはビヒトの報告を受けた時点でミーナ達を襲った相手がゴモラであり、且つソドムはその場に居ないこと、ならばソドムはソドムで動いているであろうこと、そしてその別行動がこの『古の都』を狙うものだということまで考えて、ソドム撃退の手段を講じたのだ。
ならば考えられる方法は一つしかない。
「リヒト様……。『命電弾』を使用したのですか?」
「おや、良く分かったねルカ。まあ正確には少し違うのだけれど……。」
リヒトは以前ミーナ達に問い質された時同様、特に気に病む様子も無く平然と答えた。
そんな兄に対し、ビヒトは自らの器となっているアリスの眉を顰めさせて不快感を露わにした。
ルカは続けて確認する。
「彼女とは……アリスさんですね?」
「ああ、そうだよ。『命電弾』は元々このビヒトが別の兵器を改良したものなのさ。エネルギー源にする人間の思念、それに伴う寿命を消耗し切るという欠点は克服したけれど、反面威力は落ちてしまってね。また、態々別の人間が生体照合を行わなければ使用できない、という制限も付け加えられた。唯一の例外事例を除いては、だけれどね。」
「そうしておかないと兄さん、貴方がどんな無茶な使い方をするか分からなかったからな。」
ビヒトは『命電弾』た元となった兵器の様に他者を犠牲にする兵器の使用を快く思っていないようだった。
態度から垣間見えるリヒトの反発も兄のそう言った躊躇いの無さに対するものが大きいのだろう。
「だが、どうやら無駄骨だったようだ。あの忌まわしき『本来の兵器』がまだ貴方の手元にあったとは……。いや、貴方の性格を考えれば当然想定しておくべきだったのだろう。」
「無駄ではないよ。なるべく少ない犠牲で決定的な力を発揮できる『命電弾』は非常に強力な切り札の一つだ。だから発掘と再使用に向けてのメンテナンスを急がせた。私とて、徒に人間の命を浪費したいわけではない。そう言っただろう?」
兄弟の蟠りはそう簡単には解けないらしい。
「今回、アリスには自身を弾薬として本来の兵器、『命電砲』を使って貰った。」
「それは命を犠牲に、『命電弾』より大きな威力を生むものなのですね?」
「ふむ、そこまで解っているなら話は早い。ルカ、我々人類が今存亡の危機にある事は君達ももう充分に解っているだろうと思う。人類の滅亡、それを防ぐ為に状況に応じて段階的に何をすべきか、それをこの場で話し合っておきたい。だからビヒトには思念体ではなく肉声で参加願ったんだ。」
思念体、その言葉についてルカは既に断片的に聴かされている。
そして今までの情報を総合し、彼は一つの結論に至った。
「リヒト様、ビヒトさん、そして居なくなってしまったアリスさん、みんな人類を存続させる為に旧文明の時代から残った思念体というわけですか。アリスさんは器をビヒトさんに譲り、そしてリヒト様はずっとこの『古の都』を護ってきた……。正確には、そこに住まう人々と、奥地に封印されている『脳髄』を……。」
ルカの答え合わせに、リヒトは黙って頷いた。
「リヒト様、僕は一度弱音を吐いた人間です。その僕が、人類の命運を話し合うこの場に居て良いのでしょうか?」
「弱音を吐いた君だからこそ居て欲しいんだ。そこから立ち直った君だからこそ、今回の事を受け止められると思う。」
「兄さん、この男の事も誑かすつもりか。昔からそういうのが得意だからな……。」
ビヒトは皮肉を吐いたが、弟の言葉に対してリヒトは珍しく顔を顰め、そして声を荒げた。
「ビヒト、如何に私でも怒る時は怒るよ?」
「失敬。だがルカ君とやら、兄の事を余り信用し過ぎると取り返しのつかないことになるぞ。一応、警告はしておこう。」
リヒトが怒りを露わにしたことで、場の空気が嘗て無いほど凍り付いた。
ルカはこれを収める術を持たない。
そんな状況を察したのか、リヒトは自らの溜息で話題を切り替えようとする。
「扨て、我々人類の防衛ラインは大きく分けて三つだ。その他にも細かく数多くの所で我々は壊物どもに後れを取ってきたが、流石にこれ以上は格段に状況が厳しくなってしまう。」
リヒトから視線を送られ、ビヒトは小さく鼻を鳴らした。
「兄さんの言いたいことは解る。丁度今、四人の人間を私が棲み処とするもう一つの大遺跡に送り届けようとしていたところだ。」
「その途中でゴモラの襲撃を受けた、一方でソドムはこの『古の都』を狙っていたと思われる。とすると、二体は我々の防衛ラインを二つ同時に突破しようとしていたという事だ。いや、本当に防げて良かったよ。」
ここまで話が進むと、二人の言わんとしていることはルカにも想像がつく。
「つまり防衛ラインとは『奴』という原初の壊物の『心臓』と『脳髄』ですね?」
「ああ。まず知っての通り『脳髄』はこの『古の都』の奥に眠っている。そしてもう一つ、『心臓』が封印されているのが……。」
「私が四人を送り届けようとした北の大遺跡という訳だ。我々の目的はこれら二つ、両方を破壊すること。」
「一方でも破壊出来れば『奴』の完全復活は無くなるし、両方破壊できれば『奴』の脅威は二度と人類を襲わない。つまりまずは、ミーナ達が『心臓』を破壊してくれることを祈ろうという訳さ。」
兄弟の話を聴き、ルカはミーナの無事を祈る思いが更に強くなった。
屹度、今尚困難な道を歩んでいるのだろう。
強敵に襲われ、死に掛けた事も初めてではない。
彼はもう一度彼女の、ダーク・リッチを撃退した時に見たあの神々しい横顔を見たいと思った。
もう一度あの、未だ見ぬ冒険に屈託なく笑顔を咲かせる彼女の姿を見たいと心から願った。
しかしふと、彼の中に一つの疑問が沸き上がる。
それは誰も気に留めていなかったことだが、当然湧き出て来る筈のものだった。
「そう言えば二人とも、その『原初の壊物』について『奴』と呼ぶんですね。ソドムとゴモラの様に、固有の名前は無いんですか?」
ルカの疑問にリヒトもビヒトも厳しい表情を浮かべた。
まるであまり触れられたくないようなものにうっかり肩がぶつかってしまったような、そんな様相を呈していた。
「あ、あの……。訊いては拙かった……ですか?」
「いや、君の疑問も尤もだ。そして私達が『奴』を名前で呼ぶことを避け続けた理由は単にその名前が『奴』にとって己の在り様の認識を端的に言い表したものであり、そしてそれが我々人類にとって許し難い誤認であるからだ。」
「兄さんはまどろっこしい事を言っているが、要するに我々は単純な感情として『奴』を自身が名乗る名で呼びたくないのだ。」
暫しの沈黙の後、リヒトが遂に口にした。
「ビヒト、ルカだけに識らせるのは不公平だからミーナ達には君が伝えておくれ。ルカ、嘗て我々人類の繁栄、その尊き歩みを無に帰した許し難き敵はこう名乗っていた。」
ルカは固唾を飲み、全神経をリヒトの唇に向ける。
そしてとうとう、その名が口から普段のリヒトからは想像もつかない程低くおどろおどろしい声で零れた。
「『奴』の名は『ネメシス』。それこそが旧文明を亡ぼした『世界規模の負の想念の結晶』、人類が新しい時代の為に乗り越えるべき、必滅を要する悪の権化だ。」
今、ポスト・アポカリプスの世界を生きる人類にその創造主となる破壊者の名が漸く告げられた。
※お知らせ。
今作品の更新は12/1のChapter.2最終話、Episode.71を以て一旦お休みします。
更新再開は2/2を予定しております。
何卒御容赦の程、宜しく御願い致します。




