Episode.50 恐怖の再来
地下の暗闇を一筋の光となって走る車輌の中、エリは焦っていた。
今、ミーナ達の言葉で彼女の心は確実に動いている。
動いてしまっている。
しかしそんな「思念の変化」を彼女が持つ武器、ソドムとゴモラの骨から作られた短剣は敏感に察知する。
心変わりしてしまえば、自分は役立たずの裏切り者と判断され、ソドムとゴモラに殺されてしまう。
とは言え、希望があるなら縋り付きたいというのも本音だ。
彼女とて、自ら好んで『双極の魔王』に従属しているわけではない。
今はまだあの二体にとって役立つ見込みがあるから生かされているに過ぎず、用済みとなれば食われるだろう。
そしてそれは彼女が言う、知性ある壊物に支配されるという人類の未来においても同じことだ。
エリ自身、それはよく解っている。
電車はそんな彼女の思惑など知る由も無く、地下を北上していた。
***
時空の狭間、それぞれ黒鷲と白鷲の意匠を備えた二体の強力な壊物が何かを察知していた。
「あの人間め、殺せと言った相手に絆されそうになっているな。」
「やっぱり他者なんてもんは当てになんねえな! どうする、ソドムよ?」
ゴモラに問われたソドムは自らの脇腹に手を添え、ミーナから受けた斬撃の傷の状態を確認する。
「まだ痕は残っているが、大方傷は塞がった。完全な快復にはもう少し掛かる。だが、そう悠長なことを言っていられる事態でもなくなったようだ。」
「そうだなァ……。あのダーク・リッチとかいう雑魚眷属も妙な動きを見せているようだし、あんまりもたもたしていられねえよなあ……。」
「問題は二つある。」
ソドムは両眼を鋭く光らせ、自らの見解を述べ始める。
「目下の懸念は、『奴』の『心臓』を巡り人間どもとダーク・リッチで争奪戦が勃発しようとしていること。これはどちらが勝利しても我等にとって都合が悪い。他の臓腑はどうでもいいが、我等とて『心臓』は手に入れておきたい。」
「だがよォ、あくまで本命は『脳髄』だろ?」
「そうだ。そしてもう一つの問題は、『脳髄』を守る『古の都』という遺跡に住み着いた人間どもだ。あ奴らが先の襲撃の時にゴモラ、貴様の大蛇を撃滅した『命電弾』なる兵器。あれの厄介さもどうやら我等の想像以上らしい。」
「ビヒトとかいう個体の思念体が『奴』を傷付けた兵器の類だとか抜かしていたな。ということは、本来の威力はあんなもんじゃねえな……。」
「おそらく、あの場所に住まう人間どもは古代の威力の再現に勤しんでいるだろう。彼の地を統べるリヒトなる個体、あれは危険だ。個体性能は並以下だが、それ以上に理解不能な何かを秘めている。あ奴は正に……。」
「じゃあよ、こうしようぜぇ……!」
ゴモラが嗜虐的な笑みを浮かべつつ、提案する。
「俺様が『心臓』を手に入れる! 明らかに戦力はあっちに偏っているから万全の俺様が行った方が良いだろうからな!」
「余は再び『古の都』へ行き、『脳髄』を手に入れるということか。だが追い詰められれば間違いなく人間どもは再び『命電弾』を使ってくるだろう。」
「それはどうにかなるだろう? 手前の力ならな。」
「まあ、な……。ではゴモラ、『心臓』は頼んだぞ。」
「ああ、任せとけ……!」
ゴモラは立ち上がり、時空の狭間の中空を掴んで引き裂き始めた。
そして十分な隙間が出来ると、その先の闇に向かって飛び立って行った。
相方を見送ったソドムは再び傷の具合を確かめる。
「八割といったところか……。問題は無かろうが、用心して行った方が良さそうだ。どうやら我等の力、『古の都』ではかなり落ちるらしいからな……。」
そう呟くとソドムも立ち上がり、ゴモラとは別に彼も時空の狭間に穴を抉じ開けて、その先の空へと飛び立っていった。
***
電車の中で北の大遺跡への到着を待つミーナ達は一つ、重大なことに気が付いていなかった。
それは壁を擦り抜ける能力を持っている。
つまり、ミーナ達の許を去ったふりをして壁の向こうから後を着けるなど造作も無いことだった。
「莫迦な奴等だ。我が息子、SH=Aまでこの体たらくなのは少し落胆させるが、まあ良い。こうして地下鉄の死角に潜み、密かに奴らと同行していることに気付く様子も無いのは好都合極まり無い。」
言葉の通り、ダーク・リッチは密かにミーナ達が乗る地下鉄に乗り込んでいたのだ。
しかし、それが彼女たちにとって死角となる屋根の上だったので、彼女たちはおろかビヒトですら気が付いていなかった。
ダーク・リッチは考えている。
このまま自分よりもはるかに先着すると思い込んでいるミーナ達の眼を盗み、密かに心臓の許まで先行して掠め取ってしまおう。
臓腑の多くを取り込んだ彼とは言え、それでもまだミーナ、シャチ、エリの三人を含むメンバーを一度に相手取るのは面倒なものがある。
既に自分を遥かに上回る相手に出会ったダーク・リッチは最早強さや勝ち方に対する拘り、プライドなどとうに棄てていた。
「我以外の壊物共はこの世界における自然界の摂理を知らぬ。『弱肉強食』などという不毛な、強者にとって都合の良い摂理しか理解出来ぬのだ。だが、この世界の自然界は『弱肉強食』ではなく、『適者生存』! 勝者となるのは強い者ではない! 最後まで生き残った者が栄光を手にするのだ‼」
シャチの言うように、ダーク・リッチの出生は他の壊物とは一線を画している。
彼は元々、イッチという名前の人間だった。
それ故に、壊物の中で唯一老若男女の概念を識り、この世界の自然界の摂理を正確に理解しているのだ。
ダーク・リッチは自分の策略の成功、即ち勝利を確信していた。
こんなにも近くにいる自分に気が付かないミーナを、シャチを、フリヒトを、エリを、そしてビヒトを内心嘲ら笑っていた。
だが、その彼も気が付いていなかった。
彼が『適者生存』の為に避けるべき圧倒的強者が接近しているなどとは全く考えていなかった。
突如、電車が走る地下の空洞に凄まじい地響きが鳴り響く。
電車はその機構上、こういう時には自動的に停車するようになっている。
旧文明において運用されていた時も、概ね震度五以上の地震を感知した場合は減速、停止し、安全が確認されるまでは動かされなかった。
今、地震と共に電車の目の前には時空の亀裂が発生していた。
そして同時に、物凄い力で電車は車輛上にへばりついていたダーク・リッチ諸共激しく突き上げられ、地下空洞の天井にめり込んでいく。
「ぬおおぉぉっっ⁉」
ダーク・リッチは車輛にしがみ付いていることが出来ず、壁を擦り抜けられる能力も相まって逸早く地面の上へと放り出されていった。
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電車を襲った突然の事態に深刻なピンチに陥ったのがダーク・リッチよりも寧ろ中のミーナ達だったことは論を俟たないだろう。
「きゃあアアッッ⁉」
「この現象、『双極の魔王』かッ‼」
「うわああぁっっ‼」
「そんなっ! こんな突然襲ってくるなんて‼」
四人はそれぞれ思い思いの悲鳴を上げた。
車輛は地上までの鉄筋コンクリートを突き破る過程でべこべこに凹み、このままでは中の者達を押し潰してしまう。
『くっ、已むを得ん……!』
ミーナ達の身を案じたビヒトは手を打とうとしている。
そして次の瞬間、外部で起きた凄まじい爆発の衝撃が車輛を更に突き上げた。
その爆発は地下鉄道事態を破壊し、天井を粉々に破砕する。
車輛は炎上しながら地上へと打ち上げられた。
『全員、一刻も早く脱出しろ‼』
ビヒトはミーナ達に呼びかけ、三つある扉の一つを僅かに開けた。
どうやら辛うじて脱出できる隙間を作れたのはこの一つで、他の二つは車輛の変形と熱膨張により開かなくなっていたらしい。
しかしシャチが僅かに開いた扉を自らの膂力で強引に抉じ開け、ミーナ、フリヒト、そしてエリを抱えて飛び出した。
『シャチよ、今回はお前さんの力任せ、強引さに助けられたの。』
「力尽く、というのは立派な選択肢なのだ。爺、少しは頭が柔らかくなったか?」
シャチは地上に降り立ち、彼の背後で車輛が喧しい音を立てて地面に叩き付けられた。
彼はミーナ達を降ろすと、背後へ振り返る。
「どうやらお出ましの様だな……!」
車輛を巨大な猛禽の足が踏みしめ、更に激しく凹ませる。
白鷲の意匠を備えたその姿、四人とも忘れもしない。
「殺すつもりだったがなァ……。良く生き延びられたなァ……。」
「ゴモラ……!」
ミーナは妖刀を抜き、構える。
シャチとフリヒトも臨戦態勢を取った。
一方でエリは震えて腰を抜かしている。
「まあいいさ、このオンボロ箱の中で潰れて死んだ方がまだマシだったと、俺様が思い知らせてくれるぜェッ‼」
ゴモラもまた蛇の縄を振り回し始めた。
ミーナ達の前に顕れた『双極の魔王』の一角、その猛威が今襲い掛かろうとしていた。




