Episode.10 それぞれのけじめ
帰りの道すがら、ミーナは妖刀に次のように言われていた。
『ルカに言っておけ。伏せるべき真実は伏せるべきだが、伝えるべき真実は伝えるように、とな。』
ミーナは妖刀の言葉の意味は良く解らなかったので一先ずそれを胸に仕舞い込んだ。
そしてルカに肩を貸しつつ早朝の廃墟を歩き、彼が元居た建物を目指した。
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二人が戻った頃には丁度太陽が南中に差し掛かっていた。
右足を失ったルカと、左腕を失った上彼に肩を貸して戻ってきたミーナに、彼の仲間たちが次々と駆け寄る。
後方では彼らのリーダーを務める女、レナが顔を蒼くしていた。
そして、ルカの口から「『闇の不死賢者』を撃退した。」との報が彼らに齎された。
当然、最初は皆信じられないという様子で目を丸くしていた。
しかし、二人がこれほどの大傷を負って尚帰って来られたという事実がルカの言葉に説得力を持たせ、彼の仲間達を次第に歓喜が包み込んでいった。
正確には『闇の不死賢者』は逃亡したのであるが、言葉を濁したのは偏にこの後の展開でルカまで見棄てられるのを避けるためである。
「じゃあ私、行くから。」
ミーナは素っ気なくそう告げた。
恐るべき敵に付け狙われることになった彼女は彼らと一緒には居られない。
事情を知らない仲間達は元より、真実を知るルカもまた彼女が一人になるのは危険だからと引き留めようとする。
「みんなの気持ちは嬉しい。でも、私って結構疫病神だよ? 危険だと知りながら、冒険心を抑えきれないの。今回は偶々『闇の不死賢者』をやっつけるというみんなの為の結果になったけど、屹度いつかは元居た場所の様に破滅を齎してしまう……。そうなったら耐えられないよ……。」
ミーナの言葉は丸っきり口から出まかせという訳ではない。
実際、彼女はこれからも失くした左腕の事など気にも留めずに冒険に出かけるだろう。
そしてそんな自分は、言葉は悪いがこの規模の集団では持て余してしまうだろうと考えていた。
彼らは『闇の不死賢者』の被害により今や十数人規模にまで数を減らしており、この上で更に片足を失ったルカの面倒まで見なくてはならないのだ。
「私への優しさはどうかルカに全部向けて欲しい。彼が居なければ『闇の不死賢者』との戦いに勝つことは出来なかったから……。」
ミーナはこの集団が生き延びることが出来るのはルカの働き、その大恩あってのことだと明言した。
彼女は人間の集団というものが時に所属する者に対して極端に身勝手な理屈を押し付けてしまう事をその身をもって知っていた。
状況によっては一人で歩けないルカを見棄てるのではないかという事を危惧していたのだ。
「ま、相手が生贄だと思って油断していたのも大きいと思うけどね……。」
そんなミーナ心配を余所に、ルカは暢気に謙遜の言葉を吐いていた。
彼を肩に背負ったまま、「余計な事は言わなくて良いのに。」とほんの少し苛立ちを覚え、彼女は小さく溜息を吐いた。
しかし、そんなルカの言葉に小さく震えた人物がいた。
先程から後方で顔を蒼くしている彼らの女性リーダー、レナである。
その様子を見てか、妖刀は感心したように呟く。
『ミーナよ。そのルカという青年、戦いの中で敵の強がりを見抜いた時といい中々洞察力に優れておるようじゃ。伝えるべき真実というものも、きちんと弁えていると見える。どうやら心配は要らんな。』
ミーナには最初、妖刀の言葉の意味がよく解らなかった。
しかし、ルカの仲間の男達が彼の言葉に違和感を持ったことで状況が変わる。
「ちょっと待て、ルカ。『生贄』って何のことだ?」
男の一人がルカに問い掛ける。
後方のレナがまたびくりと跳ねた。
そんな彼女の方へ目を遣り、ルカは少し言い出し辛そうに答える。
「どうやら『闇の不死賢者』は僕達が自分を斃しに来るという事を見越していたらしい。戦いの中で何度かそんなことを溢していた。僕達は誰かが自分に差し出した『実験動物』だと……。」
ルカの言葉で、ミーナもまた思い出した。
戦いに夢中だった彼女が気にも留めていなかったことを、ルカは確りと覚えていた。
後方のレナは今やガチガチと奥歯を鳴らしながら小刻みに震えている。
そんな彼女の姿を見つつ、ルカは冷たく、静かに断言した。
「いや、確かに奴ははっきりとこう言っていたな。『あの女』だと……。」
ルカの言葉に男達は目の色を変えた。
「おい、どういうことだ⁉ お前、何を言っている⁉」
「さあ、詳しい事は今となっては分からない。でも、僕達は最初、みんなして『闇の不死賢者』と戦うつもりだった。リーダーの、レナさんの方針でね。もし、もし仮に、戦いの計画が奴に筒抜けだったとしたら? そして、僕たち全員を『実験動物』として差し出す代わりに自分だけ助命を取り付けたのだとしたら?」
そう、必然的にレナに白羽の矢が立つ。
レナは必死に首を振っている。
「待って……‼ 違う‼ ルカは屹度何か勘違いをしているんだ‼」
そんなリーダーの窮状を見て、ルカはミーナに問い掛ける。
「ミーナ、君も『闇の不死賢者』がそう言っていたのを聞いたよな?」
ミーナは言われて初めて思い出したものの、確かにルカの言葉が真実だという記憶があった。
しかし彼女はそれを言うべきかどうか躊躇いを覚えていた。
そこに、妖刀が冷徹に帰りの道中で彼女に言った言葉を繰り返す。
『ミーナ、伏せるべき真実は伏せ、伝えるべき真実は伝えなくてはならん。』
どうやら妖刀もルカと同じ意見の様だ。
そして彼は、その真実を伝えるべきだと言っている。
『正直に答えるのが彼らの為じゃ。』
ミーナは考える。
本当にそれでいいのだろうか。
真実の伝達を恣意的に操作して、本当に禍根を残さないだろうか。
しかし、今やルカの言葉で男達は疑心暗鬼に陥っている。
そんな状況で手を拱いているミーナを見かね、妖刀は答えを急かす。
『お前さん、ルカを嘘吐きにしたいのか? この状況でお前さんが答えあぐねる事が何を意味すると思う?』
うん、解っている。――彼女はそう念じて頷いた。
しかしもう一つ、彼女には一つの決断があった。
「うん、ルカの言う通りだよ。確かに、『闇の不死賢者』はそう言っていた。」
やはりルカを嘘吐きにはさせられない。
そうなると、ルカは彼等に見棄てられてしまう。
そう思っての回答だった。
ミーナの肯定によってレナに掛けられた疑惑は確信に変わり、男達は彼女に迫る。
しかしそんな彼らに、ミーナは大声で呼び掛けた。
「でももう一つ‼ 私、ルカにも黙っていたことがあるの‼」
ミーナの言葉にルカもぎょっとした様子で瞠目する。
男達も、一体彼女が何を言うつもりなのかと少女の方を振り向いた。
結論から言うと、ミーナは完全に真実を話すわけではない。
ルカを悪者にしない為にも、一つだけ嘘を吐くことになる。
だがそれは、大事なもう一つの真実を伝える為の方便である。
「私達は『闇の不死賢者』を斃した、そう思っていた。でも私にだけ、微かな声が聞こえたの。ルカの方には興味は無いけれど、私のことは必ず自分のものにするって……。そう、私、みんなを不安にしたくなくて、『闇の不死賢者』が実は逃げていたことをルカにも黙っていました。ごめんなさい……。」
ミーナは妖刀が「伏せるべき」であるとした「『闇の不死賢者』逃亡の真実」もまた伝える事にしたのだ。
その上で、敵の狙いが自分だけであることを明言し、かつルカも知らなかったことにして彼に批難が向かないようにした。
「ミーナ……。」
ルカは彼女の名を呟き、それ以上の言葉は紡げなかったらしい。
ミーナが意図することは、彼自身が一番良く解っていたのだろう。
『全く、お前さんという奴は……。どうなるか分からんぞ?』
妖刀も呆れ返った語調で小言を呟くに留まった。
そして、この状況で男達がどう反応するのか、そこにミーナの思惑の行方は委ねられた。
「整理しよう。」
男の一人が語り始めた。
「ルカが『闇の不死賢者』から聞いた話はミーナちゃんの裏付けもあり、恐らくは真実。レナはリーダーの身でありながら我が身可愛さに俺達を『闇の不死賢者』に売った。これはまず間違い無い。」
「なっ……‼ 違っ……‼」
「黙ってろレナ‼」
反論しようとしたレナだったが、男の一人に凄まれて言葉を詰まらせた。
「そして、ミーナちゃんは『闇の不死賢者』を逃したことを一人知りながら、ルカにさえそれを黙っていた。幸いな事に、『闇の不死賢者』の狙いはミーナちゃんだけ。そしてミーナちゃんはそれを伏せたまま俺達の厄介にはならずに出て行こうとした。これは、俺達に危害が向かないように、だな?」
「うん……。」
ミーナの答えを訊いた男は小さく頷き、ルカの手から鉄パイプを取り上げた。
「つまりここを去るべきは二人。裏切り者のレナと、疫病神になってしまうミーナちゃんだ。」
「うん。だから今すぐにでもここを出ていきます。レナさんと一緒に。」
「いや、それは駄目だ。」
男はレナの元に鉄パイプを引き摺りながら迫る。
レナは悲鳴を上げて逃げようとするも、脚を縺れさせて転倒してしまっていた。
「こいつを生かしておいたら逆恨みで何をされるか分からん。こいつは今殺しておく。」
「待っ……‼」
ミーナの制止を待たず、男は鉄パイプをレナの脳天目掛けて降り下ろした。
何度も、何度も、彼女の頭から嫌な音が響いた。
「そんな……。何も……殺さなくても……。」
『何を言うか……。』
戸惑うミーナに、妖刀はいつに無く冷たい声で言い放つ。
『何時の世もそうじゃ。我が身可愛さに共同体を売り渡すような輩は悉く死ぬべきじゃろう。人間という生き物は集団で知恵を出し合い、協力し合うことが最大の強みであり、逆にそうしなければ生き残れない種なのじゃ。故に、『闇の不死賢者』に尻尾を振ったあの阿婆擦れ女は殺されて当然。』
ミーナは初めて妖刀の過激な一面に触れて軽い恐怖を覚えた。
しかしそこには彼自身の経験から来るような、奇妙な含蓄も感じられる。
妖刀は基本的に優しいお爺ちゃんである、ミーナは今もそう思っている。
しかし、この冷徹さもまた紛れも無い彼の一側面なのだと納得せざるを得なかった。
いや、それにしても妖刀からはレナに対する強い嫌悪を感じる。
『ああいう手合いはの、自分の事を合理的に他人を出し抜いて利を取れる聡い人間だと思っとる。じゃが、考えてもみい。抑も、闇の不死賢者があの女をいつまでも生かし続けると思うか? 何故、長年苦楽を共にした仲間よりも害意を持った敵の甘い言葉を信用する? 遅かれ早かれ、あの女はああなる運命じゃった。そう、これも何時の世でも同じじゃが、共同体を売る行為は共同体に尽くす行為よりも遥かに愚かな選択なのじゃ。ミーナも努々忘れるな。あの女の、当然の末路を確りその目に焼き付けておけ。』
ミーナは察する。
おそらく、妖刀は過去に誰かの「共同体を売る行為」によって苦い経験をしたのだ。
それか若しくは、「共同体に尽くす行為」に強い拘りがあるが故に、逆の行為を唾棄する。
「よし、後で死体はどこか遠くへ捨てに行こう。」
「折角だから、例の遺跡にするか?」
「そりゃいい、と言いたいところだが、『闇の不死賢者』が残っていないとも限らんし、少なくともカイブツはいる。危険だ。」
男達はミーナを尻目に恐ろしい相談事をしていた。
なので彼らがミーナとルカの方を向いた時、彼女は一瞬体を強張らせた。
「ミーナちゃん、さっきも言った通り、残念ながら君のことはここに置いて行けない。だが、君は『闇の不死賢者』を追い払った恩人でもある。だから旅に必要なものは遠慮無く持って行ってくれ。それから……。」
男はルカのもう片方の肩を担ぎ、その身柄をミーナから受け継いだ。
「今後、俺達のリーダーはルカ、お前がやってくれ。」
「え?」
意外な言葉に、ルカは目を丸くしていた。
「ガイさん、さっきからこの場を取り仕切っている貴方の方が向いているのでは?」
ルカの疑問は尤もだが、ガイという男は首を振った。
「理由が理由とはいえ、前のリーダーを殺した人間が上に立つのは気が退ける。みんないつか、怖がるようになる。だから、英雄の一人であるお前がやるんだ。この中で一番若いとはいえ、資質は充分だと思っている。」
こうして、この数人の取りまとめ役はルカが引き継ぐことになった。
ミーナはガイという男の厚意に甘え、建物の中で必要なものを荷袋に目一杯詰め込んだ。
「じゃあ皆さん、私は行きますね。一杯ものをくれてありがとう。」
「ミーナ、くれぐれも無事で……。」
「ルカも、元気でね。」
ミーナは彼らと別れの挨拶を交わし、建物を後にした。