Episode.48 〇人目の『』
開いた壁の向こう、通路の先で四人を待っていたのは、見えない程天井が高い、円形の殺風景な広間だった。
部屋の中央にはぽつりと、丁度妖刀と同じくらいの長さの、先がうっすらと白く光った円筒が設置されている。
「シャチ、これって……。」
「ああ、俺にとってはもう何度も見たお馴染みの光景だ。」
これは正に、ミーナがシャチとともに訪れた遺跡でリヒトに初めて出会った広間と全く同じだった。
二人はあの時の様に円筒の前に立ち、様子を見つつ待機する。
しかし、今回は待てども何も反応が無い。
「ねえ、あの時みたいに呼び掛けなきゃ駄目なのかなあ?」
ミーナはふと、前の遺跡でシャチがリヒトの事を喧しく呼び立てていたことを思い出した。
もしかすると、何らかの声を掛けなければ反応しない仕掛けとなっているのだろうか。
「いや、俺は初めてあいつと会った時、向こうの方から姿を顕したので驚いたものだった。何か姿を顕さない理由があるのか?」
今一つ要領を得ないミーナとシャチの後ろで、フリヒトが必死に手を伸ばしている。
それに気づいたミーナは彼に場所を譲った。
「兄から聞いていたことがあります。もし僕の予感が正しければ……。」
「兄?」
ミーナはシャチと互いに顔を見合わせる。
フリヒトは二人の妹を持つ長男で、上の兄姉はいない筈だ。
彼が言っているのがリヒトの事であると、二人に判る筈も無かった。
そして、一度は彼を兄と呼ぶことを口止めされていたフリヒトだが、旅に出る前にその禁を解かれていた。
フリヒトは光る円筒の前に立ち、僅かに上を向いて呼びかける。
「我が名はフリヒト! 兄リヒトの意思の下、人類に滅亡を齎す種を絶やすべく、古の封印を解き放ちに参った! 遺跡の主よ、我が声に応え給え! その姿、声を我等へと届け給え‼」
ミーナはフリヒトが何を言っているのか、理解に戸惑った。
それでも一先ずは、リヒトから「こう言え。」と言い含められていたのだと勝手に納得し、その場を流そうとした。
だが、フリヒトに応える声はやや怒気を孕んでいた。
『兄リヒトだと……? あの狸め、未だそのような事をやっているのか……!』
一瞬、辺りを眩い光を包み込んだ。
声がして時点で予測していたミーナとシャチ、驚いて目を閉じたフリヒトとエリ、その全員が目を開けると、円筒の上には一人の青年が浮かんでいた。
丁度リヒトとクニヒトを足して二で割ったような、背は高いが痩せ細っていて気難しそうに顰めっ面をした青年である。
「あ、貴方は……?」
最初に問い掛けたのはフリヒトだった。
ミーナもシャチもそれが知りたい。
確かにリヒトやクニヒト、そしてフリヒトとよく似ているが、この場の誰にとっても初めて見る顔だった。
『私の事を話す前に、お前達の誤解を一つ解かねばならん。あの男、リヒトはそうせざるを得んようにこの少年に言葉を託したのだろう。相も変わらず食えん男だ……。』
静かで、厳かで、渋みのある声だった。
だが、第一印象と異なり恐ろしさは感じない。
表現すればそれは、「威厳がある」と言った趣だった。
その男の口から、ミーナやシャチ、そしてフリヒトに取って驚くべき言葉が飛び出した。
『リヒトは私の兄だ。その少年でも、彼の父親でも祖父でもない。この私、ビヒトこそが正真正銘のリヒトの弟なのだ。つまりフリヒトよ、あの男は代々お前の先祖、即ち私の子孫を幻惑し騙し続けていた。兄はそういう男なのだよ。』
男の言葉は通常なら荒唐無稽な、到底信じられる話ではない。
だが、ミーナ達は先程この広間へ入る為に壁を開ける際、フリヒトがリヒトを兄と呼ぶのを聴いて違和感を覚えていた。
そして、何よりビヒトを名乗る目の前の男の表情には迫真の凄みがあった。
ミーナはふと、リヒトがこの遺跡を含む『五大遺跡』を巡る際に少し敷居の高さに気後れを感じているような表情をしていたことを思い出した。
そこを管理しているのが、リヒトにとって苦手な誰かだという事も示唆していた。
「ビヒト、貴方はお兄さんが……、リヒトの事が嫌いなの……?」
『何を言うか。基本的に私は兄の事をこの世の誰よりも尊敬している。寧ろ偉大な兄だからこそ、本人の居ないところで出てくる苦言、陰口も積もるものがあるのだ。尤も……。』
ビヒトは眉間に一層皺を寄せ、少し溜めを置いてから溢した。
『根本的な部分で、私と兄は考え方が違う。私達が生きた時代からそれは何処と無く感じていたが、今に至っては受け付け難い程に思想が分かたれてしまった……。』
その両目はどこか寂し気で、憎々し気で、兄というよりは自分達に降り掛かった運命に対するやりきれない感情を覗かせていた。
そんな彼に、シャチはずけずけと物を問う。
「リヒトの弟、ビヒトか。貴様ら兄弟は一体何者なのだ。貴様の言葉を総合するに、リヒトも貴様も遥か昔の人間であるかのように聞こえる。それが何故、片や『古の都』で人々を取り纏めつつ文明の再興を目指し、片やこんなところで人知れず引き籠っているのだ。順序立てて解るように説明して貰いたいな。」
『全ての質問に一度に答えるのは難しい。だが私がこの場所ともう一つ、北の大遺跡の管理に専念し人前に出ないのは正しくその兄の方針が気に食わんからだ。私は旧文明を無理に蘇らせるべきではないと考えている。何故ならば嘗ての破滅は我々人類、その発達を極めた文明が自ら招き入れた厄災こそに由るものだったからだ。』
ミーナもシャチも、そしてフリヒトもその話はリヒトから聞かされていた。
そしてソドムとゴモラの話も踏まえて考えると、この世界に壊物を呼び寄せたのは他ならぬ人類だったのだろう。
原初の壊物は間違いなく旧文明の人間が無闇矢鱈に時空間移動を試みたところに目を付け、その巨大な負の想念を吸収して手が付けられない存在として襲い掛かって来たのだ。
「人類が変わらなければ、文明を復活させても同じことを繰り返すだけだと考えているのですか?」
フリヒトが自らの先祖を名乗る男に問い掛ける。
その男、ビヒトは相変わらず渋い顔をしたまま頷いた。
『その通りだ。そして残念ながら人類は決して大きくは変わらないだろう。その点は私も兄も一致している。その上で旧文明の再興を目指す兄の考えが私には理解できず、受け入れられない。私は人類にとって、旧文明の繁栄は度が過ぎていたのだと思う。同じ事を行い違う結果を期待するのは狂気だ。』
ミーナはふと、リヒトとビヒトの間に横たわる決定的な違いを察した。
ミーナが、そして多くの人々がリヒトに感じていたのは、人類の到らない点を認めながらもそれを受け止めるだけの包容力を見出していたからだろう。
人類は決して変わらない、変わったとしても微々たるものだとしても、その微々たる努力を認めるのがリヒトである。
対してビヒトは、多くの変わらないところに目を向け、そして諦めている。
その諦観を裏付けるように、ビヒトは恨めし気に言葉を吐く。
『だが私には兄の様な、人を従える魅力は残念ながら無い。そして兄の方針の方が耳障りも良い。意見が衝突すればどちらが支持を得られるかは火を見るより明らか。ならば私は引っ込む他無かろう。』
「成程、負け犬の発想だな……。」
シャチは腕を組んで苛立ち紛れに吐き捨てた。
彼の罵倒にビヒトは反感を覚えたのか、眉尻を動かした。
『何だと?』
「貴様には勇気が無いのだ。人類を信じる勇気は勿論、持論を貫くべくリヒトに向かって行く勇気も無い。リヒトもリヒトで、異論を持つ対等に近い存在である貴様を避け続けているから互いに己の欠点に気付く機会を逸し続けた。そしてこれもはっきり言うが、リヒトの奴は半ば暴走しかかっているぞ? それに待ったを掛けてやれるのは貴様だけだというのに、何時までこんな所で無為な時間を過ごし続けるつもりだ? もし奴が行き着くところまで行ってしまったら、そこに貴様の責任が無いとは俺には到底思えん。」
言い返すことも出来ずに仰け反るビヒトに対し、シャチは畳みかける。
「リヒトと貴様のどちらが正しいかはともかく、リヒトを諫められるのは貴様だけだ! 何が偉大な兄だ、何が自分こそが正真正銘の弟だ! 子孫を何代も偽りの弟に仕立て上げられている間貴様は何をしていた? 気後れし続けるのにも限度があるだろう! いい加減目を覚ましたらどうなんだ、ええ⁉」
初対面の相手に対し、これだけ物を言えるシャチの根性も大したものである。
しかも、実のところリヒトとビヒトの関係や素性はまだ知らされていないのである。
にも拘らず、シャチの言葉はビヒトの本質を余りにも突いていた。
暫しの気まずい沈黙が流れた。
ビヒトは目を閉じたまま黙っている。
何か思う処があったのだろうか。
そして静かに、徐に、ビヒトは口を開いた。
『何も知らん若造が随分な口を利いてくれる……。だが、お前の言う通りかもしれん……。先程この遺跡に悪しき者が侵入し、奪われてはならぬ物を奪っていったのを感知した。更には兄の方でも大きな動きがあり、それ故にお前達は私の許を訪れたのだろう。どうやら私達兄弟にいい加減互いの思いと向き合う時が来たようだ……。』
ビヒトはゆっくりと着地し、そして壁に向かって手を翳した。
するとミーナ達が入ってきた反対側の壁が開き、新たな通路が現れた。
『この遺跡の出口、そして北の大遺跡への移動手段まで案内しよう。悪しき者が許されざる物を全て揃える前に、この世から消し去らねばならぬ。それもまた、私も兄も考えを同じくするところだ。そしてお前達が向こうに着いたら、その時は私と兄の全てを話そう。』
ビヒトは先導するように自ら開いた通路へと歩き出した。
ミーナ達は彼に着いて行った。




