Episode.15 遺跡の青年
光を纏った青年リヒトはミーナに対して全てを見通すように小さく微笑みながら語り始めた。
『さてミーナ、本題の前に先ずは君にとって最も重要な事から話し始めるとしよう。そう、君のお友達の事だ。』
リヒトの静かな声が厳かに、しかし何処か心地良く部屋に響き渡る。
ミーナはすぐに彼が言おうとしていることの意味を察した。
「そうだルカ! リヒト、ルカを助ける薬はこの遺跡の何処に在るの?」
『まあ落ち着きなさい、ミーナ。彼の状態は君と違い当分は安定するだろう。今すぐに秘薬を飲ませなければならないような緊急の容体ではない。悪しき者が悪用した旧文明の威力の多くは君に降り掛かり、彼は然程の量は浴びていないんだよ。』
「でも……今は大丈夫でもこれからの事は判らない……という事?」
『そうだね。だから孰れは秘薬を彼に与える必要があるだろう。けれども、今君達が居る遺跡から何が何でも捜し出してその日の内に持ち帰って投与するほど急ぐべき話でもないんだよ。』
リヒトと話をしていると心が落ち着く。
ルカの事は心配いらないと言われてミーナの心に安堵が拡がっていた。
それが何処か気に入らないのか、シャチは二人の話に口を挟んできた。
「勿体ぶった話し方だな。さっさと言ったらどうだ? この遺跡には秘薬は無いと。」
『シャチ、相手の気持ちを考えないのは君の悪い癖だよ。いきなりそんなことを言われたら彼女もパニックに陥ってしまうだろう?』
リヒトに返す刀で咎められたシャチは小さく唸り口を閉じた。
どうやらシャチの言うように、この遺跡に秘薬が無いというのは事実なのだろう。
しかし、ここへ来る前にシャチがしたようにその事実だけを伝えてはミーナを徒に絶望させてしまう。
その非を突かれ、シャチはばつが悪そうに頭を掻いていた、
リヒトは再びミーナに語り始める。
『ミーナ、残念ながらシャチの言う通りなんだ。その遺跡に君を治した秘薬は保管されていない。けれどもそれは決して君にとって絶望を意味する訳ではない。まずはそれを知って、落ち着いて今から私がする話を聴きなさい。その中で秘薬を手に入れるにはどうすればいいか、それもちゃんと教えてあげよう。』
ミーナは小さく頷き、彼の言葉に耳を傾ける。
『良い娘だ。では私とシャチについて話そうか。私がシャチと会うのはこれで三度目になる。彼は旧文明が喪われた真実を求めて各地の遺跡を旅していた。いつも不正規の方法で遺跡に侵入していたから手痛い歓迎に遭っていたようだけどね。』
「よく言う……。抑も文明が滅びた今では正規の方法で入ること自体が不可能ではないか。」
シャチは他の遺跡でも今回のような危険な目に遭わされたようだ。
そして遺跡は本来そのような危険なものではないが、シャチは今回門を無理矢理抉じ開けたように良くない方法で中へ入っていたので、数々の罠に見舞われたらしい。
そう言えばこの部屋が開く前で鉄像が動き襲い掛かって来る時、何処からともなく聞こえてきた女の声も「侵入者」と二人の事を呼んでいた。
『だけど、そのお陰で私はシャチに会うのが毎度とても楽しみなんだよ。そしてもう一人、ミーナ、君と知り合いになれたのもとても嬉しい。そう、私は確信した。君達こそ、私が待ち望んだ未来への道を切り拓く者なのだと……。』
「未来……?」
ミーナはリヒトの言う事が良く解らず首を傾げた。
リヒトはそんなミーナに小さく頷き、そして両腕を拡げた。
『そう、我々人類が嘗て失った未来だ……。』
リヒトを中心に再び部屋が光に包まれていく。
そして光が収まった時、部屋の床と壁に何やら見たことも無い光景が映し出されていた。
ミーナとシャチ、そしてリヒトと彼の真下にある円筒形のオブジェだけを残し、まるで何処か全く別の世界に瞬間移動したかのように思えた。
「これは……何処……?」
「またこれか……。」
ミーナとシャチはそれぞれ違った反応を見せる。
どうやらシャチにとっては毎度お馴染みの事らしい。
『そう、シャチはもう知っているね? これは、我々が喪った旧文明がまだ栄えていた頃の営み、その一端を映すものだよ。』
ミーナは驚いて周囲を見渡す。
確かに、今ミーナ達が暮らしている世界は数々の建物にその面影を残してはいる。
だが、その暮らし振りは彼女にとって想像を絶するものだった。
聳え立つ高い建物は青い空を切り刻むように並び、集落いくつ分になるのか見当も付かない数の人々が色取り取りの個性的な服装を纏って行き交う。
そこには資源の乏しさも、そしてカイブツの脅威も一片とて見当たらない。
何より、ミーナが住む時代では当たり前に存在する空間の裂け目が一つも無い。
「これが……喪われた文明……。」
『そう……。今から百年以上前まで、人類は高度な文明を発達させ、そして人々は社会の中でその恩恵に与って生きていた。繁栄の最中では多くの過ちと犠牲を生み出したが、人類はその度に軌道を修正してより良い世界を築き上げてきた……。』
リヒトはまるで見てきたかのようにミーナに嘗ての世界の事を語る。
ミーナは映し出された文明の光景に唯々感嘆させられるばかりだった。
「みんな大きい……。」
『栄養状態が良いからね。安定した社会で、必要なだけ働きさえすればほぼ食べるものには困らない。災害やその他不測の災難にさえ見舞われなければ、ほぼ天寿を全うできる。』
「凄い……‼」
しかし、ミーナには同時に一つの疑問が沸き上がった。
「でも、滅んでしまった……。どうしてなの?」
「そうだ。俺もそれが知りたいのだ。」
シャチもミーナに同調する。
そして、リヒトが首を振ると共に景色は元の殺風景な部屋に戻った。
『残念ながらそれは簡単に説明できるようなことじゃない。だからこそ、私は君の事を導いてきたんだよ、シャチ。』
「だったら……!」
シャチは苛立ちに顔を顰め、そして戦斧を持っていない左手を大袈裟に振るって感情を露わにした。
「だったらいい加減、最終的に何処へ行けばいいのか教えろ‼ 俺は一体何処へ行けばいいんだ‼ 何処へ行けば貴様のいる『古の都』とやらに辿り着けるんだ‼」
『うん、そうだね。そろそろ良いかも知れないね。でも、勘違いして欲しくないのだけれど私は別に勿体付けていた訳ではないんだよ。寧ろ遺跡を目印にして私の居る古の都まで案内していたんだ。そして、おめでとうシャチ。そこまで来れば、もうそう遠くはないよ。』
シャチはリヒトの言葉に腰に左手を当てて踏ん反り返る。
リヒトは再びミーナの方に視線を向けた。
『さて、ミーナ。シャチにも言ったけれど君達が今居る遺跡はもう私がいる古の都まで目と鼻の先だ。恐らくは二・三日も歩けば辿り着けるだろう。そして、私の所まで来てくれれば君達が必要とする全てのものを用意できる。』
「私達が必要とする、全て……。」
ミーナはリヒトの意図することを察した。
「私にも貴方の居る『古の都』まで来て欲しいってこと? でも、貴方は今ここにいるんじゃないの?」
『これは遺跡のプログラム映像だよ。本物の、命ある私ではないんだ。私は君達を、未来への導き手となり得る君達を自らのこの眼で視てみたい。』
「そう……。つまり本物のリヒトに会いに行けば、私に必要なものをくれるってこと? この遺跡には無いという秘薬を……。」
『それだけじゃない。君の無くした左腕の代わりや、お友達の右脚の代わり。そして、君に必要な安住の地も与えてあげられる。君の宿敵から匿うのに十分な力が私の居るところにはあるからね。』
リヒトは再びシャチの方に顔を向けた。
『シャチ、その時こそ君に、私の知る全ての真実を伝えよう。』
「良いだろう。いつものやつを寄越せ。」
シャチの差し出す手に、リヒトは自身の手を重ねた。
すると二人の手の間に一枚の大きな紙が現れた。
『そこに書かれているのは今君達が居る場所から私が居る古の都への地図だ。一先ず今日はもう遅いから、一晩そこで明かして明日から旅立つと良い。』
シャチは地図を折り畳むと懐の中に仕舞い込んだ。
その様子をリヒトは嬉しそうに微笑みながら見届け、そして目を閉じた。
『ではシャチ、そしてミーナ、君達にまた会えるのを楽しみにしているよ。君達の行く道に幸多き事を、難無き事を祈って待っているからね……。』
そう最後に告げ、リヒトの姿はゆっくりとフェードアウトしていった。
同時に円形の部屋も元の殺風景な雰囲気に戻った。
「シャチ。」
ミーナはシャチに語り掛ける。
自らの決意を伝える必要があった。
「私、貴方に着いて行くから。」
「好きにしろ。足手纏いにさえならなければ何の問題もない。お前は役に立つし、お前や妖刀爺には個人的に興味もあるからな。」
こうして、ミーナは次の目的地をリヒトの待つ『古の都』に決め、シャチと道中を共にすることとなった。
リヒトの言う通り二人は遺跡の中で一晩明かし、そして翌日旅立つことで合意したのだった。