Episode.33 ミーナの日常
ミーナとシャチ、ルカもこの『古の都』で暮らすようになった以上は仕事を与えられ、生計を立てている。
他の集落と比較すれば格段に豊かで進んだ社会を築いているとはいえ、喪われた文明と比較すれば未熟も未熟な社会であり、子供に対して労働を免責するには至っていないのだ。
二人は警邏隊、その中でも最も危険性が高いと言われる開墾部の巡回に参加している。
警邏隊は大きく三つにその役割を分けられ、一つは『古の都』内部の治安維持、一つは遺跡の外壁の警備、そして一つは新たな資源と生活領域を獲得すべく『古の都』という遺跡の外に勢力圏を拡大した、その周辺地域の巡回と探索である。
警務の時間帯は『古の都』の内と外にそれぞれ数箇所設置されている日時計によって管理されており、鐘の音と共に交代となる。
ミーナの一日は先ず身支度を整えて食堂で朝食を取ることから始まり、その後道場に出て午前中は剣の鍛錬を積む。
警邏としての巡回は午後からの担当となり、昼食後に午前を担当しているシャチらと交代する。
彼女ら、昼時間の担当は日が暮れる直前、西日が差す頃合までとなっている。
開墾部の巡回は朝の四半日と昼の四半日の交代制だが、外壁警備と治安維持は更に夜担当が前後半に別れて『古の都』を守り続けている。
警邏隊としての勤務が終わると、彼女は一旦身を清めた後食堂で夕食を取る。
特に開墾部の巡回は『古の都』内部のそれとは違い、壊物由来の不浄物に曝されやすいため、この様な手順は必須となっている。
朝担当のシャチも交代前は同じように身を清めているらしい。
夕食後は自由時間となるのだが、ミーナはその時間を利用してリヒトの側近であるアリスに勉強を教わっている。
時折解らなくなる事もあるが、妖刀から補足説明を受ける等してどうにか嘗ての文明が残した基礎教養を身に付けようと日々奮闘している。
こうして、彼女の一日は終わる。
「あー、今日も草臥れたなー……。」
夜も更ける頃、自分の部屋に戻ってきたミーナは寝具にごろりと寝そべった。
一日中動き回って自分の場所へと戻って来る、というのは嘗て伯父達と共に暮らしていた頃からの習慣とほぼ同じだが、勝手気ままに冒険していた当時とは訳が違う。
尚、現代人の読者から見ればミーナ達の労働時間は短く見えるだろうが、基本的にここ『古の都』の住人にとって仕事を休む日というのは十四・五日連続で働いた後に一日取る程度のものである。
それに、警邏の勤務は四半日を途中一息か二息吐く程度の休憩だけで乗り切るものであり、加えて危険の付き纏う開墾部の巡回は現代と比較しても決して楽な労働では無いだろう。
労働基準法もあったものではなく、嘗ての文明を知るリヒトが統制してこの状況なのは決して褒められたものではないが、現状こうでもしなければ『古の都』は回らない。
それは宛ら、産業革命時のイギリス社会や明治から昭和初期にかけての日本社会を彷彿とさせた。
『ミーナよ、夜の勉強の方は偶にで良いのではないか? 鍛錬は仕事の為に欠かさぬ方が良いじゃろうが、其方は生活に差し支えない上にお前さんが好きで言い出した事じゃろう。』
妖刀はそんなミーナの体を気遣う。
彼が人間だった頃生きた社会はどうだったのだろうか。
言葉から察するに、子供が働くことは已むを得ず、また教育を受けないことも然したる問題ではないと考えている風に取れる。
そんな彼の艶めく鞘に向かって、ミーナは小さく微笑む。
「ありがとう。でも、好きで言い出した事だからこそ続けたいんだ。仕事も楽しいけれど、余り冒険らしいとは言えないから。逆に、知らないことを知る方が今の私には面白くて、だから……。」
『……そうか。』
うとうとと、最後まで言いたいことを言い切れずに眠ってしまったミーナの様子に、妖刀は独り言ちる。
『一時はどうなる事かと思うたが、何はともあれ、お前さんが旅路に求めた安息の地は見つかったようじゃの……。』
ミーナが妖刀と出会った日の晩、彼女は仲間を裏切りと殺害という二重の意味で失った。
翌朝から彼女は新天地を求めて旅に出ざるを得なくなったわけだが、一先ず当初の目的は果たされたと言って良いだろう。
後はリヒトの思惑が彼女に如何なる運命を齎すかだ。
妖刀は基本的に、リヒトの事は手放しに信用している。
それは彼が人間であった時の因縁がどうやらリヒトの血筋と深くかかわっているという理由からだ。
もし仮に、妖刀の信頼が裏切られることがあったなら、ミーナは再び全てを失うことになる。
***
翌日、昼食を終えたミーナはいつものように開墾地警邏隊の集合場所にやって来た。
しかし、何やらこれから交代する朝担当の面々が物々しい雰囲気で集まっている。
本来なら交代前に身を清めるのがルールの筈だが、皆帰って来たそのままの姿をしている。
『何かあったようじゃの……。』
妖刀に言われずとも、ミーナにもそれくらいのことは解る。
彼女は朝担当の中でも一人頭一つ抜けて背の高いシャチに声をかけた。
「どうしたの?」
「む、ミーナか、丁度いい。お前にも伝えておく必要があるだろう。」
シャチは顔と目線で取り囲まれている一人の男の方へミーナの注意を促した。
朝担当の警邏の一人と思しき男は不貞腐れたような表情で座っている。
「この男は最近、誰よりも早く此処へ出勤していた。まだ誰も集まっていない朝早くから、恐らく朝食も真面に取らずにだ。」
「え? そんなことしたら仕事中にお腹が空くよ? ただでさえ危険なのに、よく平気で毎日やっていけるね。」
ミーナの疑問に、シャチは溜息を吐いた。
「まあ実際のところ、食う物はあるから問題無かったのだろうな。」
「食べる物……?」
「ミーナ、まさかここへ来る前の生活を忘れたわけではあるまい。俺達は『古の都』に来る前、主に何を食って生きてきた?」
シャチの言葉で、ミーナも彼が取り囲まれている理由を何となく察した。
「もしかして、警邏隊に注意を出されていた『壊物の死体の横流し』って……!」
「朝の壁外担当の中ではこいつが一人見つかったという訳だ。要するに、まだ誰も巡回していない時間帯を見計らって壊物の死体を勝手に採取し、資金を得ていた。飯もその時に壊物の肉を食っていたらしい。リヒトの奴が壊物の肉では栄養価が足りないからと態々元いた動植物の肥料にして嘗ての食事に戻そうとしていた中、物好きな事だ。」
シャチは男の首根っこを掴むと、痛がるのを無視して無理矢理立たせた。
「ミーナ、俺は今からこいつを治安部隊に引き渡して来る。まだ昼担当で此処へ来たのはお前一人だから、頼んでおく。昼担当の連中にはこのことを暫く秘密にしたままで、お前は仲間の動きに目を配れ。夜になっても残ろうとする奴が居ないか、そいつが壁外へこっそり出ないか、そして壊物の死体を勝手に採取しないかどうか目を光らせるんだ。」
「皆の事を疑うのかあ……。」
ミーナは腕を組み、難しい表情で首を傾げる。
「心苦しいか?」
「いいえ。仲間とはいえ、場合によっては用心しなきゃいけないことは色々と解ってるから。」
ミーナの答えに、シャチはその眼にほんの少し申し訳なさそうに愁いを浮かべた。
出会う前に何か只ならぬことがあったのだろうと、ミーナの答えから察したようだった。
「……そうか。すまんな。」
シャチは珍しく謝罪の言葉を告げると、男を引っ立てて行った。
そう、ミーナは知っている。
仲間だからと手放しに信じ切っていても、相手はその実将来的に乱暴なやり方で手籠めにする前提で自分を囲っているのかも知れない。
また、自分一人だけ生き残るために仲間全員を売り渡そうとしているかも知れない。
兎も角、ミーナは遅れてやって来る仲間達から不逞の輩が出ないことを祈りつつ、一足早く出発の支度を始めた。




