Episode.22 青年達の邂逅
翌日、再びミーナとクニヒトは同じルールで勝負した。
やはりクニヒトは強く、九本目まではクニヒトに取られてしまった。
しかし、十本目を取られる前にミーナはクニヒトから一本取ることに成功した。
「はっはっは、驚いたな! まさかもう敗けてしまうとは!」
「でもやっぱりクニヒトは……いや、師匠は強い……ですよ。だってこれが本当の勝負だったら私もう十九回も負けて……ますから。」
ミーナは慣れない敬語で自らの現状に対する素直な心情を謙遜として吐露した。
ちょっと煽てられれば調子に乗る、そんな何処ぞの莫迦のような人間にはなりたくないと思っていた。
ミーナの眼は澄んでいる。
少しでも多くの事をクニヒトから学ぼうとしていた。
それを見てクニヒトは小さく笑い、こう持ち掛けてきた。
「良し、午後の稽古の終わり際、もう一つ勝負しよう。但し、今度はお前へのハンデは五本だ。五本とれば私の勝ち、その前に一本入れられればお前の勝ち。どうだ?」
「やる……! やります‼」
「よーし、ではまず昨日の続き、基本の稽古からだ!」
この日もミーナはクニヒトの下で大きく成長した。
そして、日の終わりの勝負ではまたしても四本までは取られたものの五本目は返してミーナの勝利に終わった。
ミーナは着実に強くなっていた。
***
時系列としてはミーナがクニヒトから五本目を返した次の日の朝の事だ。
シャチは地図を頼りに嘗ての「街」を散策していた。
ここはミーナがルカという青年に出会ったという地域だ。
「ミーナの奴の話では人間の死体に化けた壊物に襲われたとのことだが……。」
シャチは辺りに転がっている人間の死体に目を向ける。
成程、確かに壊物に殺された死体にしては不自然なほど綺麗な形で残されている。
と、そこで一つだけ様子が違う女の死体を彼は見つけた。
「何だ、これは……?」
彼は近寄って死体の様子、外傷を確かめようとする。
仮に壊物が化けていて襲い掛かって来ても彼は一蹴する自信があった。
しかし、どうやらこれは本物の人間の死体らしい。
「だが、明らかにこれは人間によって殺された死体だ。何度も殴られたような痕がある。壊物ならば一撃で仕留める筈……。」
しかも比較的新しい。
四・五日の間に殺されたとみていいだろう。
そんなことを考えていると、シャチは背後に何者かの気配を感じた。
足音から察する体重から考えて、壊物ではなく人間の男だ。
「何者だ?」
「それは此方の台詞だ! この辺りでお前の事は見たことが無い!」
シャチは振り返り、鉄パイプを持った男の姿を目に入れた。
その警戒心を隠そうともしない振舞い、目つきを彼は不快に感じた。
しかし、ここで彼は『古の都』の門でのやり取りを思い出した。
無用に喧嘩腰で接するより、最初は穏便に対話を試みてみよう。――シャチは不本意ながら怒りを呑み込んだ。
「ミーナという女を知っているか?」
シャチは努めて落ち着いた口調で相手の男に話しかけた。
彼の口から意外な名前が出た事に、男は驚いた様子で目を瞠っている。
「ミーナちゃん……?」
「その様子ではあいつが言っていた集団の一員らしいな。俺はシャチ。ここから少し離れた道中でミーナが倒れていたところを助けてやった者だ。今から言う症状に覚えがあったら今すぐその男の許へ案内しろ。ミーナの頼みだ、そいつも助けてやる。」
シャチの口にする言葉に男、ガイは動揺している。
この男こそはルカの仲間の一人で、彼をリーダーの座に推挙した男だ。
また、シャチの背後に死体となって横たわっている女、レナを殺した男でもある。
そして、今シャチが話した症状は確かにそのルカが二・三日前から伏している症状そのものだった。
「本当に……ルカを助けられるのか?」
「成程、間違いなさそうだな。安心しろ、その為に態々二日と半日も掛けてここまで後戻りしてやったんだ。」
ガイは少し迷ったようだが、すぐに踵を返した。
「わかった。お前を、いやアンタを信じよう。俺達のリーダーを頼む。」
シャチはガイの態度にほんの少しの嬉しさを感じた。
そうか、ちゃんと話せば解る人間には解るのか。――シャチの中で一つ、確かな何かが芽生えた瞬間だった。
**
建物へと案内されたシャチはガイや仲間達が見守る中、ルカの容態を確かめる。
「意識はあるようだな……。これなら問題ない。ミーナよりも軽いくらいだ。」
シャチの言葉を聞いたルカの仲間達から安堵の声が漏れる。
彼はルカに秘薬を水で飲ませた。
これでルカもミーナと同様助かるだろう。
「容態が落ち着くまで安静にしておいた方が良い。俺を案内してきた男、確かお前達のリーダーはこのルカだと言っていたな。ならば俺はこのルカが快復し次第お前達の今後について話し合いたい。」
「俺達の……今後……?」
「詳しい事は後からこいつに訊け。だがお前達にとって悪くない話だろう。それだけは保障する。」
シャチはリヒトの願い通り、彼らを『古の都』へ連れて行くことをルカに進言するつもりだ。
そして更に、彼はもう一つの提案をした。
「こいつの様子を看るのに何も俺が付きっ切りでいる必要は無いだろう。快復するまでの間、俺はこの辺りで見た壊物どもを鏖にしておいてやる。」
「なっ、アンタ一人でか⁉」
「お前達凡人共には及びも付かぬことだろうが、この俺ほどにもなると壊物など物の数では無いのだ。それに……。」
シャチは戦斧の柄を握る手に力を込めた。
「壊物どもの中でも特に、この辺りの輩のやり口には反吐が出る。」
シャチはどういうわけか、此処へ案内されるまでの間に見た「身内の死体に化ける壊物」にこれまでに無い嫌悪感を覚えていた。
今すぐにでも根絶やしにしてやりたいと、全身に力が漲ってくる。
彼は一人、建物から壊物狩りへと出かけて行った。
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人間の死体、それも見知った者に化けるという許し難い壊物の存在をミーナから聞いていたシャチは、実際にそれを目の当たりにして腸が煮え滾る思いを抱えていた。
元々壊物は見つけ次第根絶やしにしていた彼だが、それを一旦ルカの仲間と合流するまで捨て置いたのは、嘗ての同胞の姿をしたものを蹴散らされれば良い気分はしないだろうという配慮からだった。
リヒトの忠告通り、シャチの中に他人への気遣いが芽生えていた。
今、ルカの仲間達と合流し彼らに断った上でならば思う存分下衆な壊物どもを根切りに出来ると思っていた。
だが肝心の壊物達の様子に違和感を覚えてもいた。
「妙だ……。弱過ぎる……。元々壊物など物の数では無いが、こいつらには戦斧すら必要無い……。」
シャチはそう言うと掴んでいた人の死体に擬態した壊物の身体を両腕で引き千切った。
「これでは殆ど『食い滓』だ。ミーナや此処の連中の口振りからすると単なる取り込んだ遺伝子の搾り粕ではなく目的を持って生み出された壊物らしいが、通常の水準にすら達していない。こんなものを生み出して、一体何がしたいのだ……?」
シャチは不可解に思いながら壊物を狩り続ける。
この分では日が暮れるまでに全滅できそうだ。
**
壊物を全滅させてルカたちの隠れ処に戻ってきたシャチは、真直ぐ早足でルカの許へ歩み寄った。
既にルカの容態はある程度快復し、シャチの顔を見るや暢気なほど朗らかに謝意を述べた。
「君が僕やミーナを助けてくれたのか。ありがとう、礼を言うよ。」
「ああ、それよりも話がある。」
シャチはルカの前にリヒトから預かったもう一つの贈り物、義足を放り出した。
「何だ、これは?」
「ミーナが今身を寄せているところは旧文明の遺産を多く残しているらしくてな。これはその一つ、失くした脚の代わりになるものだ。」
ルカは恐る恐るその三つに分かれた脚の形をした何かを手に取った。
「薬が抜けん内はまだ着けん方が良い。一晩置いてから装着方法を教えてやる。」
「ありがとう……。しかし、何故君はそこまでしてくれるんだ?」
「ある男に頼まれてな……。そこでお前に話がある。」
シャチは周囲を見渡す。
ルカの周りに居るのは今の所ガイだけの様だ。
どうやらガイがルカの補佐役となっているらしい。
「ミーナの身柄を預かっているその男は多くの人手を欲している。明日その義足を付け、動かせるようになったら俺と共にそこまで来て欲しい。あいつがいる場所はこことは比べ物にならんほど豊かで、食うには全く困らんだろう。それがまずお前達にとって良い話だ。」
突然の進言にルカは少し考えたが、一つ気になることがあるらしくシャチに尋ねる。
「良い話、という事は悪い話もあるのか?」
「単純にその場所は遠い。俺とミーナの二人でもこの近くの遺跡から二日半ほど掛かった。この場所からだと二人で三日、これだけの人数で動くとなるともっと時間が掛かるだろう。まあ道中は俺が守ってやるから身の安全は保障するがな。」
シャチの答えに、ルカはどうすべきか考え込んだ。
ガイは彼に自分の意見を申し出る。
「俺は乗るべきじゃないと思う。確かに豊かな生活は魅力的だが、それだけ遠いと途中で強力なカイブツに襲われる危険も高い。確かにこの男は見るからに強そうで頼もしいが、子供たちもいる事を考えると……。」
ルカは答えを返さない。
ガイはシャチの方を向いて断ろうとする。
「アンタには感謝している。その男にも伝えておいて欲しい。だが、俺達はここで生きていきたい。」
「成程、それも一つの答えだ。それが結論ならば尊重する。だが、リーダーはお前じゃないんだろう?」
シャチはそう言うとルカの方へ目を遣った。
「側近の男はああ言っているが、お前はどう思っている?」
「僕は……。」
彼は迷っているようだった。
おそらく、個人の心情としてはミーナと同じくその大規模な集落に身を寄せたいのだろう。
だが、リーダーとして仲間を危険に曝すことには抵抗があるのだ。
「まあ今すぐに結論を出せとは言わん。どうせその義足が定着するまでは動けんのだ。明日装着し、麻酔が切れて動くようになるまでとして……明後日にまた話を聞こう。」
答えは一旦保留、という事になった。
***
翌日、『古の都』では稽古始めに恒例のミーナとクニヒトの勝負が行われた。
今回のハンデはクニヒトが三本取る間にミーナが一本取れば勝ち、という条件である。
この二日間で目覚ましい成長を遂げたミーナは、着実にクニヒトとの腕の差を縮めつつあった。
「ぬぅッ……⁉」
そして、今回も三本目をミーナが返した。
これでミーナは十本、五本、そして三本と三連勝である。
「驚いたな……! これ程成長が早いとは……!」
クニヒトはミーナの才能を称賛する。
しかし、このままではミーナを付け上がらせることになりかねない。
そう懸念したのか、クニヒトは一つ提案をした。
「ミーナ、稽古終わりにもうひと勝負だ。今度は対等の条件で、一本先に取った方が勝ち。」
「つまり、それに勝てば文句なく私の勝ちってことだね!」
「ああ。だが、覚悟しておけよ。次は流石に私も本気を出させて貰う。楽に行くとは思わぬことだ。」
クニヒトはそう告げると不敵に笑って見せた。
それは弟子に対するというよりは、対等の好敵手に向ける目であった。
しかし、その時何やら慌ただしく鐘の音が打ち鳴らされる音が駆け抜けていった。
すぐに、クニヒトの許へ何人かの男達が駆け付ける。
「何事だ?」
「壊物です! 将軍様、壊物が軍勢を率いてこの『古の都』を襲撃してきました!」
「何だと⁉」
ミーナは壁に立てかけていた妖刀を手に取った。
「ミーナ、逸るな‼」
クニヒトがミーナを一喝して制止する。
「将軍様、敵の壊物は何者かに統率されているようです。」
「莫迦な……! そんな知性が壊物にある筈は……‼」
自分の言葉にクニヒトは瞠目した。
ミーナから聞かされていた彼女を付け狙う仇敵に思い当たったからだ。
ミーナも敵の正体を察した。
「それって、もしかして巨大な骸骨?」
「はい! 奴はこう名乗っていました‼」
「『闇の不死賢者』‼」
ミーナは駆け付けた兵が告げる前にその名を出した。
クニヒトは険しい顔をして「弓」と「矢」と呼ばれる武器を用意した。
「ミーナはこの場に隠れていろ! 奴の狙いはお前だ‼」
クニヒトはそう釘を刺すと兵と共に道場を後にした。
久しく忘れていた脅威が今、ミーナを庇護する者達にその魔の手を向けようとしていた。




