Episode.9 痛み分け
ミーナとルカの行く手を阻んだ瓦礫は何とかやり過ごせた。
落下の衝撃で罅が入り、崩れ落ちたのだ。
しかし、それが二人にとって最悪だった。
と言うのは、細かく砕けた瓦礫がミーナの左腕を挟んでしまったのだ。
「うううぅッッ‼」
ミーナは痛みに呻き、そしてどうにか引き抜こうと藻掻いた。
だがどうやら瓦礫は左腕を折って挟み潰してしまったようで、まるで抜ける気配がない。
「ルカ‼ 腕が挟まれて動けなくなっちゃった! 早く助けて‼」
ミーナはルカに助けを求めた。
しかし、彼の弱々しい返事が彼女を絶望に突き落とす。
「ごめんよ……。僕の方も動けないんだ。右足を潰されてしまってね……。」
嗚呼、どうしよう……。――ミーナは途方に暮れた。
二人とも動けないのでは、第三者の助けを待つしかないのか。
だがここは元々カイブツ達の巣窟である。
もたもたしていると、この状況で襲われてはひとたまりも無い。
『ミーナよ……。』
妖刀の語り掛ける声は断腸の念を多分に忍ばせた普段よりもいっそう渋い声だった。
それほどの重い決断を彼女に迫ろうとしていた。
『ミーナよ、こうなったら已むを得ん……。このような事を強いたくはないが、背に腹は代えられん……。是非に及ばずというものじゃ……。』
しかし、妖刀の話が終わる前にミーナは行動を起こしていた。
鮮血が飛び散り、ミーナは瓦礫の狭間から解放された。
『な、何をやっとるんじゃあアアッッ‼』
ミーナはただでさえ透き通るような白い肌を青白くして自らの左腕が付いていた部位、斬り落とした二の腕を茫然と見つめていた。
そして小さく微笑み、強がってみせる。
「妖刀さんはやっぱりお爺ちゃんだね、話が長いもん……。」
『確かにそう言おうとした‼ じゃが、流石に言い難いじゃろ、そりゃ‼ 自分の腕を斬り落とせなどと‼』
ミーナという少女の持つ最大の強み、それはこの土壇場での判断力、そして実行に移す胆力である。
妖刀もそれは重々承知の上ではあったが、それでもまだまだ彼女の事を甘く見ていたのだ。
『持ち物の中に変えの身包みがあったな! あれを儂の言う通りに巻いて止血せい!』
ミーナはふらつきながら背の鞄の中から替えの服を取り出し、その絹を裂いた。
そして妖刀の指示に従い、左肩から二の腕をきつく縛って止血した。
『全く……下手すりゃお前さん失血死するところだぞ……。』
「でも、もたもたしていられないと思って……。」
尤も、妖刀もそうせざるを得ないとは思っていた。
そして、状況から察するに共に来た仲間も同じであろうと。
ミーナは妖刀を鞘に納め、背負った荷袋の下、腰の辺りに括り付けた。
そして瓦礫を攀じ登り、反対側で待つルカの元へと向かった。
『ミーナよ、恐らくは彼も右脚を切断せねばならんじゃろう。そして、脚の切断はともすれば腕よりも遥かに危険じゃ。くれぐれも儂の言うことをよく聴いて実行に移せ。良いな?』
「うん……。」
瓦礫の頂上にどうにか辿り着いたミーナは辺りを見回し、ルカを探す。
『ミーナよ、お前さんの決断力は大いなる長所であるが、その類稀なる故に時に他人を置き去りにする。ルカには充分説明するんじゃぞ?』
「分かってるよ、もう……。」
ミーナは妖刀の小言に若干の鬱陶しさを感じつつ、発見したルカの元へと瓦礫を駆け下りて行った。
幸いな事に反対側は瓦礫の重なりがなだらかで、手を使わずに容易に上り下りが出来る。
「ルカ‼」
「み、ミーナっ……‼」
ルカは左腕を失ったミーナの姿を見て絶句した。
そして瓦礫に挟まった自身の右脛に目を遣り、嫌な想像をしたのか顔を蒼くしていた。
尤も、その想像は十中八九の最悪には現実となるものなのだが。
「ルカ! 瓦礫を退かせないか試してみるね!」
ミーナは納められた妖刀を梃子代わりにしてルカの右脚に圧し掛かっている瓦礫を退かそうとするが、全体重をかけてもビクともしない。
そんな彼女の様子を見て、ルカは小さく溜息を吐いて彼女に微笑みかけた。
「ミーナ、気持ちは嬉しいがどの道この右脚は使い物にならないよ。だったら、僕も男だ。女の子の足手纏いになるくらいなら、一層カイブツの餌になる覚悟は出来ている。だから、僕のことは置いて行ってくれ。」
自らの運命を受け容れ、悟ったように穏やかな口調でミーナに語り掛けるルカだったが、どうやらミーナは彼の言う事をあまり聴いていなかった。
丁度自分の左腕と同じように彼の腿から膝に掛けて身包みから切り取った絹を巻いて圧迫していく。
「こんなもので良いかな?」
『うむ、充分じゃろう。』
ミーナは妖刀の答えを確認すると、ルカの眼を見て言葉を掛ける。
「ルカ、ごめんね。今からルカの右脚、斬っちゃうから。覚悟を決めるのはそっちの方にして。」
「え? ちょっ、え⁉」
困惑した様子のルカだが、ミーナは構わず腰に括り付けた鞘から刀を抜き、右腕を振り被る。
「凄く痛いから歯を食い縛って‼」
「ヒッッ……‼ 待っ……‼」
ミーナの長所は問答無用の断行力である。
彼女と同じく瓦礫の山から解放されたルカは右膝から血を滴らせながら悶絶躄地する他無かった。
「うぐぅぅッッ‼」
涙目になりながら、それでもどうにか堪えているのは目の前にいる少女が同じような状況でケロリとしている姿を見せていることから来る意地だろう。
成程、自分も男だと言うだけの根性を彼は見せていた。
そんな彼に、刀を鞘に納めたミーナは右手を差し出す。
「ほら、肩貸したげる。」
「あ、ああ……。」
ルカはミーナの手を取った。
彼の眼には彼女の透き通るような白い肌、日の出の光を浴びて艶やかに光り輝く長い銀髪、そしてそれらを映えさせる美しい横顔と深紅の宝石の様な眼はどの様に見えているのだろう。
ひょっとするとそれはある種の気後れするような異様さを纏っているのではないか。
それとも、その余りの逞しさは単純に頼りになるのだろうか。
ともあれ二人にとって何より幸いだったのは、先に述べたようにルカの側から瓦礫の山に登るのは容易かったことだ。
勿論、片足を失ったルカを背負いながら登るのはそれでも苦労したが、攀じ登る破目にならなかったのは不幸中の幸いである。
そして、『闇の不死賢者』が遺跡を崩壊させたお陰で瓦礫を登った先から飛び移れる距離に地表が顔を覗かせていたことだ。
勿論ルカには不可能なので、ミーナが先に飛び移って右手を差し出し、彼は両手でその手を取って左足で踏ん張って彼女に体を預ける必要があった。
少女の細腕には極めて困難な作業だったが、腕が千切れそうになるのを堪えながらどうにかミーナはルカの手が地表の床を掴むまで耐え切った。
そこから先、ルカはミーナからもう片方の手も放し地表へ両腕を使って攀じ登る。
二人の必死の努力が実り、どうにか崩壊した地下から無事地上に戻って来ることが出来た。
朝日が二人の頑張りを褒め称えるように眩く照らしていた。
とその時、何処からともなく憎たらしいあの声が、『闇の不死賢者』の声が響いてきた。
『生き延びたか……。何処までも小癪、目障りな下等生物どもだ……。だが、小娘……。我は貴様の尋常ならざる才気と肉体に興味を持ったぞ。貴様の肉体を奪えば、さぞ我に大いなる力を齎すだろう。男の方は単なる凡夫だがな……。覚えていろ、小娘。今回は引き下がるが、孰れ必ず、必ず貴様を我の物としてくれる……。その時まで精々、束の間の平穏を楽しんでおくが良い……。忘れるな、我は必ず貴様を手に入れるからなァッ……。ふふふ、ファハハハハハハァーッッ……‼』
この地域の人間を苦しめ、二人に回復不能の大傷を残した『闇の不死賢者』の捨て台詞と高笑いは何処までも不気味に響き、遠くへ掻き消えていった。
「良かった……。」
ミーナは小さく呟いた。
ルカはそんな彼女の意図を量りかねるといった様子で瞠目していた。
「ミーナ、それはどういう……。」
「だって『闇の不死賢者』の興味がこの辺りの人達から私に移ったのなら、みんなは一先ず助かるって事じゃない。この戦いの目的は果たされた。」
「でも、君は狙われて……。」
「大丈夫、私は敗けないから。ま、ルカの仲間達のお世話になれないは残念だけどね……。」
彼女は何処までも逞しかった。
その真紅の眼には一点の曇りもない。
『ミーナよ、お前さんは儂の想像を超えるのが好きなようじゃの……。良くも悪くもじゃが……。』
ミーナの腰に備えられた妖刀はしみじみとした語り口で自身の持ち主の器量への感心を述べた。
その想像を超える少女はルカに肩を貸し、彼を送り届けるべく二人の失踪に気が気でないであろう彼の仲間の元へと揚々とした足取りで戻って行く。
そしてこれは、ミーナと『闇の不死賢者』の永い永い因縁と生き残りを賭けた戦いの始まりであった。