ドキドキ★文化祭パニック(2)
危ない危ない、自称・従姉妹様にうっかりときめくところだった。あの〈夢〉が本当だとしたら、彼女は得体の知れない未来人だ。そうでなくても、ひとつ屋根の下で兄妹(姉弟?)同然に暮らしている相手である。しかも、凶暴極まりない。そんな相手にときめくのはいけないというか終わっている気がするし、そもそも今までだって「可愛いとは思うけれど、ちょっとそれは違う気がする」と思っていたはずだ。ここはひとつ、眼鏡女子に感謝せねばなるまい。――舞菜のクラスからかなり離れたところまでやってくると、俺はフウと安堵の息をついた。
さて、どうしたものか……。――俺はキョロキョロと辺りを見回すと、上階に上がって上級生の出し物を見て回るか、それとも下階に降りて中庭へと抜け、PTAや近隣の方々、OBなどが有志で出している出店を見て回ろうか悩んだ。そして「少し落ち着きたいな」とも思ったので、人通りの少ないルートを通って下階に降りることに決めた。
階段を降り人通りのない廊下を歩いていると、前方から大荷物を抱えた女子生徒が歩いてきた。フラフラと蛇行して歩いていた彼女は俺の手前までやってくると、何もないところで蹴躓いて倒れた。思わず、俺は駆け寄って手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
「ごめんなさい。ちょっと、寝不足で……。――痛っ!」
俺の手を借りて立ち上がろうとした彼女は足でもくじいたのか、しょぼしょぼとしていた目を苦痛そうにギュッと閉じた。俺は「保健室に行きましょう」と声をかけると、彼女の腕を取って自分の首に引っ掛けた。そして、腰に腕を回して力任せに彼女を立ち上がらせた。
「ごめんなさい、ありがとう。――あなた、見ない顔ね。もしかして、一年生?」
少しだけ自力で立っていてもらい、彼女が運んでいた荷物を拾い上げていると、彼女が長い黒髪を耳にかけるように掻き上げてふわりと美しく笑った。
文化祭に求めていた〈素敵な上級生との出会い〉を意図せずして達成したらしいことに、俺の心は飛び跳ねた。声が上ずるのを隠しきれずに「そうです」と返すと、先輩はおかしそうに小さくフフと漏らした。
先輩は美術部だそうで、あの大きな荷物は画板を数枚まとめたものなのだとか。美術部では作品展示の他に、外でお絵かき教室的なイベントもやっているそうだ。この廊下を歩いていたのは、用意しておいた枚数では少し足りなかったため、追加分を部室に取りに行き、戻ろうとしていたところだったためだという。今朝まで徹夜で自分の作品にかかりきりだったとのことなので、眠たい状態で大きなものを抱えたがために足取りがおぼつかなくなってしまい転んだのだろう。
保健室にたどり着くまでの間、先輩はぽつぽつと話をしながら夢うつつと言わんばかりにカックンカックン船を漕いでいた。そんな状態でイベント会場に戻すのも危なっかしいので、俺は先輩の代わりに画板を運んでおくと申し出た。
「さすがにヤバイですよ、その状態で戻るのは。少し寝たほうがいいです。――あれ? 嘉手納先生、いないなあ。とりあえず、ベッド空いてるみたいですから、借りちゃいましょう」
ちょうど保健の嘉手納先生は校内見回り中で、保健室内には誰もいなかった。仕方がないので先輩を勝手にベッドに座らせて、俺は湿布薬がどこにあるのかと物色を始めた。やっぱマズイかな、あとで報告しとけば問題ないよな、などと呟きながら、棚を眺め冷蔵庫を開けてみる。すると、冷蔵庫に目当ての品を発見することができた。
俺は冷蔵庫から湿布を一枚拝借すると、先輩のもとに戻った。
「湿布、ありましたよ。とりあえず貼っておいて、あとでちゃんと先生に見てもらいましょ、う……?」
先輩と視線を合わせるように少しだけかがむと、先輩がおもむろに俺の胸ぐらを掴んできた。俺の語尾は当然ながらどこかへと飛んでいったし、俺は湿布を掲げたまま目を白黒とさせざるを得なかった。先輩はにっこりとほほ笑むと、俺の胸ぐらを掴んだままゆっくりと口を開いた。
「私、寝るときは抱きまくらがないと眠れないのよ。――だから、ねえ、一緒に寝ましょう!」
先輩は力任せに、掴んだシャツを斜め下方に引っ張った。今にも寝落ちしそうな人が出せるようなものではない、すごい力だった。俺はバランスを崩して座っている先輩の横に倒れ込みそうになったのだが、すんでのところで踏ん張った……はずだった。踏ん張ったところでグンと何かに引っ張られるような、まるでジェットコースターが落ちていくときのようなあの感じがあって、俺の上半身はあっさりとベッドに沈んだ。
「え!? は!? 何これ!? 起き上がれねえ!」
「ベッドで騒がしくするだなんて、駄目よ。そんなんじゃあ、女の子に嫌われちゃうぞ?」
先輩は立ち上がると、何かしらに体を押さえつけられ続けてベッドに適度にめり込んでいる俺の足をひょいとすくった。本当に軽くすくわれただけなのに、俺はいとも簡単に全身をベッドの上に投げ出されて仰天の声を上げた。
ぎゃあぎゃあと騒いではいるものの、体は微動だに動かせない。半ばパニックになって、俺は一層声を張り上げた。すると不服そうに眉根を寄せて「うるさいなあ」と呟きながら、先輩が俺の上に馬乗りになった。
「あまり騒がないでよ。別に悪いことしようとしてるわけじゃあないんだから」
「いや、同意を得ずにそういうことをするのは、絶対的に悪いことですよね? しかも学校でだなんて、許されないことですよね!? ていうか、マジで何で動けないんだ! どうなってるんだ、えええ!?」
「本当に、まったくどうなっているんだ。先生は、貴様らに不純異性交遊を推奨するために保健室を空けたわけではないんだがな」
突如ハスキーな女性の声がして、俺のベルトに手をかけて外そうとしていた先輩は勢い良く振り返った。俺も動かない首を必死に動かして、何とか先輩の背後に視線を向けた。すると、そこには深い藍色のショートと白衣がよく似合う、褐色肌のグラマラスな女性が腕組みをして仁王立ちしていた。――保健医の嘉手納先生だ。
先輩が先生へと手を勢い良く突き出すと、先生はその場でバランスを崩して後方へと仰け反った。そのまま先生は数秒ほど固まっていたのだが、ギ、ギ、と音が聞こえてきそうなほど不自然に体を小さく揺れ動かした。その後すぐに滑らかな動きを取り戻した先生は、仰け反っていた体を完全に起こした。
「貴様の超能力はその程度か。生ぬるいな」
先輩は間髪入れずにスカートの中に隠し持っていたナイフに手をかけて、先生に向かって突進していった。先生は顔色ひとつ変えることなく、目にも止まらぬ速さで突き出されたナイフの刃を掴んだ。刃は先生の手の中で微動だにせず、先輩は押すことも引くこともできなかった。
「悪いな。私は大気圏突破に耐えうるほど堅強なのだ。いくらナイフにGを乗せようが、その程度では私は傷つかんぞ」
「お前、アンドロイドか!」
吐き捨てるように、先輩がそう叫んだ。先輩はナイフから手を離して両手を先生に突き出したが、それよりも早く先生がナイフを受けていたほうの手で先輩の首を掴んだ。
「ready, set……」
そう呟きながら、先生が空いた片手を先輩の腹にあてがうように構えた。すると手のひらのちょうど真ん中辺りにぽっかりと暗い穴が開き、そこを中心に蒼い閃光が音を立てて収束した。光の玉となったそれはgoの合図で解き放たれ、先輩を飲み込んだ。先輩は小さな悲鳴を上げながら、スウと消えていなくなった。
身動きが取れるようになった俺は、状態を起こして呆然とその様子を眺めていた。何事もなかったかのように白衣の乱れを直していた先生は、俺がいまだに呆けているのに気がつくと、無表情を崩さず口を開いた。
「望月よ。お前がその名のごとく、満月のような懐深さと優しさを有しているのは素晴らしいことだと思うがな。他に優しさを見せるのならば、それ相応に強くあれ。親切心が災いして襲われていたら、目も当てられんだろう」
藤村に襲われたとき以上にパンチの効いた出来事のあとだからか、俺はぽかんと口を開けたまま目を瞬かせることしかできなかった。先生は心なしか呆れて目を細めると、フンと鼻を鳴らして続けた。
「男子なら、護身術くらいは身につけておけ。そして、あまり舞菜を泣かせるな」
「は? 舞菜?」
ようやく、俺は声を発した。とても間抜けな、素っ頓狂な声だった。直後、先生の背後から舞菜が飛び出してきた。
「この、バカズマァッ! だからひとりになるなって言ったのに!!」
泣くどころか般若のごとく怒り狂っていた舞菜は握りこぶしを作ると、渾身の右を俺の頬に打ち込んだのだった。