レスポールのソングラインを歩き始める
そして例の音が鳴った。いつもの彼女なら、チルアウトが心地良く感じるひとときを過ごしていたはずだ。バンドメンバーとの打ち上げ後のホテルの一室。彼女はYouTubeで昔から好きだったプリンスのライブアーカイヴを視聴しながら、ミックスナッツを齧っていた。サブスクでダニエル・ドレイクのギターやドープ感の高い音楽に身を委ねた。ときどきその音楽のどれもが心地良すぎて、眠ってしまうほどたった。
しかしその日は、どれも途中で全部やめて音楽をストップさせた。そしてその自身の脳に近い場所から鳴り出した不吉な幻聴に耳を傾けて真剣に聴いた。彼女がそれまで聴いていた音楽や、歌を作ってきたときと全く同じ脳内でその風は吹いた。そして風は一度吹くと、なかなか吹き止まなかった。
ヒュー、ピュー、ヒュー。それらの音が連続で、時には沈黙を挟んで交互にやってきた。それは彼女が全く聴いたことのない音だったし、できれば自分には鳴ってほしくはない音だった。夜中までその音は彼女の中で出入りし続けていた。まるで降霊会のようで、彼女の中に不吉な象徴が降りては漂っているようにさえ思えた。実際に、その降りてきた不吉なものの正体は、後日判明した。彼女は医師から突発性難聴と診断されたのだ。
それから須賀ハツミがどのようにして、レスポールのソングラインを歩き始めたのか。
私は、そのソングラインのガイドブッカー、つまりこの話の道先案内人であり、この話の書き手だった。あるきっかけで私にこの物語を書く役割が回ってきたのだが、それは今回の話にはあまり関係がないので、手短に語って終わりにする。
ある旅行会社の機内誌を担当する編集者は、雑誌に載せる新しい短編小説を探していた。それが私に回ってきたので、たまたま書き上げたばかりのこの話にいくらか手を加えて、編集者へ渡した。ちょうど機内誌は、オーストラリアの特集をまとめていた。オーストラリアの先住民、アボリジニに伝わる伝統的な歌の道、すなわちソングラインが、この機内誌の特集だった。ソングラインとは、いったいどんな道なのか。アボリジニの人たちは、ひとえに乾燥した広大な大地を移動し生活し続けている。その大地は、彼らが先代の部族から脈々と受け継いできた歌の道だった。彼らはその大地の記憶に導かれ、歌の思い出を道標にしてソングラインを歩んできた。彼らのその旅程がまさにソングラインであり、アボリジニの人々は自分たちの先祖が辿ってきた道のりを、絵や言葉に、そして歌にしながら、その道を子供たちに伝えていく。
私がこの話をしたかったのは、彼らの物語と、須賀ハツミの物語の旅の道筋が似通っていたからだ。彼女もまた沢山の音楽家たちから歌の道を受け継いだ子供たちの一人だったからだ。アボリジニの人々の物語はブルース・チャトウィン著の「ソングライン」でも詳しく語られている。そこから先の物語は皆さんでお読みいただければと思う。
彼女の物語は、私がこれから書き記そうと思うので、皆さんにも彼女の旅の軌跡を辿ってほしいと思う。