Episode.20 未来の導き手
その後、ミーナは空間の裂け目についての話もある程度聞かされた。
だが、その内容を理解するにはミーナの知識では限界があった。
要約すると、空間の裂け目は正確に言えば『時空の亀裂』らしく、旧文明が末期に異なる歴史を歩んだ別の世界との交信を試みた副産物であるらしい。
そして、その試みは『時空の亀裂』以外にも多くの副産物を生み、旧文明滅亡の原因を作った。
その一つが、先程話した壊物の存在であると言う。
「一寸難しかったようだね。」
上の空の表情で、茫然と目の焦点が定まらないミーナの様子に、リヒトは苦笑いを浮かべながら反省の弁を述べた。
「一応、今の世界にある亀裂も最悪だった状態からは回復しているんだよ。旧文明も問題解決の為に何もしなかった訳でも、何の成果も得られなかった訳でもなかったんだ。ただ、それでも滅亡を止められなかった……。」
ふとミーナは思った。
リヒトはここまで、旧文明の事を概ね悪く言っていない。
それどころか、讃えているようにさえ聞こえる。
「リヒト、貴方は旧文明を蘇らせたいの……?」
「そうだよ。」
即答だった。
ミーナの両親について聴かれた時以上に早かったかもしれない。
それほど、彼はミーナのこの問いを待っていたし、隠すつもりも迷いも一切無いという事だろう。
彼は続ける。
「けれども、そう簡単にはいかない。その為には多くの課題がある。そして、それを克服することが出来るのは『未来の導き手』になる力を持つ者だけなんだ。残念ながら、私やクニヒトでは力不足でね……。」
兄の言葉に、隣に坐っている弟のクニヒトが顔を顰めた。
『クニヒト様という御方もかなり出来ると見えますがの……。米法で二米に達しようかという上背に、人並みを明らかに超えて練り上げられた筋肉……。それだけで充分に天稟をお持ちではないかと……。』
妖刀が感じたままクニヒトにフォローを入れる。
シャチもそうだが、クニヒトもまたこの時代の人間にしては極めて肉付きが良い。
リヒトと並ぶと大人と子供にも見紛う程だ。
「確かに、弟は類稀なる戦士だ。贔屓目を抜きにしてもそこに疑いを挟む余地は無いし、肉親の情を抜きにしても誰よりも信頼している。だけどその弟ですらまだ不足らしい。この世界には時折、常識を超えた力を持つ『天与の者』が存在する。御老人、貴方は重々承知の筈だと思うが……。」
リヒトの話を聞いている内に、ミーナは思い出した。
彼は、自分とシャチをずっと待っていたと言っていた。
二人は『未来の導き手』になる者だと。
「私が……その力を持つ者……?」
「確証はない、但し、希望はある、といったところかな。それを確かめる前に、ミーナ、君にも頼みたいことがあるんだ。」
リヒトは横目で弟のクニヒトに何やら合図を送っている。
兄の意図を察したらしく、クニヒトは小さく声を出して頷いた。
「私は構わない。」
「ありがとう。ミーナ、君はクニヒトに剣術の指南を受けて欲しい。今の君は、刀の御老人から色々教わってはいても手取り足取り指導する師匠はいないだろう? クニヒトから剣術の基礎を学び、君の才能を育てておいて欲しい。話の続きはシャチが帰って来てからにした方が良さそうだしね。」
『成程……。』
妖刀もリヒトの提案に納得するしかない様子だ。
確かに、クニヒトが「出来る」人物であり、武の基礎を修めているのなら、それをミーナが学ぶことで彼女は飛躍的に強くなれる筈だ。
「それは構わないけど……。でも、どうして?」
「予感があるんだ……。」
リヒトは鋭い眼光を宿して答える。
まるで何やら遠くで起きていることを見通すように、彼はその虹彩を金色に煌めかせていた。
「そう遠くない未来、何やら大きな戦いが始まる予感がある。壊物達に何か大きな変化が起こり、恐るべき脅威となって我々人類を本格的に滅ぼしにかかってくる、そんな予感が……。」
リヒトの眼光に、ミーナは思わず顔を顰めた。
正確には、その眼を見てある感覚を思い出して苦痛に顔を歪めたのだ。
ミーナは失くした左腕の付け根に痛みを感じていた。
「麻酔が切れて来たようだね。今日はまだ義手に慣れないだろう。けれども明日には痛みも引くと思うから、大丈夫そうならクニヒトの指導を受けて欲しい。駄目そうなら無理しなくて良いからね。」
「はい……。」
ミーナは痛みと共に、自分の左腕が戻ってきた感覚がした。
もしこの苦痛もなく、新しい左腕としてこの義手が使えるとしたら……。――ミーナはリヒトに感謝してもし切れない恩が出来た。
ミーナだけではない。
二・三日後にはシャチの手でルカにも秘薬と義足が届くだろう。
また、この『古の都』という大規模な集落まで案内して貰える。
「ありがとう、リヒト……。でも貴方、ちょっと好い人過ぎるような気がする。」
「そうでもないよ、多分ね……。」
リヒトは何やら含みを持たせるようにやんわりとミーナの疑惑に似た言葉を否定した。
「ではクニヒト、ミーナに寝室と、それから新しい衣服を用意してあげなさい。」
「承知した、兄者。」
クニヒトは立ち上がると、遥か上方からミーナに着いて来るように促した。
「ではミーナ、シャチが戻ってきたらまた色々お話しようね。」
「はい。本当にありがとう、リヒト。」
クニヒトに先導され、ミーナは部屋を出て行った。
彼に着いて行く中で、ミーナの手に戻った妖刀は何やらぼやいている。
『それにしても、ミーナよ。お前さん、少しくらい敬語や礼儀を覚えた方が良いかも知れんの……。ま、今までの育ちが育ち故、致し方ない事じゃが……。』
そして、彼は前方を行くクニヒトに非礼を謝る。
『ミーナの至らぬ点、兄宮様共々御気分を害されませんでしたでしょうか? 今後きちんと指導して参りますゆえ、何卒ご容赦を……。』
しかし、クニヒトからは何の反応も無かった。
ミーナは小さな声で妖刀に話しかける。
「聞こえないみたいよ。」
『むぅ、そのようじゃの……。』
リヒトと違い、クニヒトには妖刀の声は聞こえないらしい。
「ミーナよ、兄をどう思った? 聖人に見紛ったか?」
「え……?」
クニヒトから突然背中越しに問い掛けられ、ミーナは答えに窮した。
彼はどうして、兄に関してこの様な事を尋ねるのだろう。
「兄は捉え処の無い御方だ。私にも時折、あの方が解らなくなる。まるで実の兄とは信じられぬほど、途方もなく貴く遠い御方に思える時があるのだ。」
ミーナはクニヒトの言葉を意外に思った。
これまでのやり取りでは兄弟は正に以心伝心、完全に通じ合っている様に見えたからだ。
「とは言え、私も兄の事を誰よりも信じている。その兄から仰せつかったのだから、お前の事は明日より弟子と思いビシバシ鍛えていくつもりだ。お前の事を超一流の女剣士にしてやろうと思っている。」
ミーナはそんなクニヒトの言葉に一抹の不安を覚えた。
もしかすると明日からとんでもない目に遭わされるのではないか、そう思えてきた。
そんな彼女の心情を慮ってか、クニヒトは豪快な笑い声を挙げた。
「まあそう怖がらなくても良い。兄からは無理はさせるなとのお達しだ。理不尽や身の危険、無意味な扱きを与えるつもりは無いからそこは安心しておけ。ただ、決して温くはないとだけ言っておきたかった。」
この日から、ミーナはこの『古の都』で個室を与えられ、寝床の不安は解消されることとなった。
それは嘗ての隠れ処にいた時とは比べ物にならないほど快適な寝室だった。
寝具は柔らかく、まるで雲に包まれているかのように思える程だった。
しかし、同時に不穏な影がこの『古の都』に迫っていた。
忘れていた脅威を彼女に思い出させる為に……。