Episode.27 理由の断片
ミーナ、シャチ、ルカ、フリヒトの四人はリヒトの側近である女性、アリスから彼の部屋へと通された。
この時、ミーナは初めて見たアリスを無感情な人形の様で奇妙な女性だと感じていた。
リヒトに迎えられ、四人はいつもの中机に向かって席に着くよう促される。
リヒトの甥であるフリヒトを除く三人はリヒトの向かいに、フリヒトは彼の隣にそれぞれ坐った。
「シャチ、ご苦労だったね。ルカ、遠い所を来てくれてどうもありがとう。」
まずはリヒトが聞く者を落ち着かせ、和ませ、陶酔させる穏やかな声で二人の男客に労いと謝辞を述べた。
そんな彼の言葉に先ず改まったのはルカだった。
彼はリヒトに対し、深々と頭を下げる。
「リヒトさん、貴方に大恩があるのは僕の方です。貴方は僕の命を助けてくださった許りか、失くした脚の代わりまで頂き、更にはこんな素晴らしい場所に仲間共々受け入れてくれた。貴方には感謝してもし切れないくらいだ。」
「ああ、それは私も君達の手を必要としての事だからね。そう改まらなくても良いよ。」
「いいえ、しかし……。」
ミーナはふと、ルカが頭を下げている相手がリヒトだけでなくフリヒトも含まれているのだと気が付いた。
彼にとって、責任や負い目を感じずにはいられない事件なのだろう。
「弟さんの話は聞きました。隣の彼のお父さんだという事も。彼の命を奪ったあいつは、元はと言えば僕達が抱えていた問題だった。それにミーナを巻き込み、貴方達やこの『古の都』を巻き込み、そして大切な御方を死に追いやってしまいました……。」
ルカの謝罪をリヒトは微笑みを浮かべながら、フリヒトは神妙な面持ちで聴いていた。
そしてリヒトは静かに声をかける。
「ルカ、顔を上げなさい。」
ルカは今にも泣き出しそうな顔を晒した。
そんな彼を、リヒトは宥めるように諭す。
「色々な事が掛け合わさった結果、悪い事が起きてしまうというのはよくある話だ。しかしね、あの髑髏の壊物は何れにせよ、命のある限りいつかは必ずこの『古の都』に襲い掛かっただろう。敢えて断言するけれども、その事に関して君や仲間達も、ミーナも、シャチも誰一人として何も悪くない。悪いのはあの壊物ただ独りだ。少なくとも私はそう考えている。」
そう言うと、リヒトはルカに笑いかけた。
「だから今までの事よりもこれから君達が私達と共に人類文明の再建に尽くし、与えられた仕事を熟してくれると私は嬉しい。」
「ありがとうございます……。」
ルカの目から涙が零れ落ちた。
彼は若くしてリーダーを任せられたが、短くしてその重責から解放される。
今後は一人の若者としてこの『古の都』で人々の生活のために働くのだ。
しかし、ミーナはリヒトの言葉の中で一つ気になることを思い出した。
そういえばダーク・リッチは襲撃の時、何かがこの『古の都』に眠っていて、それをずっと求めていたと言っていた。
リヒトの言葉はそれとも関係しているのだろう。
「さて、ではそのダーク・リッチと自称するあの壊物が狙っていたものと旧文明の関係について、これから話していこうか。」
それを裏付けるように、リヒトは話を続ける。
「あの壊物が狙っていたのはミーナだけではない。私はその正体について知っているが、それはシャチがずっと知りたいと言っていた事に深く関わるものだ。」
「ほう……?」
シャチの眉が小さく動いた。
「リヒト、お前がこの巨大な遺跡を管理している理由はもしかしてそれか?」
「ああ、その通りだ。四人とも、心して聴いて欲しい。そして人類が再び未来へと歩み始められるよう、私と共に各々の力を尽くして欲しい。」
愈々、リヒトの口からシャチが知りたがっていた「真実」の一端が明かされようとしていた。
ミーナもまた、固唾を飲んで彼の口から紡がれる言葉に耳を傾ける。
「旧文明の滅亡をいつの段階とするかは色々な意見があると思うけど、私は時空の狭間から『奴』が顕現した瞬間にその時を定めたい。何故ならばそれこそが旧文明の行き詰まりの象徴であり、滅亡を齎した存在だからだ。」
「旧文明に滅亡を齎した存在? 初耳だな。一言では説明できない複雑な理由で滅んだと前々からお前は言っていたが、それほど明確な相手がいるのか?」
シャチは腕を組み、以前からリヒトと話していた内容との矛盾を彼に突き付ける。
だが、それは予想通りの疑問だったようだ。
「何も矛盾しないよ。『時空の狭間が生じてしまった事』、『そこから奴が出てきてしまった事』、それらには複雑な事情が絡み合っている。だが、直接的な原因は正しく『奴』だ。そこに異論を挟む余地は無い。」
「成程な……。」
「で、シャチ。君は何方が知りたい? 文明が滅んだ直接的な原因と断定できる『奴』の話か、それとも『奴』が生まれるに至った複雑な過程の話か。」
「俺は常々、『全ての真実が知りたい。』と言っていた筈だが?」
シャチの答えを聞くと、これまたリヒトは予想していたと言わんばかりに小さく口角を上げた。
「君ならそう言うと思っていた。だが、説明は順序立ててする必要がある。それは分かるね?」
「勿論。いくらでも聴いてやろう。その為に態々この地まで来たのだからな。」
シャチは組んでいた腕を解くと、胡坐を掻いた膝の上に両手を載せた。
「まず、一つの譬え話からしよう。ミーナ、ルカ、着いて来れなかったらすぐに教えてね。言い方を考えるから。」
リヒトは聞き手たちに理解度の差異がある事も踏まえ、かなり初歩的なところから説明を始めるつもりらしい。
「そうだね……例えばミーナ、君は旅を始める時、何処へ向かうか目的地を決めていたかい?」
「いいえ。ただ西へ行けば人に会えるかもしれないと思って……。」
「東へ行く選択肢は無かった?」
「それは無かったと思う。西に人がいる可能性があるって聞いてたから。」
「じゃあとにかく西へ、当ても無く歩いて行った訳だね?」
「はい……。」
「途中の道はどうやって決めたの?」
「それは……正直成り行き任せというか……思い付くままと言うか……好奇心次第だったというか……。」
次々に質問され、それに答えていくミーナだったがリヒトの意図が良く解らなかった。
「リヒト、貴方は何が言いたいの……ですか……?」
「ああ、ごめんね。これを最後に確認したいだけだから、後一つだけ答えて欲しい。君はそんな旅の中でルカと出会い、更にシャチと出会った訳だけど、考えて欲しい。もしもう一度旅立ちの日に戻って、今までの事を全部忘れて、再び旅に出たとしよう。その時、ルカやシャチともう一度会えると思う?」
ミーナは少し考えた。
ルカに会うまでの旅路で、もしかしたら別の人間に会っていたかも知れないという事を思い出した。
そう、ミーナは伯父のゲンから聞いていた「西にいるかも知れない人間の可能性」を通り過ごしていた。
もし当初の目的通りにその人達に会っていたとしたら、そこでミーナの旅は終わっていたかも知れない。
「会えないかもしれない……。」
ミーナはそう結論せざるを得なかった。
どうやらそれはリヒトの意図通りの答えらしく、彼は少し安心したように話を続ける。
「そう。つまり、君が辿った運命というのは全て、可能性の一つの帰結に過ぎない。もしかしたら他の運命もあったかもしれないけれど、偶々今君はここに居る。」
「あの……それって今の話に何の関係があるんですか?」
ルカがリヒトの言葉に口を挟んだが、これはミーナも同意見だった。
「大ありなのさ。何故ならばそうして考えられる『異なる現在の可能性』を繋ごうとして出来てしまったもの、それこそが『時空の亀裂』。一般に『空間の裂け目』と言われているものだからだ。」
ミーナは以前リヒトから説明されたことを思い出した。
今回はその時に比べ、かなり丁寧に身近な比喩で話してくれたのだと解った。
「何だか悲しい事かも知れない……。」
ミーナは思うままに呟いた。
彼女がリヒトの言う「もしもの現在」を探そうとするならば、それは間違いなく「クニヒトが生きている現在」だろう。
そう考えた時、ミーナはどうしようもなく悲しい気持ちになってしまったのだ。
「ミーナの言う通りだ。けれども、喪われた文明に生きる人々の中には、そんな『悲しい事』に縋り付きたくなるほど追い詰められてしまった人もいたんだ。残念な事に、幸せを見つけられなかった人たちもいた。そして悲劇は、文明がそれを可能にするほど進歩してしまっていたことから始まってしまったのさ。」
リヒトもまた悲し気な声でミーナの感想に応えた。
彼の表情もまた、何か忘れたい物に目を向けなければならないような、そんな沈痛な面持ちとなっていた。
「文明が喪われる以前、人類は大小様々な問題を抱えていた。どうにか解決しようと様々な試みが行われ、実際に成果が出始めたものもあったが、その歩みは遅かったと言わざるを得ない。また、試行錯誤の過程で新たな問題も発生した。その遅さ、或いは堂々巡りに、ある者は悲嘆に暮れ、ある者は激しく憤怒し、そしてある者は人類の愚を強く呪った……。」
リヒトの言葉に、シャチは何かを察したらしく舌打ちしてまた腕を組んだ。
「だから『都合の良い現在を手繰り寄せる。』という安易な方法に奔ったのか……。」
「けれどもそれは絶望から来る現実逃避だった……。それに、『都合の良い現在』を見つけ出すにはあまりにもその可能性は多岐に亘っていた。そこから望ましいものを絞り込むだけの技術はまだ、高度に発展したとはいえ当時の文明にすら無かった……。やり方も稚拙で、それによって多くの『時空の亀裂』が生じるという新たな問題にも繋がった。」
そして、続く言葉を紡ぐリヒトの表情に影が差した。
「だが最悪だったのは、それを試みる者達が必然に抱いていた負の意思、想念……、人類への落胆や憤怒、怨嗟、呪詛に『奴』が反応して手繰り寄せられてしまった事……。『もしもの現在』を探す試みは、命の在り方、自然界の摂理すら全く異なる形となっていた恐ろしい可能性をも探り当ててしまったんだ……。」
ミーナとシャチはリヒトが言わんとしていることを何となく察した。
事前に彼からこの世界に蔓延る物達の性質を、元々の自然界の摂理とは異なるものだと聞かされていたからだ。
「それが……壊物……?」
「その起源、発生は一つの個体から始まった。壊物は元々、『奴』の肉片だった。我々人類は『奴』と戦い、バラバラにすることで一旦は勝利したけれど、同時に制御不能なほど大量の壊物をこの世に蔓延らせるという大失敗を犯してしまった。」
「その『奴』とは……?」
シャチが皆気になっているであろう疑問を口にした。
それに対し、リヒトは静かに下を指差した。
「実は『奴』の体の根幹となる一部が、今もこの『古の都』の地下深くに眠っている。」
「何だと⁉」
シャチは思わず立ち上がった。
「そんなものを壊物に取り込まれでもしたら……!」
「おそらく、この前の髑髏の狙いはそれだろうね。そして、君達に頼みがある。」
リヒトはこれまで通り静かに、しかしこれまでとは比較にならない重さを纏った口調で四人に告げる。
「君達はこの『古の都』の地下遺跡を探索し、『奴』の一部が眠っている場所を探り当て、そしてそれを破壊して欲しい。これは並の人間には出来ない事だ。それが出来る冒険者を、『未来の導き手』を、私はずっと待っていた!」
リヒトがミーナやシャチを待っていた「理由」が今漸く明かされた。