Episode.38 時空の侵略者
ソドムとゴモラ、『双極の魔王』を名乗る二体の壊物はミーナとシャチに一歩また一歩と迫る。
黒鷲の特徴を備えたソドムはその冷徹さを湛えた無表情の双眸にミーナを捉え、淡々と処刑を遂行するかの如く。
白鷲の特徴を備えたゴモラはその残虐さを湛えた愉悦顔の双眸にシャチを捉え、嬉々と戦闘を堪能するかの如く。
そんな二体の様子に、シャチは奇妙な違和感を抱いていた。
この二体の壊物は、他の壊物と比較して生物的な特徴を混ぜ合わせた形跡が少な過ぎる。
通常、壊物はより強力な個体となる為に様々な生物を食らい、その遺伝子の良い所取りを繰り返す。
その為、強力な壊物であればあるほどその容姿は奇怪でごちゃごちゃしたグロテスクなものとなる筈なのだ。
「殆ど人間と鳥の合成にしか見えないこの二体に何故この俺を追い込むほどの力がある……?」
シャチはこれまで、殆ど苦戦を経験したことが無い。
故に、初めての事態に様々な思考が沸き上がり混乱を深めていた。
「『双極の魔王』だと……? こいつらは一体何なんだ⁉」
そんな彼の様子に、それまでの戦いにて彼を押していたゴモラは口元を歪めて笑う。
「ソドムよ、どうやら人間どもは我等の重要な構成要素について知らないようだぜ?」
「その様だな……。」
対照的に、ソドムはあくまで無感情に、冷徹にミーナを見据えている。
「私達が知らないこと……? 貴方達はこの世界の生き物を食べて、それで強くなるんでしょ? それ以外に何かあるの?」
「『小さき者』よ、その認識は一面では正しい。だが、それのみによって生きるはあくまでも我等原初個体が切り捨てた『無用な物』の寄せ集めとして卵から孵った眷属、そしてそれに連なる物どもに限る。原初個体、即ち時空の狭間を彷徨える個体は最初に『或る物』を取り込み、存在の核とするのだ。」
ソドムはその鷲頭の下に付いた口から淡々と述べる。
「我等は元々、とある時空に生まれた凝膠状の生命体だった……。他にも別の特徴を持った生命体が存在したが、我等の同族はその遺伝子を取り込み、己の力とすることで変形を繰り返した。その内に要る物だけを選別し、要らぬ物を排除し、そうやって己の存在を精錬していく生態を身に付けた……。だが、それも限界を迎えた……。」
「まともな遺伝子は全部喰い尽くしちまったのさぁッ‼」
ゴモラが口角泡を飛ばす勢いで付け足した。
ソドムは一瞬ゴモラの方に不快そうな視線を向けたが、すぐに取り直して話を続ける。
「一つの完全なる個体となった我等の原型は、外なる時空に活路を見出した。生物が別の進化を辿った異なる可能性の世界線に移動し、そこで新たな遺伝子を取り込むことにしたのだ。だが、その際に時空の狭間へと移動する過程で、我等の原型は全ての遺伝子を吐き出す程の力を行使する必要があった。」
「元の凝膠状の生命体に逆戻り! だが、時空の狭間で息を潜めている間に我等はある事に気が付いた‼」
「我等と同じように、時空間を移動しようと試みる生き物が他の世界線にも存在するという事だ。そしてそういう輩は大抵、ある種の想念に囚われていた。」
「我等はその『負の想念』を餌場の目印にすることができたァッ‼ 時空間を移動できるほどの『知性』を身に付けた生命体の、己の世界に受け容れられぬ想い! 己の世界を呪う想い‼」
二体の語る内容に、シャチはリヒトから聞かされた旧文明末期に於ける人類の行いを思い出していた。
確かに、旧文明の抱えていた社会問題からの逃避や安易な解決策としての時空間移動が試みられたと、リヒトはそう言っていた。
だとすれば、それがこいつら壊物どもにとって恰好の餌食となったという話とも辻褄が合う。
壊物は時空、世界線を跨いで移動してはそこにある資源、生物多様性を食いつくしてしまうことを指向する。
謂わば人間の手で意図せず運ばれるものではなく、生体そのもののレベルで時空を越えた侵略的外来種なのである。
そこまでは良い、そこまでは……。――シャチはソドムとゴモラの話にリヒトの言と一定の整合性があることを認め、一部納得した。
しかし、尚も最大の謎は残されている。
「貴様等の今の話には、さっき言っていた『存在の核』の話は出てこないぞ……?」
疑問を呈したシャチの言葉に、ソドムは初めて口角を上げた。
しかしあくまで静かな語り口で、ソドムは彼の質問に答える。
「我等は気付いたのだ。知的生命体の『負の想念』若しくは『悪の理念』……。正確にはそれによって分泌される化学物質や、思考によって発生した量子秩序。それらは我等が元々食していた『生物の遺伝子』とは比較にならぬ高栄養価な食料になると。そして、それは一度口にしてしまえば他の同族によって取り込まれることは無い。一個の生命個体として、核にすることが出来るのだと……。」
「より巨大な『負の想念』『悪の理念』を取り込んだ個体は、最初から強力なアドバンテージを身に付けることが出来るという訳さあ‼」
「余とゴモラが『魔王』である理由、それは単に、『国家規模の負の想念』をそれぞれ取り込んだからに他ならない。」
「俺様とソドムは、謂わば手前等が嘗ての文明の営みで亡ぼした『国家』が信望していた『悪の理念』の『怨念』! その結晶という訳だァッ‼」
ソドムとゴモラ、二体の言葉にミーナもシャチも戦慄を禁じ得なかった。
この二体は、今まで相手にしてきた壊物たちが決して口に出来なかった上質な力の源を、今まで相手にしてきた壊物が口にしてきた食事量の比ではないレベルで我が物としている。
つまり、壊物の中でも全く次元が違う存在なのだ。
そして、シャチは考える。
この二体は何故か互いを食い合わない。
それはつまり、ソドムとゴモラは二体で一体の壊物ということではないか。
何らかの理由があって分化しているだけではないか。
だとすれば、一つ希望がある。
「ミーナ、俺に考えがある。」
シャチはミーナに耳打ちする。
それは彼にとっても確証の持てない仮説で、突破口になるとは限らない。
だが、現状では唯一の対抗手段となり得る作戦だった。
「わかった。シャチ、でもどっちにする?」
ミーナがシャチに問い返す。
二人の作戦はつまり、戦う相手をソドムとゴモラのどちらか一方に絞ろうというものだ。
一体が斃れれば、もう一体も影響を受けて弱体化するのではないか。――そう考えての作戦だった。
シャチは考える。
ならば何方を先に斃した方が此方にとって有益か。
逆に言えば、何方を生かしておいた方が有害か。
「ミーナ、こいつらがこの『古の都』で何をやったか、見ていたか?」
「うん。ソドムは雷で棲み処を焼き払い、ゴモラは蛇の壊物で包囲して『古の都』から住民を出られなくした。」
「そうだ。ならば先に斃さなくてならないのは、より大きな被害を出す方!」
ミーナとシャチの視線は黒鷲の特徴を備えた壊物、ソドムへと白羽の矢を立てた。
「人々を焼き払うソドムの方、だね‼ 分かったよ、シャチ‼」
「ああ、奴等を分断したら一気に仕留めるぞ‼」
一つの標的を集中的に狙い、各個撃破を目指す作戦は悪くない。
とは言え、このそこには問題もある。
どうやってゴモラをソドムから分断するか、という事だ。
シャチは現状で打てる手として戦斧を振り被る。
得意とする旋風でゴモラを攻撃し、決定打にならないまでもソドムから引き離そうと考えていた。
対するソドムとゴモラは、二人の作戦や意図が丸聞こえであったにも拘らず、余裕綽々といった様子で対策に動こうとはしていない。
舐めやがって……!――戦斧を握るシャチの腕に力が入る。
「貴様等の情報は有難く貰っておくが、もう充分だ! 得意気に自分語りした良い気分のまま死れ‼」
おそらくは現人類でも比類なき最強の剛腕が唸りを上げ、戦斧が旋風を巻き起こす。
その風圧は全てを切り裂かんという勢いでゴモラに迫り、吹き飛ばそうとする。
「ぬぅウッッ‼」
「ほぅ……!」
ゴモラはそれまでの残虐で好戦的な薄ら笑いを消し、歯を食い縛って風圧に対して完全に防御態勢を取っていた。
その様子にソドムも素直に攻撃を放ったシャチの膂力に感心している様だった。
そしてその隙に、ミーナがソドムの懐へと入り込む。
既に妖刀は振るわれ、ソドムの巨体を斬り裂かんとしていた。
「はぁァッッ‼」
ミーナの妖刀が下から上に奔り抜け、腿から腹部、そして脇にかけてソドムを斬った、かに見えた。
だが、ソドムは自らの剣で彼女の攻撃を捌いていた。
無論二人の、人類の攻勢はこれで終わりではない。
ミーナは更なる一撃を繰り出さんと刀を振るう。
その後方からはシャチもまたソドムを狙っている。
前方は下からミーナの妖刀、後方は上からシャチの戦斧。
二つの斬撃に同時に襲われ、今度ばかりはソドムにも成す術は無い。
だが、それは二対一であればの話だ。
相方のゴモラも、これを黙って見てはいない。
シャチの更に後方から、蛇の鞭を振り被って彼を亡き者にしようとしていた。
「狙いは良かったんだがなぁッ‼」
万事休す、シャチの旋風はゴモラに一瞬の隙を作ったに過ぎなかった。
しかし、十分だった。
何故ならばシャチには一つの気付き、計算があったからだ。
「貴様が一族の勇名に恥じぬ男で良かった。貴様の姿が見えたから俺はこの作戦を実行できた。」
シャチはそう呟くと、後方から迫るゴモラには目もくれずソドムに戦斧を振るう。
瞬間、シャチを襲おうとしたゴモラに矢が次々に突き立てられる。
それらはゴモラに刺さることはなかったものの、気を散らせるには充分だった。
「これはッ⁉ 援軍かぁッ‼」
シャチが目にしたもの、それはこの戦場に一足遅れ、そしてそれでも懸命に駆け付けたこの『古の都』の後継者、フリヒトの姿だった。
彼が自動で矢を番える機構を備えたクロスボウから連射した矢がゴモラの意識を逸らさせた。
「また鬱陶しいチビが増えやがって‼」
「ミーナさん、シャチさん! 今です‼」
人類の持つ二大戦力、ミーナとシャチによる防御も回避も出来ない同時攻撃がソドムに振るわれた。
「ぐおおオッッ⁉」
ソドムはシャチの戦斧を捌いたが、ミーナの妖刀によって深手を負い、鮮血を飛び散らせた。
「ソドム手前、何食らってんだよォッ‼」
「これは確かに不覚ッッ‼ ゴモラよ、一旦退くぞ‼」
ソドムは相方にそう叫ぶと、両膝を曲げて空高く飛び上がった。
「ああん⁉ まだたった一太刀貰っただけじゃねえか!」
「その一太刀が思いの外深い。一度体勢を立て直す必要がありそうだ。」
ゴモラは不服そうに舌打ちするも、ソドムの言葉に従って空高く舞い上がった。
「人間どもよ、今回は様子見だ。我等直々の初陣はこれくらいで勘弁しておいてやろう。だが余にこれ程の大傷を負わせた罪、必ず償わせてやる。」
「その前に全滅しなきゃいいけどな! 俺様の大蛇は置いて行ってやる! そして孰れは必ずこの地に眠る『奴』を頂くぜェッ‼」
二体はそう捨て台詞を吐くと、空の彼方へと飛び去って行った。
「はぁ……はぁ……。」
ミーナとシャチはこの戦闘で疲労困憊となっていた。
最後に二人が振るった二発の攻撃は、一発一発に全身全霊を込めた渾身を超えた渾身のものだった。
そこまでしなければゴモラを怯ませることも、ソドムに深手を負わせることも出来なかったのだ。