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Episode.32 都の日常

 二人の冒険者が地下へと潜った後も、『古の都』の人々は変わらぬ日常を送った、送らなければならなかった。

 勿論それはこの地で巨大な集落を取り仕切る『帝』のリヒトも同じ事である。


 リヒトの朝は早い。

 彼が起床してまずすることは、従者のアリスによる体調確認である。

 一つ一つ、体に異常が無いかを確認させる中で、日の出を迎えた陽の光を浴びる事から彼の一日が始まる。


「アリス。」

「はい。」


 リヒトは自身の体調確認を行う従者に小さく声をかける。


(わたし)のこの身体はあとどれくらい()つのだろうか。(わたし)に訪れる終焉(しゅうえん)は人類再興の()を見るのを待ってくれるだろうか。」

「まだ当分先の事と存じますが、何か鬼胎(きたい)でも?」

「うん。ここ数日、色々な歯車が急激に動き出しているような気がしてね。ミーナという少女(しか)り、クニヒトの事(しか)り、地下遺跡の扉(しか)り……。」


 白む空を見上げ、リヒトは溜息を吐いた。


()しこの世の全てが一定の数式に従って流動しているとしたら、全ての運命は(あらかじ)め決まったものになるだろう。そこに何者の意思も介在することなく、ただ化学反応に流されるまま世界は(うつ)ろう……。」

「リヒト様、お言葉ですが世の理はその様になっておりません。量子力学の理論ですら、統計的に揺蕩(たゆた)った振る舞いを見せるのです。」

「承知の上だよ、アリス。では我々の意思とは、選択とは、突き詰めればその不確定性にまで起源を遡るのか……? (わたし)は浅学にしてその辺りの知識に明るくないから、的外れな事しか言えないかもしれないが……。」

「然様で御座いましょうね。往年の物理学者が聞けば鼻で笑われることでしょう。」


 手厳しいアリスの言葉にも、リヒトはただ笑みを溢す(ばか)りだった。

 そして、主の真意は従者の彼女も知り尽くしているようだ。


貴方(あなた)様は誰に何を言われようと己を決して曲げない。ある種の頑迷さをお持ちであることは(わたくし)が誰よりもよく存じ上げております。」

「それはまあ、そうだろうね……。」


 アリスの言う通り、リヒトは頑なな男である。

 彼は決して自身の目的を諦めたりはしない。

 成し遂げるために必要な人材も発掘された。

 後はその時が満ちるまで、彼に与えられた燈火(ともしび)が保つかどうか、それだけが問題である。


 そんなことを考えながら、彼は朝一番の体調確認を終えた。



**



 朝食を済ませた後は、『古の都』に於ける彼に課せられた統治者としての雑務を執り行う。

 その中で重要なのが、日々の生活において衣食住を担保する上で資源となる『壊物(かいぶつ)の死骸』と、領民たちの働きに応じて与えられる『報酬』を管理する事である。


「ふーむ、随分と資源に関する陳情が多いね……。」


 その他に、彼は領民から生活の上で困ったこと、生の声を匿名の陳情として集めていた。

 今、彼が読み上げているのは主に「資源が増えていない。」というものだった。


「妙だね。開拓の過程で壊物(かいぶつ)の死骸も沢山手に入っているし、『ダーク・リッチ事案』で相当量の仕入れがあった筈だけど……。」


 リヒトが治める『古の都』では壊物(かいぶつ)の死骸は直接食すのではなく農産や畜産に於ける肥料や、建築材や燃料などの資源として利用している。

 これはまず、単純に壊物(かいぶつ)の肉だけでは栄養価が偏る事と、その栄養価自体が大して期待できないことが理由として挙げられる。

 それ故、壊物(かいぶつ)の肉を直接食べるのではなく、自然界に返して栄養価の高い食料、つまり元からこの世界にある動植物に変えている。


「民衆が過剰な期待を抱いているのかな?」

「それだけではなさそうです。」

「どういうことかな?」

警邏(けいら)隊の戦果と死骸の納入量は比較なさりましたか?」


 アリスに指摘され、リヒトは山積みになっている史料から一部を取り出して目を通す。


「随分差があるようだね。」

「どうやら警邏(けいら)隊とは別に独自で死骸を入手して蓄えている者がいるようで……。更には警邏(けいら)隊の中にもこういった者に『横流し』を行う兵がおり、実際の納入量はもっと少なくなるようです。」


 リヒトは思案する。

 単純に考えれば、死骸の独自取引を厳罰に処すれば済むかもしれない。

 だが、彼はそれをなるべく避けたかった。

 何故ならば人類の繁栄は概ね欲望によって(もたら)されるものであり、その為には自由意思による付加価値の創造が不可欠だからだ。


「多分、警邏(けいら)にいる不届き者は一人・二人がやったところで誤差だと考えているのだろうね。それが国庫を脅かし破滅を招くというのは嘗ての喪われた文明でも今の我々の様な状況の衰退国家にはよくある事だったのだが……。まあ、逆にそのような事態を生む状況が衰退を招いていたとも言えるけれどね……。」

「あと、何やら余暇に使用する遊び道具を自作したり、娯楽の提供と称して見世物を行ったりして、『報酬』を搔き集めている者もいるようです。」


 アリスの追加報告に、リヒトは瞠目して該当する資料に目を通す。

 その表情は先程までと比べ、何処か明るい。


「うん、『報酬』の不足を訴える声もここ最近多いね……。」

「自分達の生活に必要な資源を獲得する為に、蓄財者に『闇取引』で通常より多量の『報酬』を支払い、更には享楽に余計な『報酬』を消費した為に不足を訴えている模様です。」


 リヒトは不意に上がる口角をなぞる様に顎を触っている。


「はっきりと申しまして、『報酬』の不足は我々の意向を無視して無闇に財を蓄えようとする者の業突張(ごうつくば)り、或いは無益な享楽に浪費する者の自業自得かと……。」


 アリスの視点は冷淡だったが、逆にリヒトは心を躍らせていた。

 彼女はあくまで人形のように淡々とした態度でリヒトに接している。

 しかし、彼女には彼女の意見があるようだ。

 それに対し、リヒトはこう答える。


「いや、別に財を蓄える事も、逆に浪費することもそれはそれである程度はみんなの裁量に委ねられるべきだよ。勿論、度が過ぎれば介入する必要はあるけれどね。要するに、今この『古の都』では資源と手形の不足が同時に進行しているわけだ。」

「はい。しかし先程も申しましたように、これは貴方(あなた)様の落ち度ではございません。」

「誰の落ち度かは重要ではない。現実に何が起きていて、どのように対処すれば解決できるか、それを考えるのが(わたし)達の仕事だ。」


 リヒトは落ち着いた態度を装っているが、弾んだ声に心の高ぶりを隠し切れていない。


「まず、警邏(けいら)隊からの『横流し』はきちんと取り締まろう。」

「当然ですね。」

「ただ、それだけでは彼らもやる気を失くすだろう。『ダーク・リッチ事案』の対処への御礼として『特別報酬』を出そう。それから、出回っている『報酬』だけが増えて肝心の物の量や質が変わらないと『報酬』の価値が毀損される。警邏(けいら)を中心に一般民からも志願者を募り、壁外への開拓を一層進めなくてはならないね。その為の人手も要るから、ルカの集落のように外からの引き入れも大々的に行わなくては。」


 リヒトは頭を掻き、机の上の書類以上に山積みとなっている問題への対処を考える。

 (そもそ)も根本的な問題として、『古の都』の社会規模と比較した時にリヒトが築き上げようとしている体制が先進的過ぎるのかも知れない。

 ただ、一度は人類が通った路なのだから、彼がそれを求めるも(むべ)なる事である。


()(かく)、資源供給量の見込みは大幅に下方修正しなければいけないね。増加を前提とした活動も見直さざるを得ない。当面の財源はそうやって確保しよう。あまり良い方法とは思えないが……。」

警邏(けいら)に気を遣い過ぎでは? 元はというと彼らの欲が招いた問題なのに、彼らを甘やかすことになりませんか?」

「アリス、『甘やかす』というのは必要以上に物を与える事を言うんだよ。そしてその必要量を決めるのは今起きている現実であって我々の倫理観や将来不安ではない。子供が成長期を迎えれば必要な食事量は増えてしまうもので、そこに親の教育方針が介在する余地は無いんだ。」


 アリスの表情は変わらない。

 ただ、了承の言葉が出ないという事は心の底で納得していないのだろう。

 そんな彼女に、リヒトは相変わらず弾んだ声で付け足す。


「それに、(わたし)の意を離れて人々が経済を動かし始めた事そのものは途轍もなく大きな進歩だよ。まだまだ原始的な領域を出ず、旧文明の営みには程遠いけれどね。このまま行けば将来的には(わたし)の手に余るようになりそうだ。()しかすると(まつりごと)(わたし)の手を離れて民衆の代表による合議制になるかも知れないね。」

「それは……良い事なんでしょうか?」

「良いに決まっている。人類の発展は人々の自由意思が十人十色の付加価値を創造することによって行く宛ても無く進むものであって、誰かが道筋を決めるものではないからね。(わたし)達の意向を離れて独り歩きしてくれるのは大いに結構な事だ。いつまでも全てを統制し続けることなど出来はしないしね。(わたし)達は最終的に締めるべきところだけを締めればいい。」


 リヒトは起きている現実に対処すると言っているが、その眼はその遥か向こう側にある何かを見ていた。

 アリスはリヒトがこうなった時、異論を返さない。


「では、そのように。して、具体的には如何(いかが)致しましょう。」

「取り急ぎ、これだけを目標にしてはどうかな。『報酬』の価値が毀損されないように注意しなくてはならないからね。まずはこれくらいで様子を観よう。それで足りないようならば、その時はまた対策を考えなくては。」


 リヒトはアリスにさらりと字を書いた紙を手渡した。

 中身を見たアリスは特に口を挟む必要性を感じなかったようで、これはすんなりと通った。


(かしこ)まりました。」

「うん、宜しく頼むよ。」


 その後、リヒトは昼食まで残りの雑務を処理した。

 彼は主に一人で食事を採るが、その内容は領民に配給されているものと同じである。



**



 昼食の後は、フリヒトとルカに勉強を教える事になっている。

 その間も、彼は自分の仕事を止める事は無い。


 ただ、この日はもう一人の来客も訪れた。


「こんにちは、リヒト!」

「おや、こんにちは。どうしたんだい、ミーナ?」


 そう、二人の青年に加え、リヒトが『未来の導き手』として希望を見出した冒険好きの少女、ミーナも一緒だったのだ。


(わたし)も二人と一緒に勉強したいと思って……。駄目、ですか?」


 リヒトは瞠目(どうもく)し、そして彼女の申し出が余りにも尊く思えてこれまでに無く表情が緩んでしまった。


 嗚呼、素晴らしい。

 一人の少女の好奇心が知性の領域に及び、より大きなものになるべく更なる研鑽を求めている。

 そう、こうやって人類は(かつ)て発展していき、旧文明を築き上げたのだ。――リヒトはミーナの成長に深い感慨を覚えていた。


「勿論。ただ、二人と同じ内容にいきなり入るのは難しいかも知れないね。アリスを呼んで来るから待っていなさい。彼女にも先生になって貰おう。」


 リヒトはそう言うと、席を立って部屋を出て行った。

 そして、考える。


 前日にフリヒトに対し、「この間自分を兄と思え、と言ったことは一旦忘れて良い。」と伝えておいて助かった。

 彼が自分と兄弟であるかのようなことを口走れば、自分のいない処ではフォロー出来ない。


「フリヒト、(わたし)の何人目かの『弟』よ。くれぐれも(わたし)の『次の後継』が出来るまでに死なないでおくれよ……。(わたし)はもう少し、この世界を()ていなければならない。悲願の成就をこの目で見届けたいからね……。」


 リヒトは階段を下り、アリスの(もと)へと向かった。

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