Episode.34 警邏隊の日常
壁外開墾地の巡回に於いて、主に注意されるべきは大きく二つある。
一つは、言うまでも無く壊物との遭遇である。
警邏隊は武装しており、数人掛かりで斃せないことはないのだが、それでも不意に遭遇すると直ちに命に危険が及ぶ。
しかしこれは同時に『古の都』にとって貴重な資源の獲得法となる為、全く無くてもそれはそれで大いに困る。
そしてもう一つ、発見された際には周辺地域の封鎖を行わなければならない危険なものが、壊物が主に棲み処としている空間の裂け目、『時空の亀裂』である。
巡回の任務はこの『時空の亀裂』が新たに発生した場所の封鎖と監視が主であり、壊物との遭遇も大半がこの時起こる。
ミーナにはこの開墾地巡回の警邏としての仕事に一つ不満を抱いていた。
それは、封鎖地域に入ろうとするといつも仲間に先を越されることである。
大人の男達の中に在って一人小さな少女であるミーナは「保護対象」と見られているのだが、それが対等の仲間と見られていないようで気に食わなかった。
「壊物だ‼」
前列で叫ばれた遭遇の報に、ミーナは左義手に持っていた妖刀の柄の感触を自らの手で確かめるように握った。
しかし、大抵の場合彼女の出番は回って来ない。
「仕留めたぞ‼」
何故ならば、開墾地区の巡回に選ばれる警邏は戦闘に長けた精鋭である上、装備も充実しており、更に隊としての練度も高いため、壊物が出たとしてもすぐに斃してしまうのだ。
時折不意打ちの如くミーナが追いやられている隊の中列が襲われることもあるが、その時もミーナの妖刀は振るわれない。
巡回部隊の標準武器は槍であり、腕の長さも相俟ってミーナよりもリーチの長い大人たちがミーナの出番を許さずあっという間に仕留めてしまう。
この様な境遇にミーナが置かれているのは彼女の実力が信用されていない為であるが、これは彼女が活躍した「ダーク・リッチ事案」を目撃したのは主に外壁担当の警邏であり、壁外巡回担当には又聞きでしか伝わっていないことが大きい。
「ま、戦いだけが仕事じゃないけどさ……。」
ミーナの言うように、彼女が今主に活躍しているのは寧ろ壊物討伐後の解体処置である。
というのも、妖刀の切れ味は警邏が死体の解体を目的として持ち歩いている標準の短刀よりも格段に上回っている為、肉を削ぎ落す作業が早いのである。
勿論、理由は刃物の質だけではない。
戦闘に於いては保護対象と見做している仲間達も、解体におけるミーナの剣捌きは「名人芸」として一目置いている。
「いや、相変わらずお見事!」
今日もミーナの太刀筋は冴え渡り、あっという間に壊物の肉を運搬可能なサイズに切り刻んだ。
何だかんだで、剣の腕を褒められるのは悪い気がしない。
「やっぱり彼女、評判通り戦えるんじゃ……?」
「そうだよな。ダーク・リッチとかいう壊物の親玉を追い払ったのもそうだし、クニヒト様に認められた弟子なんだろ?」
「第一リヒト様が役立たずを外回りに抜擢なさる筈が無いし……。」
仲間達の中には、ミーナの力を信じてみても良いのではないか、という考えも広まりつつあった。
「いや、あの戦い、どうも最後はクニヒト様が体を張らねば危なかったと聞く。」
「実際、クニヒト様は命を落とされたわけだしな。」
と思えば、まだまだ懐疑的な者もいる。
「俺達が戦える内は態々女の子を前に出さなくてもいいんじゃないか?」
「型通りに剣が振れても実践的とは限らん。」
「博打は少ない方が良い。」
というように、結局警邏隊の考えは安全策に傾いてしまう。
抑も、彼らが槍を持ち歩いているのは最大限安全に戦えるようにとの配慮からだ。
そのような思想が根付いている以上、彼女に戦わせないという選択を採るのも無理からぬ事なのだろう。
『まあ、儂としても現状は悪くないと思うとるがな……。』
妖刀もミーナが信用されていないことにはいい気持ちを抱いていないようだが、一方で都合が良いとも考えている様だ。
確かに、ミーナにとって危険が少ないのは何よりである。
それに、近い内にミーナは否が応にも危険な旅に出なくてはならないのだ。
『ミーナよ、今リヒト様が四つの遺跡を巡る為の準備を進めてくださっとる。剣の腕は、そこで存分に振るったらええ。』
「それは確かに……。」
『お前さんも冒険好きとはいえ無闇に危険な事がしたいわけじゃなかろう?』
「まあ、そうだけど……。」
ミーナも不服ながら、妖刀の言う事も尤もだと認めざるを得なかった。
しかし、そんな彼女にこの後転機が訪れる。
**
任務終了後の夜、壁外に二つの人影が動いていた。
「誰にも見られていないな?」
「ああ、抜かりはない。」
「今日も壊物の死骸は出た。朝担当の連中が回収する前に済ましちまおう。」
「俺達の貴重な副収入減だからな。」
どうやら、彼らは昼担当の中にもいた死体の横流し犯らしい。
彼らは死体の回収を任務とする朝担当に比べ、死体の発生を知り尽くしている分横流しの上で優位に立っており、朝担当の横流しよりも大きな被害を出していた。
しかし、総じて彼らが愚かなのは、隠れて壁外に出るリスクを軽視している点にある。
特に、死体を態々探さなくてはならない朝担当の横流し犯に比べ、昼担当の彼らは既に死体の発生場所を知っており、そこから肉を回収する工程に対する意識は尚作業的となっていた。
二人は完全に必要な警戒心を欠いていた。
封鎖地域に立ち入るにも拘らず、だ。
そんな彼らに背後から忍び寄る影は、明らかに人間のものよりも大きかった。
足音に気付いて振り返った時にはもう遅い。
二人は自分達の倍以上ある壊物の間合いに入っていた事実に混乱と絶望を覚え、運命を呪った。
「ひいいいいッッ‼」
「莫迦野郎お前、もっと周囲に気を付けろよ‼」
「お前こそ、ここは危険域だぞ‼」
責任を擦り付け合う二人だが、奇妙な事に壊物は蟷螂の様な腕を振り被ったまま動かない。
二人がその不可解さに落ち着きを取り戻したとほぼ同時に、カイブツの身体は同から真二つに斬れて崩れ落ちた。
そして二人の視線の先には、刀を振り終えた小さな銀髪紅眼の少女ミーナが立っていた。
「危ない所だったね、二人とも。」
「み、ミーナちゃん……?」
そう、ミーナはシャチから言われた通り、こっそり横流しの為に居残る者を見張っていたのである。
そして、命を助けられた二人はミーナに見られていたことに血相を変えた。
「ま、拙い‼ 見つかっちまったか‼」
「こうなりゃこの餓鬼殺して擦り付けるぞ‼ 夜勝手に封鎖地域へ入ったのはこの餓鬼だった事にすれば‼」
「お、おう‼」
余りの言い草にミーナも、そして妖刀も呆れ返ってしまった。
『見下げ果てた奴等じゃのう……。』
そして妖刀が指示を出す前にミーナは動いていた。
襲われない内に峰打ちで二人をノックアウトし、彼女は溜息を吐く。
「二人運ぶのは手間だなあ……。シャチにも手伝ってもらおう。」
実際は峰打ちでも刀による殴打は充分致命傷になり得る。
ミーナが普段戦う時の様な、強い力を発揮していれば命は無かっただろう。
しかし、この時のミーナは正に少女の身の丈に合った力しか使っていなかった。
勿論その加減が絶対に相手の命を守るかと言えばそうでは無いのだが、それでも二人はどうやら一命を取り留めたらしい。
この後、ミーナはシャチに連絡し、二人の身柄を回収した。
というより、ミーナに呼び出されたシャチは率先して二人を一人で担ぎ上げて運んでしまった。
相変わらず、シャチはこういう時に自分の力を誇示するのが好きだと、ミーナは呆れながらも感心し、彼に謝意を伝えた。
この一件でミーナは横流し犯検挙の御手柄と一人で壊物を斃す実戦での強さを開墾地巡回担当の警邏に認められ、実戦の力でも一目置かれるようになった。
***
そして、ミーナとシャチにリヒトから旅立ちの許可が下りる日を迎えようという夜。
彼らが住む『古の都』から遠く離れた地で何やら壊物達が不穏な動きを見せていた。